第57話 ジンクス

 帰りは別々だったが、夕食後、最早日課と化していた劇の練習に付き合う俺は、食後の眠気もあって相変わらずの人参……いや大根で台詞を読んでいた。

 振り付けの練習で熱心に体を動かす幼馴染みを眺めつつ、凄い奴だよなと内心で拍手を送る。いつだって何をするにも一生懸命で手を抜かないというか余念がない。


「お前さ、もしかして演技者の方に目覚めたとか?」


 思ったままを訊ねたら、奴は動きを止めてわざわざ呆れたように俺を見てきた。


「ううん今回だけよ。……今回だって、ジンクスがあるからやるだけだし」

「ジンクス?」

「ぶ、部活内だけの話!」

「へえ、けど今回だけとかって、何か勿体ない気もするな」


 楽しんで演じている風に見えたんだが、自分で納得してんならいいか。

 すると奴は俺の顔をジトッと睨む。


「勿体ないって、あんたはあたしがもっと大勢の衆目に晒されて人気が出ても平然としてられるわけ?」


 ホントどっからその自信が出て来るんですかねッ?

 まああながち独りがりな自信でもないがね。


「話が飛躍してんぞ。ま、何であれ俺はお前がやりたいなら応援するけどな」

「……むかつく」

「何でだよ」

「むかつくものはむかつくのよ。ハイハイ練習しましょ!」


 成功を一緒に夢見るっつってんのに、全くこいつは……。

 文句を言い掛けたものの、ゆめりは言葉とは裏腹にどこか落ち込んだようにも見えて俺は口を閉じた。たまにこう言う態度取られるからよくわからん。

 その後、翌日に備えてというのもあっていつもより早く練習を切り上げた。

 帰りしな、玄関で靴を履いた奴はくるりと俺を振り返る。


「明日はとくと見なさいよ。あたしの舞台」


 何を言うかと思いきや、何という素晴らしいゆめり節をのたまいになられるのでしょう。


「わーかってますよ。ちゃんと観に行くから安心しろ」


 言質を取って少しは満足したのか、白雪姫が実在したらこんななんじゃないかと思うような赤い唇で、ゆめりは嬉しそうに微笑んだ。


 うちの学祭は土日の二日間開催される。当日、俺はクラスの責任者的立場ってのもあってかなり早くに家を出た。

 家族の入場券をリビングに置いてきたが、正直来ても来なくても構わない。

 緑川夫妻は俺の展示もゆめりの劇も二人で観に来てくれるらしい。

 もうだいぶ秋を感じる涼しい早朝の通学路を一人チャリで行く。時間が早いから今日はゆめりとは別々だ。

 本日の天気予報は晴天確実。秋晴れが広がるでしょうと気象予報士が言っていた。

 ただ、明日は午後から天気が崩れるらしい。


 学校に着くと真っ直ぐクラスの教室に向かった。俺みたいに早朝から来ている生徒は割といて、思った以上に廊下は音に溢れている。


「お、看板出てんな」


 教室前では猫耳たんの等身大パネルが出迎えてくれた。

 どうやら俺よりも早く来たクラスメイトが廊下に出してくれたようだ。正直、食材や飾り付け用の生花が届く予定時間よりもまだ随分早いし、前倒しすべき事はなかったから誰も来ていないだろうと思っていた。俺が一番乗りのつもりだったんだがな。

 教室の戸を開けると、白い清潔なテーブルクロスを掛けられセッティング済みの机が並ぶ中に、一人の女子生徒の姿があった。

 その子は教室の真ん中に突っ立って感慨深そうに客のいない模擬店内を眺めていたが、音に気付いて振り返る。

 軽めのボブカットが揺れた。


「あ、松三朗君、おはよう」

「おはよう。早いな久保田さん」

「あは、そっちこそ」

「看板出してくれてどうもな」

「いいえどういたしまして。この猫耳美少女中々のクオリティだよね。羨ましい限りのプロポーションだし」


 久保田さんはゆっくりと俺の方に歩み寄って隣に立つと、俺と体の向きを同じくする。


「ようやく本番だね」


 テカテカとワックスの掛かった教室床が照り返す朝の陽ざしを受け、彼女のその期待に満ちた横顔は表情以上に輝いていた。


「松三朗君と実行委員やれて良かった。今日明日の二日間は大成功間違いなしだ?」

「そう願いたい」


 俺も目を細めて教室を見渡す。

 ホールの他、教室後方は狭いキッチンスペースを取ってある。

 レンジやコンロのある家庭科室で調理され運ばれた物を最終的に仕上げたりチェックする場所として必要だった。簡単な飲み物くらいならここで作る。


「あっ松三朗君の絵、観に行くからね」

「そう言ってもらえるのはありがたい。良ければ後で感想聞かせてくれ」

「もちろん」


 思わず気さくな返事に苦笑する俺は、何となくいつもの癖で荷物を持って教室に入ってしまったのに気付いた。自分の机は使えないってのに。


「あ、鞄置いて来るわ」


 一言断ってから廊下に出ると、クラス前に設置してあるロッカーに鞄を突っ込んだ。デジタル化に乗り遅れ各種紙の辞書を取り揃えております故に狭いロッカーに無理無理な。


「お。花ガッキーおはよ~。早いね~」


 パタンと目の高さにある鉄製の扉を閉めたところで、廊下の向こうから藤宮が歩いてきた。


「おはよう。まあ実行委員だしな。藤宮も早いけど、こんな朝から取材か?」

「そりゃあね! 情報はいつ何時も落ちているものなのだよ? 特に一大イベントともなればごろごろと。昨日も昨日で――……っと、これは企業秘密企業秘密」


 にひひと歯を見せて笑う藤宮の首からはカメラが提げられている。


「前言ってた一眼レフかそれ?」

「そうだよ」

「へえー、すげえ。新聞部だけあってホントにカメラっ娘なんだな」


 見た目ヤンキーお色気病弱眼鏡っ娘に更にカメラっ娘と言う称号が加わる。こいつは一体どこまで称号を伸ばすんだ。

 称賛を込めると藤宮は自慢げにカメラを撫でた。


「今はデータをそのままパソコンに取り込めちゃうのもあるけど、シャッター切ってフィルムに写して暗室でひっひっひって一枚一枚現像する作業がやっぱ写真撮る醍醐味で乙だねえ。独特の酢酸の臭いも慣れればフレグランスだし」

「……」


 フレグランス……。それってさ、俺がジャイアンさんの消し炭朝食を「デリシャス!」って言うのと同じ境地じゃないだろうか。それに暗室で「ひっひっひっ」とか大鍋で毒薬作る魔女だろ。


「あ、やっぱり。まこちゃんおはよ」

「お? おはようまこまこ~」


 声が聞こえて気になって出て来たらしい久保田さんが、藤宮に歩み寄る。

 藤宮がまこちゃんと呼ばれ、久保田さんがまこまこと呼ばれる。

 ややこしいっ。

 ここのところまこちゃん(俺が言うと微妙なので以下藤宮に戻す)は俺以外のクラスメイトからも話しかけられるようになった。

 その相手が主にまこまこだ。ああこっちも久保田さんに戻そう。


「今日は文化部目白押しだから腕が鳴る~。花ガッキー、演劇部もバッチシ撮るからね」

「どうして俺に言うんだよ」


 どうせまたゆめりとの絡みだろうが。内心やれやれと溜息をつく俺は、ふとした疑問を思い出し二人に訊ねた。


「なあ、そういや二人は演劇部のジンクスって知ってるか?」

「ジンクス?」

「そう。たぶん白雪姫関係だと思うが」

「さあ、私は聞いたこと無いけど」

「にししし私は知ってるよ~? これでも情報通だからね」


 首を傾げる久保田さんとは違い、藤宮がチェシャ猫顔でにやついた。


「あの白雪姫のドレスを着て白雪を演じる子はさ、――好きな人と両想いになれるんだよ」


 は……? 両想い?


「歴代で演じた先輩達はその後必ず意中の人と付き合ったって話」

「わ~何それいいなロマンチック~。それは試したくなるジンクスだね」


 久保田さんの興味津々な声がどこか上の空に聞こえる。

 俺の胸中には、次第に苦いものが拡がっていった。

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