第56話 学祭へと向かう道4

 時は流れて学祭前日の金曜日。


 今日は明日の最終確認なり準備なりに自由に使える予備日だとかで、ほぼ授業らしい授業はなかった。校内の大半が自クラスの準備に取り掛かり、迎えたいつになく人がいなくならない放課後。どこか浮ついたような空気の中、看板制作が間に合うか瀬戸際なクラスは中庭に出て板やペンキを広げている。

 そんな生徒たちを横目に俺は美術室に向かった。

 幸いうちのクラスは仕事が早く、内装も衣装も看板も完成済みだ。食材は保管出来るものに関してはしてあるし、フルーツや机に生ける生花なんかの鮮度が必要なものに関しては朝一で届く。

 これもバイト先や実家がその手の店だというクラスメイトのおかげだ。

 ふっ優秀なエージェントたちの集まりで良かったぜ。

 おかげで俺と久保田さんは、実行委員としての進行に滞りもなく苦労知らずだったからな。

 岡田はコスプレ班、つまり接客担当。佐藤は調理班。藤宮は宣伝班だかで、外で立て看板を掲げたりビラ配りをする人員だ。久保田さんと俺は特定の班には属さず、雑用っつか各班の手伝いの傍ら実行委員の当番をこなす感じだ。


「ちーっす」


 俺は自分の作品の最終確認も兼ねて美術室の戸をスライドさせた。

 こっちの方は昨日一昨日の内に展示準備はとっくに済んでいて後はお披露目を待つばかり。

 使わない椅子や机を一まとめにして衝立で見えないようにし、大きなパネルや台を設置して美術館のようにシンプルな造りにした。いつもは雑然と椅子やイーゼル、乾燥棚の置かれていた部室が見違えるようだぜ。

 そこには絵や彫刻が何かを語りかけて来るような、不思議な気配と静けさがあった。


「何か新鮮だな」

「そうね」

「部長、来てたんですか」

「明日の打ち合わせの合間に、自分の展示をチェックしにね」


 俺が入口付近で異邦人のような気分を味わっていると、パネルの奥から部長様が顔を覗かせた。他に来ている部員は数人。その他はまだクラスの準備に忙しいのかもしれない。


「そう言えば部長は明日司会でしたっけ?」

「そうよ、楽しみにしていてね?」

「はい、時間作ってでも体育館に見に行きまっす!」

「あら嬉しい」


 部長様にとっては晴れ舞台だから張り切ってるんだろう。声が弾んでいる。俺はさらっと自分の展示物を目視して一人納得の表情になる。見に来てくれた人が一秒でも一分でも足を留めてくれれば幸いだ。


「特に直しはなさそうなんで、俺今日は帰りますね」

「ええ、気を付けてね」


 スマイルをされ、軽くお手を振られる部長様。テレビの中の女優やモデルもかくやな華やかな光線を浴びた俺は、姫巫女を崇める古代人のように「おおおお…っ」と諸手を挙げたい気分にすらなった。


「あっそうだわ、ちょっと待って花垣君。帰るなら演劇部に書類持ってってくれない?」


 俺の返答を聞かないままに慌てて部長様が奥に駆けていき、すぐに戻って来た。


「これ、明後日の打ち上げの追加書類。向こうの顧問か部長に渡してほしいのよ。頼める?」

「わかりました!」


 目の前に差し出された白魚のような手を……いやいや白い紙束を受け取り、俺は即了承。

 打ち上げは人数がいるから無難に学校でするらしい。とは言え飲み物や軽食のオードブルなんかを手配したりと案外手間がいる。一枚目の記載内容はざっと見た感じその手のものだ。

 部長様からの初めてのお使いを頼まれた俺はさすがに道に迷いはせず校舎を進み、演劇部の部室前に立った。ほとんど足を運ばない他部活の教室を前に、何となく一呼吸置いてからノックする。

 明るい返事があって向こうから誰かが戸を開けてくれた。

 最終的な通し稽古の予定があるのか、既に集まっている部員たちの中には本番さながらの衣装を着ているやつもいる。

 これまた愉快な空間に入り込んじまったよ。美術室で感じたのとはまた違った異邦人気分だ。

 そして応対に出て来たドレスの生徒に何だか見覚えのある気がして、


「んん……?」


 と目を凝らす。だがそれが誰なのかすぐにはわからない。

 ええと、ええとええとえええーっとおお~…………――ッ!?

 記憶を総動員して、ようやっと俺のミジンコ脳は蓄積された顔情報から一致する画像を選択。


「ゆ、ゆめり……なのか?」


 唖然とした俺は慄くようによろけ入口の柱に手をついた。


「俺、おじさんとおばさんに何て言えば……っ。朝はそんなじゃなかったのに、何が半日でお前をそうさせたんだ。髪が金色じゃねえかよ!!」


 そうなのだ、俺の前には頭を見事な金色にした幼馴染みがいた。


「何か家庭に不満があるなら、俺が話聞くぞ?」

「ウィッグよ! 遊び心で試しに付けてみただけ。グレて染めたんじゃないから安心してよね」


 安心、か。俺はセコムやアルソックで護られても、相手がお前だと一睡もできないくらい安心できない。どんな頑丈な要塞を造ったって、分厚い装甲の戦車で応戦したって、空手の板みたくお前は軽々と「アチョーッ」つって蹴破って来るに違いない。俺の張った理性や虚勢なんか最初からまるでなかったように。


「何だ、驚かせんなよ」

「そっちが勘違いしたんでしょ、もう」


 俺はまじまじと奴を眺める。

 お姫様ドレスに違和感ないってある種の才能だな。


「お前が気に入ったって衣装がそれなのか?」

「そうよ。可愛いでしょ」

「まあな」


 同意はしつつ、俺は内心首を傾げていた。可愛くないってわけじゃないが、ぶっちゃけどこの演劇部にもありそうな普通のデザインにしか見えん。ハッキリ言ってこの衣装を見て出演を決めたとは思えない。

 他に何か理由があるなこれは。

 俺にはきっと関係ないんだろうが。


「ところで、珍しいわね。何か用?」

「ああこれ、部長から預かってきた書類。悪いがお前んとこの部長か顧問に渡しといてくれ」

「わかった」


 髪の色が違うせいか、お姫様ドレスのせいか、薄ら化粧をしているせいか、着飾ったこいつを何となく直視できない。何だか知らない相手みたいだな。


「じゃ。今日は先帰っていいんだよな? リハ頑張れよ」

「うん、気を付けてね。これ見てグッときたからって、家で無理やりあたしに猫耳とか婦人警官とか女医のコスプレさせてエッチな事しないでよ」

「するかッ!」


 言い返してピシャリと戸を閉める。肩を上下させ廊下で盛大な溜息を落とした。


「部員たちが凄い目で俺を見てきたぞ。……ったく、いつも何かを強要してくんのはそっちだろ」


 否定語の性質か、ついつい猫耳や婦人警官や女医を想像してしまい咳払いした俺は、軽く頭を振ってそそくさとその場を後にした。

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