第46話 女装ひょっとこの脅威

 女装ひょっとこ。

 それは現代に突如として現れし夏の怪異。

 口裂け女、四時ババア、トイレの花子さんらと並ぶ、新たな都市伝説となるべくして生まれた異質な存在だ。

 夏の夜の怪奇は俺の幼馴染みをひょっとこに変えてしまった。浴衣姿のままで。


「あのーすみません、そこのお嬢さん」


 後ろから声を掛けると、


「はい何でしょう?」

「うわあああっその顔はあああ!?」


 ――見返りひょっとこ。

 顔はとぼけたおっさんなのに格好は浴衣女子。


「あらどうしてお逃げになるの?」

「ぎゃあああ声掛けてすんませんでしただから追ってくんなあああーっ!」


 こんなの、追いかけらたら無条件で逃げたくもなる。マジこえー……なんつー下らない思考が行き交う俺の脳内だったが、正直ひょっとこゆめりと見つめ合ったままどんな顔をしていいのやら迷った挙句、ドッと疲れた顔になった。

 奴は途方に暮れたような顔の俺が放心していると思ったのか、近付いてくるなり思い切り爪先を踏ん付けてきた。下駄で。


「づあああああッ!」

「どう? 意識帰ってきた?」


 お面を付けたら狂暴性が抑えられるとかだったら良かったのにな……。下駄ずれの心配なんぞしてやるんじゃなかった。最早こいつが女装したひょっとこにしか見えん!

 で、女装ひょっとこ様は俺の手元を覗き込み小首を傾げた。


「え、何あんた、味覚異常なの? たこ焼きにチョコバナナ入れとくって……」


 とぼけた表情がより様になる。っつかさっさと外せよな。俺をおちょくってんのか?


「これは仕方なくだ」

「ふうん? 食べちゃえば良かったのに」


 んな気持ちの余裕も暇もなかったよ、主にお前のせいでな!


「なあ、何でお面付けてんの?」

「気分?」


 気分。へえそうか。理解に苦しむ。普通視界確保の邪魔になって顔の横とか後ろに付けて歩くと思うんだが。


「あー何その顔、あたしの気分にケチ付ける気?」

「いや。渋いチョイスだと思ってな。別にひょっとこをディスっているわけじゃねえよ。けど最近のお面はかわいいキャラ物だってたくさんあるだろ。だから意外だっただけだ」

「じっくり見てる暇なかったのよ。こっちだって動き回ってたから」

「はあもー、移動すんなよー。だから中々見つかんなかったわけだ」


 俺が片手を腰に当て嘆息すると、


「あんたがこっちに気付かなくても、あたしが見つけてたから別にいいかなと思って。でもあんた色々と走り回るんだもの、こっちも疲れたわ」

「お前近くにいたならなあ……はあ、まあいい。この人混みでよく見失わなかったな」

「おかしなこと言うわね。何で見失うのよ? 何年の付き合いだと思って? あんたが何処にいたってすぐにわかるわよ。どれだけ人混みの中にいようとね」

「……そりゃびっくりな特技だな」


 魔王様が手下をいつでもどこでも把握できるお役立ち能力かっ。


「特技って言うならあんたの味覚の方でしょ。味ぐずぐずで食べる気だなんて……」

「言っただろ、仕方なくこうしたんだよ。走るのにチョコバナナ二本も手に持ってじゃ危ないし」

「……あ、ホント二本あったのね。もしかしてあたしの?」

「こんなんなったし別に押し付ける気はねえよ。つーか何で最初のとこから動いたんだよ。そもそもはお前が―」

「――心配だったから」


 怪訝な顔になる俺へと、奴は責めるような声を向けてくる。


「あんたが知らないところで怪我したらって思ったら、嫌だったからよ」

「大袈裟な。夏祭りじゃん。人目だって多いだろ」

「でも、もっと安全そうな学校で怪我したじゃない」

「それは――……体育で怪我するやつもいるだろ。それと一緒だよ」

「……本気で言ってるの?」

「もう済んだ事だし、その節は心配掛けて悪かったって。だからもう忘れろって、な? あれは不運な事故だった」

「不運な事故、ですって?」


 奴は、ひょっとこのまま俺に詰め寄った。

 う……、面の向こうから物凄い威圧感が漂ってくる。つーかさ、表情の変化がないのって無表情と一緒だよな。ち、ちょっと余計に怖いんですけどひょっとこ様?


「――嘘つき」


 お面の奥のくぐもった声に、俺はぎくりとした。

 まさかこいつは真相を知ってるんだろうか。

 夏休みで人が少なかったとは言え目撃者はいる。

 だが俺の怪我の経緯までは知らないはずだ。

 佐藤は俺の説明を信じたし、藤宮は俺の共犯だから口外しないだろうし、当事者ヤンキー達が自らこいつに話すとも思えない。

 誤魔化すべきか否かと俺が迷い思案していると、奴は腕を上げて俺の怪我に触れてきた。

 まるでさっきのオネヤンみたいに。


「えっ何だよ?」

「……それに、目を離すとすぐに誰か他の女の子と仲良くなってるんだから」


 声には刺々しさと、拗ねたような響きがあった。


「へ? は? 他の女子? ……ってああもしかしてさっきの金髪の?」

「そうよ。随分と綺麗な顔してたわよね」

「傍にいたなら声掛けてこいよな」

「……だって、知り合いだったみたいだし、女の子と一緒のとこ邪魔するのって、――何か余裕ないみたいで嫌じゃない」

「余裕?」


 いやそれより、重大な勘違いをしてんぞこいつはまた。


「あれはうちの学校のヤンキー先輩で男だよ男。まああの通りの容姿だし女子と間違うのも致し方ないが」

「えっ男なの? それにヤンキー先輩って……ヤンキーって、あんた……」


 奴は、何を思ったのか両手でがしりと俺の頭を挟んで気色ばんだ。


「あんたホント馬鹿なの!? お人好しもここまで来ると愚かとしか言いようがないわ。何へらへらと平気で怪我の原因作ったやつなんかと話してんのよっ! 隠したってあたし知ってるのよ。あんたのスケッチ破られてたし、何かトラブルがあったんでしょ! 危機感なく接して今度は大怪我なんてさせられたらどうすんのよ馬鹿アホ間抜けエロ河童ッ!!」

「ちょっちょっ……揺さぶんなって! 首痛いんですけども!? もげる! 林檎とか梨みたいにもごうとしないでっ、まだ松三朗林檎は熟してませんーッ!」


 どうしてか、奴は知ってた。


 けど今までずっと黙ってたのは、俺の意を尊重してくれたからだろう。

 今の様子を見ると、どんな気持ちで黙ってたのかわかる。もうすっかり痛みなんてないはずの傷がズキリと痛んだ気がした。……首は確実に痛いがな。


「で、何でヤンキーなんかと関わったのよ?」


 奴は俺を解放すると苦虫を鼻の穴から入れたような可笑しな顔……ってあ、ひょっとこ面か。それでいて苦虫を噛み砕いてペッと吐き捨てたような声音で訊いて来た。顔と声のギャップが半端ねえ……。そろそろ噴き出してもいいだろうか。


「観念して吐きなさいよ」

「…………ぶふっ」

「だぁれが噴き出せって言ったのよ?」

「いや、ごほごほっ、わ、わかったよ」


 いまいち真剣になれない俺は、凄んでくる女装ひょっとこの多面的脅威に屈した。

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