第6話 放課後の怪(後編)
俺は密かにごくりと唾を呑みこんで強く強く拳を握り締めた。
緊張の余り噴き出した汗が顎先から滴り落ちる。
騎馬上の敵将同士だってここまで緊迫はしないだろう。たぶんね!
ともかく激動の世を駆けるティーンの俺は今世紀最大の強敵を前にしていた。
……何の変哲もない至って平凡な美術室で。
「花垣くん何処か行くの? 幽霊でも見たような顔して。まだ部活終わってないでしょ?」
ゆめりは絶句する俺の様子をどう受け取ったのか、不思議ちゃんのようなぽやっとした瞳で問いかけてきた。
わざとか? わざとなのか!?
「外にスケッチに行くんだよ。何か用か? かく言うそっちもまだ部活時間だろ?」
目の前の幼馴染みに俺は敢えて何食わぬ顔で問いかける。用件なんてわかり切っているが何も察しない
心臓はドキバクで破裂しそうだがおくびにも出さない。出してはいけない。逃げようとしていたのを悟られてはいけない。マストノット!
「休憩中なの。用って言うか、帰りも一緒に帰るでしょって訊きに来たの」
一緒に帰るでしょ?
訊・き・に?
ハハハどう聞いても俺が一緒に帰るの確定事項で、それを確認というか念押ししに来た台詞にしか聞こえないオ?
おっとこれじゃ俺が不思議ちゃんだ。
きっと他の誰かに同じことを訊かれたなら……。
佐藤:なあ今日一緒に帰るだろ?
俺 :あ、悪い今日特売日なんだよなー。だからごめんな?
佐藤:特売かー、わかった頑張れよ主夫。
こうやって何も怖がらず普通に断れる。
俺:ただいまー言われてた牛乳と卵買って来たぞー。
奴:お帰りなさい、あなた。
ノオオオオオオオオオッッ!!
全く人間追い詰められると思考回路がおかしくなるらしいな。
何とかバグの修正プログラムを打ち込んで……っと。
「んじゃ六時半くらいにチャリ置き場な」
「わかったわ」
駄目駄目じゃん俺……。
何をどう改変しても意味がない悪質なウィルスにかかってるなこりゃ。
じゃあ後でと心なし弾んだような声で言って廊下を戻っていくジャイアンさん。
無難に見送っていたら、何を思ったのかふわりと黒髪を靡かせてくるりと振り返った。
「運動部の女子ばっか見てたら駄目よ?」
「それは敢えて見てろってことか」
「馬ッ鹿じゃないのアホ! エッチなスケッチするなって言ってるのよ! 捕まるわよ!」
「はい馬鹿とアホ同時にオーダー頂きましたー……って睨むなよ、冗談だよ冗談。絵に集中したら周囲はそれほど気にならなくなるから安心しろ。中庭周辺の草花を描くつもりだし」
「……知ってるわよ、気にしなさ過ぎってのは」
「過ぎ? 普通だろ」
「ホント集中力半端なさすぎよ。前にあんたの部屋行った時、すぐ横であたしが着替えてても全然気付かなかったものね」
「な……に!?」
俺は愕然と目を見開いた。
バサリとスケッチブックと4Bの鉛筆が床に落ちる。ああ芯が折れていませんように。俺はこの硬さがしっくり来るんだよなー……って、んなこた今はどうでもいいっ。
ついにはがくりと四肢から力が抜けて俺は床に両手両膝をついた。
「いつだ……? それは一体いつの話だッッ!?」
「ちょっといきなり食いついてきてどうしたの……ってまさか想像を!? あたしのたわわな胸とかくびれたウエストとか小さなおへそとか、それを触った感触とかを! 想像しないでよこのえっち!」
「だッ、いでででで!」
奴はわざわざ戻って来ると俺のお馬さん状態の背に容赦なく上履きの靴底を落とし込んで来た。繰り返し繰り返し。
「背骨がッ背骨が折れちゃうからホントやめて下さい! カルシウムプリーズ! そしてこの怒りんぼさんに誰かカルシウムを与えてやってくれ! いやでもイライラにカルシウムって別に効果ないんだっけ? 違うっけ? どうだったかなああどっちでもいいやははははは!」
「いやーーーーッ! 鼻血出すなーーーーッッ!」
「不可能ッ!」
美術室入口でお笑いのコントみたいに騒いでいた俺たちだ。
当然会話も丸聞こえ。部員の何人かが赤くなっている。全員男子だ。
想像したんだな? ああそうだよな想像するよな!
想像するなとか言われたらさ。直前の細かな描写をさ。
本当にこいつは確信犯なのかと思うよ全く。
俺にどうして欲しいんだ?
足蹴にするくらい嫌ならいちいち言葉に出すな。
「花垣君、スケッチするなら早く行きなさいね?」
おお……天の助け。
「うう、ぶッ部長~。はい行ってきます!」
「緑川さん、あなたも早く部活戻りなさい。うちの部員に迷惑掛けるようなら出入り禁止にするわよ?」
いいわね、と部長が奴を窘める。
「……取り乱してすみません。わかりました」
おおっ謝ってる! さすが部長様、あなた様はまさかジャイアンママなのですか!?
俺はそそくさと奴から離れ廊下を駆け足。
背中痛えー。全く、常時海老蔵いやいや海老反りになったらどうしてくれる。
「花垣くん、六時半よ! 約束だからね!」
ゆめりが声を張った。
「もし先帰ったら――今夜創作ノート持って家行くから」
「チャリ置き場で心よりお待ちしておりまっす!」
俺は誠心誠意返答した。
まあ、行きと反対でほぼ下り坂だからほとんど漕がなくていいし、楽だからいいか。
創作ノートとは奴が考えた物語のあらすじを集めたもの、つまりネタ帳の事だ。
ぶっちゃけアドバイスを求められるのは苦行なんだよ……。
読めばわかるがわけわかんないから。
奴は現国の点数はいいが、文才は無い。
この時俺は明日が土曜日だってことをすっかり失念していた。
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