第5話 放課後の怪(前編)
今日も一日授業を無事に受け終わった放課後。
お隣さんちのゆめりさんは、どの休み時間にも俺の所に来なかった。
……が、来る日はとことん来る。
単語帳ならまだいいが、英和辞書借りに来たり、国語辞典借りに来たり、古語辞典借りに来たり漢和辞典借りに来たり和英辞書借りに来たり……って俺は辞書屋かッ!
いつの間にやら奴の術中にはまった俺のロッカーは、入学後一月足らずで今や各種辞書を取りそろえておりますよ。生徒の数からしてもそこそこの規模の学校なんだし、電子辞書とかデジタル化の波に早く乗って欲しい……。
おかげでジャージや諸々の私物がはみ出るから机の横に紙袋で提げる羽目に。
いつも掃除で机運ぶ時とかすげー邪魔だ。
クラスの奴にも「花垣の机重い」とか言われたし。
本当に苦労掛けます。元凶は奴ですからね皆さん。
その事をぼやいたら奴は何て言ったと思う?
「ジャージくらいならあたしのロッカーに入れてあげてもいいわよ?」
だって。
ははっお前のロッカーまでいちいち取りに行けと? 八組遠いわッ。
それに勝手に女子のロッカー開けてる俺の姿ってさ……下着ドロ臭いだろ。
そいやまだ奴はピンクのブラしてんのかね。
訊いてみたいが訊いたら人生即終わる。社会的にも生物的にも。……静物になるんじゃないのかな俺。
ただ、昼食は佐藤と岡田と食べてるし、ゆめりはゆめりでクラスの女友達と食べてるようだった。
中学ん時みたいに俺の席で一緒に食べることはなくてホッとしている。
あの時はクラス全員が奴の共犯だった。協力者でなく共犯な共犯。
言い方を変えれば、クラス公認。
何の? ねえ何の公認だったの!?
俺たち当時も付き合ってすらなかったからね!?
なんてわざとらしく取り乱してみたりしてな。ハハハ。
――ゆめりお嬢様の下僕としての、公認だよ。どう考えてもそうとしか思えない。
まあ、別々に食うようになったのは輝かしき変容だとしても、三回に一回くらいの頻度で俺のクラスに来てジュースを「美味しそう頂戴」「咽渇いた頂戴」「飲み物忘れた頂戴」とか言って取ってくのはやめてねジャイアンさん?
と、大抵がそんな毎日だが、今日は来なかった。来なかったんだ!
向こうも同じ学生だし、移動教室やら体育の着替えやらなんやらで休み時間に制限があるだろうから全然不思議じゃない。
しかし、だ。
ってことは必然的にここに――来る!
きっと来る。
帰りの約束を取り付けるために。
帰りも悠々自適に乗れる乗り物を得るために。
言うまでもなく、運転手は俺だ。
こことは、放課後の美術室。
イーゼルに置いたキャンバスの前に腰かけ、俺は頭を抱えたい衝動に駆られて項垂れた。小刻みに震える太腿を両手で必死に押さえ込む。
耐えろ、耐えるんだ俺。他の部員だっている。
入部して間もないのに変な奴だと思われるのは精神にダメージがでかい。
でも正直今すぐ叫び出して逃げ出したいんだよ俺は!
あの黒髪ロングの怖い女はもうすぐあの扉一枚隔てた廊下と言う空間からゆらりと頭を覗かせるだろう。唇には細い三日月を描いてな。
今はまだ部活終了時間まであるが、奴はどうしてかッ、いつもッ、俺の部活時間より早くそっちの部活を終えて迎えに来るんだよッ。
なあ隠しカメラでもあんのこの部屋!?
そんなに人にチャリ漕がせるのが好きなのかあいつは。妖怪漕がせ婆なのか!?
つーか帰りくらいバスとか頑張って徒歩とかで帰ればいいのに。出来る距離だろ!
以前それを仄めかしたら「めんどくさいわよね?」だった。
電車通学の奴に謝れ!
それに奴が頼めばチャリの後ろ乗せてくれる男は大勢いるだろうに。
たまには俺だって一人で自由に帰りたい。
部活の友人とコンビニに寄り道して菓子食ったりしてきゃっきゃっうふふと親睦を深めたい。
だが奴と顔を合わせたら最後、希望は潰える。
どうやって奴を避けるか……。
ハッそうだ!
俺は思い立って腰を上げた。
「部長、外でスケッチして来ていいっすか?」
俺が訊くと三年の部長は「構わないわ」と優しく微笑んでくれた。
緩いウェーブの掛かった黒髪ロングをシュシュで首の横に纏め肩前に垂らした美術部部長さまは、絵のモデルになって下さいと土下座したくなるようなお人だ。すらりと背も高くモデルなんじゃないかと思う整った容姿の持ち主で、ゆめりとはまた違ったタイプの美少女だ。
だが優雅な見た目に反し専攻は彫刻で、毎日ノミとツチでガンガンガリガリ石膏やら石を削っている。
だがしかしだ。真剣な顔から力を抜いて小休止した際の額の汗なんて、まさに聖水!
部長さまに叶わぬ恋心を抱く部員たちはいつも嘗めたそうに指を咥えている。
ハッハおいおいやめろよなそういうキショいエロ目……って俺もだよ!
とにかくまあ俺は自前のスケッチブックを手に、一刻も早くこの空間を抜け出さねばと美術室の横開きの扉に手を掛けた。
如何なる手を使っても会わなけりゃいいんだよ。
ようやく俺はそんな簡単なことに気が付いた。
毎日必ず奴がいるから、追い詰められてそんな発想さえ持てない視界の狭さだった。
ってことで、開けゴマ!
「わ、びっくりした。自動ドアかと思ったわ」
「ゆめり……」
ジイイィーーーーザアアアアーッスッッ!!!
ああいや、俺ん
神様仏様あああーーーーッッ!!
が本当だろう。
だがそれだと乙女が願いを懸けているようだろ?
あの人に会いたい神様仏様……!
みたいなさ。
全ッ然ニュアンス違うじゃん!?
むしろ俺は会いたくなかったわけだからな!
美術室の前で驚いたように俺を見て瞬く件の幼馴染みさん。
詰みだな……。
俺は絶望によろけそうになるのを必死に堪えるしかなかった。
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