第15話 橘 重蔵

  「ニャァァァァァァ…痛いのぉ…痛いのぉ…」


女将さんは額にでかい瘤を作って布団の上で唸っている。

氷嚢で冷やしたからか幾分、獣の様に転げ回っていた先ほどよりかは落ちついているが、見るにたえない。

赤黒く腫れた部分が特に…

まぁでも消火器で思いっきり頭を殴られたわけだから、割れた中身をぶちまけるような事態にならなかっただけ幸いなのかもしれない…


「ごめんねぇ。だって女将さん、いきなり暴れるんだもん。こっちだって身の危険感じちゃうよぉ」


当のアイツは謝罪なのか、言い訳なのかよくわからないことを言いながら、生業の触手マッサージで女将さんを労って(?)いる。

当の女将さんは頭の痛みでマッサージもくそも無いような様子だが…


「二ャアちゃんが触手に!触手が二ャアちゃんに!これは良い!良い組合せじゃぁ~!」

変態爺は相変わらず腰にタオル一丁で、触手にまみれる女将さんに興奮しながら、食い入るようにデッサンしている。

なんなのだろう、この変態は?


「あのー、そういえば貴方誰ですか?」

今更ながら聞いてみる。


「若造め。後にせえ!」

とりつく島もありゃしない。


 長旅と意味の分からないイベントの数々で疲れたので、俺は寝ている店長の居る別部屋に布団を敷く。

そういえば一緒に寝る約束してましたもんね。

どんちゃん騒ぎをものともしない、安らかな顔で眠る店長の寝息を子守唄に、俺も眠るのだ。

猫娘な女将さんも二ャア二ャア変態爺も、明日にしよう。俺はもう、疲れた。

うるさい皆さん、お休みなさい。

俺はもう寝ます…



 一定のリズムを刻む鳩の鳴き声と、謎の圧迫感で目が覚めた。


「で、何やってんすか…店長…」

何時からこちらに潜りこんでいたのか…店長が腰に手を回し、脇腹にしがみついている。

小さい頭をぐらぐら、片手で揺らすも起きる様子がない。

そんでもって朝一番の尿意が俺の下腹部を襲う。


昨日の今日で、起きがけからピンチだ。

ちくしょう、茶なんぞ飲むんじゃなかった…


「店長!店長!」

さっきより強めに揺さぶる。


「ぬ、ぬへぇ…」


もはや声にすらなってない音を半開きの口から漏らす店長は、やはり起きない。

仕方なし。

強行手段である。

俺はそのまま無理くり立ち上がる。

成人男性の脚力をなめないで貰いたい。



 …俺は直立している。

間違いなく、これまで体を横たえていた布団の上、二本の足でもって立っている筈なのだ。


「う、嘘だろ…」


俺はあいも変わらず脇腹にしがみついている小さき上司に絶句した。

店長、前世はコアラか何かだったんじゃなかろうか…


まぁ、いい。

それよりあれだ、立ち上がったら尿意がやべぇ。

急がねば。


 ズルズルと、腰から伸びる店長の足を床に引きずりながら、木造の廊下をゆく。

久しく忘れていた足裏に感じるひんやりとした冷たさが、何だか懐かしい。

田舎の実家も朝方は床が冷たかったものだ。

 便所は客間から遠くなく、そんでもって赤と青の標識が分かりやすく、改めてここが宿泊施設なのだと思い出される。

早々に燃やされそうになったり変態が現れたりしたから、すっかり忘れていた。

「それで、だよ…」

腰にしがみついている店長はやはり起きない…



 脇腹で寝息を立てる小さい顔、しかも上司のそれである。

その傍らで、俺は陰茎を露出していた。


「で…出ねぇ…」

 

あれだけ感じていた猛烈な尿意は完全消失。

ガチガチの緊張から屹立しておりますソレからは、出る気配が微塵もない。

一重に、

早く事を済まさねばと廊下に脱ぎ捨てたズボンと下着の存在。汚ならしい便所の床に触れさせまいと、必死に小さき上司を片腕で支える無理な姿勢。

そういった諸々の外圧が、「出したいのに出せねぇ」状態を引き起こしているのに相違ない。

不覚である。

最悪である。


不意に、後ろに気配を感じる…


「若造…お主…」


後ろ向きだが声で分かる。ちらちら視界に入る真横の鏡の反射で分かる。

爺、変態爺。

この寒いなか昨日と全く同じ変態スタイルで登場だ。


「おっ、おっ…」


何も後ろめたさはないが言葉は出ない。

しかしながら、朝っぱらから変態に遭遇した衝撃からか、下半身にほとばしりを感じる。

出た!と思って一瞬、気が抜けたのだろう…

脇腹に抱えた小さき上司を取り落としそうになり、反射的にバランスを崩す。

やべぇ倒れる…


「若造!」


 ジョジョジョジョジョジョジョジョジョ…

結果的に転倒して便所のタイルに頭を打つこともなく、俺が朝っぱらから小便濡れになることもなかった…


「若造、お主なかなかやりおるのぅ…」


変態は感心したように頷く。

いや、まぁ…とっさに転倒しかけた俺の体を支えてくれたのは有り難い。有り難いのだが…


 ジョジョジョジョジョ…ジョ…

「…」

俺は黙って放出し切った下腹部を見下ろす。


「ぬ、ぬへぇ…」


何でとは言えないが、ずぶ濡れになり異臭を放ち始める小さき上司の頭は、やはり変わらず変な、呻くような音をたてていた。

感心されるべきはこちらではなかろうか。



ジョジョジョジョジョ…ジョ…


温かい。


「そもそもさ~何で朝からお風呂なの?」


温かい。


「そりゃお嬢さん、ここの感心な若造がそこの激カワな娘っ子に朝からぶっかk…」 


「ぁあああああ!朝風呂だ!朝風呂‼そういう楽しみ方何だよ!」


体の芯から、温かい。


「へーそうなんだ。この寒いのに素っ裸のおじさんと、尻出し佐藤がトイレの前で店長脱がしてんだもん、何事かと思ったよ…」


「あははっは、ちょっと持ってきてたジュースを寝ていた店長にぶっかけちゃってな…ははは…」


温かい…

視界が明るい…


「あっ…」


「お!店長おはよ~」 


「お早うございます…」


「ぬほほほほ、お早うさん」


え?

「?なに?スーパーは?どこなの…何で風呂?」

訳がわからない。

そもそも

「何で裸なのよ!」

視界に入る奴等みんな肌色だ。


「あ~なんと言いますか…あれです。皆で朝風呂なんですよ、店長…」


「いや、ちょっとわけわかんないわよ佐藤くん…そもそもここどこなの?」


「ぬふふふ…ここはワシの家じゃ…」

嫌らしい笑顔の老人がジャブジャブいわせて近寄ってきたので、思わずこちらもジャブジャブ距離をとる。


「いや…そもそもあなた誰…」 


「朝からね~佐藤が店長にぶっかけちゃったからお風呂なんだよ~」


「はぁ?」


「ぁあああ!違います!ジュースがかかっちゃったんです!ジュースが!」 


「ぬっほっほっほっ、今時珍しい武勇であったぞ!若造!」


「ちょっと!あんたは黙っててください‼」

佐藤くんがいつにもまして焦っている。


「え?それじゃあ服は?」


「洗濯中~♪」

ミーネちゃん嬉しそうに言わないで。


「いや…だから違うんですよ…店長…」

少し落ち着いて佐藤くん。


「ぬふふふ、しっかしお嬢さんいい肌艶してますのぉ」

おい爺。お前は誰だ。

こっち寄るな気持ち悪い!

取り合えずこれ以上、この気色悪い爺の前に肌を晒したくない。


「とっ…とにかく!!!」


「「「とにかく?」」」


「私はもう上がるわ!」



 「と、いうことなのじゃ」


「はぁ…」


寝起きの女将さんがこれまた寝起きの店長に云々と説明をする。

まぁ、いきなり頭上に猫耳と額にでかい瘤をくっつけた猫娘に現状説明されても腑に落ちないのだろう。首を計8回は横に傾けながら、一応は最後に形式的に「分かりました」と、店長は頷いていた。


「情報は共有できたわけだけど、次はどうしようか?」

取り合えず朝のぶっかけ騒動は片隅に追いやらねばいけない。


「それじゃあのう!お主たちへの"頼み事"に関してなんじゃが…」

言ったそばから女将さんは食いつく。


「にゃんちゃ…お玉、玉にゃんや!頭はいたくないかえ?ぉおおぉぅヨチヨチヨチヨチ!」

それに被せて例の爺は女将さんの腹部に抱きつき、高速頬擦りを敢行する。

おい、変態。


「おい、クソ爺ちょっと黙っとりゃ…」

女将さんは手慣れたもので、昨夜よりかは7割引きくらいの炎をチリチリと、爺の薄ら白い頭髪に近づけてすかさず黙らせる。

こんなん毎日やってたら疲れるな。確かに。


「は~い。取り合えず朝ごはんが食べたいで~す」

おい、触手。

お前はいつも食うことばかりだな。



「賛成。私もお腹減ったわ」

店長。

何も異論はございませんとも。


「にゃっ!まずいのぅ…米炊いとらんわ…」

まぁ昨日の今日でそうでしょうよ女将さん。


「しょうがないですよ…スーパーで何か買って来ましょう」


「えぇ~朝からあの道のりを歩くの?

佐藤が一人で行ってきてよ」


「それは私も同感」


「…」

薄情な。


「あぁ~大丈夫!大丈夫じゃ!1時間あれば飯は炊けるし魚も焼けるわ!ほれ、少し待っとれい。御客人!」

腹部にくっつく薄い頭の脳天に、肘を一発落とすと布団から飛び出した女将さんは、尻尾をブンブンさせながら廊下を駆けて行く。


「あの、大丈夫ですか…」

今のは痛い。

頭を抱えて布団に沈む変態に一応、声を掛ける。



「ワシの聖域(サンクチュアリ)へようこそ若人よ!」


「…」


最近あの触手と店長は妙に仲が良い。

分かってはいたさ。

何かあれなのだ、女性陣(?)のきゃっきゃうふふな空間に馴染めない俺は見事に部屋の片隅でボヤボヤしていた。


「おぉ将来ある若人よ。飯の前に我が手解きしてやろう!」


いつの間にか復活していた変態は、俺の後ろにごく自然に回り込む。そして囁く。

気色悪い。


で、俺は変態の巣窟に半ば強制的に拉致られた。



予感はしていた。

しかし、

かの聖域もといパンデモニウムは、あまりにも痛々しい。

抱き枕、布団、シーツ、タペストリ、壁紙、PC、タブレット、訳のわからない量の小物各種、etc…etc…

その空間を構成する何もかにもが同じタッチで描かれているかわいらしい美少女キャラ…

いや、違うか。

美幼女キャラで溢れている。

極めつけはその痛部屋の奥の奥。猫要素こそ皆無だが明らかに女将さんを型どったと思われる、等身大の像がこれでもかという存在感を放つ。


「これは…」


何と言えと。

このクソ爺に。


変態クソ爺はスッと俺の後ろに立つ。

位置どり、動き、その他諸々…非常に気持ち悪い。


「ワシはな、数年前は一人ぼっちだったんじゃ…」

おいおい、何か語り始めたぞ…


「このド田舎に生まれたワシは中学ん頃に両親を亡くしてのぉ。ジジ、ババもそれから一年もしないうちに逝きおったわ。

後は卒業してからずうっと一人。あっちこっちの自動車工場で食うためだけに働いておったのよ」


「はぁ…」

ネガティブ変態糞爺は俺の溜め息まじりの生返事をよそに、語る。


「ただ淡々と金を貯めてこの歳じゃ。

もうどこの工場も相手になってくれんでのぉ…

このド田舎の古巣に戻ってきたのよ」


「…」

おいおい、変態相手にちょっと気の毒になるじゃないか。


「でものぉ暇にほだされてふとまわりをみやりゃ、改めて気付いたのよ。儂、一人だけだったんじゃ。

同年の田中も吾作も高橋も森野も、みんなみぃんな見合いなりなんなりして所帯をもっちょる。

やれ村の寄合で集まりゃ、娘が息子がどうたらこうたら。そんでもって生まれた孫が可愛い、孫が可愛い…そんな話ばっかじゃ。

儂なんぞ孫どころか子も妻も、親類もおりゃせん。それでの、初めて寂しいと感じたのよ」


「それで…どうしたんです?」

独り身の寂しさに共感してつい尋ねてしまった。


「作る事にしたんじゃよぉ」

ニタァと爺は狂気じみた笑みを口元に湛え、言う。

流石変態。

思考が限りなくやべぇ。


「絵を描いて想像を膨らましてどこまでも愛おしい容姿を考え込んで設定を練って粘土をこねて削って整えて像を作って、ただひたすら祈ったのよ。

"家族が欲しい"とな」


「は?」

怖えよ。


「そうしたらの、お玉…玉にゃんが来よったのよぉ!」


「それじゃあ貴方にとって女将さんって何なんですか?」

聞かない方が良かったのかもしれない。


「娘であり、孫であり、儂の嫁で、愛猫じゃ。全にして個、個にして全の愛しき家族なんじゃ!」

 あぁ、この爺はもう駄目だ。

独り身をこじらせ過ぎたのだ。


「それでの!こっちが儂と玉にゃんの愛の結晶…

になる予定の"プユミちゃん"じゃ!可愛いじゃろ!」

そう言うと奥の襖を開け放つ。

やはり、小さい幼女の像が一つ…


「あ、あなたは…」


"一体家族を何だと思っているんだ"

尋ねたかったが、言葉が続かない。


勘違いした狂気の変態は、親友にでも語らうが如く。嬉しそうに名乗るのだ。


「そういえば名乗ってなかったのぉ。

儂は橘 重蔵じゃ。宜しく。」










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