第8話 三十路の予感

 「さぁー手荷物はこれで全部か?」


「OK、OK♪」


「外出できる服装だよな?」


「OK、OK~♪」

半ズボン、ポロシャツ、スニーカーに耳隠しの為の馬鹿でかい麦わら帽。

夏の虫取少年みたいで良いと思います。


「そっれじゃあ、この部屋ともおさらばだなぁ!色々…、色々あったけども…」


「もぅ!折角の門出何だからぁ、辛気くさくなんないでよっ!」


「そうだよな…テンション上げてかないとな!それじゃあ、アディオス~」


「そうそう!アディオス~♪」


あの、静かな食卓の夜から1週間…俺達は粛々と息を押し殺し、今日のこの瞬間に向けて動いてきた。とっ散らかった部屋を片付け、汚れた床に雑巾をかけ、段階的に荷造りをし、管理会社に退去を伝え…

全力を尽くしてきた。

姿こそ普段は見えないが、確かに存在する恐怖から一刻も早く逃れるためである。

それが今日、やっと報われるのだ。

こんなにも胸が踊ったのは、今年2回目だ。


「さぁ!早く行こうよ!」

アイツも同じ気持ちなのか、いつになくはしゃぐ。


「あぁ!そうだな!」


よく晴れた、薫風香る今日この日、

空っぽになって、気持ち住んでた時より広く感じる古巣に鍵をかけた。

アパートの錆びた階段を一段、一段下る度に心が軽くなる。


「いやぁ、楽しみだなぁ~♪店長さんの家!」


「まぁな、というかもうあの空間では生活したくないしな…」


「そうだねぇ、あれから1週間何するにも、コソコソやってたからね~」


「本当だよまったく…」


「こ・れ・か・ら・は?」


「一軒家でのびのびし放題だぜぇ‼」


「ィヤァホォォオ~♪」


「イヤッフゥウウウ!」

平日の真っ昼間、まばらながら道行く人々の視線は白々しい。

だが、気にならない。


こんなにも青空が清々しいのだから。

三十路でもたまにははしゃいで、良いじゃない。


 さて、店長のお宅は俺達の旧住まいとは逆方向らしい。職場の入っているシャッターだらけのアーケードを抜け、ちょっと行った先にあるとスマホのナビはブルブル震えて教えてくれる。

いちいち地図を広げなくてもいいのだ。

便利になったものである。

道順をそのスマホで確認し、歩きだしてからものの数秒。

アイツは急に語り出す。


「いやぁ~スマートフォン、便利だよね~」


「まぁな」 

「何かさあ、メールとか電話だけじゃなくてさ、インターネットとか色々できちゃうよね~」


「まぁ、そうだな」

話の意図が見えない。


「どうしたんだ急に、いつも食い物と変身のことばっかりのお前が?」


「ん~とね?」

小首を傾げる姿が可愛らしい。

見た目だけだが。


「ボクも欲しいなぁ…何て」


「自分で稼いで買え」

当然だろう。


「うっわぁ、即答…」


「あのな、確かに俺は酒の勢いで三食面倒みるとは言ったがな?スマホ買ってやるとは言ってないぞ」


「乙女心の分からない佐藤君だなぁ~」


「佐藤君は止めろ!そもそもお前、性別とかないだろ(多分)!」


「今は体の構造的に女の子ですよぉ~だ」


「頭ん中の話だよ」


「もぉ、そんなんだから未だに子供の一人も居ないんだよ!」


「恋人すら居ねぇよ!ってか、親みたいなこと言うなよ…たまに実家帰ると同じこと言われんだよ…」


「あっははぁ~三十路ナイーブ!」


「おいおい、手土産のケーキ!お前の分は買わんぞ!」


「いやぁ、多分さ、佐藤はこれからバリバリにモテまくるね!服をそこらじゅうに脱ぎ散らかしちゃうワイルドさと渋さと、遠慮しないもの言いが最高にクールだもん」


「とってつけたような称賛は逆に傷付くぞ…」


「ケーキ、買ってくれる?」


「買う、買う、買ってやる。さっきのは冗談だろ、常識的に…」


「食い物の話を冗談でするな」

殺気のこもった声と視線が飛ぶ。


「おっ!?おう…」

何か変なところでマジ切れスイッチ入るっすね…


なんやかんや数分後。

このシャッターまみれの場所で根気強く洋菓子を売り続けている奇特な店の前で、俺達は立ち止まる。

休日ともなれば市外、果ては県外からも未だに客が押し寄せる名物店だ。シャッター商店街の一画なのに。


「にふふふふぅ、甘くて良い匂いだねぇ~♪」


「そりゃ、菓子屋だからな…つうか、そんなクネクネするほど嬉しいか?」


「嬉しいさぁ~この匂いのなかで生活できたら、毎日幸せだろうなぁ」


「どうだかな…案外、飽きてくるかも知れんぞ」

自動ドアをくぐればそこは甘く涼やかな美術館。

色とりどりのフルーツが、宝玉の如く光る。

艶やかな光沢を放つはチョコレート、様々な幾何学的造形が目を引く。

繊細な純白のクリームが赤い一点を華麗に魅せるショートケーキは、ケースの真ん中に鎮座する…

バリエーションに富んだ洋菓子の数々は見ているだけで楽しいものなのかもしれない。

平日の昼間なのにそこそこの客入り。

甘い菓子は何時も人々を魅了するようで…


「ぎゅえへへへぇ~どれがいいのかなぁ~」

訂正、変幻自在の人外も魅了するらしい。

というか、はしたないのでショーケースを占拠しないでほしい。


「こら、他の客も居るだろう…少し離れろ、ガキじゃないんだからケースにくっつくな!」

ひそやかな交渉は始まった。


「何個買ってくれる?」


「はぁ?何の話だよ?」


「ケーキだよぉ、ケ~キぃ」


「一人1つに決まってるだろ。

俺、店長、お前の分…で3つだよ」


「んじゃ、どかない」

最近の幼稚園児だって中々言わないんじゃないかというワガママをさらっと言いやがる。

中身はともかくも、分別はついてるだろう図体の少女がショーケースにべったり、駄々を捏ねているのだ。

他の客の視線が痛い…


「2つでどうだ…」


「3つでしょ!」


「馬鹿!店長にも3つ買うことになんだろ!」


「いいじゃん買えばぁ~」


「お前なー」

これ以上、状態を継続してギャラリーを増やすのはまずい。

三十路の独身はひっそりと生きていきたいのだ。


「わかったよ…それじゃぁ三人分で7つだ。

お前3、店長3、俺1。だがな、何を買うかは俺が選ぶ。ホールケーキ選ばれたんじゃたまらんからな。」


「えへへへぇ~♪言ってみるもんだね♪」

スイッとケースから離れるとそそくさと人混みに紛れる。


ヤロウ…はなからゴネ得狙いだな。

先の茶番で随分機嫌を悪くしたであろう店員は気持ち語気強く訊ねる。


「ご注文、御座いますでしょうか?」

無いとは言わせねぇよ? そんな含みを感じてしまうのは、俺の自意識過剰であってほしい。


「あの…はい…」


 「ケーキっ♪ケーキ♪いっつあケーキ!」

ピョンピョンと7つケーキの入った袋をフリフリ、アイツはスキップしている。


「おい、ケーキがグッチャグチャになっても知らんぞ…」

最近思う、やはりコイツはあんまり頭がよろしくないんだろう、と。


「すっ、スムージーケーキ…それも中々…」


「いやいやいや、店長の分もあるんだから勘弁な?」

液体状のドロドロケーキを啜って何に満足しようというのだろうか、コイツは…


「わっかってぇ~いますよ~♪」

どうだか


「それでさ、店長の家はそろそろぉ?」


「んー、まぁそろそろだな、そろそろ。

もう見えてくるんじゃないか?」


目の前に薄クリーム色の建造物が見える。

位置的におそらく、あれだ。


「あれじゃないか?」


「オゥ♪ファンシぃー♪」


核家族でない一家族が、のびのび住めそうなゴシックスタイルの物件が姿を現す。

あれにあの小さな店長が一人で住んでたら寂しくもなるわな。

体は小さいのに家は広々、一人ぼっち。

家に帰るなり幼児退行を起こして、パパー、ママーって泣き叫んでそうだ、あの店長。

普段勝ち気なだけにさもありなん…


失礼なことを考えていると、アイツは既に呼び鈴を鳴らしていた。

せめて表札ぐらい確認させてほしい、別の家だったらどうする。

「はい、駒居です。」

良かった、店長だ。


「店長~♪ボクだよ、ボ~ク♪」

新手のボクボク詐欺かな?


「あぁ…不思議生物ちゃん。」


「そこは、もちょっとかっこよくさ。超次元究極生命体とかさぁー」


「化物呼ばわりよかましでしょ、佐藤君は?居るんでしょ?」


「もぉう!ノリの悪いお子さま店長~」

あんたに言われたくないわね! と憤る店長の声を聞きながら、代わる。


「すいません店長。ちょっとアイツ、はしゃいでるもんで」


「にしたって限度があるでしょ、少しは教育しなさいよ」

アレを教育しろと申すか…


「いやぁ、それは無茶ぶりですって」


「まぁ良いわ。今日から私が色々、躾てやるんだから」

初日から雲行きの怪しいことで。


カチャリと、こじゃれた実用性度外視の御飾り程度の柵門が、オートで開く。

洒落た作りの玄関が開いて店長が顔を出し、全員集合である。


「店長今日はワンピースなんすね」


「何よ!たまにはおしゃれしてもいいでしょ?」


「いやぁ、すみません家ではいつもジャージだと思ってました」


「佐藤君…君も相当失礼ね!」


「まぁまぁ~、機嫌直してよ店長~♪お土産にケーキ有るんだよぉ、ケ~~キ!」


「もう…取り合えず中でお茶にしましょう。

外は暑いわ。」

小さい店長は新陳代謝が良いのか汗っかきなのだ。


「勿論、お茶はぁ?」


「は?紅茶だけど?」


「いえーいぃ♪」 

アイツは相当、嬉しいのか店長を抱き上げる。


「抱き上げるのはいいがなぁ!触手は使うなよぉ!」

往来が無いとはいえ、玄関先で触手を展開するアホと、釈然としない様子で持ち上げられる店長を家のなかに押し込む。


キャッキャとはしゃぐアイツと、その感触が気に入ったのか、巻き付いている触手を揉みしだく店長を見ていると、俺はこれからゆっくりできないような気がしてきた。






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