第7話 静かな夜の食卓に

 フニフニ、フニフニ、フニフニフニと、何が気に入ったのか先程から店長は、アイツの長い耳をひたすら揉んでいる。

店長が何か考えているときは、いつも何か手で弄くる癖がある。

アイツの耳は相当具合が良いようで、仏頂面ながら手はひたすらにアイツの長い耳から離れない。

当のアイツはといえば、服を着るのもそこそこに、最高のパフォーマンスを発揮した触手達を一本、一本労る様に水拭きしている。

どうせ、すぐ引っ込めるだろうに律儀なものだ。

 一時の静寂を破ったのは店長だった。

おもむろに、仏頂面のまま口を開く。


「この子が佐藤君の親戚でもなんでもなくて、人間でもないっていうのは十分、分かったわよ。で?何で急に?」

どうやら御納得頂いたようで。


「御理解ありがとうございます。

実は折り入って頼みごとが二点ほど有りまして…」


「御託はいいからさっさと言いなさい。」

あぁ、機嫌は良くないんですね…


「はぁ…ではまず一点。

コイツのことを誰にも言わないで欲しいんです。都市部ならともかくも、こんな狭い地域で有ること無いこと騒がれたら俺、生きていけません。」


「まぁ、そりゃそうよね。そこは安心してよ、私だって話して良いことと悪いことの区別くらい、付くんだから。」


「ありがとうございます。

それで、その…二点目というのがですね、急にコイツを養わなければいけなくなったもんですから…その…給料を上げてもらえないかと…」

勿論、フェイクだ。この機会に給料をがっつり上げて貰ったうえで、アイツの食い扶持はアイツ自身に賄わせる算段だ。

今日まで生きてきた大人は誰だって、どこか黒い。でなきゃ途中で潰れてる。


「えぇー!それなら昨日…」

つくづく空気の読めない不思議生物である。


「アッー!アーアー!ア~、で、どうでしょうか店長!」

物理的干渉は触手に阻まれる恐れがあるので、不自然ながら大声を出すことで誤魔化したが…大丈夫か?


「え?え?いや、それは無理よ。無理無理。そんなこと出来るんだったらとっくにバイト、もう一人増やしてるわよ。」

大丈夫だったが、大丈夫じゃなかったようで。


「もぅ!なんなの急に、大声出して!」

アイツは何か言っているが構うまい。


 店長は長い耳をフニフニ、眉間にしわを寄せて、黙っている。何だろうか、何かお気に召さなかったんだろうか?


「ねぇねぇねぇ!聞こえてるのに返事もないのは酷いと思うなぁ!ボク!」

不思議KY生物が文字どおり伸ばした触手で絡み付いて来る。


「あぁぁ鬱陶しい!大事な話をしてたんだから仕方ないだろ!」


「そ、そうやってさぁ!いい歳こいていつも自分のこと棚に上げるの、どうにかした方が良いと思うな!」


「おいおいおい!今日は随分、喧嘩腰じゃないか。何だ?喧嘩売るってんなら買うぞ?」


「むっ!むっ!むぅ!頭にくるなぁ!」


伸びてくる無数の触手と俺の喧嘩は始まった。

 変幻自在の体といえど、アイツにも痛覚はあるようで、触手を思いっきり引っ張ってやったらそれなりに痛がった。俺もあちこち咬まれて痛いが。


「オラオラ!さっきの威勢はどうしたよ?もう降参か?」


「ふん!そっちこそあちこち咬まれて血まみれの癖に!この調子で喉笛食い破っても良いんだよ?」


「抜かせ!その前に触手全部引きちぎってやんよ!」

第2ラウンド突入! と思いきや、突如店長が大声を上げる。今夜はさぞ御近所迷惑なことだろう。

「あんたら、私の家に住みなさいよ!」


「「はい?」」

異種格闘戦は中止である。


 「あの、それはどういう?」


「そのままの意味よ。給料アップは無理だけど、住宅費掛かんないように私の家に住んでもOKって話。」


「えー、店長さんのお家って広いのぉ?」


「えぇ、一人で住むには広過ぎる位よ…」


「いやぁ、そりゃまぁ、大変助かるご提案ですけど…こんな訳のわからない生き物と、ムサイ男がいきなりお邪魔してもいいんでしょうか?」

触手を引っ張りながら話していると、別の一本に頬をピシャリと張られた…正直、咬みつきよりこっちのが痛いぞ。


「大丈夫よ、大丈夫。何かやらかすようだったら即警察だしそれに…一軒家の掃除って働きながらだと捗らないのよ。3人もいれば、休日に一気に終わらすことだってできるでしょ? 私にとってもメリットがあるのよ。」


「なるほど…しっかし、店長持ち家あったんすね。意外っす。」


「ええ、父と母が建てたものだけどね…」


「それは…」

あぁ、そういえば飲み会の度によく、家族が居なくて寂しいって溢すな。


「空き部屋なら沢山あるわ。同じ布団で雑魚寝なんかしなくても、ベッドでのびのびできるわよ。」


「一人一部屋?」


「ええ、勿論。」


「やっほい!色々変身し放題じゃん!」


「部屋を汚したり、傷付けるのは駄目よ…」

まぁ、変身バカ生物の言い分はともかくも、

毎月の家賃が掛からないというのは、非常に有り難い話である。

タイミングの良いことに丁度、アパートの契約も節目であるし。


「それでは、御厄介になってもよろしいでしょうか?」


「フフッ、今更改まんなくてもいいのよ?水くさいじゃない。準備出来たら何時でも来てくれて良いからね?」


「はい!ありがとうございます!」

床に座っていた勢いでつい土下座をかます。

本当に有り難いと思う事に対しては、こうも自然と頭を下げられるのかと、内心驚いた。


「いやっほぉ~♪一人部屋!一人部屋!

こんなクソ狭い部屋とはおっさらばだぁ~♪」


…いくら嬉しいからといって、今日まで過ごしたこの部屋を貶すのか、このクソ生物!

誰が金払ってると思ってんだ。

つい、カッとなって手近に伸びていた触手を力任せに引っ張る。

気を抜いていたからだろうか…

引かれた勢いで盛大に触手の根本である右肩から、アイツは床に激突する。

間髪いれずにキャンキャン喚く。


「痛った!何だよぉ、蒸し返すっていうんだぁ?ええ?もう容赦しないからね!」

あぁ、こっちだって容赦する気は無い。

触手全部引きちぎって、土下座させてやんよ!


「ちょっと!いい加減にしなさいよ、佐藤君!いい大人が子供(?)相手に恥ずかしく無いの?触手の君も!自分の言ったことが原因なんだからもう少し大人しく…」

その程度の制止では最早、俺達の闘争本能は止められない。

この触手ヤロー、今度という今度はへこます‼


「アァァァ嗚呼嗚呼嗚呼あ嗚呼!さっきから鬱陶しいんじゃボケどもがぁぁぁ‼‼‼‼

今、何時だと思うとんじゃぁあコラァァ!殺す!殺す!殺す殺す殺す殺す、ぶち殺すどおどれらがぁあ嗚呼嗚呼嗚呼あ嗚呼‼出てこいやぁぁああああああ!」

鳥肌が立つぐらいの怒声と、鉄製の玄関戸がひしゃげるんじゃないかというノック?の嵐が、取っ組みあっている俺達の第2ラウンドをピタリ、と止めた。


三十路オヤジ、金髪触手エルフ少女(化物)、合法ロリ。

三人、皆がピタリと動きを止めたその空間を、増悪にみちみちた罵声と怒声が支配していた。

扉の外の何者かはヒートアップする一方で、今にも扉をぶち壊さんとする剣幕だ。


吹き荒れる罵詈雑言のなか、ヒソヒソと会議が始まる。


「どっ、どうしましょう…」


「どうしましょうって…佐藤君。貴方の部屋なのだから貴方が謝りにいくべきでしょ常識的に…」


「賛成~。そもそも全部、あんたのせいじゃん!」


「くっそ!この触手、調子のりやがって!」


「止めなさいって!これ以上は下手すると死人が出るわよ!」


結局、一番の年長者?で部屋の主である俺が対応することになった。

響く怒声の中、びくびくと扉のレンズから様子を伺う…

あ、武道派のそっち系だ。

一目で分かる。

タンクトップから覗く二の腕は、俺の太股ぐらいあるんでない?……


待てども、諦めてくれる様子がないので、仕方なく扉を開く…


瞬間、筋肉の塊みたいな指が扉に掛かる。

あっ、逃げられねぇやつだ、これ。


「よぉ兄ちゃん遅かったじゃん?」

さっきのそれからの、笑顔と猫なで声…


ギャップが恐すぎる。

「すっ、すすすすいませんでした。」

有り難いとは微塵も思わないが、何故か自然と土下座が出た。


「ははは、いきなりどうしたの兄ちゃん?さっきまで全然、反応無かったからさ俺、誰も居ないかなぁ何て思っちゃったじゃん。もう少しで帰るところだったよ~」


「すいません!すいません!」


「あぁぁ!!さっきからそれしか言えねぇのかボケぇ!!!!‼」

床に伏せた顔の真横で、真っ黒いブーツがドスンと音を立てた。


「のぉ兄ちゃん、あんたひとりじゃあないんだよなぁ?」


「はい?」


「一人じゃああぁぁっ!!!!!!

無いんだろ?」

引っ張られた耳元でがなり立てられる。

もう、帰りたい…


「はっ、はい!そうです…」


「そうよのぉ、一人であんなばか騒ぎできねぇもんなー。女の声もしたしよぉ、てっきり兄ちゃんニューハーフかな? 何て思っちまったよぉ、はははは。」


「ははは…」


「なにぃいいヘラヘラしとんじゃぁあ嗚呼!!!!!」

頬を張られる。

さっきの触手の数倍痛い。


「お嬢さん~お嬢さんがたぁ~、出てきてくれませんかねぇ。何もね取って食おうってんじゃ無いんですよぉ。ちょおぉっと顔見せて貰えるだけでいいんですよぉ…

はよぉおおおおお出てこんかぁああああ!ぼけぇえええええ!」

扉が凄まじい音を響かせる。


諦めたのか、すごすごと二人が出てくる…


 その後の事はよく覚えていない。

鳴り響く怒声と罵声と、騒音のなか三人でボロボロ泣きながら土下座して、俺と店長が有り金を全部渡したのは覚えているが…


…今は、三人で黙々と冷蔵庫に備蓄してあった冷凍チャーハンを食べている。

勿論、誰一人喋らない。

ただ黙々と、スプーンを口に運ぶ。

静かな夜の食卓だ。












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