第5話 店長、店長、店長…

 気だるい朝がやってきた。

今日は人と会いたくない。一日中、部屋にこもってボーッとしていたい…何て、久しぶりに考える。

ぐうたらで生産性の無いダメ思考が、アイツのことを思い出させて、胸が痛む。

臨時休業ってのも有りかとふと考えるが、このままでは何時までも何も進展しないのは明確。

何事も停滞させたまま諦められる様な、きれいに割りきれる人間ではないのだ私は…


「はいはい、起きますよぉ。」


気だるさを独り言で誤魔化して、上半身を起こす。

最近増えたなぁ、こういうの…


朝はコーヒーにトースト。

ブラックのとびきり苦いコーヒーを、ジャムとバターをたっぷり塗ったトーストの甘さで飲み下すのが好きだ。

色々とモヤモヤしたまま動いていたら、

お気に入りのパジャマにコーヒーを垂らしてしまった。

昨日のことを思い出して、やるせない。

気晴らしにシャワーを浴びてから身仕度を整え、家を出る。

鍵番の朝は早い。

私の店だから、多少早起きすることになっても私が鍵を開けるのだ。

二人っきりだけどそこは譲れないし、何だかあのぐうたらに鍵を預けたら取り返しのつかないことになりそうで恐い。

店の入っている、寂れたアーケード商店街を行く。

ここも昔は活気があった。朝早くから店を開けてるとこも少なく無かったし、客足もあった。

あの商業施設が出来てからはまるでゴーストタウンならぬ、ゴーストアーケードなのだけれど…やっぱり、昨日のことがいちいち頭にチラついて離れない。


あのミーネとかいう娘、随分親しげだったけど

佐藤君の何なのだろう?


 潰れてしまった喫茶店と、骨董品店に挟まれている縦長の建物、私の店だ。

そんでもって父と母が30の時、思い切って建てた店だ。

幼い記憶ながら、真新しい店内と本の数々に胸が踊ったのを覚えている。

あれから大体20年…

父も母も居なくなったこの店は、万年シャッターだらけになったこのアーケードに相応しく、年老いた。

鉄材はあちこち錆びて、ガラスはくすんで、コンクリートはヒビ割れて…

それでも一応、店として続いているのは何事にも諦めの悪い私の、悪足掻きの賜物だ。ざまぁみろ、である。

誰に対してでもないが、そう言いたい。


裏口の扉を開いてスタッフルームのロッカーに荷物を詰め込む。

こんなにも職場と自宅が近いのだから、手ぶらでもいいのかもしれないなと、ふと感じることもあるけれど、何だかんだ物いりなのだ。

まぁ少なくとも、ハンカチすら持たずにズボンに洗った手をこすりつけたりするアイツに比べれば、ハンドバッグにティッシュ、ハンカチを常備している私の方が人間出来てるというものだ。

 簡単にハタキをかけて棚をならし、表口を開ける。

そろそろアイツが来る時間だ。

今日は心が躍らない。

ちょっと顔を合わせるのが嫌なくらいだ。

でもやって来るよね、当然ながら。


 ガタンガタンと不器用な音をたててロッカーを開く音。いつも通り。


制服を取り出して着替えるまで約5分。


そして何故か、スタッフルームを出るときだけアイツは高確率でドアに肩をぶつけるのだ。

"ドンッ"と、木製の薄い扉が鈍い音を立てる。

これも大体いつも通り。


リノリウムの床をキュッキュッと小さく鳴らして、安いスニーカーの音が近づく。

黄ばみかけた白ワイシャツに制服のエプロンを着けてアイツはやっぱりいつも通り、私の前で気だるそうに頭を下げるのだ。


「おはようございます。」


何を考えてるのか分からない眠そうな表情、若干掠れて低い声、猫背で頭には寝癖が少し付いている。いつもと変わらず…


何故だか少し安心した。


「はぁーい。おはよう。昨日は楽しめた?」

会って早々それを聞くのは意識し過ぎだろうと思われるかもしれないが、構わない。

気になるものは気になる。


「いきなりそれっすかー

いやいや、何てことないっすよ。何事もなく食料品と服買って帰りましたよ。楽しいも何もなかったですね。」

若干、上擦っている声が何だか怪しい。

気がする。


「本当ー?そういえば気になったんだけど、佐藤君の住んでるとこって賃貸アパートよね?二人で住めるもんなの?」


「あっ、あー大丈夫ですよ。ギリギリ大丈夫。」

何が大丈夫なのだろうか。


「年頃の女の子でしょ?本当、心配何だけど?」

まぁその気遣いの9割位は自分のためであるけれど。


珍しく引き締まった表情で、彼の瞳が私の瞳を覗きこむ。

心臓が何時もより大きく跳ねた。

「実はその…アイツの事で少しお話が…」


"カランカラン"

ガラス扉に付けたベルが来客を知らせる。


…まぁ何を話していようがしてまいが、この音が鳴ったら即、仕事モードである。

雑談を止めて、業務に入る。

もう何百回、何千回と繰り返したことなのだ。

ベルを鳴らせば涎を垂らすパブロフの犬の如く、私たちはそれに逆らえない。

すんごく気になるお話も、とりあえず暗黙のうちに保留決定。私のドキドキは行き場を無くして迷走中もいいところである。


「佐藤君、カウンターは大丈夫だから裏で商品の準備お願い。裏口に積んであった段ボール、あれ全部だから。」


「え?あれ全部、追加の料理本っすか?コーナーに全部置けますかね?」


「そこは君の腕の見せどころでしょ?全部置けたら今度一杯奢るわよ。」


「分かりました!」

三十路のくせに分かりやすくて素直で、時々心配になる。

だから三十路にもなってバイトなんだと何処かの誰かが言うかもしれないけれど、私は彼のそんな所も好きだったりする。


仕事中にのろけてちゃ世話無いわ。

頭を軽く振って気合いをいれる。


「いらっしゃいませ!」

近づいてくる常連さん。

いつもより少し大きく声を出したら、ゴーストアーケードの本屋は営業開始である。


 「いや、だからね、アイツは人間じゃ無いんですよ。女の子に見えるように変身してますけど、そうじゃないんですって…」


いつも通りの営業を終えて閉店後の店内、

やっぱり何度聞いてもその意味に納得できない内容の話を、彼は続ける。

独身生活を拗らせて遂にくるところまできてしまったのだろうか? 何だか目頭が熱い。


「どっ、どうかしてるわよ。急に自分と同棲してる女の子が化け物だ何て言われて、信じられるわけないじゃない。本当に大丈夫?付き添うから病院行く?」


「あぁ、やっぱり話すだけじゃ駄目ですね、こりゃ。それじゃ行きましょう、これから一緒に俺のアパートに行きましょう。実際に見て貰いますから。」


「えっ…」


急にお呼ばれしましても…


「都合が悪いってんなら、また後日でも良いです。でもやっぱり店長には知っといて貰いたいんです。身近な人間に物事隠し通せるほど俺、器用じゃないんで。」

ねぇ佐藤君、ここまで熱心な君は初めて見たよ。内容はともあれ、ちょっと嬉しいかもしれない。


「そっ、そこまで言うなら仕方ないわね!見に行ってあげるわよ!それなりに時間割いてあげるんだから、夕飯ぐらい御馳走しなさいよね!」


「はいぜひ!お願いします。」


 前をずんずんと先導する大きな背中は改めて見ると頼もしい。仕事中は何だかパッとしなくて眠そうに動いてることが多いけど、やっぱり歳上の男の人なのだ。普段ちょっと恐くなる人気の無い暗がりも、今日は全然恐くない。

出来れば手も繋いで欲しいけれど、そういう雰囲気ではないのだろう。


「もうそろそろです。」

知ってるよ、君の住んでる所ぐらい。


カンカンと、若干錆びついた階段を上がり、彼の住む205号室扉前。

君は自分の住んでいる部屋の鍵を開けるってだけなのに、いやに神妙な面持ちなんだから、こちらも何だか緊張してしまう。

…というか、男の人の家にお邪魔するの初めてだし、そっちの意味でも緊張する。

ガチャガチャいわせてバチンと、鍵の外れる音がして…

扉が内側から開いたよ?


「お~お帰り~」

昨日見かけた金髪の女の子が可愛い声を上げながら顔を覗かせる。

昨日、佐藤君といた娘…ミーネちゃん…だっけ…

…いや、いやちょっとミーネちゃん? 

耳が随分、長くないかい!?

あとその格好はどうかと思うよ?

裸にTシャツだけって君…


「おいおい、いきなり出てくる奴があるか!

不用心にも程があるぞ!あとその格好、人前では止めろって!今日は客が来てんだよ!」


「えー、いきなりそんなこと言われても分かんないよぉ。それにさ、お客さん来るなら来るでさぁ普通は、前もって伝えとくべきでしょ。」


「最低…なんで小さい子にこんなハレンチな格好させてんのよ!頭おかしいんじゃないの?」

頭が熱くなる。


「あーちょっと、ちょっと…ここアパートだから、ね?店長も落ち着いて下さいよ。取り合えず続きは中でしましょう!」


いつものだるそうな様子からは想像できない力で、ぐいぐいと部屋の中に押し込められる。

君、結構力強いんだね…


多分、はたから見たら三角関係のもつれで痴話喧嘩でもしてるようにしか見えないんだろうな…

熱くなった脳内には下らない感想と想像しか浮かばない。


夜なのに何故か明かりのない真っ暗な部屋がぽっかりと前方に広がる。

その暗闇の中に私たちは、ぎゅうぎゅうになって入り込むのだった…




 

 

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