第4話 三十路の愚痴、戸惑いの安らぎ

  夕飯、鳥むね肉をソテーにした。

醤油ベースに胡椒を利かせちょいピリ辛に仕上げ、皿に盛る。付け合わせは一袋95円のカット生野菜。

窓から差し込む夕日が散らかった部屋をノスタルジックな橙色に染め上げて、この日の終わりを否が応にも意識させる。

俺の休日が終わる…

言わばこれは最後の晩餐。

明日から間違いなく始まる気だるい労働の日々を目前に、いつも以上に俺は気落ちしていた。


「肉♪肉肉、お肉、肉~♪」


「よう、楽しそうだな。」


「そりゃあ好きなもの食べるときは楽しいさ!」

コイツは始終何かやらかしそうで、

気持ち疲れる。

こういう心理的負担が仕事から疲れて帰ってからも続くのだろうと考えると、やはりテンション駄々下がりなのだ。


「はぁー」


「どしたの?溜め息。疲れた?」


「あぁ何だかな。」


「大丈夫、大丈夫。美味しい肉料理食べれば大丈夫!」 


「俺が作ったんだけどな…気遣ってくれるなら

食ったあとの片付け頼む。」


「うぅん…まぁ良いよ。」


「ははは、随分嫌そうだな。」 


「そりゃあ、今までエネルギーをなるべく消費しない生活を意識してきたからね。あんま動きたくはないよね。」


「そんなんじゃいつかブクブク太って、動きたくても動けなくなるぞ。」


「?それは以前買ったズボンが太って履けなくなった君の経験談?」


「失礼だな。まだまだ俺は動けるさ…」

もう若いって歳じゃないのは分かっているが、

何だかそれを素直に受け入れられない自分がいる。

…いかんな、思考までアンニュイになってやがる。


 皿洗いを押し付け風呂にする(節約の為シャワーのみだが)。

温かさでだいぶ落ち着いたが、やはり明日からの生活が不安で堪らない。そもそも今日店長に見られたのだってこれから先、何事もないという保証は無いのだ。

ある日突然、警察が尋ねてきてそのまま社会とおさらば…ってパターンも当然あるわけで…

しっかりと店長には本当のところを話したほうがいいのかもしれない。

 悶々としながら風呂から上がり、パンツをひっかけて部屋に戻ると、無数の触手が台所用洗剤とおぼしき泡にまみれ蠢いていた。


「やぁやぁ湯加減どうでしたー?」


「どうって言ったって給湯器から出る設定通りの温度の湯だ。いつもと変わらんさ。」


「んもぅ、味気無いなぁ。」


「お前は何やってんの?」


「皿洗いで油に汚れた体のお手入れ。」


「何だよ、触手使ったのかよ。手で十分じゃないか?」

大概、異様な会話だが随分違和感を感じなくなっている。


「こっちの方が効率がいいんですぅ。」

ウネウネと泡まみれの触手を左右に振りながら言い訳する。


一本、一本洗う手間も考えたら手だけで洗った方が効率的だと思うが、黙っていよう。また歳だの何だの冷やかされそうだ。


「そういえばお前、風呂とか入らなくても良いの?」 


「あぁーそういえば…忘れてた。汗とかかくんだもんねぇ。」


「んじゃほら、行ってこいよ。シャワーだけだがな。」


「はいはーい。あ、給湯器の使い方だけ教えて?」


「給湯器ね給湯器…」

場所を移動し実物で教習である。


「電源入れてガス栓開けば、設定温度の湯が出る。使い終わったらガス栓閉じて電源落とせよ。以上。」


「了解~♪」


これでガス爆発は起こるまい。

 布団をひいて、寝っ転がる。


響いてくる水音を聴きながら、転職でもしようかとスマホを弄るがどれも字面を読むだけで嫌になってしまう。

億劫なのだあれもこれも。

そりゃあ、途中までは意欲的に会社員やっていてた時期もあったが、正直割に合わないのだ。頑張って頑張って、ようやく登り切ったと思っても、周りと比べりゃたいしたことじゃなくて、理不尽な要求とノルマの追加は天井知らず。

組織のなかでうまく立ち回る為の関係作りは俺にとっては苦痛でしかなく、日々の業務に関して報われたと思えた事が一度も無い。

気がする。

一瞬間、一瞬間ではあったのだろうが俺の中では印象に残らないレベルなのだ。

そして、常に足を滑らせれば小言、説教、評価等々でゴリゴリ摩耗させられるクソ上司のおまけ付き…

何時しかいちいち精神を削って頑張る気になれなくなった。

まぁその後、上司の小言にしびれを切らして勢いで仕事を辞め、フリーターになったわけだが、やっぱり何も変わらない。人が群れるとどんな形であれ組織は組織、どこに行っても気だるいことこの上ない。

店長と俺の二人だけとはいっても、あそこだって立派な組織だ。

多様性だの、ダイバーシティだの、世間はいってるが結局、少し無理してでも全体に合わせなきゃやってけねえ時点で今の俺にとっては終わっているのだ。

あぁ面倒臭い、面倒臭い。


気付けば、響いていた水音が消えていた。

目の前には揺れる黄色。


「何しかめっ面してんの?」


あぁ、そういえば寝巻きは買って無かったな…

ブカブカのTシャツ一枚のアイツは俺の顔を覗きこむ。


「お前さぁー、恥じらいってものは無いのかよ。パンツぐらい履けよ。」


「いや、だってこっちの方が楽だしぃ。」


「んじゃあ、もう裸でいいんじゃねぇか?」

実際、あんま大差ない気がする。


「分かってないなぁ~あのね?

解放感は欲しい、でもお腹はあんま冷やしたくないじゃん? そこでTシャツは敢えて着とくんです。」


「うん?パンツ履いとけば下腹も冷えないじゃん。」


「そこねぇ~とっても悩むけど…

ボクは股間が蒸れるのだけは許せないからね、履かないんだ。」

心底どうでも良い。


「あっそ。まぁ外じゃねえから良いけどさ。来客があったり、出かける時は折角買ったんだ…服着てくれよ。」


「分かってま~す。」


「あぁ、あとその格好で居るんだったら、便所の時はしっかり拭いてくれよ。排泄物にまみれて生活したくねぇぞ俺は。」

断じて下世話なセクハラではない。

衛生面を考慮した上での重要な訓告である。


「もう、そんなことは分かってるよ!

君こそ恥じらいってものが無いんじゃない?」

いや、裸族に恥じらいを説かれましても…

あ、Tシャツ着てるから半裸族か…


「分かった、分かった。それじゃ寝るぞ。」 


「はいはーい。」


明日から仕事プラス、コイツの世話も有るのだ、周りに自分の生活リズムを左右されるのは何か口惜しいが、早く寝る。

電気を消して。布団にもぐる。

隣には昨夜と同じく黄色い頭。

思春期ならば興奮もするのだろうが、生憎と俺の性癖はボンキュッボン(最近めっきり聞かないが)なのだ。寸胴にソッチの用は無い。


「ねぇねぇ?何か悩んでる?」


「どうしてそう思う?」


「だって今日溜め息とか、しかめっ面ばっかりだったし…」


「別にいつもと大して変わらないさ。少し色々と考えてるってだけで。」


「今日は食べて寝てる位なのに、何を考えるっていうの?」


「…」

これから寝るって時に喧嘩売ってるんだろうかコイツは。

等と思っていたら黄色い頭が密着してくる。


「ねぇ?抱いてみない?」


「は?」

突発的な発情期にでも入ったのだろうか?


「抱き枕ってね、リラックス効果あるんだよぉ。何かでくよくよ悩むのはよくないよ。ストレス発散ってヤツ?」

あぁそういう。

少しからかってみるか…


「んじゃ、遠慮なく。」

プロレス技のベアハッグが如く、思いっきり抱きついてみた。


「ぐ…ぐ…ぐっ!」

「ほらほら、降参か?」



調子にのっていたら首筋を触手に咬まれた。


「もう!人と抱き合ったこと無いの君?

そんな絞め殺すみたいな抱きつき方ってないよ君!」


朝と同じ感じで、首筋を触手に舐め回されながら説教を受ける。


「あぁ、ゴメンゴメン。優しくな優しく…」


「そうそう!それでいーの。」

体の前面に感じる温かさが思った以上に心地好い…なかなか良い具合に寝れそうだ。


「ねね?いい感じに温かいでしょ?」


「まあなぁ」


「ボクも下腹を冷やさないで済むし、一石二鳥さ。」

何か優しいと思ったらちゃっかりしてやがる。


抱き枕効果だろうか…

早くも頭がふわふわとしてきた。


「おやすみ。」


「おやすみ。」

どちらともなく夜の挨拶が交わされる。


降ってきた静寂に包まれながら、

小さく温かなまどろみは始まった。












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