5th --- mizushima

 リオナの真意がレンジにはわからなかった。


 あの場にリオナが現れ、屈強な男たちがためらうことなく腰をかがめ頭を下げるだろうか。この女には、それだけの力があるのか?


「何度も同じこと言わせないでくれる? 嘘はついてないし、困っている人を助けるのに理由が必要なの?」


 リオナは笑顔で答えた。至極当然のことでレンジもそれ以上言い返すことはできなかった。すぐにその笑顔を隠すようにクルッと背を向けて歩き始めた。その背中はもの寂しく見え、誰にも言えない何かを抱えているとレンジは感じた。


 リオナは小さな台所で蛇口をひねってハンカチを濡らし始めた。白熱電球にペーパーメディアといい、手でひねる蛇口まであるこの部屋は、古い映画の世界を思わせる。レンジは蛇口から水が出ていることに気づいた。


「ん、ここは水が出るのか? 広場の噴水は止まって、どんどん地中に吸い込まれていったぞ」


 レンジが聞いた。


「そう。もう時期、ここも出なくなるかも」


 リオナはハンカチを絞る手を緩めて、レンジの前にハンカチを差し出した。


「なんだよ」


「口の周り、血がついてる。見てるこっちが痛いから拭いて」


 優しくされたことでレンジは逆に戸惑ってしまい、固まってしまった。すると、リオナはいたずらな顔をする。


「なに、拭いてほしいの? 甘えんぼさんなのね」


「ふざけたこと言ってんじゃねーよ。チビだからってガキだと思うなよ」


 レンジは、拭く素振りを見せたリオナの手からハンカチを奪い取り、口周りを拭いた。冷えたハンカチが腫れた傷口の痛みを取っていくよう。白いハンカチが赤く染まった。


「強がりよって」


「あっ、またしゃべった猫のオーちゃん」


 身構えて姿勢を低くしたオーをリオナはすかさず抱きかかえた。


「猫って首の下をなでると喜ぶのよね」


 と、オーの首を指でさすり始めた。オーは気持ちよさそうに目を細めて、グルグルと喉を鳴らした。


「知性を持っても所詮、猫は猫。なぁ、だいたいこの星はなんなんだよ。水がなくなったり、木が腐ったり……。パブリックネットワークも存在してないし、これじゃ数時代前の星じゃねーか」


 レンジは手近にあったイスにどかりと腰を下ろした。


「君こそ、どうしてこの星へ? 答えてくれたら私も答えるわよ。答えてくれるまでオーちゃんは人質よ」


 笑顔でオーと戯れるリオナはどこまで本気なのか。同い年くらいの女性と話すことのなかったレンジには到底わからない。


「それに忘れてはないだろうけど、君は不法入星者。そして、今、私が君を連行中ということも忘れないでね」


 我が子をあやすかのような笑みがリオナからは溢れていた。


「いつでも通報できるってか。どうせ聞いてもわからないだろうけど、俺はある情報を頼りにこの男を探しにやってきた」


 レンジの腕時計端末から半透明のスクリーンが映し出され、男の顔写真が表示される。すると、リオナがもの珍しさに驚いた表情とともに近づいてきた。


「知っているか、このゴエモン・カミナガという男を?」


 男の顔は、目がかっと開き、目や鼻の周囲から赤いラインが顔の外に向かって描かれ、いかつい顔をしていた。


「んー、知らない。ねぇ、それよりこれってホログラムっていうもの?」


 リオナの興味は、すぐ別に移っていた。まるで感触を確かめるように腕時計から発せられる光の中に手を入れたり出したりする。そして、レンジの腕時計端末にグッと顔を近づけた。その目は宝物を見つけように輝いている。


「こ、これ、NTBの三型前のモデルでしょ。わぁ、ネオ・トイ・ボックスの端末、初めて見た」


 リオナの息が肌にかかるのがわかり、レンジは体に力が入り緊張する。急に顔が熱つくなり、スッと腕を引っ込めた。レンジは悟られないようにリオナから体の向きをそらした。


「あ、ちょっと、もう少し見せてよ」


「こ、こんな旧型なんか見てどうするんだよ」


「それ持っている人を初めて見たし、本当にあるんだね。いつか私もいろんな星に行ってみたいと思ってるの」


「星を渡ったことないのか?」


 そう言われたリオナは、オーを抱きかかえたまま光に照らされた壁に近寄っていった。壁に張られた数々のペーパーメディアには手書きで書き写されたものもあった。リオナはそれらを見ながら、控えめな声で話し始めた。


「ここにある宝物はほとんど姉のもの。星を渡ることが姉の夢だった。宇宙には私達が想像する以上の刺激に溢れている。姉はそれを直に見て体験したがっていた。そんな話しばかり聞かされていた私もいつの間にか同じ夢をもつようになった。でも、女はこの星から外へは出られない。王都体制の決まりなのよ。せっかく集めた星々の情報も、この部屋も必要なくなるんだけどね」


 笑顔のないリオナは、安らぎを求めるかのようにオーの体を毛並みに沿ってなで続けていた。


「この部屋もって、姉や家族は?」


「姉はここにはいない。親は、王都体制反対戦線に参加して、戦闘で死んじゃった。……本当はね、私はこの星から出たいの」


 オーをなでていた手を止め、リオナはグッとレンジに近づいた。


「君は密入者だから当然宇宙船でここまで来たんでしょ。私をその船に乗せて、この星から連れ出してくれない?」


 目に飛び込む赤い艶やかな口唇から発せられた少女の発言とは思えず、間近に迫るリオナの真剣な表情にレンジは呆気にとられてしまった。静まり返った数秒後だった。


 突然、入り口の壁が開き、戦闘服を着てライフルを持った者たちがなだれ込んできた。あっという間に為す術もないまま、レンジとリオナは囲まれてしまった。


 レンジは問答無用でライフルを突きつけられ、背後で腕を拘束される。


「おい、放せ。お前らは一体なんなんだよ」


 レンジが暴れ叫ぶが、彼らは慌てることなくテーブルにレンジを押さえつける。


「我々は、ラヘレ王都警備隊だ。市民から不審者の通報があった。ニエ様を人質にしているとな」


「チッ! やっぱりか。助けてやったかとか適当なこと言いやがって」


 レンジはリオナを睨みつけた。リオナの腕からいつの間にかオーはいなくなっていた。どこかに身を隠したようだ。


「いえ……私は……」


 リオナはたじろぎ、連れ出されそうになっているレンジの前に出ようとしたが、警備隊に阻まれてしまった。それでもリオナはレンジに聞こえるように叫んだ。


「私は、姉との夢を追いかけたいの。君のように星渡りを。だから」


 それはまるで最後の伝言のように早口で、切実な思いが込められていた。レンジも今までリオナが発した言葉の中で一番重みがあると感じ、心の中に響いた。


「あなたの発言に関与はしませんが、不審者に余計な事を言わないでください」


 リオナの前を警備隊が塞いだ。


 レンジの抵抗も虚しく、部屋から連れ出されてしまった。


 その時、俯いたリオナが警備隊から「あなたにはまだ役割がありますから」と言われて、口唇をきっと固く一文字に結んでただ一点を見つめているリオナをレンジは横目に見ていた。

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