第26話 だから今は……②

「カコ! どうしてここに!?」

 突如現れたその人物を前に、ミライは立ち尽くしていた。


 彼女の行く手を阻んだのは、ミライより少し背が高く、薄紫色のシャツの上に研究所の白衣を纏った人物。

 緑と紺が混ざったような色の長い髪を猛禽類の羽のようなデザインのリボンで束ね、その下に覗く髪と同じ色のくっきりとした瞳でミライをまっすぐに見詰めていた。


 彼女の名はカコ。ミライにけものの魅力を教えた人であり、ミライがパークガイドを目指すキッカケとなった人物だった。

 そして、ミライの大切な友人でもあった。



「ゴコクの研究所にいるって────!」

 いきなり姿を現したカコに、ミライの声が荒くなる。


 カコは少し身体が弱く、あまり激しい運動はできない。

 普段はジャパリパーク動物研究所で副所長を勤める程の人物であったが、セルリアンとの遭遇経験は皆無だった。


 そんな彼女が、セルリアンの危機に犯された場所に来ている事が、ミライは心配でならなかったのだ。



 しかし、そんな彼女の気持ちを突っ跳ねるように、カコは数枚の紙を纏めた綴りをミライの目の前に突き出した。


「ミライ。私は貴女に、これを早く伝えたくて急いで来たの」

 ミライの言葉を遮って一気にそう伝えたカコ。

 そこには、いつもの病弱そうな彼女の雰囲気はなかった。


 ミライは、どこか焦った様子のカコから資料を受け取り目を通す。

 すると、それは研究所で研究していた超大型セルリアンのサンプルの解析結果だった。



「貴女が黒いセルリアンと戦ってるって聞いて、居ても立ってもいられなくなって……」

 資料を目で追うミライの姿を見詰めながら、カコは言う。

 その言葉とともに、彼女の口から小さな溜め息がもれた。



「ミライさん。このひとは?」

 2人のやり取りを静かに見守っていたフレンズ達の中から、そんな声が聞こえた。

 ミライが振り向くとそこには、突然立ち止まったミライとセントラルパークから遠ざかるセルリアンの背中を交互に見ながら、不安そうに立ち尽くすけもの達がいた。


「はやくしないと、セルリアンが逃げちゃうよ!」

 先程ミライに問い掛けたサーバルが続けて、早くジープに向かうようにミライを促す。

 そんなサーバルの姿を見て、ミライは本来の目的を思い出したようにハッと顔を上げた。



「ごめんなさい。カコ、今は行かなくちゃ。資料はジープの中で読ませてもらいますね!」

 そう言って、ミライはカコの肩に手を置き、そのまま横を通り抜けようとする。

 しかし、カコはその腕を掴んで彼女を強引に引き留めた。


「ダメよ、ミライ……! あのセルリアンは普通じゃない。今行ったって────!」

 カコは、そこで1度躊躇うように言葉を止め少し間を開けてから、やがて覚悟を決めたように続けた。


「今、行っても……、あのセルリアンは倒せない、から……」



 それを聞いて、ミライは詳しい説明を求めようと、カコに向き直る。

 しかし、彼女が口を開く前に、カコが話を始めた。


「この前、じゃんぐるちほーから回収されたサンプルから検出されたサンドスター・ロウは、これまでに見たこともないものだったの……」

 しかも、それはセルリアンの身体だけでなく、核にまで影響を及ぼし、あの個体そのものが、セルリアンとは違う何かと化してしまっているのだと、彼女は言う。


「それだけじゃないわ。恐らく、超大型セルリアンは、体内にサンドスターを分解できる構造を持っていないのよ。つまり、────」



 それからカコが告げた事は、ミライが予想していた事態とほぼ一致していた。

 超大型セルリアンが人を襲うのは、人をパークから排除しようとしている可能性が非常に濃厚だと言うこと。


 ヤツ自身はサンドスターを分解する力を持たないから、フレンズは襲わない事。




「ミライ。『私達が、ここにいる事が、フレンズ達を危険に晒す事になる』のよ……。くやしいけど今、私達が……ヒトがパークの為にできる事は、速やかにここを離れる事なのよ……」


 超大型セルリアンは、フレンズは襲わないが人と共に行動するフレンズには容赦なく攻撃する。

「それが、フレンズ達の為でもあるのよ」



「でも、それじゃあ────!」


 超大型セルリアンがフレンズを襲わなくとも、通常のセルリアンは彼女達を襲う。

 それに、ヤツは自らはフレンズを襲わなくとも、セルリアンを産み出す力を持っている。


 ヒトが撤退しセルリアンを討伐しなくなれば、その数が増えるのは明らかだ。

 そんなパークの中に取り残されるフレンズ達はどうなるというのか?


「カコ。あなたの言う事は判ります……。けれど、だからと言ってそれがフレンズ達を置き去りにしていい理由にはなりません!!」

 ミライの心からの叫びだった。


 彼女は、けものが大好きで大好きで仕方がない。できる事なら、けものに埋もれて生活したいとさえ思っている。

 ミライがそう思うようになったのは、けもの達の魅力に気付けたのは、カコがいたからだ。


 彼女程けものが好きな人に、ミライは未だかつて出会ったことがない。

 そんな彼女だからこそ、フレンズを置き去りにするなんて道は、選んでほしくなかった。


 彼女と出会わなければ、ミライはけものが好きになる事も、ジャパリパークでガイドや調査隊長を勤める事も、フレンズ達と出逢うことも、なかったのだから……。



「もし、撤退命令が取り消されないのなら、私は、一人でもここに残って、フレンズを、みんなを……」


「ダメよ。ミライ! そんな事したって────!」

 ミライの言葉にカコは強く反発した。


 ミライは強い。それは、カコもよく分かっていた。

 また、彼女は一度決めた事を曲げたがらない性格だというのも理解していた。


 しかしそれ故に、ミライは時々気が付かないままに自らの限界を超えてしまう事がある。


 だから、カコは何としてもミライを行かせたくはなかった。

 本当はミライがセルリアンと戦っているという報告を受けた段階で、彼女の元に飛んでいって止めたかったくらいだ。


 それに、今回は相手が悪すぎる。

 変質したサンドスター・ロウを持つ新種のセルリアン。

 何度倒しても復活する敵。



「そんなの、やってみなければわからないじゃないですか!」

 息を荒くし、殆ど泣き叫ぶようにしてミライは言い放つ。


「だって……、だって一度、じゃんぐるちほーで倒したんですよ? セルリアンの身体がサンドスター・ロウに還って無くなるまで、見届けたんですよ?」

 しかし、ヤツは再び姿を現した。


 ミライが右手に握り締めた資料。

 そこには、じゃんぐるちほーで討伐された個体と、新たに発見された個体が同一のものだと明記されている。

 その細かく解析された結果の1つ1つが、ミライを、カコを、パークを、絶望に陥れるのに十分な威力を持っていた。


 そして、それらの結果から導き出された1つの答え。それは、通常のセルリアンと同じ方法での討伐が不可能というものだった。



「それじゃあ……、私達は、どうすれば……」

 ミライには、何もわからなかった。

 フレンズ達の力を借りて、セルリアンを倒す。それが彼女の目的だった。


 それが叶わないと知った今、彼女が何をするべきなのか? パークの為、フレンズ達の為に何ができるのか?

 彼女は、わからなくなってしまったのだ。



「研究が進めば、いずれあの黒いセルリアンを倒す方法が見つかるわ。……いえ、絶対に見付ける!」

 カコは、これまでに見たことが無いほど弱々しく項垂れるミライに向け、強く約束した。

 倒す方法がわかった時、それを実行する者がいなくては意味がない。


「だから今は、……ね?」

 だからそれまで、ミライには何としても無事でいてもらわなくてはいけなかった。

 ここまで強くフレンズ達と信頼を築き、結託し戦えるのは、彼女しかいないのだから……。



 ミライは泣いた。

 残留していたパーク職員が見ている事も、サーバル達が近くにいる事も気にせず、大声を上げてスコールのような涙を流した。


 ただ虚しくて。情けなくて。何より、フレンズ達に何もしてあげられない事が悔しくて、ミライは泣き続けた。


 そんな彼女を、カコはずっと、まるで子供をあやすように優しく抱き締めていた。





「これから、どうなっちゃうのかな……」

 ミライとカコが少し離れたベンチに座るのを眺めながら、サーバルが呟いた。

「さぁ……、あたしもどうなるかわかんないや」

 カラカルも、どこか不安を隠せないようすでポツリと呟く。


「ミライさん、心配ね……」

 トキの言葉に、アライグマが続く。

「ミライさん……、どうなっちゃうのだ? フェネックわかるか?」


「うーん。難しい話はあんまり判らなかったけど、ミライさんとお別れしなくちゃいけない事は、なんとなくわかったよぉ……」

 フェネックがそう言うと、周りにいたフレンズ達が一斉に彼女に注目した。


「そんな、どうして……。何かのまちがいだよね。そうだよね!」

 何かを隠すように、サーバルは不格好な笑顔で笑う。


「いいえ、勘違いでも間違いでもないみたいよ」

 それまでずっと黙ってミライとカコを観察していたタカの言葉だった。

 皆の目が、自然とタカと同じ方向に向けられる。

 その先には、ベンチに座り、両手で顔を覆うようにして泣きじゃくるミライの姿があった。

 うつ向いたまま涙を流し続ける彼女の背中を、カコがそっと擦っていた。


 

 ミライの頭から転げ落ちた帽子を、カコがそっと拾い上げ、少し迷った後、自らの頭に載せる。いつも誇らしげに揺れていた羽飾りが、なんだか寂しそうに見えた。


 ミライの側に寄り添いたかった。でもそれはなんだか、かえって彼女を追い詰めてしまいそうな気がして、誰も近づくことすらできない。


 フレンズと人。その間には何か、触れる事のできない。しかし決して越える事の叶わない壁のようなものがあるような気がした。





 それからの時間はあっという間だった。

 空が茜色に染まったかと思えば、星が瞬き始め、気が付けば朝日が昇っていて、知らぬ間に昼を越えていた。



 やがて、ミライがここで見る最後の夕日が空を染め始める。

 その光が、誰も居ない遊園地の景色を柔らかな赤で満たしていた。



 その景色の中で、ミライはポツンと立ち尽くしていた。

 彼女の側にフレンズの影はなく、ラッキービーストだけが隣で無機質に佇んでいた。


「最後くらい、少し遊んでもいいですよね……?」

 ミライの問いに答えはない。

 本当はサーバル達も誘ったのだが、皆各々やりたい事があるようで、何処かへ行ってしまった。



 一人でカラフルな景色の中を歩くと、靴底が石畳を打つ音がやけに鮮明に感じられる。

 斜め後ろをポテポテとついてくるラッキービーストの気配を感じながら、ミライは、観覧車の乗り口へ向った。



 ミライは制御室の鍵を開け、中に入ると幾つかのスイッチを操作する。

 そして、観覧車のモーターに繋がる電源レバーを押し上げると、観覧車がゆっくりと動き出した。


 しばらく振りに動かされた観覧車は軋みを上げながら鮮やかな色のゴンドラを空へと導いていく。



 ミライは、そのゴンドラの1つに乗り込むと、扉を勢いよく閉めた。

 外の世界から切り離された小さな空間はやけに静かに感じられる。


「……窓でもあけましょうかね」

 なんだかそのままでは泣き出てしまいそうで、ミライは扉と反対側に設けられた縦長の窓を全開に開けた。

 地上より遥かに高い場所で吹く風が、ミライの目の前を駆け抜ける。

 その風で、向かいの椅子に乗るラッキービーストの大きな耳が可愛らしく揺れた。


「ミライ、キョウハ カゼ ガ ツヨイカラ マドヲ シメタホウガ イイヨ」

「いいんです。なんだか、締め切った空間にいると、寂しくなってしまいそうで……」

 ゴンドラを吹き抜ける風が、ミライの声をさらう。


「本当は、サーバルさん達と、ここに来たかったんですけどね……。て、こんな事ばっかり言ってると湿っぽくなっちゃいますよね。ラッキーさん、ここまでの記録をまとめたいので、録画メモを起動していただけますか?」

「ワカッタ。ロクガメモ、キドウ。キロクハ、ホログラム サイセイ デキルヨ」


 ミライは、録画の開始を確認してから話始めた。パークへの想い。フレンズ達への気持ち。ここまで積み上げた思い出。セルリアンを追い、共に旅をしたフレンズ達への感謝。


 ミライは、止まらずに話続けた。

 サバンナから始まり、今ここで終わりを告げようとしている。その旅の、最後の記録を……。


「正直、もう少し長くこの島に残りたかったですが、それはできないようです……。ふふっ、どうせ離れてしまうなら、最後に少しくらい、遊んでみてもいいですよね」

 拭いきれない寂しさの滲む笑顔で優しく笑うミライの顔が、ラッキービーストの記録する映像に刻まれる。

 その声も、風に流れる緑色の長い髪も、時間ごと閉じ込めるように、ラッキービーストは記録してゆく。



 そして、次の瞬間だった。

 一際強い風が駆け抜け、ゴンドラの中の空気をかき混ぜるようにして空へと去っていった。

 咄嗟に目を瞑ったミライの帽子が、ふわっと浮き上がる。

「あっ……」


 咄嗟に彼女が伸ばした手は僅かに届かず、帽子は窓の格子をすり抜けて風とともに空へと踊る。

 鮮やかな赤と碧の飾り羽が栄える帽子は、森の上をあっという間に飛び越え、遠く見える草原の更に向こうへと見えなくなってしまった。



「……ラッキーさん。今のも記録されちゃいました?」

「カットシヨウカ?」

「いいえ、大丈夫です。それよりも、幾つかお願いをしてもいいですか?」


「イイヨ」

「ありがとう。……これからパークでは、きっと大変な事が起こります。フレンズの皆さんはきっと困ってしまうでしょう。ですから、ラッキーさんには、そんなフレンズさん達を助けてほしいんです」


「私達がいない間、パークの事、……フレンズ達の事。よろしくおねがいしますね」

「マカセテ」

 ミライの言葉に答え、ラッキービーストがぴょこぴょこと跳ねる。


「それでは、パークガイド兼パーク調査隊長として、あなたに新しい権限を付与します。緊急事態におけるフレンズへの接触。干渉。及び第三者に対して暫定パークガイドの認定を行う事を許可します」


 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 ̄ ̄ ̄ ̄

 ̄ ̄

 ミライが観覧車から降りる頃には、太陽が沈みかけ、東の空に星が瞬き始めていた。

 ミライは、船に乗るために港へと足を向ける。


 せめて最後に、サーバル達に別れの一言でも言いたかったが、結局彼女達は最後まで姿を現さなかった。


「みなさんに、嫌われてしまいましたかね……」

 何も解決できないままパークを離れてしまう事になったのだから当然だとミライは自嘲気味に笑う。

 うつむいたミライの肩が小さく肩を震えていた。


「ソンナコト ナイ ミタイダヨ」

 うつ向いたまま船へ向かうミライの隣で、ラッキービーストが小さな電子音を鳴らす。

「チカクニ フレンズ ノ ハンノウ ガ アルネ サガシテミヨウカ?」

 その言葉に、ミライは足を止めた。


「ミライさーーん!!」

 そして、聞き覚えのあるその声に、ミライは顔を上げる。

 そこには、フレンズ達の姿があった。


 サーバルがこちらに大きく手を振っている。

 カラカルも、トキも、アライグマも、フェネックも、皆笑っていた。


 そして、彼女達が横一列に並んで広げた横断幕には、不器用な可愛らしいイラストと一生懸命に書かれた『みらいさん、ありがとう』の文字。



 何が起きているのか理解できず、ボーゼンと立ち尽くしているミライの元へタカが舞い降りて来た。

「ほら、主役がこんな所で突っ立てちゃ始まらないでしょ。行くわよ」

 そう言ってタカは、そっとミライの手を取って、彼女をフレンズ達の元へ導いた。



「皆さん……、どうして……」


「えへへ、ミライさんを驚かせたくって!」

「ほんと、サーバルがボロださないか心配だったわ」

「ミライさんの絵、わたしがかいたのよ?」

「隠すの大変だったんだよ~」

「このもじ? はアライさんが書いたのだ。えんちょうが教えてくれたのだ!」

 楽しそうに、心から笑うけもの達。

 皆思い思いにあーだこーだと言い、明るい声を振り撒いていた。


 そして、────

「せーの……」


「「「「「「ミライさん、ありがとう!!!」」」」」」




 柔らかな夕日に照らされた港で、フレンズ達の声が1つに揃った。

 その声は、パークを越えて海の向こうまでも渡って行けるような、明るく弾んだ声だった。


 けもの達が、我先にとミライへ駆け寄る。


「みなさん、ほんとに……、本当に……」

 抑えきれなくなった涙を溢しながら、ミライはサーバル達を強く抱き締めた。

 フレンズ達も、ミライにしがみつくように身を寄せている。


 そうして、フレンズ達によるささやかなミライのお別れ会は、暖かな夕日に包まれながら、静かに幕を下ろした。





 やがて、出港の時間となり、船出を報せる汽笛が長く響く。

 穏やかな海の水面に、6人の影が揺れていた。



 港の縁に立ち、大きく手を振って船を見送るフレンズ達の瞳の中、ミライを乗せた船はどんどん小さくなっていった。

 船のデッキから必至に手を振り返すミライの姿も、やがては見えなくなり、船は水平線の向こうへと姿を消す。



 空には、涙の粒を散りばめたような星が瞬いていた。

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