第23話 不気味な影

 サーバルは、ロッジの廊下を走っていた。

 つい昨日痛めた足を気にする事もなく。

 ただ少しでも早く、ミライに"あの事"を伝えたくて────。



 それは、今から数分前の事だった。

 ミライに無線を任され、独り部屋に取り残されて手持ち不沙汰だった彼女の元に一本の無線が舞い込んだ。


『あー、もしもし? 聞こえますか?』

 無機質なノイズを押し退けて聞こえて来た声。それは、サーバルの最も親しい友、カラカルのものだった。


「カラカル!!」

 ずっと心配していた友人の声にハッとし、サーバルは肉食獣が獲物に食らい付くかのように受話器を取り上げた。

 咄嗟のことで大声になってしまい、許容量を越えた無線機がキーンッ! と鳴いた。


 その後、少しの間を空けて無線から元気を奪われたようなカラカルの声が返ってくる。


『サーバル……。おねがいだから、すこし落ちついて。無線で叫ばれると耳がキーンってなる……』

 未だに耳に残るハウリングの音にサーバルも耳を押さえながら、やっとの思いで「うみゅ……」と短く返した。



『ところで、ミライさんはまだ戻って来ないの?』

 耳が回復し、元気を取り戻したカラカルがサーバルに訊ねる。

「うん。れぽーと? をまとめるって出ていってから帰ってこないよ」

『そっか-……。それは困ったなぁ』


 何か伝える術がないか話し合っているのか、無線の向こうから、けもの達がわちゃわちゃと話し合っている声が細かいノイズの間に聞こえてくる。

 その声の中には、カラカル達とは別行動をとっているはずのアライグマとフェネックの声も混ざっていた。


「ねぇ、カラカル。アライグマ達もそこにいるの?」

『え? あぁ、さっき合流したんだ。それで────』



 それからカラカルから伝えられたのは、件の超大型セルリアンを発見した事。その直後に突如現れた大型のセルリアンに襲われて無線機が壊れてしまった事。

 運良くアライグマ、フェネックと合流できてセルリアンを倒せた事。今はアライグマ達の無線機を借りて連絡している事。


 そして、トキとカラカルがサンドスターを使いきってしまいへろへろ状態になってしまっている事だった。


『だから今、あたしら動けないんだ……』

「えぇーー!? 大丈夫なの?!」

 カラカル達が動けない状態だと知り、サーバルは狼狽えた。

 無線からは、そんな彼女を落ち着かせるように、優しい友の声が聞こえてくる。


『大丈夫だよ。トキもあたしも、けがはしてないから。それで、わるいんだけど、さっきの事、ミライさんに伝えてもらえる?』

 

 今、動けずにいる大切な友のためにできる事を思い付き、サーバルはハッと顔をあげた。

「うん! すぐにミライさんと一緒にむかえにいくから。待ってて!」


 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 ̄ ̄ ̄ ̄

 ̄ ̄


 そして今、サーバルは走っている。

 超大型セルリアンを見つけた事。そして、カラカル達が動けない状態になっている事をミライに伝えるために……。


 廊下の段差を飛び越え、ぐねぐね曲がる狭い通路を駆け抜けて、彼女はドタバタとロッジの奥を目指す。

 その頭の上に揺れる大きな耳が、ミライの声をしっかりと捉えていた。


 そして、両手の指でぎりぎり数えきれるくらいの数の角を曲がった時、視界の奥に映る部屋から明かりが漏れているのが見えてきた。

 ミライの声は、確実にその部屋から聞こえている。


「ミライさーーーん!!」

 そう叫び、サーバルは開け放たれたままのドアから部屋に飛び込んだ。



 突然飛び込んできたサーバルにミライが驚いた様子で振り返る。

 彼女は何かを言おうとしたが、そのまえにサーバルが口を開いた。


「カラカルが、あのおっきなセルリアンを山でみつけたって! またみんなで団結して、やっつけようよ!!」

 ここまで走り、荒くなった息を整える事すら忘れて、サーバルは捲し立てるようにして一気に言葉を繋げた。


 それを聞いたミライは、ほんの一瞬だが、苦いものを噛み潰したように顔を歪める。

 しかし、すぐにいつもの彼女に戻ったため、サーバルがそれに気がつく事はなかった。



「そうですね……! ここで倒せば、全て解決です。パッカーンッといきましょう!!」

 そう言いながら、ミライはいつもの調子で力強く拳を握る。

「そうだよ! パッカーンッだよ!!」

 釣られて、サーバルも拳を握った。



「あ、そうだ! それでね、ミライさん。カラカル達がね────」

 それからサーバルは、慌てて今のカラカル達の状況をミライに説明した。

 セルリアンとの戦闘があったと説明しながら、親友が動けずにいる事に対する不安が一層大きくなる。


 彼女の話を聞いたミライは、「それは大変!」と口に手を当て、ラッキービーストの録画メモを終了させた。





 それからミライは一度部屋に戻ると、無線機のみを身に付けて他の荷物はそのままにロッジを飛び出した。

 その後ろには、サーバルも一緒だ。


「サーバルさん、少しとばします! しっかりと掴まっててください!」

「うん! わかった!」


 ミライは、ジープのエンジンを始動し、ぎゅっとハンドルを強く握る。

 そして、流れるような動作でギアを1速に入れると、そのままジープを発進させた。



 暗い森の道は、どこまでも続いている。

 森の景色は、昼と夜ではまるで別世界のようだった。


 昼は丸く優しい光を落としてくれていた木の葉が夜の景色を闇で塗り潰し、張り出した枝がヘッドライトの光で作る影が不気味に踊る。




 そんな、少し不気味な夜の森をジープで駆けながら、ミライはその心の内に混沌と渦をまいているモノと向き合っていた。



 ────パーク内全職員の撤退命令────

 たった一時間前に、ラッキービーストを介して伝えられたその報せは、ミライにとってあまりにも非道で、残酷なものに思えた。


 職員の完全撤退とは、すなわちパークの放棄を意味する。

 パークの中にいる沢山の動物も、フレンズ達も置き去りにして、人がここを去るのだ。


 ジャパリパークには、世界中の動物が集まっている。

 それはもちろん、彼らの意思でここに来たのではない。人が連れてきたのだ。



 今でこそ、フレンズになり言葉を得て、人の隣で笑っているが、彼女達は本来、人が干渉しなければここに来る事はなかった。

 セルリアンの驚異にさらされる事もまたなかったのだ。


 それなのに、危険だからといって人だけが引き上げてしまう。

 何も知らない沢山のけもの達を残したままで……。


 彼女達は、誰とでもすぐに仲良くなるし、どんな些細な事にも興味を示し、喜んでくれる。

 きっと、職員達が港から島の外へ出ていく時も、笑顔で手を振ってくれる事だろう。


 でも、それは間違っている。そんなの許させるはずがない。

 人は、この島を解明するために大勢のフレンズの力を借り、その能力に頼った。


 ミライ自身も例外ではない。

 今も、隣で真剣にレーダーの画面とにらめっこしているサーバルを始め、常に全力で任務をこなしてくれるアライグマフェネックコンビ。

 戦闘による損耗で動けずにいるカラカルとトキ。

 彼女達の力を借りて、セルリアンと戦っているのだ。


 更に、パークの調査隊長を命ぜられてからこれまでに関わってきたフレンズを全て数えれば、100や200は余裕で越えるだろう。



 それだけの力を借り、彼女はここまで辿り着いた。

 これまで共に旅をしたフレンズを、同じ時を共有して笑いあった友(フレンズ)達をどうして置き去りにできるだろうか?


 ミライはどうしても、「完全撤退」という命令には賛同できなかった。



「ミライさん! これ見て! "れーだー"が反応したよ!!」

 助手席のサーバルが、興奮気味に手元の機械をミライに見せ、ある一点を指し示す。

 濃緑色のディスプレイに描かれた白い十字線と、その交点を中心とした幾つか円。

 その線の隙間に、たしかに黄色い点が点滅しているのが見て取れた。


「やりましたね! カラカルさん達の元へ、急いで向かいましょう!」

「うん!」



 ミライは真剣な表情でハンドルを握り、ヘッドライトの灯りを頼りに暗い森を突き進む。


「倒さなくちゃ……。絶対に……!」

 フッと溢れたその言葉は、ジープのエンジン音とともに後方へ流れ去った。


 パークから撤退する職員を輸送する船は、数回運行される。

 最後の出港は、3日後────。

 それが、彼女のタイムリミットだった。


 完全撤退を食い止めるには、その期間内に超大型セルリアンを倒すしかない。



 先程ロッジで勢いまかせに言ってしまった言葉。それが奇しくも、撤退命令をねじ伏せる唯一の手段で、彼女達に残された唯一の道でもあった。



────ここで倒せば、全て解決────


 ミライには、自ら発したその言葉がやけに重く感じられた。





 サーバル達が駆け付けると、そこには思っていたよりも遥かに凄まじい光景が広がっていた。


 小さな広場ができてしまうほど大きく切り取られた森。

 まるでそこら一帯に隕石でも降ってきたように穴だらけになった地面。

 激しい戦闘を物語るように、飛び散った土砂で汚れる木。


 その空間はそこにある全てが、まるで鋭い何かで切り裂かれたかのようにも見えた。



 メチャクチャに破壊された森の景色の奥に親友の姿を捉え、サーバルが駆け出す。

「カラカルぅーー! トキーーーー!!」


「サーバルさん、あんまり走ると……。て、もう遅いですね」

 彼女は、ジープから飛び降りたミライをあっという間に抜き去ると、文字通り2人の元へ跳んで行ってしまった。


 サンドスターが不足して地面にへたり込んでいたカラカルとトキが、サーバルを受け止められずに仰向けに転がる。

 そんな2人に頬擦りしながら、サーバルは泣くように叫んだ。


「もう! ホントに心配したんだから! カラカル~~~!!」

「いてて、わかったから。いっかい落ち着こう? その、鼻水とかいろいろ……、ね?」


「ピンチなら歌で報せてくれればよかったのに! トキのうたならどこに居たってきこえるよ!!」

「……!! そんなにわたしのうたが聴きたかったの? うれしいわ……」


 動けない2人を巻き込んで地面を転がるサーバルにミライが追い付く頃には、カラカルもトキも、サーバルの涙やら何やらでべっとべとになっていた。



 目線をさらに奥へむければ、断層帯の崖の縁の方でこちらに背を向けて立っているアライグマとフェネックの姿も確認できる。

 とりあえず全員、怪我はなさそうだとミライは、ほっと息を吐いた。


 そして、こちらの到着に気が付いていない様子の2人に声を掛けようとした時、何か違和感を感じた。



 何か大切なものを失った時の喪失感にも似た感覚の中、ミライは崖の向こうを見据えて動かない2人の側へ向かう。


 そんな彼女の視界に飛び込んで来たものは、あまりにも信じがたく、あまりにも不気味なものだった……。




「ぐぬぬ……、アライさん達をバカにするなぁ! なのだ!」

 毛を逆立て耳をぴんっと張り、崖の向こうの"それ"を威嚇するアライグマ。

 彼女は、野生のけものがするように、喉の奥から絞り出すような唸り声をあげている。


 その隣に佇むフェネックは、無言のまま、ただじっと"それ"を睨み据えていた。



 2人の視線の先にあるモノ。

 それは、姿を大きく変化さた超大型セルリアンだった。

 四本の巨木のような脚も、天にも届きそうな長大な尻尾もなくなり、しんりんちほーの森の上にふよふよと浮かんでいる。


 完全な球を成す身体は、全ての光を呑み込んでいるかのような黒で、その姿は影が宙に浮いているようにも見えた。



 その中心。光を寄せ付けない黒の中にギョロリと光る巨大な1つの目。

 その目は、じっとこちらを見詰めていて、ぴくりとも動かない。

 否。こちらが動けば、それに合わせて動いていた。無機質に、ただ機械的に……。


 しかし、攻撃を仕掛けてくるのかと言えばそうではなく、身動ぎ1つせずじっとこちらを見ているだけなのだ。

 その様がかえって不気味で、余計にこちらの思考を鈍らせた。



「フェネックさん。あれは……?」

 ミライの口から漏れた不完全な質問に、フェネックは視線を動かさずに静かに答える。

「……わたし達が追ってたセルリアンだよ~。こっちを見てるだけで襲ってはこないけどぉ……」


 サーバルの報告によれば、カラカルとトキは、あのセルリアンを発見した後に、不意に現れた大型のセルリアンとの戦闘になったはずだ。


 フレンズがサンドスター不足で動けなくなるには、野生解放最大でかなりの長時間うごき続ける必要がある。

 それは、先のセントラルパーク襲撃事件の戦闘からも明らかだ。


 長距離を移動した事による疲弊、サンドスター火山を監視し続けた事による疲労を加味しても、1時間以上は闘い続けられたはずだ。


 そこに、ミライがロッジを出発してここに至るまでの時間を合わせれば、経過した時間は実に2時間半。

 つまりそれだけの間、超大型セルリアンはあそこから動いていない事になる……。



 なぜ? 何のために……?

 ミライは宙に浮く黒い影を睨み付け、小さく口元を歪ませた。

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