第16話 たべないでください!

 陽が高く昇り、照り付ける陽光がゆきやまちほー全体を銀白色に煌めかせる。真っ白な大地には、けもの達が歩いた小さな足跡だけが点々と残されていた。


 その足跡を辿ると、山頂付近に静かに佇む温泉宿に行き着く。

 その中からは、楽しげな笑い声が響いていた。



「うみゃみゃみゃみゃみゃーー!」

 サーバルが、取っ組み合うような体勢でカラカルにじゃれ付いている。

「サーバル。まだまだ脇があまいよ!」

「みゃみゃ?!」

 マウントポジションを取っていたサーバルだったが、カラカルにひょいっと持ち上げられて簡単にひっくり返されてしまった。


「がおー! たべちゃうぞー!」

「きゃー、たべないでぇ!」

 きゃっきゃっとはしゃぐ二人のけもの。

 その楽しげな声に、何とも言えない緩い空気が流れる。


 トキもアライグマとフェネックも、各々思い思いの場所で寛いでいた。

 そして、ミライはギンギツネとキタキツネと何やら話し込んでいた。

 彼女は喰い気味な二人に詰め寄られ、壁際に追い込まれているが、どこか嬉しそうにしている。


「ミライさんって本当にあのミライさん?! "セントラルパークの英雄"の?!」

 英雄という言葉に、ミライはなんだか照れ臭くて後ろ頭を掻いた。

 フレンズ達の間では、セントラルパークでの一件が噂として広がり、フレンズからフレンズへ伝わる間に尾ひれはひれが付いて、まるで英雄伝のように語られていたのだ。


「いやぁ、英雄だなんて事は……。あのとき、セルリアンの大群に対抗できたのは、私ではなく、サーバルさんやカラカルさん。トキさんにアライグマさんにフェネックさん。ここに居るみなさんの力が在ってこそですから────」

 事の顛末を掻い詰まんで説明していると、横から間延びした声が割り込んで来た。

「でも、私たちだけじゃどうにもならなかったよぉ~」


 その声に3人が振り向くと、そこにはフェネックが片手を腰に当てて立っていた。

「ミライさんが私たちを指示してくれたから、あのセルリアンを倒せたんだよ」

「そうなのだ!」

 そんなフェネックの後ろから、アライグマもひょこっと顔を出す。


「ミライさんはスゴいのだ! だからもっと自信を持つのだ! ミライさんの凄さは、このアライさんが保証するのだ!!」

 得意気に胸を張るアライグマ。何を思ったのか、そのままミライの膝の上に倒れるようにして寝転がった。


「えへへ、だからアライさんはずっとミライさんに着いていくのだ! もちろん、フェネックもずっと、ずぅっと一緒なのだ!」

 アライグマの言葉に何か言いかけたフェネックだったが、その言葉を飲み込み、ふっと笑うと、「そうだね、アライさん」とだけ短く言った。



「うへ、ぐへへ……、アライグマさんが膝の上に……! うへへへへへ………」

 いつもの調子で、恍惚とした表情でよだれを垂らすミライ。

 フェネック達にとっては見慣れたミライの姿で、「まただらしない顔になってるよぅ~」と呆れてみたり、「あはは、ミライさん変な顔なのだ」と、笑ったりしている。


 しかし、つい数時間前に出会ったばかりのギンギツネとキタキツネは、そんなミライの姿に引き気味だった。

 彼女達ふたりにとって、ミライという人物はまるで物語の中から飛び出してきた英雄のような存在で、その英雄たる人物がけものと触れ合ってよだれを垂らしている訳だから、ギャップに驚くのも無理はない。


 そんな二人の心情を察したかのように、トキが捕捉説明を入れた。

「ミライさんは、たまにこうなるの。けものが大好きで、この前『けものに埋もれて生活したい』って言っていたわ。変な行動をすることもあるけど、悪い人じゃないのよ」


「へぇ、けものに埋もれて、ね……」

 ギンギツネは言いながら、キタキツネを撫でくり回して恍惚としていたミライの姿を思い出す。

 たしかに悪い人ではないようだが、いささか行動が不審だ。

 そしてなにより、話で聞いたミライという人物像と目の前のミライにはギャップが在りすぎる。


 毅然とした命令でけもの達を指揮し、並み居るセルリアンの大群をばったばったと薙ぎ倒したというあの姿はどこへやら……。

 けものとの触れ合いにとろけ、今にも昇天しそうな表情でよだれをたらしている。


「ミライさんって不思議なひとなんだね」

 そう言うキタキツネにギンギツネは「そうみたいね」と頷いた。

 怪しくも思えるが、本当に危ない人物であれば、まずキタキツネがここまで気を赦す事ははい。

 長い間一緒に過ごしているギンギツネにも原理はよく理解できないが、キタキツネはたまに未来を予知するような言動をとる事がある。そして、その予知はかなりの確率で当たるのだ。


 そんなキタキツネが警戒していないのだから危険な人物ではないと、ギンギツネは判断した。

 そして何より、ミライと共にここへ来たというフレンズ達の姿がそれを裏付けている。



 ギンギツネは、恍惚としているミライを見て、その周りで楽しそうに笑うフレンズ達を見た。

 ミライの膝の上ではしゃぐアライグマ、その様子を微笑みながら見守るフェネックとトキ。

 その向こうに、サーバルとカラカルがじゃれ合って転げ回っている様子が見えた。

 普段あまり表情のないキタキツネも、心なしか笑顔を見せている。


「ホント、不思議なヒトね……」

 ギンギツネは、ちょっとばかり残っていた警戒心を解くと共に、誰にともなく呟いた。




 ミライの周りに集まったけもの達が、楽しげに笑う声が響く。

 その声を少し離れた所から捉える4つの耳があった。

「ねぇ、ねぇ! カラカル……!」

「そうだな。あたし達だけなんかおいてけぼりだな……」


 かりごっこに飽きたサーバルとカラカル。二人の目の前には油断しきった4人フレンズと、だらしなく笑うミライの姿が……。

 人もけものも、油断している者を見ると、得てしていたずらをしたくなってしまうものである。


 サーバル達はうずうずと目を輝かせながら、談笑するミライ達に忍び寄る。

 そしてサーバルがキタキツネ、ギンギツネコンビの背後を、カラカルがトキ、フェネックの背後をそれぞれ取った。


 そして、────

「「がおぉー! たべちゃうぞーー!!」」

 二人でタイミグを合わせ、サーバルとカラカルが同時にバッと目の前の獲物に飛び掛かる。

 目論見通り、ギンギツネ達が「ひゃー!」と可愛い悲鳴を上げた。


 しかしそれと同時に、何故か脅かした側のカラカルもまた、悲鳴を上げていた。

「いやーー! たべないでぇーーーー!!」

 

 その声にサーバルがカラカルを見ると、その後ろにもう一人、誰かがいる。

 そしてその人物は、カラカルの耳を口にくわえていた。


「はへはえうはえにはうぇちゃいまふ(食べられる前にたべちゃいます)!」

 その人物とは、緑の髪と銀縁の眼鏡でお馴染みのあの人。ミライだった。

 いつの間に背後に回り込まれたのか。カラカルも、向かいから見ていたサーバルも全く気がつかなかった。


 ミライは、カラカルの耳をくわえたまま軽く引っ張ってみたり、甘噛みしてみたりと実に楽しそうだ。

 カラカルは何とか脱け出そうともがくが、弱点の耳を抑えられて、手も足もでない。


「うぅわーー! カラカルがたべられてるぅーーーー!!」

 サーバルが目を丸くして、両手を挙げながら驚きの声をあげた。


「ひぃーー、やめてぇーーーー!!」

 抵抗も虚しく、耳をしゃぶられ続けるカラカル。

 やがて、力尽きるかのように、その場にガクッと膝を付いて、彼女は畳の上に倒れ伏した。

「わ、わー! カラカルぅーー!!」


 目の前の惨事に狼狽えるサーバル。

 そんな彼女を、ギラリと光る二つの目が捉える。

「ぐへへへへ……。サーバルさん。次はあなたですよぉ~」

「ひぃ!」

 息を荒くし、怪しげに手を動かしながら近づくミライに、サーバルの身体がビクッと跳ねた。

 毛が逆立ってぼさぼさになった尻尾はすっかり丸まってしまっている。


「ふふふっ。いただきまぁーーす!!」

「わぁーー! たべないでぇーーーー!!」

 決して広くない客間を逃げ回るサーバルと、それを追い掛けるミライ。


「みゃーーーー!!」

「うお!? こっちにくるのだ!」

「に、にげよう?! アライさん!!」

 襖を開ければ廊下に逃げられるのだが、パニック状態のけもの達にとってはそんな事考えている暇はなかった。


「なんかよくわからないけど、逃げましょう!」

「キタキツネ! 逃げるわよ!」

「う、うん!」


 気が付けば、その場にいる全員が狭い空間で走り回り、いつのまにか大運動会のような状態になっていた。

 あっちへ逃げ、回り込まれて悲鳴を上げ……、ドッタンバッタン大騒ぎである。


 ミライが疲れ果てて動けなくなり、正気を取り戻すまで、しばらくの時間を要した。

 その場に居た全員が汗だくになったのは、言うまでもない。



 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 ̄ ̄ ̄ ̄

 ̄ ̄

 ミライは、温泉の洗い場でカラカルの頭をわしゃわしゃと洗っていた。特に、よだれでべとべとにしてしまった耳は、誠意を込めて丁寧に洗う。



「カラカルさん、本当にすみませんでした……。自分でも、まさかあそこまで理性を失うとは……」

 ミライはカラカルの耳の毛を整えながら、申し訳なさそうに肩を落とした。


 温泉には他のフレンズ達が浸かっていて、それぞれ汗を流してくつろいでいる。

 サーバルはカラカルとミライの様子が気になるようで、ミライがカラカルの頭を洗っている様子をじっと眺めていた。



「いやぁ、えぇと、そんなに気にしないでください」

 カラカルが、サーバルに「あんまり見るな」と、目で合図を送りながら言う。


「なんて言うか、その、あんまり気にしないでください。元々、先にいたずら仕掛けようとしたのはあたし達ですし……。それに、そのけもの一直線な所がミライさんらしさっていうか……。とにかく、ミライさんは今まで通りのままがいいなって、あたしは思いますよ?」

 苦笑いにも似た微笑みを浮かべながら、カラカルは言い、でも耳は勘弁です。と、最後に小いさく付け加えた。


「カラカルさん……! うふふ、では尻尾を────!!」

「ダメです!」

 ミライが尻尾に手を伸ばし、カラカルはそれに捕まるまいとくるんっと尻尾を丸め込んでしまう。


「えぇーー! カラカルさんのいじわる」

「『いじわる』じゃないですよ! 少しは反省してください!」

 半ば呆れ顔で言うカラカルと、「ケチんぼー!」と駄々をこねるミライ。

 そんな二人の元へ、温泉で寛いでいたけもの達が集まって来た。



「なになに? 新しい遊び?!」

 何やら楽しそうな雰囲気を嗅ぎ付けたサーバルが目を爛々と輝かせながら駆け寄ってくる。

 それに釣られるように、トキ、アライグマ、フェネック、ギンギツネ、キタキツネもわらわらと集まってきた。


「お、なんだなんだ? 楽しそうなのだ。アライさんも混ぜて欲しいのだ!」

 気が付けば、ミライとカラカルは洗い場の椅子に座ったまま囲まれていた。

 周囲を取り囲んだけもの達を見回し、ここぞとばかりにミライが言う。

「うふふ、皆さん集まってしまいましたね。それじゃあ、温泉と言えばコレ! 『背中の流し合いっこ』をしましょう!」

「なるほど! それなら、先頭はミライさんですね」

 間髪入れずカラカルが言い放ち、ミライの背後に椅子を置いて座った。

「それじゃあ、わたしはカラカルの背中洗ったげる!」

 と、サーバルがカラカルの後ろに陣取る。


「わたしはサーバルの後ろ。いいかしら?」

「フェネック! アライさんは、フェネックの背中あらってあげるのだ!」

「はいよー。じゃあ、私たちはここだねぇ~」

 トキ、フェネック、アライグマもそれぞれ位置に着く。


「キタキツネ、私達も並びましょう」

「えぇー、ぼくゲームしたい」

「これも一種のゲームみたいなものよ!」

 ギンギツネがアライグマの後ろに陣取ると、その後ろに渋々といった様子でキタキツネも座る。

 これにて、全員が縦一列に並び、『背中の流し合いっこ』の準備が整った。


 各々桶を手に、前の背中を湯で洗い流す。

「みゃ!? トキ、冷たいよ!」

「え、そうかしら? 私にはちょうどいいように思えたんだけど……」

 

「フェネック、気持ちいいか?」

「いい感じだよぉ 。アライさーん」


「いつもギンギツネに洗って貰ってるから、今日はぼくが……」

「何か言った? キタキツネ」

「ううん! なんでもない!」


 誰かの背中を洗うという初めての体験で、ぎこちない手付きではあるものの、皆楽しそうに前のフレンズの背中を洗っていた。

 アライグマだけは、手先が器用だからか、やけに手慣れているように見えた。


「うへへ……、けものに背中を流してもらえる日がくるとは……! うへへへへ……」

 ミライは、尻尾に触れない! と始めは嘆いていたが、それはそれで何か新しい世界に目覚めたようだ。



「いたい!? カラカルさん、爪出てません?」

「え? あ、ほんとだ!」

 無意識の内に爪を立ててしまっていたカラカルは、慌てて爪を引っ込め、ミライに謝る。

 が、何故かミライは嬉しそうに「ぐへへへ……」と笑っていた。

 訳が判らないカラカルの頭には「?」が浮かぶ。



 しかし、ミライは知っていたのだ。猫科の動物とは、時としてリラックスして爪が出る事を。そして、信頼した相手、大好きな相手に自らの匂いを着けようとして本能的に爪が出る事を……。


「うへへへ。ミライ、まだまだいけます!」

 力強いミライの雄叫びが、温泉に響く。

 その雄叫びの意味は、彼女以外にはわからない。

 ただ確かなのは、フレンズ達の絆は確実に強まり、ミライのけもの好きが更に加速したという事だ。



 雪の降り始めたゆきやまちほー。そこに佇む静かな温泉宿の屋根には、うっすらと雪がつもり始めていた。

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