第15話 雪山温泉りょこー②

 一面白銀の世界が広がるゆきやまちほー。その一画に、やわらかな湯気の立ち上る場所がある。そこには、ジャパリパークの来園者とフレンズが一緒に宿泊できる温泉宿があった。


 そこは静かに温かく、訪れる者の疲れと心を癒す。そんな場所だった。

 しかし今、温泉の中は慌ただしい空気に包まれていて、5人のフレンズ達があっちへこっちへあたふたしながら1人のヒトを運んで駆け回っていた。


 サーバルとカラカルに抱えられたその人の名はミライ。

 白い肌にエメラルドグリーンの長い髪を有する彼女は、鼻血を垂らしながら何とも幸せそうな表情のままぐったりと運ばれていた。



 なぜこんな事になったのか?

 それは、十分程前に時が遡る……。


 温泉にゆったりと浸かりながら、彼女達はたわいもない思出話に話を咲かせていた。

 そんな時、話題は服に関する事になり、服の存在を知った瞬間のアライグマの反応が話に上った。

 その時、事件はおこった。


「うぅ、ひっかいちゃったのは、本当にゴメンなさいなのだ……」

「いえいえ、いいんですよ。気にしないでください」

 肩をすぼめてすこし小さくなるアライグマと、彼女を元気付けるミライ。

 その頬の傷を見て、サーバルが言った。

「あ、そうだ! こうすれば、傷なんてすぐに治るよ!」


 そして、サーバルはミライの傷を────

 ────舐めた。



 突然頬を舐められたミライは驚いた表情で固まり、次いでみるみる内に顔全体が真っ赤になっていった。

 そんな事お構い無しに、サーバルはミライの傷を舐め続け、一通り舐め終えると、にへっと笑う。

「えへへ、ミライさん。これで大丈夫だよ!」

 そして、サーバルがそう言った直後────


「うぇへ、うウェっへへへへへへへへ……」

 と、鼻血を噴き出しながらミライは温泉の湯の中に沈んでいったのだった。




 そして、現在に至る────。

「ミライさーん。おきてー! おぉーーい!」

 サーバルが呼び掛けるが、ミライは相変わらず幸せ満開な表情で眠ったまま目を醒まさない。

 ひとまず適当な客間に運んで、布団に寝かせてみたが、そこからどうすればいいのかわからなかった。


「うぇへ、うぇへ……。うへへへへ……」

 不気味な笑い声を上げるミライを前に、困り果てるけもの達。


「とりあえず、冷やしてみたらぁ~?」

 ミライの顔が真っ赤になっている事に気が付いたフェネックの提案に、「なるほど!」とみんなの声が揃う。


「それじゃあ、アライさんはタオルを冷やして来るのだ」

「ねぇ、みてみて! "せんぷうき"があるよ!!」

 アライグマがドタドタと足音を響かせながら廊下へ走り、押し入れを漁っていたサーバルが扇風機を引っ張り出して来た。


「おおー、でかしたサーバル!」

 カラカルはサーバルから扇風機を受け取り、前にじゃんぐるちほーでミライがやっていたのを真似して、コードを伸ばす。

「えぇと、これをたしかここに……」

 そして、バスの中で見た"コンセント"と同じ形のものを壁に見つけ、プラグを挿し込んだ。


 さてそこからどうしたものかと再び考えていると、廊下からドタドタと足音が響いてくる。

 皆がそっちに注目すると、襖が勢いよくスパーンッと開き、冷やしたタオルを持ったアライグマが帰ってきた。


「お~、早かったねぇ。アライさん」

 いつもの間延びした口調で、「おかえり~」とフェネックが言う。

「外の雪で冷やして来たのだ! へっくし!」

 アライグマがくしゃみをすると、彼女の頭にうっすらと積もった雪が舞った。


 そんなアライグマから、トキがタオルを受け取る。

 雪で冷やしたというタオルは凍っているんじゃないかと思える程冷たかった。


 トキは、キンキンに冷えたタオルを小さくたたんで恍惚とした表情で気絶するミライの額へと乗せる。


「こんなに冷たいものを乗せて大丈夫なのかしら?」

 トキが、未だに冷たさの感覚が残る手を見詰めながらぼそっと呟いた。



 それからしばらく、ミライを見守っていたサーバル達だったが、超大型セルリアンと戦った疲れが出てきたのか、気が付けば一人、また一人と眠りに堕ち、やがて客間に静かな寝息だけがのこった。


 まるでミライを囲むように身を寄せ合ってて眠る5人のけもの達。

 皆ぐっすりと眠っていた。





 ────だから、近付いて来るその存在に気が付かなかった。



「あら?先客がいるみたいね?」

 襖からひょこっと顔を出したのは、灰色の長い髪と、黒くて大きな耳を持つフレンズだった。紺色のもこもこした服を着ていて、黒いマフラーを蝶ネクタイのように結んでいる。


「外に見慣れないモノがあったから、誰かいるんじゃないかとは思ってたけど……」

「ギンギツネェ……、ぼくゲームして来ていい?」

 ギンギツネと呼ばれたフレンズの後ろから様子を伺うようにひょっこり現れたのは、ギンギツネと同じ様な姿をしたフレンズだった。

 しかし、こちらはギンギツネと違い、赤茶色の長髪に、髪と同じ色の毛に覆われた耳を有している。耳の先端だけは、暗い茶色の毛で覆われていた。


 彼女達は狐のフレンズだ。腰の辺りから生えたふさふさの大きな尻尾がその証といったところか。

 灰と黒の毛並みが特徴で、はきはきとした物言いの方がギンギツネ。

 赤茶色の毛並みでおどおどしているのがキタキツネ。


 二人は姉妹のような存在で、差し詰め世話好きの姉と引っ込み思案な妹といった所だ。



「ゲームしたぁいーー!」

 キタキツネはギンギツネの袖を掴み、「いこぉよー」と引っ張るがギンギツネは頑として動かない。


「キタキツネ。ゲームは後で! とりあえず、毛布持ってきて」

「えぇー、なんでー!」

「あのフレンズ達、どうしてここで寝てるのかわからないけど、見たところ、暖かいちほーの出身の子も居るみたい……。あのままじゃ、風邪をひいてしまうわ」

「むぅー、ギンギツネがそういうなら……」


 やいのやいのと話し合いながら、キタキツネとギンギツネはどこかへ去り、数分後、厚手の毛布を抱えて再び現れた。

 そして、寒さを凌ぐように身体を丸めて眠るサーバル達に一枚ずつ毛布を掛けて回り、静かに部屋から出ていく。


「ねぇ、もうゲームしていいでしょ」

「だぁーめ! お風呂入ってからにしなさい」

「えぇーー! やぁーだー! 一回あそんでからー」

 大きな尻尾をゆらゆら揺らしながら抗議の声を上げるキタキツネと、それを叱るギンギツネ。

 その様は姉妹というより親子のように見える。


 そんな二人の話し合う声は次第に遠ざかり、ミライ達の眠る客間には再び静寂が訪れた。

 常夜灯に照らされた薄い暗がりには、6人の小さな寝息だけが満ちていて、窓の外には三日月がだけがぽっかりと浮かんでいた。




 障子紙を突き抜けて射し込む朝日が瞼にしみる。

 あぁ、朝かなどと寝惚けた頭で考えながら、ミライは目を覚ました。


 視界には、美しい木目の天井。

 たしか、温泉に入っていたはずだが、いつのまにかふかふかの布団の中に寝ていた。


 おかしい。途中から昨日の記憶がない。

 最後の記憶は、温泉に浸かりながら、サーバル達とたわいもない世間話に華を咲かせていて、それで────


「わぁ! うわわわぁー!」

 そこまで考えてミライは飛び起きた。

 顔が熱くなり、自分の顔が真っ赤になっているのが嫌でも理解できる。



 そう、彼女は思い出してしまったのだ。昨日温泉で起きたあの事件(?)を……。

 ふわふわしていて定かな記憶ではないが、そのままのぼせて湯に沈んだのを覚えている。



 ────という事は、あの時一緒に温泉に浸かっていたけもの達がここまで運んでくれたという事だろうか?

 だとしたら、悪い事をしてしまった。


 ミライは、よっこらせと身を起こし周囲を見回す。

 すると、サーバル達は回りを囲むようにして眠りこけていた。

 畳の上に散乱した毛布がもこもこと膨らんでいる。


 1.2.3.4.5.6.7。

 全員いるようだ。



「……うん?」


 怪訝に思い、数え直す。

 サーバル、カラカル、トキ、アライグマ、フェネック。

 昨日まで一緒にいたフレンズは、何度数えても5人。


 じゃあ、あとの2人は?

「だれなんでしょう……?」


 ぼそっと呟いた時、毛布の1つがもぞもぞと動き始め、そこからひょこっと赤茶色の三角形の耳が出てきた。

 色は似ているが、形と模様がサーバルのそれとは違う。フェネックのものでもない。


 じっと観察していると、その耳の持ち主は、ミライの目の前でその姿を現した。



「んぅ~……、ギンギツネ?」

 眠そうに目を擦りながら毛布から出てきたのは、三角形の先が茶色い耳と、赤茶色の毛に覆われた大きな尻尾を有する少女だった。


 突如として現れた初めて見るそのフレンズを前に、ミライは完全に思考停止状態に陥る。

 どこから来たのか?いつからいたのか?なぜ自分達と一緒に寝ていたのか?

 そんな疑問が次々と浮かび上がって来たが、最終的に彼女の中で出た結論は────

「新しいけもの発見♪ ぐへへ……」

 ────だった。




 キタキツネが目を覚ました少し後に、ギンギツネは目を覚ました。

 昨晩は、キタキツネと風呂に入った後、遅くまでゲームに耽ってしまった。


 キタキツネに「ギンギツネも一緒にゲームやろ?」と誘われ、最初は断るつもりだったが、寂しそうなキタキツネの表情に根負けしたのだ。

 そしてゲームというのは、やってみると存外ハマってしまうものである……。


 少しばかりの頭痛を覚えながら、ギンギツネはもぞもぞと毛布から這い出す。

 すると彼女の目に、何とも不可解な光景が飛び込んできた。


「うへへへへ……」

 と、笑いながらまるで今にも昇天しそうな恍惚とした表情で笑うヒト。

 何故かその膝の上に座り、頭を撫でられているキタキツネ。



 あまりにも理解不能な光景に、ギンギツネは唖然とした表情で固まっていた。

 キタキツネも嫌がっている様子ではないし、むしろ撫でられて気持ち良さそうに目を細めている。


 長い間キタキツネと共に過ごしているギンギツネだが、キタキツネのこんな姿を見るのは初めてだった。



「あ、ギンギツネ。おはよう」

 不意にキタキツネに声を掛けられ、それまでぼーっとしていたギンギツネはハッと我に返る。


「おはよう。て、それどころじゃないわ。キタキツネ、その人は?」

 いろいろと聞きたい事があったが、ギンギツネはまず正体不明のヒトについて聞く事にした。

 キタキツネがここまで警戒心を解いているのだから、きっと何か知っているはずだ。


「ぱーくがいど? のミライさんだよ。セルリアン調査のついでに温泉に入りに来たって言ってたよ」

「ミライ? そのヒトが?」

「そうだよ」


 ギンギツネは記憶を探る。確か、ミライという名前には聞き覚えがあった。

 少し前に、パークの重要施設が集まるセントラルパークにセルリアンの大群の襲撃があった事は、フレンズ達の間で話題になっていた。


 そして、それと一緒に囁かれていた噂がある。

 それは、たった5人のフレンズを率いてセルリアンの大群を撃退したヒトがいる。というものだった。それはまるで英雄伝のようにパーク中に広まり、ミライという人物は今、フレンズの間で知らない者はいない程の有名人だった。



 そんな人物と、目の前で恍惚とキタキツネを撫でくり回す人物が同一人物とはとても思えない。

 しかし、緑色の長い髪、銀縁の眼鏡の奥の青い瞳、特徴は一致している。



「どういう事かしら?」

 すっかり困り顔のギンギツネ。

「はう~」

 そんな彼女をよそに気持ち良さそうに目を細めるキタキツネ。


「うへへへへへへへ……」

 ミライは依然として恍惚とした表情のまま、ギンギツネの存在にすら気付かないほど夢中でキタキツネを撫で続けていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る