第8話

 夕餐は素晴らしいものだった。

 映画や小説の世界でしか出て来ないような長テーブルに腰を下ろし、ふだんは着る機会のないドレスっぽい服を着てキラキラのシャンデリアの下でいただいたのは、前世と合わせていままで一度も食べた事がない、見ためにも華やかで手が込んだ料理の数々。

 王様や神人の偉い人がお昼ご飯の時よりたくさん同席してたせいで緊張したけど、ナイフとフォークが使える以上の難しいテーブルマナーは要求されなかったし、仲間が一緒だったから料理の味がわからないなんて事にならずに済んだ。

 まあ、緊張しすぎたアーセルが小さい失敗を色々やらかしてくれたから、彼を盾に私も皆も助かったと言うか……彼のおかげで美味しい物を美味しく食べられました。ありがとうアーセル。


 昼食の時にもそうだったけど、夕餐の歓談にも私達『方舟アーク』のこれまでの冒険についてや他の冒険者達の話、それから下層に暮らす人々の生活についての話を求められた。

 触れ合う機会の少ない下界に対して興味を抱くのは当然だと思うし、私も天空城の神人達がどういう生活をしているのか気になっていくつも質問させてもらったから、好奇心はお互いさまだろう。

 夕餐は無難に終わった。むしろ意外に話が弾んだせいで夕食だけでは場が散会せず、部屋を移って飲み物など楽しみながらもう少しお話を……と言う流れになったくらいだし、天空城の神人達との友好的な交流には成功しているはずだった。

 その風向きがおかしくなったのは、金色の王様の行動のせいだと思う。

 断言する。王様が悪い。


 あの場には神人の偉い人が何人もいて、その中には独身の若い女の子もいた。

 宰相のお嬢さんとか、最初に城内を案内してくれた貴族の女の人とか……他にも何人も綺麗な人がいたのに、王様はそう言う人達じゃなく私の手を取って……ええと、なんて言うんだっけそういうの?

 ……あ、そうだ、エスコート。エスコートを、してくれたのだ。

 それはまあ……下層階層からのゲストに歓迎の意をって言うも状況的に有りかも知れないけど、そういうのはもっとふつうに……スッと来てサっと移動先へ行ったら終了するものであって、決して移動先でも隣りにべったり張りついて動かないとか、私がトイレで席を空けたタイミングで空席に着こうとしたお嬢さんを拒絶の眼力で追い散らすとかしたらダメだし、ましてや場がひらけようと言う時にこっちの意志も聞かずに私をギュっとハグするとか、手を取って指先にキスとかって、もう完全にアウトだと思うんだけど!


 隣りにベッタリとか許可なく手を握るとか抱き着くとか……列挙するとどこの痴漢かセクハラオヤジだって感じだけど、神々しいほど容姿の整った王様が堂々と行うことにより、見た目上、軽犯罪臭は消失する。

 ……イケメン無罪って言葉があるけど、あれは真実かもしれない。

 イケメンに権力までプラスした最上位では、セクハラどころか同じ行動が上質のロマンティックへと昇華するのだから、イケメンとはある種の錬金術師アルケミストジョブを極めし者なのだろう。


「一日の終わりをこれほど名残惜しく感じたことは無い。……夢の中に会いに来い、メイ」


 とか、ふつう生きている間に口にしないだろうクサくてちょっと偉そうなセリフから指先のキスへの流れは、もう乙女系ゲームだったら確実にスチル物だと思う。

 日中の図書館で一枚、ここでもう一枚スチル回収。

 ただ、そう言うのは出来ればゲーム画面で見るとか、傍観者ポジションの方が望ましい。当事者では王様の甘ったるいセリフに悲鳴を上げて転がりまわることも出来ないんだから。


 そう。これは乙女ゲームのノリだ。

 確かに私は前世で王道ラブロマンスやキラキラの恋愛シュミレーションをファンタジー趣味とは別枠で秘密裡に、かつ、がっつりと嗜んでいた。そして大体の場合お気に入りキャラはちょっと強引でグイグイ押してくるオレサマ風味のヒーローだったけれど、それは創作の世界だからいいのであって、現実にああいう世界のノリを持ち込まれると困る。本当に困る。

 具体的に何が困るって、有翼人のお嬢さん達の目つきがものすごく冷たくて恐ろしいものに変じた辺りが特に。

 これってとっても王道的嫌な展開になりそうな予感しかしないんだけど……。


 それにしても、これまで現世で叶えられた過去世での私の妄想ゆめはだいたい幼馴染に語ったモノばかりだったのに、今回のこれはなんだかおかしい。

 そもそも次々語り散らした妄言が叶うのがおかしいってツッコミは脇において、さすがにお気楽で馬鹿な私でも好きな男の子に乙女系ゲームやロマンス物ファンタジーの好きキャラ傾向について熱弁なんて痛いことはしてないと思うんだけど。

 しないよね?

 しない……と、思う。たぶん、していないんじゃ、ないかな……。

 どうだっただろう……?


 人に語った……少なくとも恥ずかしい内容なりに人に語れるような妄想ゆめが実現していくなら、まだ理性が多少は働いているだろう分ちょっとだけ安心感があるけど、完全欲望垂れ流しの脳内妄想までもがもし現実化してしまったらと思うと、すごく不安だ。

 猟奇的だったり加虐とか被虐とかグロだとかの趣味はなかった筈だし、いたって平和な……のほほんとしたオトメだったつもりなんだけど、穴あきだらけの記憶しかないんじゃ不安にもなる。

 だいたいの記憶が、すっごい羞恥心をきっかけに思い出されているってとこが不便すぎて溜息しか出て来ない。


 日本で生きていた過去世の自分は何を思って生きてたんだろうと、ひたすらそれを考えながら眠りについたせいなのか、その日私は昔の夢を見た。






 田舎の住宅地の小さい庭の生垣越しに、幼稚園児の私はその子と出会った。私の幼馴染み。初恋の男の子。

 庭を挟んだ裏の空き家に園児持ちの父子家庭が越して来たと言うその噂は、田舎ならではの伝達速度で引っ越しの翌日には我が家に伝わっていた。

 都市部のベッドタウンである隣町には、新興住宅地やマンション・アパートも多く、子供のいる家庭も多い。

 私の通う幼稚園も隣町。だけど、家のある地域は住宅地と言っても半端に古くて、住民はほとんどが中高年層で子供は若くても高校生。小さな子の数が極端に少ない場所だった。


 国内だけじゃなく世界的に地震や天災が多くなりつつある時代のこと。

 他国の不安定な情勢の影響か、他の国に比べれば平和で治安の良い日本にも微妙に犯罪が増えつつあったから、幼稚園外で友達と遊ぶにも親同士の信頼関係や家の距離、安全な場所の確保なんて問題もあって、私は当時近しく行き来できる友達に飢えていた。


『こんにちはっ! あたしメイカ。メイカのおともだちになってね!』


 大人の背丈を越え繁茂するサザンカの生垣の下枝の隙間を無理やりくぐり抜け、唐突に自分の家の庭に侵入してきた私を見て、彼はとっても驚いたに違いない。


『ねえ、メイカにおなまえおしえて!』


 ゾウさんじょうろでタンポポに水やりしながら裏の家のベランダの開あけ閉たて聞きつけ、子供らしい気配が庭に降りたのを察知。勢い込んで初対面へ臨んだ私とはちがって、他人の家の敷地に無断侵入するのは非常識と知っていただろう彼にとって、私のこの登場はあり得ないことだったはず。


『……』


 言葉もなくポカンとこちらを見る彼の手を離れ、銀色の風船が一つふわり空へと昇って行くのが見えた。

 風船はみるみるうちに高度を上げ、風に流され遠ざかる。もう大人がいても追いつく事はないだろう高さに行ってしまったのを見て、私はようやく自分が不味いことをしでかしたのに気がついた。


 今まで見た事のないくらいにあれはピカピカした風船だった。それなのに、自分が急に話しかけて驚かせたせいで風船は彼の手を離れて飛んでしまい、きっともう手元には戻らないだろう。

 良く行くショッピングモールにも風船はある。でもあれは、赤や黄色、緑にオレンジのふつうのゴム風船で、銀色の風船はあそこでは売っていない。

 お祭りの露店でピカピカした風船を見たことはあったけど、彼が持っていたのは縁がクシャクシャしたアルミバルーンじゃなく、鏡みたいにつるんとしたクリスマス飾りみたいにキレイな丸の球だった。


『うぇ……え……』


 外聞を気にする理性とか感情の制御とか、まだまだ未熟だった幼稚園児の私は、感情のスイッチが切り替わるに任せボロボロと大粒の涙を流して泣きはじめた。

 キレイな風船から手を離させてしまった申し訳なさと、せっかく友達になろうと来たのにやらかしてしまった落胆と、後悔と……。

 ぐちゃぐちゃに昂ぶった感情のまま、私は彼の前で泣きじゃくる。


『ごっ……ごめんなしゃいっ……うえっ……ふうぜん、メイカが、びっくりざぜで……うえっぐ。とんでじゃっだ……ごべんな゛じゃい……っ』


 生け垣を膝をついて潜り抜けたせいで膝小僧には土汚れ、庭に突然入り込んだと思えば勝手に名乗って勝手に泣き出す。

 当時はまだ小さな子供だったと言っても、酷い出会いだったと思うのだけど───


『え? 風船? あ、あれ? いや……あの、な、泣かないで? 怒っていないから……えーと……あの、だいじょうぶ、だよ。えと……メイカ、ちゃん』


 驚かせてごめんなさい。風船を飛ばせてしまってごめんなさい。

 昂ぶる感情のままに泣きじゃくりながら謝る私を、彼はおずおずと慰め、なだめてくれた。


『うえ……ぐっ……うぐ……。メエ゛、カ、おとも゛だち……な、なりたくてっ……でも、ごべんなじゃいっ』

『う、うん、友達……なろうね。本当に、怒ってないから、ね。もう、泣かないで』


 子供だったから仕方ないのかも知れないけれど、向うにとっては本当に困った状況だったと思う。

 だけどは、驚いたかもしれないけど、内心は呆れていたかもしれないけれど、それでも私を一生懸命なぐさめてくれて、友達になろうと言ってくれた。


『お、ともだち……?』

『うん、そうだよ』

『ひぐっ……メイカと、おともだち、なって……くでる?』

『うん。なろう』

『じゃ……メイカに……お、おなまえ、うぐっ……おしえて、くれる……?』

『うん、僕の名前はね───』


 生け垣を潜り抜ける時に膝小僧は土に汚れ、涙と鼻水で顔面はドロドロ。頭にはサザンカの葉っぱをくっつけたみっともない女の子と、彼は友達になると言ってくれた。






『ノアだよ』






 ───そう、ノア……君。

 それがあの日、私が好きになった人の名前だった……。


 私は見慣れぬ豪華すぎる天井を見上げながら、茫然と胸の中に彼の名を呟いた。

 こめかみと耳の穴が冷たい。どうやら夢を見ながら私は泣いていたようだ。

 寝間着の袖で濡れた顔を拭い、ベッドの上にもっさりと身を起す。

 まだ頭が夢と現実との切り替えを完了しきっていないようで、あの日の夢の続きが脳内に再生され続けている。


 あの後ノア君・・・は、家の中からティッシュペーパーを持って来て鼻水と涙でドロドロの私の顔を拭ってくれた。髪についた葉っぱや枝のカスを取り去り、庭の水道で鼻を拭った手と土のついた足とを洗った後で私の手を引いて家まで送って行ってくれた。


 ……その日、私は近所に友達が出来たと単純に浮かれてたけど、テンション高く新しい『おともだち』について語る幼稚園児わたしの話を聞いたお母さんは、あわてて小さな菓子折りを持ってノア君の家に謝罪とあいさつに行ったんだった。


 あれから私と彼はずっと……たぶんずっと幼馴染として最後までを過ごした。

 私の家と彼の家の庭を隔てるサザンカの生垣には、その内に行き来をしやすいよう出入りの穴が開けられて……それで……。


 それで───


 タンポポに水やりをしたゾウさんじょうろの色は黄色。あれはお兄ちゃんからのおさがりだったと思う。

 あの時私が着ていたのは通っていた幼稚園のスモックで、水色のスモックのポケットにはりんごのアップリケとカワイイチェック柄のフリルが縫い付けてあって、履いていた靴下にはリボン飾りと子猫の模様。

 自分の家に当時かかっていたカーテンの色や柄、玄関マットのデザインまで変なふうに鮮明に覚えているのに、どうしてなのかやっと名前を思い出せたノア君の顔が出て来ない。


 ノア君だけじゃない。

 お兄ちゃんの顔も、名前も、一緒に暮らしていたおじいちゃんの顔も思い出せないのは、私が死んで生まれ変わったせいなのかな?


 記憶と言うのはわりといい加減なものだ。

 今みてた夢の中、彼の家へ菓子折りを持って出かけて行ったのは、冷静に考えれば前世でのお母さんじゃなく生まれ変わってからのお母さんの顔をしていたような気がする。それに、お父さんも日本人のお父さんなら目が青と茶色のオッドアイなんてわけが無い。


「……はあ」


 溜息一つ。

 私はベッドの上で体躯座りの膝にがっくりと顔を伏せた。

 半端にしか思い出せないくらいなら、彼の名前なんて思い出したくなかった。


 冒険者になって組んだ今のパーティーの名前を決めたのは、くじ引きでその権利を引き当てた自分だった。

 むかし昔、生まれ変わる前に大好きだった人がいたと言う記憶だけがあって、名前も顔も思い出せもしなかったのに、どうして私はパーティーの名前を『方舟アーク』なんて決めたんだろう。

 あの時、絶対コレだと思った気持ちは、生まれ変わっても消えない未練……なんだろうか。


 ───この世界に、ノア君は、いない。


 もしも会えたなら一目で彼が分かると、根拠なんてないけど私は確信している。


「はあ……」


 この世界にいない人の事ならば思い出したくもなかったから、私は二つ目のため息を吐いてベッドを抜け出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る