第7話

 顎を持ち上げられたまではいいけど、ううん、良くないんだけど……それはそれとして。

 その後、私と王様は『・顎クイ』と『・顎クイ』としてしばらくのあいだ無言でお互いに見つめ合っていた。


「………………」

「………………」


 ……思わぬ事をされたあと初動でとっさの反応が出来なかった私は、相手がノーリアクションであることによって二手めの動きまでも封殺されている状態だ。

 だってこの世界で一番偉い王様の手を振り払うとか、しかも両手が本でふさがっているんだから振り払うとしたら本を使ってと言う事になるんだけど、それはなんだかすごーく不敬な気がして、迂闊に行動がとり難い。

 いや、でももしも万が一変な事されそうになったら、当然逃げるつもりではある。

だけどもしかしたらもしかして、王様は私の顔にご飯粒がついているのを取ってくれようとしているのかもしれないし、私の髪に芋ケンピがついている可能性もある。


 ───ちなみに、お米も芋ケンピも口にした覚えは全くない。


「………………」

「………………」


 もし、鼻フックを引っかけられそうになったらどうしよう。

 それにはさすがに抵抗してもいいだろうか?


「………………」

「………………」


 ……正直、これ以上ノーリアクションでいられると、今後の方針が決められなくてとても困る。身長差があるせいで、この殆ど真上を向かされた体勢はけっこう辛いのだ。


 ……手を本で振り払うと不敬になりそうだけど、無理やり首を下に下げてしまうって言うのはどうかな?


 そう思いついた私は、うつむく方向へ一瞬微妙~に力をかけてみたのだけど、向うも微妙~にそれに抵抗する気配があったので、即座にその作戦を断念した。このまま本気で抵抗されたらこちらの首が締まるリスクに気がついたせいでもある。


 ……それとも、後ろ斜め上45度くらいにピョンと飛び上がって『顎クイ』の手を一気にはずすって言うのは……ああ……うん。絵面的にすごく不自然だから、これは却下。

 私の素晴らしい跳躍力は今回見せ場はないようだ。


 いっそ「なんか私にご用ですか?」とか空気を読まずに聞いちゃった方がてっとり早い気はしたけど、もしも万が一億が一、彼が親切で私の髪についた芋ケンピを取ろうとしてくれているのなら、この言い方は少し感じが悪い。


「………………」

「………………」


 どうしよう?

 そ~っと後ろに後退して自然な形でこの『顎クイ』から外れようか……?


 考えながら私は王様の顔に固定していた視線をそっと逸らし、自分の背後に後退するための空間があるかを見てみたところ、なんとかなりそうなだけの空間があるのを確認出来た。

 再び目の前の王様へと戻し、機を伺いつつコクリ唾を飲む。

 首の角度と顎への圧迫のせいで、唾はすごく飲みにくかった。 

  

 体幹を保って、すり足で下がろう。右足から、少し左に靴底を滑らせるように身体を捻れば、角度的に指を外しやすいはず……。


 考えながら、さあ今だ……と、右の踵を浮かせた刹那。王様がこれまで閉じていたその口を開いた。


「………………お前、どうして私の顔をあれほどじっと見つめていたのだ?」


 うっ……。

 どうしてそう……そんな、答えにくいことを。


「それは……その」


 まあ、聞きたくなるのも当たり前……なのかも、知れない。


 すんなりと通った鼻梁。くっきりとした二重瞼の下、長く密度の高い睫に囲まれたやや切れ長の目。女性的な柔らかさはないけれど、卵型に近い曲線を滑らかに描く輪郭。両端が少し窪む、引き締まりながらも優美な形の唇。

 目の前のその人の顔は、本当にとてもキレイで見ているだけで心が騒ぐ。むやみやたらと心惹かれる。


「あの───王様の姿が、あまりにお美しくて……」


 私はあまり、嘘は得意な方じゃない。

 と言うよりも、さほどお利口じゃないのでとっさの嘘とか思いつくことが出来ないと言うか……。

 モソモソとそんな言葉を口にする私を見下ろす王様の目が僅かに眇められ、それにつれてキレイなお顔がじわっとこちらへ近づいて来た。

 もしかして不興をかっただろうか。

 まるきりお追従にしか聞こえないセリフだな……とは、口にしたあとに自分でも思った。

 いや、でも、本当にそれは嘘じゃなく本当の事なんだと心の中で叫ぶも、前世の記憶うんぬんなんてとうてい人に言える事ではないし、本当だと言い募ればよけいに嘘っぽさが増すのが目に見えていて、私は自分の中に尤もらしい理由がないかを必死に探した。


「ええと……その、初めてそのような、キレイな金色の髪を、見……拝見したので……ついつい」


 また少し王様の目が細められる。

 物珍しさでガン見してました……なんて失礼過ぎる発言だったかと焦るけれど、もう言葉は戻って来ない。

 じわっと覆いかぶさるように近づいてくる美しい顔に恐怖心によるドキドキと、コトここに及んで能天気にも恐怖心とは別の場違いなドキドキ感が混然一体となり、胸を激しく煽らせる。


「なぜ、私の顔を見ながら涙した?」


 まあ……当然それは気になるよね……。

 だけど、あの心理状況を説明するなんて難易度が高過ぎと言うものだ。

 簡単に言えば目の前にある顔が好み過ぎて恥ずかしかったのが理由だけど、その羞恥心の根底にあるのは前世の記憶だなんて……どう説明すれば頭の中身を疑われずに済むか、さっぱり分からない。


 だいたいホントに前世の私、どういう状況で初恋の相手にそんな馬鹿妄想ドリームファンタジーを語ったりしたんだ!!


 過去世の自分に八つ当たりしたところで現状は変わらず。

 眇められながらも真っ直ぐにこちらを覗き込む金色の目から挙動不審まるだしに視線を逸らしつつ、私は泣きそうな気持ちで言い分けた。


「い、一生お目にかかる事なんて無いと思ってた天空城の王様と会えたうえっ、王様がものすごく美人だったので……感極まって!」


 嘘じゃない。

 前半部分少し装飾が過ぎた気はするけど、美人だったせいで(羞恥心から)涙が出たのは間違いはないのだもの。

 だからこれは嘘じゃない……のだけど、反応が気になって戻した視線の先に見える王様の眉間には、縦にくっきりシワが刻まれていた。

 今の受け答えはお気に召さないものだったんだろうか……美しさが過ぎるお顔が表情を険しくさせると、よけいな迫力が生じてしまう。


 怖い。

 顔が近すぎて、しかも表情が険しくて、その険しい顔にさせてしまったのは自分だろうかと思うと、申し訳なくて泣きたくなった。なんだか胸が、痛くなる。


「……娘。お前の名前は、なんだ?」


 涙目の私の頬を、問いが吐息となって撫ぜていった。


「……メ、メイ」

「メイ……?」


 名を答えれば目顔でその先を促され、さらに至近となってほとんど触れんばかりの形良い唇を凝視しながら、私は急激に上に昇ってきた熱で茹りそうな頭をなんとか冷静に保とうと、脳内にあがく。


「───メイ・リンヒル、です」


 噛まずにしっかり氏名を答えられた自分を褒めてあげたい気持ちになった。

 ホント、名前を答えるのが難しいくらいテンパっていたから、私、頑張ったと思う。


 ふと、私の顎を持ちあげていた王様の手から少し力が抜けるのを感じた。美しいお顔を険しくさせていた眉間の皴も跡形もなく消え去り、半眼に眇められていた眼も通常の大きさへと戻っている。

 長い睫が持ち上がり、猫のような金色の採光が陰り無く現れる様もまた美しいのだけど、なにかまた、私はこの王様をガッカリさせるような事を言ったのかと、不安が胸をよぎった。

 ガッカリも何もただ、このゴールディロックス階層世界での私の名前を答えただけなのだから、ガッカリの要素など無い筈なのにだ。

 

「そうか……」


 金の目から力が抜け、殆ど覆いかぶさるようにしていた王様の背がスッと伸びる。

 感情の色が消えてしまえば、天空城の王様のキレイな顔は初見の印象どおりに人形めいたものとなった。


「メイ……お前の目は美しいな」

「え……? あの、あ……りがとうございま、す?」

「お前のように強い目で私を真っ直ぐに見た者などこれまでに一人としておらぬ」

「あっ……すみません……不躾に、私」


 唐突な呼び捨てとお褒めの言葉に一瞬呆けかけ、謁見の間でのガン見について触れられて慌てる私とは対照的に、王様はどこか淡々と言葉を紡ぐ。


「構わん……メイ、お前はこれからも、そのままのお前でいろ」


 私の顔を自分へ向けさせていた手が横へ逸れ、頬を優しく撫でてから離れて行った。

 それから金色の王様は私がいまこの図書室へ来た理由を尋ね、夕方までの時間つぶしに軽い読み物を求めに来たのを知ると何冊かの本を選んでくれた。


 王様チョイスの本を抱え自分の部屋へと戻ったけれど、なんだか私は図書室での一幕が白昼夢でもあったかのように感じてしまう。

 狐につままれたような……ってどんなだと思っていたけど、きっとこんな感じなんだと思った。


 ぼーっとしたまま部屋の備品の茶道具でお茶を入れ、ソファに腰を下ろしてお茶を飲んだ。テーブルの上に選んでもらった本が乗っていところを見れば、図書室へ行ったのは夢じゃなかったらしい。


 なんだったんだろ……あれは。


 テーブルにカップを置いて手近にあったクッションを抱えると、私はソフカフカのファの背もたれに身体預けた。ずぶずぶと沈み込み人をダメにしそうな座り心地だ。

 それにしても、本当にあれはなんだったんだろう?

 無言で見つめ合って名前を聞かれたり


『お前はこれからも、そのままのお前でいろ』


 なんてセリフとかを抽出すれば、ちょっとオレサマな権力者と庶民ヒロインの王道ラブロマンス展開っぽかった気がする。


「う、ひゃ~!……ま・まさかっ。ない、ありえない……っ」


 クッションを抱えたままひとしきりジタバタするけど、出会ったばかりの人に突然顎クイされ、焦るあまり芋ケンピとか鼻フックとか、思考は色気とか甘さとは別方向へ行ってしまっていた。

 それになんとなくだけど、天空城の王様にも色恋沙汰な感じはしなかった……ような、気がする、と、思う。


「ないよ……うん。ない」


 プルプルと犬人ドギーみたいに小さく頭を振って沈むソファから起き上がると、私は暇つぶしにと王様が選んでくれた本へ手を伸ばした。

 あまりこのことを深く考えるのが嫌で、現実逃避したかったのが大きい。


「えーと……あ、童話だこれ」


 一番上にのっていたのは、キレイな装丁の薄い絵本。

 臙脂えんじ色の皮貼りの表面にツタ模様のサークルが金色の箔押しで押され、飾り枠の内側には大・中・小の三匹のクマのシルエットが描かれていた。

 本の表面にも背表紙にもタイトルは記されていなかったけど、私はこの本を知っている。


『三匹のくま』


 過去世、子供だった頃、大好きな幼馴染と私はこの本を読んだ。

 現世でも前世で見知った童話や民話に近いお話が一般に流布してるから、このお話の絵本の存在自体に不思議はない。

 いや、本当は前世の童話がこの世界にあるのはおかしいのかもしれないけど、不思議に思いながらもなんとなく受け入れてしまっていた私は深く考えもせずにその絵本を手にとった。


 絵本『三匹のくま』は、三匹のくまの留守宅に入り込んだ金色の髪の女の子が、テーブルの上にならべられた大きなクマ、中くらいのクマ、小さなクマのスープ皿からそれぞれのスープを飲み、「熱過ぎ」「冷たすぎ」「ちょうど良い」……と確かめながら飲み散らかし、大・中・小サイズのクマ達の椅子も「大きい」「もっと大きすぎる」「ちょうど良い」と勝手に格付けした挙句にちょうど良い椅子を壊してしまい、さらにはお腹がいっぱいになったこの女の子は寝室にまで物色の手を伸ばし、三匹のクマのベッドをそれぞれ「柔らかすぎ」「固過ぎ」「ちょうど良い」などと吟味しながらちょうど良いベッドで眠りこけ、しまいには家を空けていたクマが帰って来るとクマに驚いて逃げ去ると言う……童話としては有り・・だろうけど、冷静に考えればあんまりな内容のお話だ。


 今みると酷いお話……でも、なつかしい・・・・・……。


 失くした前世の記憶のかけらがフワリと私の中に浮かび上がった。


 この童話の英題を教えられたことがあるはず……お話の内容のまんまだよって、彼は言っていた。あれは、ええと……金髪ちゃんと三匹のくまだから、金髪……ゴールド、ゴールデン……違う。ゴール……ゴル、ディ? 

 あ、そうだ、確か───


『ゴルディロック・アンド・スリーベアー』


 だった。


「あ……そっか」


 この世界の名前が「ゴールディロックス階層世界」なのは、王様が金の髪をしているからなんだといま気づいた。


「あ~……なるほどねー」


 単純……と言うか単細胞気味の私は名前への得心に気持ちを持って行かれ、どうして王様が私にこの絵本を渡したのかなど微塵も考えずにうんうんとその気づき・・・を掘り下げることなく満足してしまう。現実逃避したい事柄があったから、よけいに思考が上滑りしやすかったかもしれない。


 私が現実逃避したかったのは、当然『金色の王様』のことだ。

 あまりにも好み過ぎる顔をした王様と、現実として考えると不自然なくらい唐突な大接近イベント。メタな視線でみればアレは王道展開でもあるように思えるのがとても嫌な予感を湧きあがらせる。


 むやみやたらと過去世の妄想が現実化する今の人生。

 考えたくはないけれど、冒険ファンタジーから恋愛系ファンタジーに方向転換とか、ないよね……?


 図書室でのことを思い出したり、前世の妄想に不安を覚えたり、また羞恥心に悶えたり、たまにこれからの『方舟アーク』の魔導士メイジとしていかに成長するべきかなど真面目に考えたり、また色々思い出して悶えたり……と、着替えの手伝いにお城の使用人さんが来てくれるまでの間を、私はとても落ち着きのない時間の過ごし方をしたのだった。


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