第4話

 大型の浮遊荷台フロートキャリアに巨大な走竜を載せたその姿は人目を引くものだったのだろう。竜殺しドラゴンスレイヤーの誕生が久方ぶりな上その一角が瀕死の傷をも癒す溶液の貴重な素材なこともあるせいか、私達は冒険者ギルドまでの道中を予想以上の人出と歓声に取り巻かれる事になった。

 友人知人、見知らぬ人の区別なくかけられる祝いの言葉に押されるようにたどり着いた冒険者ギルドで、『方舟アーク』はめでたくも無事Aランクパーティーとしての認定を受けた。


 冒険者登録から最速での竜殺しを達成したのは快挙だしそれを讃える言葉を惜しむ事はないけれど、今後それに増長することなく益々の精進を……と、ギルド長からありがたくも厳しい激励の言葉を直々にいただき、私達は周囲の騒ぎに中てられてふわふわと高揚していた気持ちをしっかりと引き締めたのだった。


 ……まあ、生真面目に気が引き締まっていたのは一瞬だったんだけど。


 だって嬉しいコトはやっぱり嬉しい。若い私達には喜びを心の中だけに押し込めておくなんて全然無理なはなし。

 前世の記憶がある私はもしかして前世の年齢プラス現世での年齢で、若者と言うには無理があるのかもしれない。でも穴あきだらけのあやふやな記憶だし、そこはカウントしなくていい筈だ。

 とにかく、嬉しい事があったのだからもうお祝いをするしかないじゃないか……とばかりに『方舟』の面々は勢いに任せて日も沈まぬ内にふだん世話になっているお宿の酒場へとなだれ込み、そこからはもう飲めや歌えの大騒ぎ。

 冒険者仲間や先輩後輩、装備面でお世話になっている職人さん達を呼んでのお祝いの宴会は、酒場の大樽を干し尽くして日が変わる頃になってようやく終了した。

 宴の後は死屍累々……酒場の床だけじゃなくお店の前の路地などに酔っ払いが多数酔いつぶれていたらしい。


 私も飲み過ぎてしまったようで、酒場から仲間内だけで飲みなおそうと男性陣が借りている四人部屋に行ったのは覚えているんだけど、そこから先の記憶があまり無く……。

 朝、気がついたら、ガタイのいい熊人ウォレス用に二つのベッドをくっつけた大きな寝台を、私とドギーとがヘソ天の仰向け大の字で占拠していた。

 上衣がめくれ上がって丸出しのお腹を暖かく包むこの毛布を掛けてくれたのは、たぶん床の上に身体を縮めて小山のように眠るウォレスだろう。

 リエンヌはドギーのベッドで頭まで毛布の中に潜りスヤスヤと寝ていたし、耳の先しか出ていない毛布の塊に顔を向け自分のベッドに横たわるアーセルは、目を見開いたままでぐっすりと眠っていた。

 充血した目をぎょろりと限界まで開けているアーセルの寝顔が衝撃的に怖かったのはさておいて、これは……イカンと思います。

 確かに前夜は調子に乗って飲み過ぎた。

 それはもう、ウォレスに腕相撲勝負を挑んでしまうくらいに飲み過ぎて、後半、ドギーやリエンヌに耳の臭いを嗅がせろとしつこく迫りアーセルやウォレスに羽交い絞めされる中、窓の外に銀色の丸い物体が漂い浮かぶ幻覚を見てしまうくらいに泥酔していた。……あのフワフワ浮かんでた丸い銀色はなんだったんだろう? どうしてかアレにはやたらと既視感を覚えたんだけど、いくらここがファンタジーな世界でもあんな二階の部屋の外にプカプカ浮かんでるあんな怪しいものなんて無い筈だし……それに対してデジャブ覚えるとか、もうその時点でベロベロに酔ってた証拠なんだろうけど。

 とりあえず、これはおおいに反省するところだ。

 ダメだいかんいかん。いくら仲間内ではあっても嫁入り前の乙女が男性と雑魚寝とか、もしも万が一───君にこんなだらしない行動を知られたりしたら……って、…………───君って……一体なに君だったっけ……?


 ……むかし日本に生きていた頃の私には、すごくすごーく大好きな幼馴染がいて、彼は私のおバカな妄想ばなしをいつも嫌な顔もせず聞いてくれた。そのことは確かに思い出せるのに、いまの私は彼の名前も顔も思い出すことが出来ないでいる。

 いや、思い出せない事はたくさん……って言うか、思い出せない事の方が多いくらいなんだけど。


 いま生きてるこの世界で起きる色々なことが前世の中二ドリームに激似だったりとか、変な事は羞恥心とセットでポロポロと思い出しちゃうくせに、肝心な部分で穴あきだらけの私の前世の記憶。

 その中でも最大級にぼやけて大きく欠けたこのピースは、湯船に落ちた小さな繊維くずみたいに掴もうとしても指の間をぬるぬると逃れ、そこに思いをこらすほどに酷い喪失感に酷く胸を絞めつける。


 苦しい。


 こんな・・・だったらいっそ、よけいな記憶なんてない方がましだ。

 不意にボロリと一粒、大の字に転がる私の頬をなみだの雫が転がり落ちた。


「……ふわぁあ~あ!」


 現世いまの自分を不用意に揺さぶる過去世の記憶にイラつきながら、私は余計な感情と耳の穴に入りそうになっている涙を取ってつけたあくび・・・とともに振り払い、乙女としての断固たる反省を胸に刻んで酒臭い野郎部屋に身を起したのだった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 

 殆ど光源らしき光源のない薄暗い部屋に、ガラス様の透明な素材で殆どを形成される一槽の水槽が設置されていた。

 ゴールディロックス階層世界の住人にこれは何かと訊ねたならば、彼らはこれを『治療用水槽』と答えるだろう。実際水槽の形状もそこに満たされた溶液も彼らが古代文明の遺構として知る物と大差はない。ただ皆が治療設備と認知する遺構・・設備は天井や床が天然石で作られていて水槽の縁などに多少装飾的な模様の浮彫が施されているのに比べ、この部屋の内部はぬらりとした光沢ある材質不明の素材で構成されているうえに一切装飾のない無機質極まりないものだった。


 暗い部屋の中で唯一ほんのりとした輝きを発する銀色の球体が、中空に浮かんで水槽の内部を照らす。緩やかに循環する溶液にたゆたうのは、一人の青年の姿だ。

 宙に浮かぶ一抱えほどもある球体の表面が水銀じみて微かにさざめき、青年を照らす光を明滅させる。


『マスター、レポートを開始する。肉体の休眠状態はそのままでいいが、意識のみ周辺認知レベルを一段階覚醒してもらおう』


 球体が言葉を発した。


『───メイ・リンヒルとそのパーティーが昨日、29階層で走竜狩りに成功した。マスターの水槽にいま補充されている溶液にも彼らの狩った走竜由来の素材を使用してみた。『方舟アーク』は規定通りAランクに昇格だ』


 光る銀色の球体と言う無機質で異形な見た目に反し、そこから紡がれる言葉は人間味を感じさせるものだった。その言葉を受けてか、溶液の中の人物の作り物めいて美しい顔がわずかに表情を刷いたようだ。


『……なんだ、肉体まで半覚醒する必要などないのに。もちろん彼女に怪我は無いし、魔法の発動に際して『魔力門』の異常も認められていない。アレをどれだけ試運体プロトタイプ運用したと思っている』


 水槽の中、微かに寄せられていた眉間から力が抜けるのを確認すると、銀色の球体は呆れた様子でその表面をさざめかす。

 呼びかけの名称から推して銀色の球体が従であり水槽内の人物が主であることが窺われるが、球体の言動は傲岸不遜。だがそれは主である側が後から従である銀の球体型知能へ加えた性格設定な為、ここにそれを咎める者はなかった。


『……マスターの彼女・・に対する心配性も限度がないな。まあいい。以前にも報告したとおりメイ・リンヒルはこの世界にうまく馴染んでいるようだ。友人も出来たし、特に『方舟アーク』のメンバーとはことさらに仲がいい。……多少スキンシップが過剰な面が見られるが、酔っているし……あの性格と外見なら扱い的にああもなろう。ん?……なんだ、気になるのか? ……仕方ないな。悪趣味だが、半覚醒状態に移行しているのならライブ映像を見せてやるが……』


 溶液に揺蕩たゆたう青年の眼がゆっくりと開かれた。ほどなく、銀色の球体が投影する映像が暗い室内に明暗の揺らぎを生み出し始める。

 長い睫に縁どられた両の眼に反射するのは、銀色の球体の端末によってリアルタイムに捉えられた白い髪の小柄な少女と、その冒険者仲間である『方舟アーク』のメンバー達が楽し気に騒いでいる姿だった。

 一部、兎人女性に対する普人男性の視線に必要以上の熱が籠っていたのは気になるところであるが、それを除いてそこにあるのは酔った若者同士にありがちな何ということもないじゃれ合いであり、酔いつぶれて異性の部屋に宿泊すると言う若干道徳的には眉をしかめたくなる部分もあれど、現実として白皙白髪の少女メイ・リンヒルの身に危険を覚える場面は存在しない。


 ……少なくとも、水槽の中の青年へ映像を投影する銀色の球体はそう判断していたのだが、彼のマスター・・・・はそうは思わないだろうとの危惧も同時に球体は抱いた。


 異性の部屋に泊まるなど……なんと迂闊な行動をするのだメイ・リンヒル……。


 球体は言語化しない思考領域の中、酔いつぶれて熊人の寝台に犬人と並んで大の字で眠るメイにたいして苦々しく毒づいた。


『……やはり、彼女を天空城・・・へ招くのか?』


 それは賛同しかねるとの気持ちを込め、球体は青年の意志を問う。

 無言のままに返される眼差しに間違えようもなく是認の意を感じ、傲岸不遜の性格は結局表層部分のみであり主従の理を越えられないと知る球体は、ひとこと了解の言葉を置いてその部屋を後にした。


 Aランク冒険者パーティー『方舟アーク』のもとへ、ゴールディロックス階層世界の実質的支配者天空城の王からの招待が冒険者ギルドを経由して届けられたのは、この日の内の事だった。



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