Ⅹ 決意
「レオン!」
夜の哨戒中、息を切らせてエリルがレオンハルトの元へ走ってきた。
「何だ、仕事中だぞ」
「知ってるよ!それより!」
エリルは瞳を吊り上げてレオンハルトを睨みつけた。
「何でティナを捕まえたの!?」
ああ、とレオンハルトは渋面になった。言われるとは思っていたが、ここまで予想通りに動かれると笑いたくなってくる。
「そう命令されたからだ。それ意外にあるのか?」
逆に訊き返すと、エリルの頬にかっと朱が奔る。
「何で……一緒にお祭りで歓迎会したじゃない!」
「それとこれとは別だ」
冷然とエリルを見下ろし、レオンハルトは厳しい声で言葉を継いだ。
「戦争は始まっている。カルディアは今こうしている間にも、アルスタニアへ侵攻しようと準備を進めている。いざ戦になった時に後手に回らぬよう、僅かな可能性があるのならそれは潰しておくものだ」
「でも!」
エリルは尚も食い下がる。怒気を滲ませつつも、縋るようにレオンハルトを見上げる。
「カルディアとカトレアの同盟関係はただの噂でしょう?もし本当だったとしても、ティナが間諜だって確証は無いじゃない。エルが死ぬのを見通してたって言うけど、それも占い師なら普通にありそうじゃない。ティナが悪いことをしたって証拠はどこにも……」
「それをこれから調べるんだ」
レオンハルトは鋭くエリルの言葉を断ち切った。
「言っただろう、僅かな可能性も潰すと。例えデマだとしても、その根元……噂が流れた大元の原因は必ずある。それに、エルミアの死を予言したと言ったのは他ならぬ奴だ。お前、唯一の家族の死を見通し、しかもここまで隠していた奴を信用するのか?」
レオンハルトが目を眇めると、「それは……」とエリルは視線を泳がせた。しかし、すぐにレオンハルトに視線を戻す。
「例えそれでも、ティナがカルディアの間諜な訳ない!だって、収穫祭の時、楽しそうだったもん……」
ああ、確かに楽しそうだった。一瞬だけ見せた淡い笑顔を覚えている。
そしてそれを──美しいと思ったことも。
「演技だったらどうする?此方の情報が漏れ、戦況が不利に傾けば多くの人間が死ぬ。軍人も、戦とは無関係の民間人も」
自分でも驚く程に、冷えた声が出た。
「あいつ一人の命と、他の大勢の命とどちらが大切なんだ」
瞬間、裂けるような音が夜の街に響き渡った。
視界がぐらつくが、何とか倒れないように踏み留まる。口の中に血の味が流れた。
「……最低」
低い声に、思わず顔を上げる。
翡握った拳をわななかせ、エリルは涙を溜めながらも怒りに満ちた目でレオンハルトを見ていた。
「見損なったよ。レオンの馬鹿!」
そう叫ぶなり、エリルはレオンハルトに背を向けて走り去った。
「……」
レオンハルトはその小さな背中が遠ざかっていくのを黙って見ていた。が、やがて黒い外套が角を曲がって視界から消えると、力無く呟いた。
「覗きとは随分悪趣味だな、テオ」
「チッ、バレてたか」
すると、レオンハルトの背後の民家の影からテオが不満げな顔で現れた。
「何処から見ていた?」
「最初から。お前に声かけようとしたらエリルが怒ってたから見てたんだよ」
レオンハルトは溜息を吐いた。
「追わなくていいのか?」
「エリルを?」
「ああ。泣いていたのは解っただろう。行って慰めてやれば、お前に惚れるかもしれんぞ。ついでに俺の陰口でも叩いていれば万々歳だ」
レオンハルトが叩かれた頬を摩りながら言うと、成程、とテオは苦笑した。
「追わねえよ。つうか寧ろ、俺はお前の意見に賛成してるし」
テオはレオンハルトに手巾を差し出す。レオンハルトは礼を言って受け取りつつ、訝しさに眉を顰めた。
「意外だな。お前はエリルの肩を持つと思っていたぞ」
「卑屈になったよなぁ、お前。そりゃエリルの言うことも解るっちゃ解るが、それでも国のことだ。俺達一介の軍人が言うべきことじゃねえ。それに」
テオは一度言葉を切り、頭を掻いた。
「エリルの奴も、頭じゃお前の言うことは理解してると思うぜ。だが、性根がアレだからなぁ……友達大事にするのは良いが、要所要所で締めとかねえと後々キツくなるぜ。特に、今は戦時中だ。俺達は三十年前のリヴァレント海戦争を知らねえが、それでもこれからこの国は大勢殺すし殺されるってのは予想がつく。その時に、誰も敵視したくない殺したくないじゃ困るだろ?」
「一理ある」
レオンハルトはテオから借りた手巾で口元の血を拭った。未だに視界は揺れており、頬は断続的に熱を発している。どうやら、相当強く叩かれたらしい。相変わらずの馬鹿力だ。
「お前の悪口でも言い合って賛同して慰めるのは簡単だが、それだけがエリルの為って訳でもねえだろ」
テオは珍しく溜息と共に吐き出す。彼自身も思う所はあるようで、表情は暗い。
「お前、教師になったらどうだ。軍学校で子供に機械整備と戦闘を教えればいい」
半分は冗談だが、半分は本気だった。優秀で、優しさと厳しさを備えた明るい性格のテオは、きっと生徒に好かれる教官になるだろう。
「はっ、お前にしちゃ珍しい提案だな。まあでも、考えとくわ」
テオは薄く笑いながら民家の壁に背を預け、雲に覆われた夜空を見上げた。
見渡す家々に明かりは灯っていない。人も動物も通らず、静寂だけが月の光も無い暗澹とした夜の街に漂っている。
「俺としては、お前がエリルを殴り返すと思ってたんだがな」
テオがにやつきながら言った。レオンハルトはそれに対し渋面で返す。
「お前には俺が女に殴られたからと言って殴り返すような男に見えていたのか?」
「別に。ただ、戦いに男も女もねえって思ってそうだしよ」
「思っている。だがそれとこれとは別だ」
「紳士だな、お前」
「ただし相手がお前なら問答無用で殴り返していた」
「……前から思ってたけどお前やっぱり俺のこと嫌いだろ」
「付き合いが長すぎて、お前の顔は見飽きたと言うのが本音だ」
「冷たいねえ」
「言っていろ」
そんな取り留めもない会話を交わしながら、レオンハルトも同じように空を見上げる。
「初等部一年の頃だったか。そう考えると付き合い長いな、俺ら」
「全くだ。それから高等部一年であれだけ喧嘩したと言うのに、何故今お前と一緒にいるのかが理解出来ん」
軍学校──国立軍部士官養成学校では七つの時に入学してから初等部六年間、中・高等部三年間ずつの合計十二年間を過ごす。
レオンハルトとテオが出会ったのは一年生の時だ。きっかけも互いに忘れてしまったが、何故か自然と一緒にいるようになり、高等部一年の頃に三学年下で、当時中等部一年生だったエリルが加わって今に至る。
「一つ聞きたいんだがよ、お前、何であの時俺を殴ったんだ?」
「……は?」
唐突な問いに、レオンハルトは間の抜けた声を出した。
「いや、は?じゃねえよ。質問してんのは俺だ。何であの時、俺を殴ったのかって訊いてんだ」
呆れたように言うテオに対し、レオンハルトは記憶を辿りつつ答える。
「何でって……先に殴ってきたのはお前だっただろう。寧ろその質問は俺がするべきじゃないのか」
何故か急に殴られたから殴り返した。
レオンハルトにしてみれば、それ以外に理由など無かった。
「まあそうだな」
テオは壁に預けていた背を離し、レオンハルトに向けて指を弾いた。
ピン、と澄んだ音と共に宙に放られた何かをレオンハルトは地面に落ちる前に掴み取る。
開いた掌には、真新しい銀色の鍵が乗っている。
「お前、これは……」
意図を図りかねてテオを見遣ると、テオは周囲に視線を走らせてから小さく囁いた。
「警備隊詰所の十番地下牢の鍵だ。ティナが今入ってる牢屋だよ」
テオの言葉に、レオンハルトの肩がぴくりと震える。
「あいつが牢に入れられたその日の夜、牢鍵保管庫の整理してたんだ。だからさり気なく牢の番号聞いてコッソリ型取って合鍵作ったって訳だよ」
「何を考えている。立派な逃亡幇助だぞ」
レオンハルトは咎めるようにテオを睨んだ。対するテオは、へらへらと笑いながらその視線を流している。
「お前が黙ってりゃいいだけの話だろうが。第一俺は『あいつを助けろ』だなんて一言も言ってねえぞ。なのに『逃亡幇助』っておかしくねえ?そこは『規律違反』だろうがよ」
レオンハルトは開きかけた口を噤む。そんなレオンハルトを見て、テオはふんと鼻で笑った。
「ほら見ろ。何気にお前もティナを気にかけてたんだろ」
レオンハルトはただ黙って、手の上の鍵を見つめていた。銀色のそれは街灯の光に照らされ、淡い橙色に染まっている。
「それはお前が好きにしろよ。言っとくが、俺は別にエリルの肩を持ってるつもりはねえからな」
テオはそう言うと、外套を翻してレオンハルトに背を向けた。
「何故俺なんだ。あの女を助けたいならお前がやればいいだろう」
するとテオは、深い溜息と共に振り返った。
「俺が行くよりお前の方が上手くやれるだろ。それに……いや、それは良いわ」
テオは首を振って言葉を切った。
「訳が解らんぞ。俺にどうしろと言うんだ」
「アホか、それこそテメェで考えやがれボケ」
困惑するレオンハルトにかつて無い程冷たい声で吐き捨て、テオはさっさと歩き去ってしまった。
「──ああ、クソッ!」
悪態と共に手近な壁を殴りつける。手袋越しに伝わる鈍い痛みが責めているように感じられて、余計に苛立ちは増すばかりだ。
手の中にはティナの牢のものだと言う合鍵が握られている。ティナを捕縛したのは昨日だ。今頃は延々と取り調べが続いているか、本日分の聴取を終えて牢の中で休んでいるかのどちらかだろう。
肝が据わっているのは解るが、それでも尋問官達の過酷な取り調べに耐えられるかどうかはレオンハルトにも予想は出来ない。仮に耐えられたとしても、その次は拷問にかけられる可能性もある。
「……俺にどうしろと言うんだ」
レオンハルトはもう一度、テオに投げた問いを呟いた。
ティナの拘束は軍の命令だ。逆らうべくもない。よってテオの提案は下らんと一蹴して然るべきだ。
それなのに、鍵を投げ捨てようとは思えない。
頭の中で疑問符が吹き荒れている。
テオは別に、ティナを助けろとは言っていない。レオンハルトの考えに賛同していると言うのも事実だろう。ならば何故、鍵を作ってわざわざ自分に渡したのか。
レオンハルトの方が上手くやれると言っているが、実際に助けに行くとしたら衛兵を騙す、若しくは懐柔して牢への道を開けて貰うか、力尽くで倒して進むかの何れかの方法を取らなければならない。どちらを取っても困難を伴うことには変わりない。
何より、軍の命令で捕らえた人間を独断で連れ出すなど重大な規律違反であり、軍法会議にかけられて最悪の場合処刑されることもある。
特に今は戦時中だ。カルディアとカトレアの関係が疑われている今、カトレア国民のティナを泳がせておく訳にはいかない。
何もおかしいことはない。軍の命令に従っているだけだ、自分は正しい。
そう言い聞かせても、胸の中に飲み込めない靄がわだかまっている感覚が抜けない。
「……くそ」
レオンハルトは再び小さく悪態をつき、テオが歩いていった方向へと歩き始めた。
握り締めた鍵の無機質な固さが、何となくティナの無機物めいた瞳を思い出させた。
古めかしい木の机の上に、蝋燭の光が茫と暗闇に浮かび上がる。己の影がいやに大きく石造の壁に映り、炎に合わせてゆらゆらと揺れていた。
「……っ……」
ティナ・シュレンベルクは備えられた寝台に横たわり、小さく呻いた。
蹴られた腹に響く鈍い痛みを感じながらも、これから自分に降りかかるであろう出来事を推測していく。
昨日は口頭での尋問、今日はしびれを切らした尋問官に蹴られた。
知らぬ存ぜぬを貫いているのが悪い、と言われたが、カルディアとカトレアの関係については本当に何も知らないのだからどうしようもない。第一、もし知っていると言えば次に待っているのはそれこそ拷問の後の処刑だ。そんな最悪の自体だけは何としても避けたい。
ティナは自分の身体が拷問に耐えられるのか推測してみるが、二秒で無理だと言う結論を出す。結果、昨日から今日に至るまでと同じく知らぬ存ぜぬを通し、どうにかして逃げる算段を立てなければならない。
自分には目的がある。心底どうでもいいが、それを果たすまでは死ぬ訳にはいかない。
矢張り抵抗すれば良かったのだろうか。だが、彼らを率いていたレオンハルトは鈍いが馬鹿ではない。自分程度、直ぐに仲間と共に捕らえてしまったに違いない。
そこまで考えて、ティナは思考を止めた。
身体を横たえたまま、天井近くに設けられた格子付きの窓に視線を移す。
藍鉄色の雲に覆われ、月も星も見えはしない。
「此処で死ぬなら、所詮その程度……ということか」
そう囁きを漏らして、目を閉じたその時だった。
「随分と達観しているな。ティナ・シュレンベルク」
凛と張った低い声に、ティナは閉じた目を開いた。
身体を起こし、その方向を見る。
鉄格子の向こうに、ランタンを構えた男が立っていた。
背が高い。レオンハルトやテオも低くはないが、彼らよりも更に頭一つ分程はありそうだ。
ティナは目を細めて、蝋燭を手に鉄格子に近づく。ランタンの光と併せて、その姿が暗闇に茫と浮かび上がった。
アルスタニア帝国軍の黒い軍服に包まれた体躯は逞しい。肩幅は広く、鍛えられた胸板は厚い軍服の上からでも伺える。
年齢は三十前後だろうか。橙色の光を映す髪は混じり気のない黒で、後頭部で一つに纏められている。若くはあるが、血のような真紅の眼差しは他者の内面を射抜くように鋭く、近寄り難さと共に常に何かと相対しているかのような威厳に満ちている。
「まだ何かあるのかしら」
ティナは鉄格子越しに、その男を見上げた。男はティナを見下ろし、口を開いた。
「貴様がカルディアとの関係を否定していると聞いた。それは本当か?」
「本当よ。知らないのだから話せることも無い」
「成程。ではエルミア・オースディン中尉の死については?」
男は頷き、更に問いを重ねる。
「それは事実よ。本人にしか話していないのに、何処からか出回ったようだけど」
男はもう一度頷いた。
「カトレア共和国では、古来より魔術や特殊な占術の研究が行われていると聞く。それは現代に於いても変わらず、その技術は代々受け継がれているそうではないか。ならば貴様がオースディン中尉の死を予言できたとて何ら不思議では無い。軍部が疑っているのはカルディアとカトレアの同盟関係、そして貴様がカルディアから送り込まれた間諜であり、尚且つオースディン中尉の死を仕組んだのではないか、と言うことだ」
表情を変えずに淡々と説明される文言に、ティナもまた表情を変えずに返す。
「その言い方だと、貴方は私を疑っていないようにも聞こえる」
「ああ、俺はお前を疑っていない」
澱みないその返答に、ティナは僅かに眉を顰めた。
「もし仮に貴様がオースディン中尉の死を意図的に仕組んだとして、何故それを周囲にひけらかす必要がある?怪しまれたくなければ言わなければ良い話だろう」
「……」
あまりに単純な理屈に、ティナは呆れて溜息をつく。炎に照らされた軍服には勲章が光っているが、どうやら相当な馬鹿らしい。
「そんなに単純なものなのかしら。凡百策略の可能性を考えはしないの?」
「考えている。オースディン中尉の死の予言について肯定したのは貴様の英断であり、そして落ち度でもある。何故自ら怪しまれるようなことを言った?何か他に狙いがあるからだろう、とも俺は考えている」
それを聞いて、ティナは眼前の男への評価を改める。単純だと思っていたが、頭の中ではそれなりに考えているようだった。
「私が間諜である可能性は?」
「それは間違い無く無い。何故ならその必要は無いからだ」
男は力強く断言した。
ティナは身を強ばらせた。蝋燭の火が持ち主の動揺を表すように揺れる。
「……貴方、何を知っているの」
「無論、全てを」
男の瞳には偽りの気配は無い。ティナは続く言葉を待った。
「今から約二時間前、カルディア兵が国境近くのローグ村を占領したとの報告が入った。こちらの兵の被害数は調査中らしく未だ報告は上がっていないが、駐屯していた大隊を破ったとなると今後、新たな戦力を投下しなければならんだろう。これ以上遅れを取ってはならん」
男は表情を変えずに淡々と、しかし強く厳しい声で話す。だが、ティナが何も言わないのを見て小さく嘆息すると、踵を返した。
「では、いずれまた、ティナ・シュレンベルク」
「……待って」
ティナはやはり平坦な声で男に呼びかけた。
「名乗りなさい」
男が振り向く。ランタンの光が、真紅に光る瞳を映し出した。
「
それだけを言って、男の足音が遠ざかっていく。ランタンの光が、男の元で寂しげに揺れていた。
「……
ティナは呟く。そして、蝋燭を机の上に戻して再び寝台に身を投げ出す。
「……ああ」
瞼を閉じる。
格子越しの空に、星は無い。
真夜中の暗闇に乗じた奇襲を受け、一帯を警備していたアルスタニア帝国軍第八槍騎兵大隊、第九槍騎兵大隊が壊滅状態に追い込まれ、ローグ村が占領されたという報せは寮に届けられた朝刊に記されていた。
軍部からの情報によると、カルディアの部隊は更に早朝、夜明けと共にローグ村から南西にあるデネヴの街に向けて進軍を開始したという。
情報共有の名目で軍部に招集された後、テオはレオンハルトの部屋にやってきた。
「首都に攻めて来るのも時間の問題だよな」
テオは床に新聞を放り投げて呟いた。代わりにレオンハルトはアルスタニア帝国領の地図を広げる。
「ローグからデネヴに向かっているなら、その次はアルタイル、ベガ、イザール、メラクだろうな。これが首都へ向かう最短ルートだ」
レオンハルトは地図の上の街を指し示しながら言う。徐々に西南へと降るレオンハルトの指先を目で追いつつ、テオも口を開いた。
「向こうの軍を率いてるのはカインっつう将軍らしいぜ。『
「名前くらいは聞いたことがある」
噂では、槍を持たせれば一騎当千の猛将であると言われている。そんな男が率いる軍が、弱い筈が無い。
「総統はデネヴを切り捨ててアルタイルの街でカルディア軍を迎え撃つってよ。全く、この非常事態に総統閣下は相も変わらず出て来ねえってどういうことだ」
テオが忌々しげに舌打ちし、レオンハルトを見た。
「レオン、どう思う」
「……狙い通りに行けば良いな」
既にデネヴ、そしてアルタイルの街の住人の避難は始まっている。首都では緊急の宿泊施設が設けられ、朝から避難民の受け入れ準備が進んでいた。
「汽車が整備されて良かったな。この分だと、始発でコッチに向かってくる奴等は今日の夕方には首都に着けるぜ」
「そうなったら、またこの辺りは一層賑やかになるな」
そんな賑やかさは要らんが、とレオンハルトは毒づく。テオは膝の上で頬杖をつきながら、そんなレオンハルトを見つめていた。
「で、お前、どうするか決めたのかよ?」
「何をだ?」
「つまんねえ反応すんなや、解ってんだろ」
呆れたテオの表情に、レオンハルトは小さく溜息を吐いた。
「さあな」
「またテメェはそうやって……鍵は?」
「……捨てた」
「嘘つけ」
テオは顔を顰めた。
「お前のことはよく解ってんだよ、何年一緒に居ると思ってんだ、馬鹿が」
「お前よりは賢いつもりだが」
レオンハルトは壁に凭れた。
「あんま迷ってる暇は無えぞ。何せ明後日には軍本部に連行されるらしいからな。そうなったらもう連れ戻せねえ。あそこは警備が厳しすぎる」
「解っている」
レオンハルトを見つめるテオの目は真剣そのものだ。だからこそ、レオンハルトは安易な返答が出来ないでいる。
首都に居る自分に、戦場や占領された村の様子は解らない。一般的な知識を総動員して想像することは出来るが、だからこそ現状が目に見えない状態で行動を起こすのは躊躇われる。
『見えないものに対して不安を感じるのは当たり前』
以前、ティナが言っていた言葉が耳に蘇った。
「明後日、か……」
レオンハルトは呟いた。深い溜息が漏れる。
「エリルはどうしている?」
レオンハルトは溜息と共に話題を変えた。するとテオは、一瞬の逡巡の後に口を開いた。
「明日の正午、志願兵が出兵するらしい。それに志願してきたってよ」
レオンハルトは思わず息を呑んだ。
「馬鹿な……何故エリルが!?」
腰を浮かせてテオに詰め寄る。テオは「知るか!」と叫んだ。
「俺だって止めたっつの!けど、言い出したら聞かねえだろ、あいつ。ったく、戦場がどんだけ過酷なのかホントに解ってんのかあの糞餓鬼……!」
苛立ったように顔を覆ったテオを見て、レオンハルトは立ち上がった。
「おい、止めに行くつもりか。やめとけやめとけ。今喧嘩してんだからお前が行っちゃ逆効果だ。」
「それでも何も言わないよりはマシだろう」
言いながらも、レオンハルトもテオと同じことを考えていた。把手に伸ばしかけた手が止まる。
「……だから俺も行くぜ。あいつを一人には出来ねえ」
振り向いたレオンハルトの視線の先で、テオは俯いて自嘲気味に笑う。
「俺だって、戦場がどんなモンかは資料くらいでしか見たことねえ。カルディア軍はとんでもなく強いっつうし、コッチの軍部の様子も何か変だ。ぶっちゃけた話、嫌な予感しかしねえよ。『自分が死ぬかも』っていう次元の不安じゃねえ。上手く言えねえけど、何か別の、もっとデカい何かが動いてるような……でも、あの
くつくつと笑いながらも、テオの声は、泣きだしそうに震えていた。
「
それでも俺はそうしたい、とテオは小さく、だがはっきりと呟いた。
「……いや」
レオンハルトは軽く頭を振った。
「お前は正しいよ」
テオが顔を上げる。レオンハルトは「エリルと話してくる」とだけ告げて部屋を出た。
テオから何も訊かずに出てきたことを後悔したが、商店街に出るとすぐにその後ろ姿を見つけることが出来た。
「エリル」
レオンハルトの声に、エリルは華奢な肩を揺らして振り返った。
「お前──」
「ごめんなさい!」
レオンハルトの言葉を遮り、エリルは勢いよく頭を下げた。
「……昨日、最低なんて言ってごめんなさい。仕事だもんね、仕方ないよね。それなのに、私……本当に、ごめんなさい」
小さな声で話すエリルの姿はまさに叱られた子供のようだ。
予想外の言葉に面食らったレオンハルトは暫くエリルを眺めていたが、やがて溜息と共に言った。
「顔を上げろ」
エリルは恐る恐るレオンハルトを見上げる。その頭に、レオンハルトは容赦無く拳骨を落とした。
「いったあ!?いきなり何するの!?」
「昨日殴られた仕返しだ。これで平等だな」
「な、殴ってないもん!叩いただけだもん!」
「そう思っているのは恐らくお前だけだ。お前はもう少し自分の力の強さを考えるべきだと知れ」
「それはレオンも同じでしょ!?」
「俺は男だから良いんだ」
「訳わかんない!」
二人は暫く埒もない討論を繰り広げていたが、互いに罵倒する言葉が尽きたところでレオンハルトは切り出した。
「前線部隊に志願してきたらしいな」
エリルは無言で頷いた。
「エルミアの仇討ちか?」
「違うよ」
エリルは静かに首を振る。
「確かにエルを殺したのは許せない。でもそれ以上に私、知りたいんだ。エルがあの日、何を見て、何を知って死んでいったのか。だから私、行くよ。平隊員だから簡単に採用してくれたし、テオも一緒に行ってくれるし」
エリルの瞳は、どこまでも真摯に澄んでいた。
「私は狙撃部隊で、テオは遊撃部隊に配属されたんだ。元々得意なことが違うから配属先が違うのも知ってた筈なのに、テオってば一緒に行くって言って聞かなかったんだよ?私が何かしでかしそうで怖いんだってさ。失礼だよねえ」
思い出しておかしくなったのか、エリルはクスクスと笑う。
それは違う、あいつはお前が好きだから、せめて一緒に居たいと思っているんだ──
そう言いたいのをぐっと堪えて、レオンハルトは言葉を返す。
「一理あるな。馬鹿をやらかして放逐されては三番隊の名を落としかねない。本来なら俺も一緒に行きたい程だ」
「何でレオンまでそんな失礼なこと言うのよ!第一、レオンは分隊長だから志願兵にはなれないでしょ?」
首都警備隊は帝国軍傘下にあるものの、実働隊としてはほぼ独立している隊として見られている。よって隊員は有事の際に一定数志願兵として戦場に出ることが許されるが、司令官と各隊の分隊長は万一敵軍が攻め込んで来た時、防衛部隊を指揮する為に首都に留まることを強制される。
エリルは寂しげに眉を下げて笑う。
「エルが死んで、カルディアとの戦争が始まるって聞いた時にはもう決めてたの。……帰ってきた時に、レオンとテオと、それとティナが居れば良いなって思ってた。誰も欠けて欲しくなかった……のかな。だから、昨日レオンがティナを捕まえたって聞いた時に、頭が真っ白になっちゃって……」
好きな人達が居なくなるのは悲しいから、とエリルは呟く。
「ティナね、いつもあんな服着てるけど、意外と身だしなみにはうるさいんだよ?あの無表情でこの色がいい、でもこれは嫌だ……って。何度か一緒に服飾店には行ったけど、女の子なんだなって思ったんだ」
思い出を振り返るように、エリルは目を細める。
「私やっぱり、ティナがカルディアの間諜だなんて思えない。──前線で戦果を挙げれば、昇進出来るし勲章だって貰えるでしょ?そうすれば、ティナを助けて貰えるように軍本部に頼み込むことだって出来る。勿論、それがどれだけ難しいかは解ってるし、間に合わずにティナが殺されちゃうかもしれない。
でも今の私じゃ何を言っても本部の人は耳を貸してくれないし、司令官にも捕らえた人をどうこうする権限は無い。
本当は凄く怖いよ。戦うのは怖いし、死ぬのも痛いのも嫌だ。この手で人を殺すのもとても怖い。でも、だからって、何もせずにいるのはもう嫌なんだ」
エリルは震える拳を握り、決意に満ちた目でレオンハルトを見つめる。
何も知らず、出来ず、ただ妹の死を眺める結果となったエリルの内心は推し量るに余る。だが、何もしないのは嫌だと言う心だけは理解出来た。
「……そうだな」
レオンハルトは目を伏せて頷いた。
「しっかりやれよ、お前やテオが不祥事を起こせば俺が責任を問われる可能性が高い」
「ちょっと、それどういうこと?そんな心配要りませんー」
不満げに頬を膨らませて睨むエリルの視線に気付かない振りをしつつ、レオンハルトは踵を返す。
「せめて此処での仕事は終わらせてから行けよ。今日の夕方には地方の街からの避難民が着く予定だ。気を抜かずに誘導に励め」
「了解しました、隊長!」
エリルの元気な返事と軽快な足音を背に、レオンハルトは小さく微笑んで歩き出した。
翌朝の正午、太陽が高く上る時間の首都の大通りは、戦場に赴く志願兵を含む遊撃部隊五百名と狙撃部隊三十名を見送る者達で溢れかえっていた。
昨日迎え入れたデネヴとアルタイルの住民も加わり、人口密度だけで言えば祭りの時よりも増えている。
しかし皆一様に、不安げな表情を浮かべている。泣きながら夫に抱き締められている妻も居た。
見送る視線に笑顔は無い。戦場へと赴く兵士達は、対照的に笑っている。
国の為に戦えるという名誉に笑っているのか、それとも見送る家族、恋人を安心させようと無理をしているのか、レオンハルトには検討もつかない。
「お前、相変わらず辛気臭ぇ顔してんな」
テオは開口一番、へらへらと笑いながらレオンハルトをつついた。
「この空気で俺が笑っていたらおかしいだろう」
「レオンは冷たいからねえ、空気が読めないんだよ」
「この状況で空気が読めていないのはお前達だ」
エリルも同じように笑っている。テオは長剣を背負い、エリルはライフル銃を肩にかけている。
不安に満ちたざわめきの中で、軽口を叩き合っているのはレオンハルト達だけだった。他にもいるのかもしれないが、見渡す限りではそうとしか見えない。
レオンハルトは真剣な目で言った。
「解っているなお前達。くれぐれも不祥事を起こすなよ」
「心配するのはそこかよ!?」
「ありえない!テオはともかく私は信用出来るでしょ!?」
二人の非難を軽く流し、レオンハルトは腕を組んだ。
「テオ、帰ったら飲むぞ。付き合え」
「はっ、良いじゃねえか、上等な
「ねえ、私は?」
笑って答えたレオンハルトに、エリルが不満げに訊いた。
「まあ、一杯だけなら許してやらんことも無い」
レオンハルトが答えると、エリルは「やったあ!」と両手を挙げて笑った。
「頭の硬いお前にしちゃあ珍しいな」
「五月蝿い。触るな」
テオはニヤつきながらレオンハルトの背中を叩いた。
「ノイバート中尉、オースディン曹長!そろそろ出発だ、列に並べ!」
上官らしき軍服の男から声がかかり、二人は「了解!」と敬礼してからレオンハルトに向き直った。
「そろそろ行かなきゃ。レオン、こっちは宜しくね」
「ああ」
見上げるエリルに短く返す。
「俺らがいなくて寂しいだろうが、我慢しろよ?」
「寂しくなどない。寧ろ静かになって嬉しい限りだ」
テオには冷えた声音で返してやる。「照れ屋が」とテオはけらけらと笑った。
「早く来い!」
再び声がかかり、テオとエリルは慌てた様子で顔を見合わせた。
「じゃあ行ってくるね、約束忘れないでよー!」
エリルは大きく手を振りながら駆け出す。
「ああ。──帰ってきたら四人で飲むぞ」
既に人混みに紛れたエリルにその声は届いているかは解らない。が、テオはそれを聞いて満足そうに笑った。
「はっ、まあせいぜい頑張れや」
テオはひらりと片手を振って遊撃部隊の方へと走っていく。
「──死ぬなよ」
明日もまた会うかのような気楽さで別れた二人の友人に、もうその声は届いていないだろう。しかし、何故だか届いていると確信できる。
「──さて」
出征の喇叭と共に、隊列が進みは始める。天秤を模した国章の旗がはためく。
レオンハルトはその行軍をちらりと見ると、外套を翻して人混みを縫うように走り出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます