Ⅸ 理性と感情

 エルミアの葬儀は、彼女の家でもある街外れの教会でひっそりと行われた。



「父なる神よ。どうか彼女を罪の鎖から解き放ち、永遠の安息を与え耐えざる光で照らし給え」

 晴れた空の下、小ぢんまりとした教会の中庭に、ギムレットの鎮魂が重々しく響く。

 葬儀はギムレットの元、生前の彼女と親しい者達のみで執り行われた。その代わり、献花台の上には葬儀に招かれなかった多くの友人達から送られた白百合の花が飾られていた。

「……エルミア……」

 葬儀に招かれたレオンハルトは、献花台にまた白百合を重ねた。

 棺の中で目を閉じた彼女の顔は、まるで昼寝でもしているかのように安らかで、今にも起きて呑気に欠伸でもしそうだった。

「……カルディアから宣戦布告がなされた。これから戦争になる。此奴はそれを知っていたのかもしれない」

 カルディアからの宣戦布告が発表された時、首都では理由なき宣告に対する徹底抗戦を表明する者達が集まり、大規模な集会が開かれた。

 レオンハルトはそっと出発前夜を回想する。

 あの時に行くなと言っていれば、何かが変わったのだろうか。言っても、何を馬鹿なと一蹴されて終わったかもしれない。

「……どう思う。テオ」

 レオンハルトは隣に立つテオに問う。テオは「かもな」と頷いた。

 思えば祭りのあの日から、エルミアは何かを隠していた。諜報部だったエルミアは自分達の知らない事実も多く知っていただろう。カルディア兵に殺されたのは、単に宣戦布告に際する生贄の他に口封じという理由も否めない。

 ならば、自分はこれからどうするべきか。カルディアとの戦争に向けて────

 そこまで考えて、友人が死んだと言うのに冷静に状況を分析している自分の脳に嫌気がさした。

「……レオンハルト君の考えていることは解ります。そして、恐らく合っているでしょう。エルミアは時折帰って来ると、何か思い詰めたような表情をしていました。私やエリルが訊いても、関係無い、訊くな、とばかり言って……それが、こんなことに……」

 ギムレットの言葉は続かなかった。声を詰まらせ、目元を手で覆う。

 エルミアとエリルは赤子の頃、教会の前に置き去りにされていたらしい。それをギムレットは引き取り、名前を与えて育てた。彼にとってエリルとエルミアは、実の娘と言っても過言では無い。

「……エリルは?」

 レオンハルトは、この場に最も居るべき人物でありながら、この場に居ない死者の片割れの名を出した。

「来てねえな。まあ、そっとしといてやろうや」

 テオが頭を掻きながら言う。その顔に普段の楽しげな笑みは無く、ただ沈痛な面持ちでじっと同胞が眠る棺を見つめていた。

 その時、中庭と教会の建物を結ぶ扉が軋んだ音を立てて開いた。現れたのは、ある意味この場に相応しい人物だった。

「エリル……」

 テオが呟く。エリルはそれを無視して、すたすたと棺に向かって歩く。

 胸に抱えていたのは白百合ではなく、青い薔薇だったのをレオンハルトは見た。

 エリルは献花台の白百合の上に青薔薇の花束をそっと重ねる。

 そして、棺に向かって囁いた。

「……お疲れ様」

 慈愛に満ちたその響きが、レオンハルトの耳にも確かに届いていた。

「レオン、テオ。……神父様」

 エリルはレオンハルトとテオを振り返る。

 その瞳に、涙は無かった。

「私、戦うよ。カルディアが攻めてきても、絶対にこの国は守り抜く」

 エリルは腰の剣に手を添え、厳しい眼差しではっきりと告げる。

 そこに居たのはかつての歳不相応な幼さを見せる少女では無く、決意を宿した一人の軍人だった。

「ああ、俺もだ。自分の国を好き勝手にされて堪るかってな」

 テオは静かに拳を握り締める。

「……そうだな」

 レオンハルトはただ、静かに頷いた。

「元よりそれが仕事だ。今こそ俺達の責務を果たす時だろう」

 空虚な内心に反し、口は言葉を紡ぐ。

 何かが確実に変わっていく。今まで過ごしてきた平穏な日常が、少しずつ崩れていく音が聞こえる。穏やかな青空さえもが、作り物めいて見える。

 白百合の上に添えられた薔薇の青さが、いやに目に焼き付いていた。



「辛気臭い顔で人の家に来ないで貰えるかしら、レオンハルト」

 葬儀を終えた夕刻、レオンハルトはティナの家を訪ねていた。

 例の壁一面に紙が貼られ吊るされた部屋で、二人用のテーブルを挟んで向かい合う。心做しか、前回よりも増えている気がする。

 ティナはレオンハルトの前に紅茶のカップを置いて冷ややかに言った。

「カルディアからの宣戦布告が恐ろしいのかしら」

 ティナがレオンハルトの向かいに座る。レオンハルトは溜息を吐いた。

「エルミアが死んだ。戦死だ」

 ティナは目を大きく見開いた。

 しかし、すぐに元の無表情に戻って「そう」と呟いた。

「お前、この件について何か解るか?」

「貴方、占いは信じないのでは無かったの?」

 レオンハルトは憮然と腕を組んだ。

「事態が事態だ」

「成程」

 ティナは頷いた。

「オースディン中尉とは仲が良かったの?」

「まあな。過ごす時間が長かったのはエリルだが、エルミアとは気が合った」

 お前と話すのも悪くは無かった──あの言葉が、レオンハルトの耳に蘇った。

 それはレオンハルトも同じだった。だが、もう二度と彼女と話すことは出来ない。

「つまり貴方は、それなりに親しかった友人が死んで悲しいのに、頭の中ではこれからの自分がやるべきことを淡々と考えていることに対して自己嫌悪を抱いている、と」

 レオンハルトの肩がピクリと揺れた。

「貴方の顔を見れば解る。別に愧じることでは無いわ。人は追い詰められると却って冷静になるものよ。私が気に食わないのは、自分で考えるのが嫌になったからと言って、人に、しかも自分が信じていないものに頼るその無様」

 淡々と喋りながらも、ティナの視線は心做しか非難の色を帯びている。

 図星だった。

「すまない」

 レオンハルトは素直に頭を下げた。対してティナは表情も無くレオンハルトを見つめた。

「それで、貴方はどうするの?」

 純粋とも取れるその問いに、レオンハルトは静かに首を振る。

「わからん。軍部の指示次第だな」

「それもそうか。なら質問を変えましょう。貴方はどうしたい?」

 ティナは自分の傍に置いていたカップに口をつけた。レオンハルトも真似をして紅茶を啜る。

 甘い香りが口の中に広がる。身体の内から疲れが癒えてゆくような感覚に、知らず溜息が漏れた。

「カルディアが攻めて来るなら守るだけだ」

 カップをソーサーに戻すと、陶器が触れ合う音が静かな部屋に響いた。

「そうね。首都までカルディアが攻めてこないことを祈るわ」

「ああ、祈っていろ。今日は随分とよく喋るじゃないか。お前も不安なのか?」

 口数が増えているような気がする。平静を装いながら、内心ではティナも不安を感じているのだろうか。

 そう考えたが、レオンハルトはすぐに後悔した。

「いいえ、貴方が落ち込んでいるからいい気味だと思ったまでよ。頭の硬い軍人は、少しくらい理性と感情の食い違いを経験して苦しむと良いわ」

「……」

 レオンハルトは苦々しく黙り込んだ。

「惚れた?」

 小首を傾げて投げかけられたその問いに、レオンハルトは「は?」と目を丸くした。

「エリルが言っていた。落ち込んでいる男は慰めてくれる女に簡単に惚れる、と」

 当然のように言うティナに、レオンハルトは眉間を押さえた。

「今のが慰めとは、俺はお前の中でどんなマゾ野郎になっているんだ?」

「襲撃者は迎え撃って当然でしょう?」

「誰が襲撃者だ」

 レオンハルトはテーブルに両手を着いて立ち上がった。

「あら、帰るの?」

「帰る。お前と話していると疲れる」

「失礼ね」

 言いつつも、ティナは引き留める気配を見せない。

「悪かったな、突然来て。……正直、例のお前の言葉が耳から離れなくてな。お前のカードが導き出した結果を鵜呑みにしている訳では無いが、お前なら同じ方法でこの国の行方を占えると思ったんだ」

 レオンハルトは自嘲するように言う。情けないな、と内心で溜息を吐いた。

 そんなレオンハルトの心を見透かしているのかいないのか、ティナは淡々と言葉を紡ぐ。

「カルディアの目的は見えない。見えない物に対して不安を感じるのは当たり前。そもそも占い師とは、そう言った人々の不安につけ込んで金を儲ける商人だから」

「……それはどうなんだ、お前」

 レオンハルトが苦い顔で訊くと、ティナは悪びれる素振りすら無く「占い師だって生きる為に金が要る」と真っ直ぐにレオンハルトを見つめた。

「先のことは誰も解らない。だから、星を読みカードを捲って明日への手掛かりを掴もうとする。占い師とはつまり、臆病者なのよ。明日が見えないのは当然で、見えないものに対する恐怖も生きている限り付き纏う。なのに、それを許容出来ない。だから占術へと足を踏み入れる……」

 ティナはふと、何かを思い起こすように虚空を見つめた。何処か遠い場所を眺めるように、無機質な表情が一層虚ろさを増す。

「……どうしたの。帰らないの?」

 ティナはぼんやりと宙を眺めながら、声だけをレオンハルトに向けた。

「あ、ああ……」

 少々面食らいながらも、レオンハルトはティナに背を向け背後の扉に手を掛ける。

「またな、占い師。何があるかは解らない。用心しておけよ」

 そう言うと、ティナは視線をレオンハルトに向けた。

「肝に銘じておくわ。それと、エリルに宜しく。オースディン中尉には世話になった、とね。……じきに、そうも言っていられなくなるのだろうけれど」

 ティナの瞳が、黙祷するように伏せられた。

「……ああ、言っておく。ありがとう」

 レオンハルトは手を振り、扉を開いて夜闇の路地裏へと滑り出た。



 路地裏から出ると、レオンハルトは空を見上げた。

 日はすっかり暮れ、家々の灯りは消えている。秋の夜は肌寒く、日が落ちるのも早い。膨らみかけた明るい月が、濁った光でレオンハルトを冷たく照らしていた。その周囲に、小さな星々が宝石を散らしたように雲のない闇を彩っていた。

「そう言えば、明日は満月か……」

 ふと、遠い昔に誰かから聞いた話が脳裏に蘇った。

 人は死んだら星になる、と。

 夜空の星は無数の人々の命の煌めきだと言う。地上での役目を終えた人々が、次は星となって輝きながら次の世代を見守っている──

 レオンハルトはふっと自嘲的に笑みを漏らした。昔は迷信だと切り捨てた考えだが、今は無意識にそんな迷信に縋りたくなっているらしい。それほどまでにエルミアは大きな存在だったのだと、レオンハルトは漸く気付いた。

「……だが悪いな、エルミア。お前を悼むのはまた後だ」

 レオンハルトは夜空に向けて呟いた。

 もしエルミアがこの空の何処かにいるのなら──いや、いると信じて、レオンハルトは語りかける。

「まだ頭がついて行かない部分はあるが、この国とお前の姉は守ってやる。だから、なあ、エルミア」

 応える者は無い。そう知っていても、レオンハルトは告げずには居られなかった。

「俺達を見守っていてくれ」

 冷えた風が外套を揺らす。

 姿は見えずとも、声は聞けずとも見守ってくれている。

 亡き友と己自身に向けた誓いは、夜の空へと吸い込まれていった。



 翌朝、軍部に招集されていたヴェルザードからカルディア王国についての資料が首都警備隊に配られた。

 カルディア王国では近年、鉄などの鉱山資源の採掘量が減っており、鉄道や船などが開発途中のままで放置されることが増えたと言う。今回のアルスタニアへの宣戦布告は、帝国が有する多くの鉱山を狙ったものだと断定された。

 それを鑑みて、アルスタニア帝国軍本隊は国境付近の鉱山に軍を配備すると言うのが、レオンハルトが資料で見た全てだった。

 そして、レオンハルトはヴェルザードから口頭である命令を言い渡される。



 三番隊の部下を三人程伴い、レオンハルトは薄暗い路地裏を歩いていた。目的地は決まっている。

 空は昨夜とは一転し、鈍色の雲に覆われていた。あまりにも近く見えるそれに、落ちてきそうだと頭の片隅で思う。

 目的地に辿り着き、レオンハルトは足を止めた。

「突き当たりの家……間違い無いですね」

 部下の一人が地図と目の前の家を見比べながら言った。

 レオンハルトは唇を引き結んで背後の部下達に目配せをする。彼等が頷くのを見て、妙に新しい木製の扉を叩いた。

 程なく、この家の住人が姿を現した。

「……賑やかね」

 扉から顔だけを出した状態で、ティナはレオンハルトの背後に控える部下達を眺め、それから視線をレオンハルトに向けた。

 淡々とした物言いも、無感動な琥珀の瞳も何一つ昨夜と変わっていない。

 レオンハルトは外套の内側から一枚の書状を取り出した。

「カルディア王国とカトレア共和国との同盟関係が疑われている。よって総統閣下の命により、ティナ・シュレンベルク。間諜の容疑で貴様を拘束する」

 読み上げた書状をティナの眼前に突きつける。対してティナは、別段動揺するでもなく、緩く首を傾げた。

「私がこちらに移った時期が近すぎるから、か。成程、妥当ね。でも、それだけで?」

「いや、それだけでは無い」

 寧ろ、レオンハルト達にとっては総統閣下から下されたカトレアからの移住民の拘束命令は建前だった。本題は別の所にある。

 レオンハルトは書状をしまい、息を吐いた。そして、低く問い掛ける。

「……一部で、エルミアの死をお前が予言したと言う噂が流れている。それについてはどうなんだ」

 レオンハルトは占いを信じていない。非科学的で、妄想的とさえ思っている。そしてそれは、エルミアも同じだった。

 占いで人間の生死が判る筈が無い。そうだろうだから否と言え──

「ええ、そうよ」

 だが、ティナはレオンハルトの淡い望みを一言であっけなく打ち砕いた。

「……そうか」

 荒れ狂う疑問と疑念に反して、口から出た言葉は驚く程に静かだった。

「捕らえろ」

 レオンハルトはそれだけを言ってティナに背を向けた。すぐに部下達が縄で彼女の手首と身体を拘束し始める。

 ちらりと振り返るが、ティナは特に抵抗するでも無く、何処か茫洋としながらされるがままに拘束されている。

 その時、僅かに開いた扉から覗く部屋の中に、昨夜まで一面に貼られ吊るされていた紙の類が一枚も残っていないのを確認した。

 ドクン、とレオンハルトの心臓が大きく波打つ。

「隊長、行きましょう」

 部下に促され、レオンハルトは「ああ」と頷いて歩き始めた。

 目を背けた背後で、扉が軋みながら閉まる音が聞こえた。

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