二章 開戦篇

Ⅷ 蠕動

 アルスタニア帝国・首都アリエス

 無事に収穫祭を終え、一段落した首都警備隊の元に、一通の書類が届けられた。

 首都警備隊本部の司令官執務室でそれを受け取ったルベルト・ヴェルザードは、複雑な表情で唸る。

「こいつはまた……」

 それに対し、直立不動で口を開いたのは第四槍騎兵隊に所属するエルミア・オースディン中尉だ。

「調べた結果、解った事実は二つ。一つ目は、レオンハルト・ヴァルフレア三番隊分隊長を襲ったのはサラスディン出身の傭兵だったと言うこと。二つ目は、彼がカルディア王国の誰かに雇われた存在であること」

 レーヴェ大陸には、中心のレムルス共和国を囲んで四つの国家が存在している。

 東には過去に戦火を交えたサラスディン連邦。

 南には商人が多く集まるノルカルド商業国連邦。

 北には封建制が残るカルディア王国。

 そして西に、軍事帝国であるアルスタニア。

「カルディアとの国境に駐屯している北西防衛部隊に確認した所、確かに収穫祭前日に首都行きの許可証を取ったサラスディン国民の記録がありました。ごく普通の旅人の身なりで、祭りに参加しに行くと言っていたので許可を出したようです。サラスディン連邦政府からの出立許可証、及びカルディア王国の通行許可証も偽装ではなかったとのことです」

 エルミアの説明に、ヴェルザードは眉間を指で押さえた。

「厄介な案件だな……その本人はどうなった?」

「口の中に毒を隠していたようで、先の二つを喋った後に自殺しました。我々の不徳の致すところです」

 エルミアは唇を噛んだ。

「……すると何故、その二つは喋ったんだろうな?」

 ヴェルザードが問うが、エルミアは首を横に振る。

「解りません。普通、傭兵や暗殺者は口が固く、依頼人については絶対に喋らない筈です。我々を混乱させる為の狂言である可能性も否めません。何故標的がヴァルフレア中尉だったのかも気になります。いずれも、今となっては確かめようの無いことも事実ですが……」

 ヴェルザードは顎に指を当てた。窓から入る陽光が、傷の刻まれた彼の顔に陰影を作っていた。

「……レオンハルトは俺の部下だ。一度致死毒を用いて攻撃してきた以上、誰かに命を狙われている可能性が高い。あいつが狙われた理由を突き止めんと、他の連中まで狙われるかもしれん」

「私怨である可能性も考慮して、念の為諜報部が秘密裏に彼の周辺を探っています。ですが、未だ有益な情報は見つかりません。そもそも、彼を殺したところでこちらの軍に痛手を与えられる訳ではありません。分隊長が一人死んでも替えが利くこと位下手人も承知でしょう。襲撃の理由、及び犯人の特定は難しいかと」

 あくまで事務的に淡々と言葉を紡ぐエルミアを、ヴェルザードはじろりと睨んだ。

「お前、自分の友人を『替えが利く』存在だと思っているのか?」

 え?とエルミアが虚を衝かれたように声を上げた。

「それは……そうでしょう。確か彼は有能ですが、分隊長としてならノイバート中尉でも申し分無いかと。人数の補充も本部で問題無く行えます」

 戸惑ったように説明するエルミアを見て、ヴェルザードは深く溜息を吐いた。

「お前も大概頭が硬いな。そんな意味じゃ無いわい。お前にとってレオンハルトは、友人として替えが利く存在か、と訊いているんだ」

「いや……利く訳ないじゃないですか!」

 エルミアは目上の人間の前にも関わらず、叩きつけるように放った。翡翠色の瞳が、鋭く尖る。

「ならそう言うことだ。……エルミア、その心、忘れるなよ」

 ヴェルザードは満足げに笑う。あ、とエルミアは抜けたような声を出した。

「今日のところはこれで良い。ご苦労だった、エルミア。引き続き調査を頼む」

 ヴェルザードが報告書を机に置き、エルミアは「はっ!」と表情を引き締めて敬礼し、踵を返した。

「健闘を祈る、オースディン中尉」

 去っていくその背中に、ヴェルザードは小さく声をかけた。

 無人の執務室に、その声はよく響く。把手を回して扉を開いたエルミアは振り返り、ニッと歯を見せて笑った。

「私を誰だと思ってるんですか、ヴェルザード卿。あのギムレット将軍の娘っすよ?」

 そう言って今度こそエルミアの背中は、扉の外へと消えた。



「おいレオン、今日の新聞見たかよ?」

 収穫祭から一週間後の正午を過ぎた巡回中、テオは地面に落ちていた新聞紙を拾い上げて言った。

「見た。例え見なくても街中で話題になっているから解る」

 レオンハルトはテオの手から新聞紙を受け取り、今朝も隊寮に届けられたそれを改めて眺める。

 表紙の一面を使って報道されているのは、収穫祭期間中に発見されたカルディア王国から送り込まれた刺客と、それによる国交断絶についてだった。

「レオンを襲ったのがこのカルディアの誰かに刺客だったって話だろ?彼処の国と仲悪かったか?」

「いや、寧ろ良好だった筈だ。だが何れにせよ、五十年以上続いたカルディアとの国交を断つは些か早計だと思うがな。総統閣下や宰相殿が襲われたのならともかく、一介の警備隊分隊長、しかも雇ったのがカルディアの誰かと言うだけで国家規模の陰謀であったかどうかも判然としていない。安全面では得策だとは思うが……」

 商店街で店を構える人々の間では、朝からその話でもちきりである。祭りの時期に刺客が紛れ込んでいたことに対する驚きは一様だったが、レオンハルトと同じように早計であると不審感を抱く者も多く、住人だけでなく軍内部からも事態の釈明を求める声が相次いでいる。レオンハルトとテオも、つい先程説明しろと怒鳴られたばかりである。

「ま、旦那や息子が仕事でアッチに出てるって奴も多いし、不安になる気持ちは解るが生憎と俺達の管轄外だ。考えたって仕方ねえよ。つか、お前自分が襲われてこうなってんのに冷静だな」

 テオが若干呆れたように言うと、レオンハルトは「そうか?」と気のない返事をする。

「俺のせいでこうなっている訳では無い。悪いのはその依頼主とやらだろう。まあ、いとも簡単に殺されかけた俺も俺だが」

 あの時、ティナに助けられなければ死んでいた。それは紛れも無い事実だ。

 そこまで考えたところで、収穫祭以来ティナと会っていないことを思い出した。

「テオ、あの占い師はどうしている?」

 急に話題を変えられたテオは「何だよ、急に」と眉を顰めたが、すぐに答えた。

「今朝見たぜ。歩いてるのを見かけたから声掛けてみたら、『ちょっと興味深いことになってきたから別の占術を試してみる』っつってたな」

「カルディアとの国交断絶が興味深い、か?呑気だな」

「だよなぁ。あいつ、あのままじゃ故郷くにに帰れねえってのに」

 ティナの故郷だと言うカトレア共和国はレーヴェ大陸の北に位置する島国で、移動手段は当然船以外にない。しかし、レーヴェ大陸からカトレア共和国に向かう船は現在カルディア王国から月に一度だけ出ている定期便しかない。このまま国交が断絶されたまま、人々の行き来が出来なければティナはカトレア共和国に帰ることが出来ないのだ。

「故郷に愛着が無いのかもしれんな。もしくは知識欲の方が勝っているか」

「はっ、言えてらァ。何せあんな部屋で考え事してるっつうもんな。ありゃどうせ二階も同じ有様だろうさ」

 面白がるような口調のテオに、それは違ったぞ、と言いかけて口を噤む。

 人の部屋の中など軽々しく他人に話すものでは無い。

「ま、何にせよ早く落ち着くことを願っておこうぜ。これ以上仕事を増やされるのは御免だしな」

「全くだ」

 レオンハルトは新聞紙を外套の内側に仕舞い、歩き出したテオの後ろ姿に続いた。


 混乱と不安が渦巻いてはいるものの、夕刻に巡回を終えた分には何一つ異常など無く、レオンハルトは買出しに行くと言うテオと別れて一人、隊寮への道を辿っていた。

 収穫祭の時期ほどでは無いにせよ、夕食の買出しに出ている住人で通りは賑わっている。だが、彼らの間に普段の夕飯時に見られる笑顔は無く、代わりに不安と疑念を漂わせる表情でひそひそと言葉を交わし合っている。

 何も知らない子供達だけが、日が落ちるのを惜しむように駆け回っては笑い声を上げていた。

 沈みかけた西日の緋色がいやに眩しく、レオンハルトは軍帽の鍔を下げた。

「街の様子が変わったのが嫌なのかしら」

 背後から掛けられた平坦な声に、無言で振り向く。

 ティナ・シュレンベルクが、硝子玉めいた瞳で相変わらず無感情にレオンハルトを見ていた。出会った時と同じ、黒いローブを身につけている。

「……別に」

「そう」

 二人の間に沈黙が降りる。

 ただ、人々の囁き声が黄昏の光に溶けていく。さざめくような静寂に、レオンハルトは堪らず口を開いた。

「お前はどうするんだ?」

 平静を装って帽子を上げる。

「今のままではカトレアに帰れないだろう」

「そうね」

 ティナは即答する。夕日に照らされ、ティナの白い頬に微かに紅が差しているように見えた。

「帰れなくても良い。別に私、カトレアが好きな訳ではないし」

 ティナの表情から真意は読めない。ただ強がっているだけなのか、本当に帰れなくても気にしないのか。

 レオンハルトは話題を変えてみた。

「アルスタニアはどうだ?」

「普通。カトレアよりは温かくて過ごしやすい」

 またもティナは即答した。

「貴方はこの国が好き?」

 ティナの問いに、レオンハルトは少し考えて答えた。

「別に嫌いでは無い。でなければ今こうして帝国軍の軍服を着てなどいない」

 言ってみて、レオンハルトは己の中途半端な思考に辟易する。

 好きかと言われれば、何故か好きだと断言出来ない。その証拠に、軍学校の卒業式で仲間達と共にアルスタニア帝国に忠誠を誓うと宣言した時も、波風を立てぬように周囲に合わせて発言することしか考えていなかった。一方で嫌いかと言われれば、それは違うと断言出来る。

「……そう」

 ティナの瞳がレオンハルトから逸れ、空に向けられた。いつの間にか日は殆ど地平線の彼方に沈み、子供達の笑い声も大人達の議論も聞こえなくなっていた。

 何処からか響いた犬の遠吠えが、星が瞬き始めた群青色の空に吸い込まれて消えた。

「もう遅い。送っていくから帰れ」

 ティナは再びレオンハルトに目を向ける。夜闇に翳る瞳が一度瞬いた。

「紳士ね。それとも送り狼が狙いかしら」

 呟かれたその言葉に、レオンハルトは些かむっとして言い返した。

「警備隊としても男としても夜に女を一人にしないのは常識だ」

「冗談よ。行きましょう」

 ふいと視線を逸らしたティナが、固まったレオンハルトに構わず歩き始めた。

「どうしの?」

 ティナが振り向く。レオンハルトは我に返り、いや、と口篭る。

「お前も冗談を言うのか、と思っただけだ」

 それを聞いてティナは口を閉じる。が、ややあって

「人間だから」

 小さくそれだけを呟いて、再び歩き始めた。

 レオンハルトはその夜風に靡く黒髪を追い越さぬよう、歩幅を小さく保ちながら歩を進めた。


「……そう言えばお前、この一週間は何をしていたんだ?」

 歩きながら、レオンハルトはティナに訊いた。

 日はすっかり落ち、進んでいく毎に少しずつ明かりは減っていく。

「勉強と、買い出し。この街では星の廻りも周期もカトレアとはまるで違う。正確に読めるようにならなければいけないから」

「星を読む、か。旅人が星を目印に方角を決めていたようにか?」

 ティナは頷いた。

「カードで占うのが私は好きだし、結果が本人の目に見えるから信頼もされやすいけれど、本職は星を読む占星術師だから」

 風が吹き、ティナの黒髪とレオンハルトの外套が揺れる。

 路地裏に入った時、レオンハルトの目に橙色の光が飛び込んできた。一瞬だけ視界が白み、すぐに慣れてが何かを理解する。

「……こんばんは、オースディン中尉」

 ティナが呼び、ランタンを持ったエルミアが「よお」と気さくに片手を挙げた。彼女の銀髪が、ランタンに照らされて橙色に染まっていた。

「レオンハルトも一緒なのかよ?もしかして送り狼になるつもりかよ?」

「お前には俺がそんな男に見えていたのか?」

「だから、冗談だよ!相変わらず頭の硬い野郎だな!」

 真顔で訊き返すと、エルミアはあからさまに嫌そうな顔をした。

「俺のことはどうでもいい。お前は此処で何をしていたんだ?」

 レオンハルトも負けじと渋面になって訊く。

「ああ、エリと喧嘩して追い出されたから此奴の家に転がりこもうかなって」

「不法侵入でもする予定だったのかしら。軍人でしょう、貴女」

 軽々しくティナを指差しエルミアに、彼女は冷ややかな視線を向けた。

「喧嘩ってお前……」

 レオンハルトは呆れて溜息を吐く。

 エリルも以前、エルミアと喧嘩をして行く宛が無いからと隊寮にあるレオンハルトの部屋にテオと共に転がり込んで来た。矢張り姉妹と言うべきか、行き先は違えど考える事は同じであるようだ。

「喧嘩?何故?」

 ティナが問うと、エルミアは苦笑して頭を掻いた。

「いや、明日の朝にカルディアとの国境に警備に行くんだが、それを言うの忘れててよ。さっき思い出してエリに話したらすげー怒られて。さっさと行っちゃえ、て追い出された訳よ」

 その言葉を聞いた時、レオンハルトの脳裏で何かが揺れた。

「どういうことだ、それは」

 思わずエルミアに詰め寄る。

 エルミアは溜息混じりに話し始めた。

「元々、お前を襲ったのがカルディアの奴だって解った時点で国境の警備を強化する案は出てたらしいんだよ。だけど総統閣下がすぐに国交の断絶を決めたから否応も無くなった。地方じゃコッチの首都で働けないからって、カルディア王国に自分や家族が出稼ぎに出てる奴もいる。国交断絶の理由が国際情勢の悪化だって証明する為にも、本隊の国境出兵は都合が良いんだろ」

「それは貴女の隊だけ?確か、第四槍騎兵中隊だったかしら?」

 エルミアは「取り敢えずはな」と頷いた。

「エリは危ないだの何だのと喚いてたが、まあ別に戦争しに行く訳じゃねえんだ。騒ぐ必要なんざねえよ」

「だが……」

 苦い表情のレオンハルトに、エルミアは「大丈夫だよ」とからからと笑う。

「ま、お前とこうして話す時間も悪くは無かったからそう出来なくなるのは少し寂しいとは思うがな」

 気楽そうに笑いつつ、エルミアはレオンハルトにランタンを押し付けた。

「助かる」

「良いって。あでも、悪いと思うなら後で私も送ってくれよ」

「断る。俺を襲った男を素手で捕らえた女に付き添いは要らんだろう」

「お前、女に向かってそれはどうなんだよ……なぁ、ティナ」

 同意を求めるようにエルミアの視線がティナに向いた。

「そうね。頭が硬い上に鈍いから」

 ティナは目を伏せて即答した。

「お前ら……」

 元からそう言われることはよくあったが、最近は特に悪口ばかりを吐かれている気がする。

「はは!違いないね」

 エルミアは陽気に笑いつつ踵を返した。

「じゃあな、レオンハルト、ティナ。怪我すんなよ」

「するか」

「しないわ。ご心配なく」

 二人が断言すると、エルミアは「頼もしいねぇ」と呟きつつ、右手をひらひらと振りながら歩き去っていく。

「お前こそ気をつけろよ」

 遠ざかり闇に紛れていく華奢な軍服の背中に声を投げると、エルミアは振り向かないままに無言でもう一度手を振った。

「……大変だな、あいつも」

 レオンハルトがぽつりと呟く。

 エルミアの言う通り、戦いに行く訳では無い。だが、情勢の変化が余りにも急すぎる。ましてカルディアとの国境だ。何があるかは解らない。

「……そう思うなら、祈るといい。彼女が黎明に導かれることを」

 ティナはそう呟いて、再び自分の家の方向に歩き始めた。レオンハルトは慌ててランタンを持って彼女の隣に並ぶ。

 ティナは、それから家に着いてレオンハルトに礼を言うまでは口を開かなかった。



 翌日、エルミア達第四槍騎兵中隊は首都の住人達に見送られながらカルディアとの国境付近に位置するローグ村へと旅立って行った。見送りにはティナの姿もあったのをレオンハルトは見たが、相変わらず彼女の表情に感情らしいものは浮かんでいなかった。

 エリルがテオと共に心配そうに見ていたが、エルミアは昨晩と同じく気楽な笑みで肩を叩き、彼女を元気づけていた。



 それが、レオンハルトがエルミアを見た最後だった。



 第四槍騎兵が国境に出兵した四日後、ヴェルザードを通してレオンハルト達の元に届けられたのはエルミア・オースディン槍騎兵隊中尉の戦死報告書だった。


 そしてその屍を以て、カルディア王国からアルスタニア軍事帝国に対して宣戦が布告されたのだった。

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