Ⅶ 収穫祭-後編

「レーーオーーンーー!!」

「五月蝿い」

「ごはぁっ!?」

 茜色の残光が徐々にその色を地平線へと隠し、青藍色の空が少しずつその色を濃くしていく。

 西通りの服飾店の前ですることも無く立っていたレオンハルトは、飛び掛かってきたテオに裏拳を叩き込んで黙らせる。

「おお……元気そうで何よりだぜ……致死毒にやられてたって聞いてたから心配してたのに……」

「そうか。それは迷惑をかけたな」

 鼻血を拭いつつ呻きながら言うテオに、レオンハルトは素っ気なく放つ。テオは裏拳の衝撃で吹き飛んだ軍帽を拾い上げた。

「つか、お前は此処で何してんだよ?恋人でも待ってんのか?」

「馬鹿かお前は。エリルとあの占い師を待っているだけだ。全く、何故こうも女の買い物は長いんだろうな」

 レオンハルトは舌打ちをしつつ、エリルがティナを連れて消えた服飾店の扉を睨む。幾つもの店を回り、途中に寄り道を交えながら見つけたこの店に二人が入ってからもう一時間が経とうとしている。

 テオはレオンハルトの文句を聞いてからからと笑った。

「はは、お前解ってねえなあ。女は男みたいに『使えりゃ何でも良い』って考えは持ってねえんだよ」

「そうそう。お前は女の扱いを知るべきだ」

 突如割り込んだ第三者の声に、レオンハルトとテオはぎょっとして声の出元を見る。

 涼しげに切りそろえられた銀髪に、翡翠色の瞳。外套を身につけない軍服に、胸には帝国軍中尉の勲章──エルミア・オースディンが不敵な笑みを浮かべて立っていた。

「よお、レオンハルト。身体の調子はどうだよ?」

 腕を組んで見上げるエルミアに、レオンハルトは軽く手を上げてみせる。

「ああ、問題はない。お前が運んでくれたと占い師から聞いた。世話を掛けたな」

「はっ、良いんだよ。嗚呼、お前を襲った男に関しては聞くな。守秘義務ってヤツがあるからな。一つ、違う国の奴とだけ言っておく」

「……またそれか。俺は被害者だぞ」

 レオンハルトは目を眇めた。

「俺もそれはどうかと思うけどなぁ」

 テオも頭を掻きつつ眉を顰める。対してエルミアは盛大に溜息を吐きつつ頭を掻いた。

「……もうすぐ軍部に情報が行き渡るからそれまで待てよ」

 投げやりな返事にレオンハルトとテオは顔を見合わせる。丁度その時、「おまたせー!」と元気な声と共にエリルとティナが姿を現した。

「あれ?テオとエルも居るんだ!ほら、ティナさん」

 エリルが自分の背に隠れていたティナの腕を引いて、レオンハルト達の前に立たせた。

 その姿に、レオンハルト達は総じて息を呑んだ。

 ティナは黒地の袖の無いドレスを着ていた。右側に入ったスリットからは腿の黒いレースが覗き、足元にはヒールのブーツを履いている。左胸元には赤い薔薇のコサージュが飾られ、ドレス全体に巻き付くように葡萄の蔓を象った金色の刺繍があしらわれていた。

 髪は緩く纏められ、薄く化粧までしている。

 全体的に黒で纏められ、華美とは言い難い。が、それが逆に彫刻めいたティナの美しさを全面に引き出している。

「何よ皆して。何か言ってよ」

 エリルがむっと唇を尖らせる。言葉を失った三人の中で、最初に口を開いたのはエルミアだった。

「いや、あんまり似合ってるもんだから……」

 それを聞いて、ティナは小さく「ありがとう」と呟いた。しかし、表情は変わらない。

「良いんじゃねえのか。なあ、レオン」

 テオもそう言ってレオンハルトを肘でつつく。

「……そうだな」

 レオンハルトは目を逸らして頷く。ティナの姿は夜に沈みゆく街の中によく映えていて、ともすると見惚れてしまいそうだった。事実、傍を通る住人はちらちらとティナに視線を向けている。

「もう、レオンったらつまんないの」

 むう、と拗ねた表情をするエリルを無視し、レオンハルトは「それより」と口を開いた。

「これからどうするんだ?」

 すると、テオがすかさず言った。

「宴の準備」

「宴?」

 疑問の声を上げたのはティナだ。それに対し、エリルが説明する。

「収穫祭の二日目の夜はね、中央広場に木の机や椅子を並べて皆でお酒を飲んで騒ぐんです。冬も元気に過ごせますように、て感じで。ティナさんも一緒にどうですか?ねえ皆、良いでしょう?」

「ま、祭りを楽しみたいってなら断る理由はねえだろ」

「……そうだな」

 エリルが振り返ると、テオとレオンハルトは頷いた。

「なら今から場所も取っとかねえと座れなくなるぞ」

「嗚呼、じゃあ俺が……」

「いや、その必要は無い」

 席を取ってくる、と身を翻そうとしたレオンハルトを、野太い男の声が呼び止めた。

 その姿を見て、ティナ以外の全員が瞠目した。

 齢は四十後半程。この場の誰よりも立派に鍛え上げられた体躯にはアルスタニア帝国軍の軍服を纏い、胸には少将の勲章を掲げた壮年の男性だ。彫りが深く厳しい顔立ちに刻まれた幾つもの傷痕は、彼が過ごしてきた戦の苛烈さを物語っている。

 ルベルト・ヴェルザード。首都警備隊全体を統括する司令官であり、レオンハルト達の直属の上官にしてリヴァレント海戦争で功績を上げたギムレットの副官である名将の一人だ。

「お疲れ様です、司令官!」

「お疲れ様です!」

「お、お疲れ様です!」

「お疲れ様です、ヴェルザード卿!」

 レオンハルトに続き、テオとエリル、そしてエルミアが一斉に踵を揃えて敬礼する。ヴェルザードは「そう硬くなるな」と手をやんわりと振った。

「レオンハルト、もう身体は大丈夫か?」

「はい。彼女のお陰で、何とか」

「そうか。ならば良し。正体の知れない下手人を単独で深追いするなと何度も教えたろう。今回は命拾いしたが、次もあるとは思うな。解ったか」

「……は。申し訳ありません」

 厳しいヴェルザードの声に、レオンハルトは深く頭を下げる。ヴェルザードは軽く頷いてから、ティナへと目を向けた。

「部下が世話になったな。アルスタニアの生活には慣れたか?」

「ええ、お陰様で。引越しの際、レムルスからここまで、貴方とオースディン中尉にはお世話になりました。ありがとうございます」

 ティナが優雅に一礼すると、ヴェルザードとエルミアが互いに顔を見合わせた。

「住人を助けるのは軍人の務めだ。気になさるな、ミス・シュレンベルク」

 強面の軍人はそうして、五人を見回しす。

「さっきの話だが、実は席なら警備隊員の分はもう取ってある。だから心配は要らない。エルミアにミス・シュレンベルク。君達の席もある。祭りの締めだ、仲間と共に存分に楽しむと良い」

 ヴェルザードは軽く口元に笑みを浮かべた。普段は厳しいことで有名な彼だが、同時に部下思いであることもレオンハルト達は知っている。年に一度の祭りを、気兼ねなく楽しめるようにしてくれているのだろう。

「やったあ!ありがとうございます、司令官!」

「うえい!ヴェルザード卿やるじゃないっすか!」

「太っ腹!」

 オースディン姉妹とテオからの賞賛に、羽目を外し過ぎないようにしろよ、とだけ釘を指してヴェルザードは早足に広場へと歩いていった。

 もう日は沈んでいる。松明とランタンが太陽の代わりに街を照らし、祭りは終盤を迎える──。



 建国の祖であるシャルハタ王の銅像を中心に、祭りに集まった幾十もの男女がジョッキを片手に笑い声を上げていた。酒と料理の匂いが漂い、給仕の娘達が忙しく走り回りながらも席で酒を酌み交わしている者達と談笑している。

 秋の夜だと言うのに熱気が満ち、寒さはまるで感じない。

「嗚呼、皆さんいらっしゃいましたか。こちらですよ」

 銅像に近い場所に据えられた六人がけのテーブルの隅の席に一人で座っていた僧衣の男が、レオンハルト達を見つけて手を振った。

「あ、神父様!」

「神父さん、来てたのか!」

 エリルとエルミアが駆け寄り、エリルは隣に、エルミアはギムレットの正面にすかさず陣取った。

「悪いな神父さん、場所確保しといて貰っちまって」

 帽子を軽く取って挨拶しつつテオがエリルの隣に座り、レオンハルトがその向かいに腰を下ろす。ティナはレオンハルトとエルミアの間の席についた。

「良いのですよ。しかし皆さん遅いので心配していました。ヴェルザードから話は聞きましたよ。レオンハルト君、身体は大丈夫ですか?」

 気遣わしげなギムレットに、レオンハルトは軽く片手を挙げて「大丈夫です、心配お掛けしました」と頷いた。

「そういやレオン、昨日言ってた香草ハーブの串肉だが、ばっちり頼んどいたぜ」

 テオが親指を立てる。レオンハルトは「でかした」と同じように親指を立てた。

「すみません、彼が頼んでいた香草ハーブの串肉と適当に肉料理、それと麦酒ビールと葡萄ソーダを三つずつお願いします」

「ティナさんはお酒、呑むんですか?」

 ギムレットが給仕の娘に告げた注文を聞いたエリルが問うと、ティナは緩く頭を振った。

「この国では飲酒は二十歳からでしょう。私、まだ十八だし」

「……は!?」

「嘘だろ!?」

 レオンハルトとテオは揃って声を上げた。

「そんなに老けて見えるかしら」

 対して、ティナは鉄壁の無表情で微かに首を傾けるだけだった。

 一方で、エルミアとギムレットは知っていたのか動じていない。

「……老けてと言うより、いつも見ている十八歳がこれだからな」

 レオンハルトはエリルに目を向ける。エリルはそんなことより、目の前の占い師が自分と同じ歳だと言う事実が嬉しいらしく、腰を浮かしてティナの手を取った。

「こんな美人さんが私と同い年なんて……カトレアの女の子は美人って聞くけれど、ホントのことだったんですね!あの、良かったらティナって呼んでいい?」

 エリルが照れ臭そうにそう訊くと、ティナは少々面食らったように視線をさまよわせ、それから小さな声で「良いわよ」と言った。

「やったあ!これからよろしくね、ティナ!」

 花が咲くようにエリルの表情が綻ぶ。それを見て、エルミアも釣られて口元を緩めた。

「……宜しく」

 ティナが頷くと、項に掛かった後れ毛がふわりと揺れた。

「……何」

「別に」

 無感動な視線を向けられ、レオンハルトは知らず、見つめていたティナの横顔から目を背ける。

「いや、お前絶対ティナのこと見てたろ。あ、俺もティナって呼んで良いか?」

 ついでのようにテオが言うと、ティナは「誰でも好きに呼んで」と素っ気なく返事をした。

「なら私も、ティナさんと呼ばせて頂きましょう」

「んじゃ私もティナって呼ぶわ」

 ギムレットとエルミアも口々に言う。

「レオン、絶対にティナのこと見てたでしょ?興味無いフリしながら、本当は美人に弱いんだぁ」

「俗に言う……ムッツリ、て奴か?」

 ニヤニヤと下卑た笑みと共に迫るテオとエリルの二人に「そんなものじゃない」と眉間に皺を寄せつつレオンハルトは憮然と腕を組む。

「確かにこの女の今の姿を綺麗だと思っていたのは事実だ。俺は評価すべき物には正当な評価を下す」

 美しいと見惚れた──など思われたくない。「なんつう頑固頭だ」「浪漫が無い」等と口々に浴びせられる罵倒にティナがふんと鼻で笑った気配を感じ、レオンハルトは思わず隣を見下ろした。

「良い様ね、レオンハルト」

「……」

 何故ここまで理不尽に罵られなければならないのだろう、と流石に心が荒んでくる。助けを乞うようにギムレットを見るが、彼は「若いですねぇ」と和やかに笑っているだけだ。

 宴の喧騒の一つが自分の悪口など、たまったものではない。真剣に帰ってやろうかと考えた。

「まあまあ。彼はそんな気性なのですよ。それよりも、皆さん昨日の号外新聞は見ましたか」

 レオンハルトの恨めしげな視線を受けて、ギムレットがやんわりと話題を変えた。それまでレオンハルトの悪口で盛り上がっていた四人は「ああ」と頷いた。

「あの意味が、私にはよく解らなかったのだけど」

「俺もわかんねえよ」

 外国から来たばかりのティナは当然だが、レオンハルト達も解っていないのが現実である。

「私、建国神話が思い浮かんだよ。黎明の光、てところで」

 エリルが言うと、エルミアが頷いた。

「『黎明の楔』伝説だな。私もそれを思い浮かべた」

 古来、このアルスタニアの大地は永遠に夜が明けない寒冷と不毛の地であり、人々は寒さと飢えに脅かされながら暮らしていたと言う。

 その常夜の大地に、一人の青年が降り立った。

 青年が携えていた剣を空に振り翳し、そして唱える。

『見よ、慈悲深き砦に住まう神々よ。これよりは我が命により、この大地に恵みを齎し給え』

 青年がその剣を大地に突き立てると、その剣はまさに太陽の如き眩い光を発し、人々の目を覆っていく。

 そして光が止んだ頃、荒れ果てた大地に座り込んだ民が見たのは夜明けの明星、黎明を告げる光だった──

 以後人々は青年が持つ剣を『黎明の楔』と呼び、青年を自分達の救世主、黎明の王と崇める。

 この青年こそが初代アルスタニア国王、シャルハタだ。当初は王国だったが、後世になって他国との戦争が激化し、王自らが軍を指揮し戦場を駆けるようになってからは王国は『軍事帝国』に変わり、国王も総統と名を変え、直径の子孫が戦死して王家の血筋が途絶えてからは選挙と勝負によって総統を決めるようになった。

「そう言えば、そんな話もあったな」

 レオンハルトがすぐ傍に立つシャルハタの銅像を見遣りつつ呟く。奇跡によって国を救ったシャルハタは、どんな思いで民の崇敬の元国王となったのか。そして、軍事帝国へと姿を変えたこの国をどう思うのか──と、様々な考えが頭を過ぎる。

「それ、国民的にはどうなんだよ……」

 テオが呆れたように息を吐いた。

「まあ、神話だからねぇ。信じる信じないな人の自由だろう」

「でも、黎明の王ってとっても浪漫があっていいよね」

 エルミアは気のない反応を返すが、エリルはうっとりと呟いた。

 レオンハルトとしては、ティナに妙な占いの結果を突きつけられたばかりなので話題にしたくない神話だったのだが、隣を見るとティナは矢張り表情を変えずにテオ達の話を聞いていた。

 丁度その時、頼んでいた麦酒ビールと葡萄ソーダ、そして焼きたての肉料理達が運ばれてきた。なんと、それを運んできたのはヴェルザードだった。

「おやおやヴェルザード。給仕に転職ですか?」

 放心しているレオンハルト達をよそに、ギムレットは揶揄うように笑う。

「そんなんじゃないわい。ただ、今夜はそこの占い師の歓迎会も兼ねようと思っておってな。俺も同席しに来たんだ」

 酒と料理を並べ、一つだけ空いていた椅子を引っ張ってヴェルザードはギムレットの傍に腰を下ろした。

「ふふ、成程。どうやらそういうことらしいですよ?皆さん」

 楽しげなギムレットとヴェルザードに、五人は顔を見合わせた。が、すぐにテオとオースディン姉妹がああ、と得心がいったように笑顔を浮かべた。

 レオンハルトもやれやれと溜息を吐きつつ、隣のティナを見下ろした。

「だ、そうだ。良かったな」

 ティナは困惑したようにレオンハルトとテオ達を交互に見ていたが、やがてごく小さな声で「ありがとう」と頭を下げた。

「さあ皆さん。各々ジョッキをお持ちなさい。この宴を以て、今年の祭りを締めましょう」

 ギムレットに促され、レオンハルト達はグラスを手に取る。

「ティナ・シュレンベルクを歓迎して」

 正面のテオに釣られ、レオンハルトは自然に口元を綻ばせていた。ティナはちらりとそんなレオンハルトを見遣り、すぐに逸らす。

「今年の冬も、元気に過ごせますように!」

 エリルも明るい笑顔を咲かせている。

 ギムレットもエルミアも笑っていた。この時、ティナの唇に淡い微笑が浮かんでいるのをレオンハルトは見逃さなかった。


 嗚呼、美しいなと、レオンハルトは心の中で素直に賞賛した。


「生きとし生ける我らに、黎明の祝福があらんことを」



「「「乾杯!!」」」



 満月が見守る夜の喧騒に、七つのグラスをぶつける音が高らかに響く。

 祭りの終幕を惜しむように、夜明けまで広場から笑い声が絶えることは無かった。

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