Ⅴ 収穫祭-前編

 秋晴れの青い空に、小さな花火が打ち上げられる音が高らかに鳴り響く。

 お世辞にも広いと言えない商店街の通りにはアルスタニア中の人間が行き来し、軒を連ねる数々の店では各々が腕によりを掛けてつくった料理や装飾品、日用雑貨などを並べ隣の店には負けまいと客引きを行っている。

 酒と程よく焦げた肉の匂いが鼻腔を擽り、騒がしい笑い声と熱気が家々に飾られた旗や風船を揺らしていく。

 収穫祭である。

「去年より人が増えてるねぇ」

 エリルが道の端に置かれた木箱に登り、人混みを見渡しながら言った。

「そりゃあな。近頃は首都から離れた場所の線路や駅も整備されて汽車も増えたし、金も昔程かからなくなったって言うしよ」

 テオの答えにふうん、と納得したのかどうか判別がつかない返事をしたエリルだが、すぐに「あ!」と目を輝かせた。

「コルダおばさんのパン屋さんがシュークリーム売ってる!ちょっと買ってくるね!」

 箱から飛び降りて軽やかに人混みに混じっていくエリルの背中に向けて、レオンハルトはざわめきに掻き消されないように声を張り上げた。

「それを買ったら見回りに行くのを忘れるなよ!お前は西通り方面だからな!」

 エリルは振り向かぬまま片手を挙げて応える。

「全く……まあ無理も無いか」

 エリルはまだ十八だ。仕事よりも遊びたい気持ちが強いのだろう。

「良いじゃねえか。エルミアよりも可愛げあるぜ。あいつは餓鬼の癖に仕事一筋っつって女の餓鬼らしい無邪気さがねえ」

「優秀で真面目だからな、エルミアは。ちなみに俺は二十歳を過ぎてもそんな頭の悪い餓鬼か遊び人のように上から目線で餓鬼らしさを語るお前はよりは、常に大人然として内面を磨いているエルミアの方が数倍マシだと思うが」

「……レオン、前から思ってたんだがお前、俺のこと嫌いなのかよ?」

「いいや?俺はただお前の頭の造りを心配しているだけだ」

「喧嘩売ってんのかコラァ!」

「そんな事より、早く巡回に行くぞ。俺達は東通りだ」

 喚くテオを促すように、レオンハルトは外套を翻して談笑する子供の脇をすり抜けた。


 レオンハルト達三番隊の管轄は首都中心の商店街になっている。祭りの期間中は最も店が集まる場所で、担当していれば隠れて自由に買い食いが出来る。その為、警備隊の隊員達は毎年恒例の管轄振り分けのくじ引きで商店街を引き当てるように隊長に祈る。今年、部下の祈り通りに運良く商店街の警備を引き当てたのは三番隊隊長のレオンハルトだった。

 季節の花で鮮やかに彩られた通りをレオンハルトとテオは並んで歩く。

「警備隊の兄ちゃん達!腹が減ってたら力も出ねえだろ、持ってけ!」

「おお!良いのか!?」

「おい、テオ」

 禿頭の男性が呼ぶ声にそちらへ駆け寄るテオを静止するが、彼はその程度意に介す男ではない。

「いいってことよ!アンタ達は何時も街を守ってくれてるからな、奢りだ!」

「はは、アリガトよ、おっさん」

 人の良い笑みを浮かべる男性から串に刺さった肉を二本受け取ったテオは、その内の一本を齧りながらもう一本をレオンハルトに差し出した。

「仕事中だぞ」

「堅いこと言うなって。これ旨えぞ」

 そう言ってさっさと歩き出すテオを横目に、捨てる訳にも行かないので仕方なくレオンハルトも渡された串肉に齧り付く。

 油がよく乗っており、柔らかく弾力のある歯応えと香草ハーブの爽やかな風味が空腹を誘う。成程、確かにテオの言う通り、これは旨い。

麦酒ビールによく合いそうだな。仕事が終わったら買い占めておけよ」

「了解、隊長!つかお前も食ってんじゃねえか」

「捨てるのは勿体無いだろう」

 食べ終えた串を備えられた屑箱に放り込み、レオンハルトとテオはそんな会話を交しながら街の中を歩いていく。


 これと言って異常は無く、レオンハルトとテオの担当区域では酔った男達の喧嘩を止めただけに終わった。

 何も無いに越したことは無い、と、三番隊の集合場所に指定していた中央の噴水広場に向かっていた所だった。

「おや、レオンハルト君にテオ君じゃないですか」

 振り向くとそこには、茶色の髪を肩で切り揃て結び、僧衣を纏った男が立っていた。首元には銀のロザリオが光っている。

 ノルド・ギムレット──エリルとエルミアの養父にして、首都郊外の教会で神父として暮らしている男だ。そろそろ五十に届く年齢で、皺の刻まれた顔は神父らしい柔和な笑みを浮かべている。だが、その僧衣の下は凡夫とは比べ物にならない程に鍛えられているのをレオンハルトとテオは知っている。

「久し振りじゃねえか、神父さん!また老けたな」

「いやいや、全くその通りですよ。近頃は腰が痛くてしょうがない」

 テオの軽口に、ギムレットは肩を竦めて苦笑する。

「エルミアの予定は知りませんが、エリルは夕方まで警備の仕事があります。会うならその後の方がゆっくりと話が出来るかと」

「ええ、そうします。ご丁寧にありがとう、レオンハルト君」

 ギムレットは行き交う人混みを見渡して目を細めた。

「随分と賑やかになりましたねぇ。私が君達位の歳の頃は戦争の真っ最中でしたから、首都とは言えどもこうして賑やかに催し物など出来ませんでした」

「……リヴァレント海戦争……ですか」

「確か、三十年前だったか。神父さんが活躍したっつう」

 レオンハルトの言葉に、テオも思い出すように言う。

 今から三十年前、レーヴェ大陸を治める五国の一国、アルスタニアからレムリア共和国を挟んで西に位置するサラスディン連邦が、南側のリヴァレント海を通って突如アルスタニアに攻め込んだ。アルスタニアの豊富な鉱山資源を狙ったものと見られ、当時の帝国軍総統は徹底抗戦を表明したが、アルスタニアの海軍は規模が小さく、瞬く間に蹂躙され一時は港町の占領を許してしまったと言う。

 そんな中、帝国軍陸戦第八中隊は暗闇の中敵陣に爆弾を投げ入れ、その混乱に乗じて敵を殲滅し、街を奪還すると言う荒業を成功させた。更にその間に別動隊が陸から敵艦を砲撃し、陽動を用いた暗闇での巧みな白兵戦によって多大な痛手を与えてこれを撃退したと歴史は伝えている。

 その時に隊長を務めていたのがこのギムレットであり、軍を退役した現在も彼と彼の仲間達は国中の男児の尊敬と憧憬を集めてやまない。

 が、当のギムレットは首を振ってそれを否定する。

「殺す術に長けていても、誇れるものはありません。本当に大切なのは、人を殺す刃ではなく、守る刃なのです。私は貴方達に、戦争など経験して欲しくない」

 慈愛に満ちた眼差しを向けられ、テオは居心地が悪そうに頭を掻く。レオンハルトは何をするでも言うでもなく、ただギムレットの話を聞いていた。

「辛気臭い話をしてしまいましたね。申し訳ない。今日は我が娘達の他にも会う予定の人が沢山居ます。そろそろ私は御暇させて頂きましょう」

 ギムレットは自嘲するように小さく微笑む。

「では、また暇な時にでも教会に遊びに来て下さい。これからもエリルとエルミアを宜しくお願いします。今日と明日、二日限りの祭りが、貴方達にとって良い日でありますように」

 恭しく一礼し、ギムレットは二人の横をすり抜けた。そのまま、レオンハルト達の目的地とは真逆の方向へと歩き出す。

「またなー、神父さん!祭り楽しんでけよー!」

「エリルに伝えておきます。良い一日を」

 テオは大きく手を振り、レオンハルトは軽く一礼する。ギムレットは一度振り向き、テオと同じように手を振って再び背を向けた。

「いやあ、良い人だよなぁ、神父さん。とてもリヴァレント海戦争で敵に爆弾投げまくった人とは思えねえ」

「全くだ。あの人に育てられたと言うのに、何故エルミアがあんなに刺々しい性格に育ったのか疑問に思えて来る」

 テオの言葉に、レオンハルトも深く同意する。と言っても、レオンハルトからしてみれば、遠慮容赦無く思ったことを言い、価値観も似通っているエルミアが付き合いやすい人間であることは事実ではあるのだが。



 集合場所である商店街の中央広場には、既に三番隊の他の隊員が到着していた。

「全員集まっているな。報告を聞かせて欲しい」

 レオンハルトが三番隊の総勢二十人を見回すと、部下達が口を開く。

「西側、異常ありませんでした!」

「北側も同じく。特に何も」

「南側も、異常はありません」

 レオンハルトは順番になされるそれぞれの報告を手帳に書き留めていく。

 結果、何処にも異常は見られなかったということになった。

「何も無かったようで何よりだ。皆御苦労。司令官への報告は俺がしておくから、後は各々好きにすればいい。ただし、軍服の着用は絶対だ。何か異常を見つけたら、報告を怠らぬように。そこに軍の人間が居ると言うだけで防げる悪事はある。各々、警備隊員としての責務を忘れないように。解ったな」

「「了解!」」

 踵を揃えて敬礼した部下達を見回し、レオンハルトは息を吐いた。

「年に一度の祭りだ。まあ、羽目を外し過ぎないように。それでは解散」

 その言葉で、一先ずの業務を終えた警備隊員達が思い思いに散っていく。

「ちょっとレオン、今の言い方は無いんじゃないの?せめて、年に一度の宴を楽しめ!位は言わなきゃ」

 司令官の元へと向かおうとした矢先、エリルが難癖と共にレオンハルトを呼び止めた。

「何かを問題があるのか。業務外と言えど、俺達は軍人だ。常に市民の安全を考えて──」

「いや、それは良いんだがよ」

 横からテオが口を挟む。

「お前には息抜きってモンが足りてねえよ。頭が硬いんだよ、鉄かよ。言ってることは理解出来るし正しいが、何時もそうやって気張ってると疲れるぞ。こういう時位普通に行事を楽しむってことが出来ねえのか」

「余計なお世話だ」

 レオンハルトは顔を顰める。

 別に自分の頭が硬いとは思っていない。真面目に生きてはいるつもりだが、それを非難される謂れはない。

「俺は司令官の所へ行く。お前達も羽目を外し過ぎるなよ。俺はお前達が一番心配だ」

 尚も口を開きかけたテオを無視し、レオンハルトは外套を翻して歩き出した。


 赤や黄色に彩られた石畳の街を、外套を靡かせながら早足に歩く。すれ違う人々は皆笑顔を浮かべ、各々この日を迎えることが出来た喜びを分かち合っているように思えた。

 レオンハルトとて、祭りが嫌いでは無い。だが、テオやエリルのように純粋に楽しむことが出来ず、どうにも警備の仕事と切り離せない。要するに、仕事とそうでない時の切り替えが上手く出来ないのだ。

「……矢張り、俺は頭が硬いのか?」

 指先で眉間を揉みつつ自問してみるが、当然のことながら答えは出ない。クレープの店に並んでいた女性が不思議そうにレオンハルトを見てた。

 その時だった。

「号外!号外!我等が総統閣下より、この収穫祭に際して御言葉を賜りました!」

 新聞売りらしき男の大声と共に、薄い紙が撒き散らされる。それを掴んだ住人達の間に、祭りの雰囲気とは全く別のざわめきが漣のように広がっていった。

「総統閣下から、だと?」

 第三十二代帝国総統であるリヒトホーフェンは、滅多に国民の前に姿を見せず、紙面だろうと国民に言葉を下賜しない。彼の言葉を伝えるのは、側近や宰相達の務めだ。住民の困惑も最もである。

 レオンハルトが総統の姿を見たのは、五年前の選挙戦での演説が最後だったと記憶している。

 顎髭を蓄え、高貴さの中に他を圧倒する意思の強さを秘めた鋭い眼光を持った男性の姿を思い起こした。

 レオンハルトは足元に落ちていた新聞を拾い上げる。

 "我等がアルスタニア帝国総統、カルノド・ヘルブラム=リヒトホーフェン閣下より御祝儀有り"と記された大見出しの下は、こう書かれていた。


 "諸君!祭りは開かれた!

 稔りの季節に感謝を捧げ、冬を耐え忍べ。

 然すれば新たな黎明の光が諸君らの頭上に降り注ぐだろう!"


 レオンハルトは『黎明』と言う文字を見て解した眉を寄せる。

 この数日、この言葉に縁があるような気がしてならない。

「堪え忍べ、か……」

 ティナの占いの結果と掛け合わせても、気分の良いものではない。偶然と言ってしまえばそれまでだが、同じ言葉を使われては流石に楽観視は出来ない。

 俺は頭が硬いらしいしな、と苦い思いで紙面から顔を上げると、今度は建物の隙間の路地に、黒いフードを被った人間を見た。

「……?」

 目元はフードの影に隠れてよく見えない。が、号外の新聞を片手に困惑し、議論を交わし合っている人々に紛れてレオンハルトを見ていることは確かだった。纏っているのは黒い襤褸布だ。体格からして男だろう。普段なら目立つ存在だが、今は祭りの最中であり、更に総統からの言葉に皆が釘付けになっている為に、誰一人として彼の存在を気に留めてはいない。

 レオンハルトはそちらへ足を踏み出す。すると黒いフードの頭は建物の陰に引っ込んでしまう。

「……最近、路地裏にも縁があるな」

 レオンハルトは小走りで人々の間をすり抜け、黒フードが隠れた路地裏に入る。

 途端に薄暗くなり、人影は見えない。

「見失ったか……」

 しかし、顔を隠し姿を隠していたということは、何か後ろめたいことがあるのかもしれない。

 そう考えて、突き当たりの角を曲がった時だった。

「っ!?」

 背後から風を切る音が響き、レオンハルトは反射的に首を捻った。

 鈍い痛みと共に、生温い液体が輪郭を伝って落ちる。背後の地面には、小型のナイフが突き刺さっていた。

「上か」

 素早く目線を上げると、黒フードの男が民家の屋根の上からレオンハルトを見下ろしていた。目元は相変わらず隠されて見えないが、口元は三日月型に歪められているのが解った。

「貴様は何者だ」

 腰の細剣に手を掛け、レオンハルトは警戒と共に屋根の上の男を睨む。が、突然その男の姿が歪んだ。

 堪らず地面に膝をつく。吐き気と共に喉が乾き、指先の感覚が失せていく。

 黒いフードの男を探そうと顔を上げようとするが、思うように力は入らず逆に地面に倒れ伏すだけの結果に終わった。

「ぐ、あ……はあっ……」

 毒か、と気付いた時には既に遅く、レオンハルトの意識は蝋燭を吹き消すように闇へと掻き消えた。

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