IV 告げる者

 翌日、レオンハルト達は再び例の占い師の家を訪れていた。

「頭痛てぇ……」

「飲み過ぎだろう」

 呻くテオにレオンハルトは素っ気無く言う。

 結局、夜中まで騒いだ為に見回りをしていた寮長に見つかり、長い説教を聞いた末に二人を追い出した時には午前四時を回っていた。

 管轄区域の警備は午前七時から始まる。満足に眠ることが出来なかったレオンハルトは始終不機嫌に眉を寄せていた。

「もう、レオンったら。そんな顔しないの。これから初対面の人に会うのに、そんな仏頂面だと印象悪いよ」

 誰のせいだと思っている、それに厳密には初対面ではない、と言葉は数々と浮かぶが、全て呑み込んでレオンハルトは無言を貫く。対してエリルは盛大に溜息を吐いた。

「全く……そんなんだと一生独身のままだよ?」

「全く以てその通りだぜ。顔だけ見りゃ中々色男なのに」

「ねー、顔だけはいいのにねー?」

 二日酔いで顔を青くしつつも揶揄うのを忘れないテオと、笑いながら平然と嫌味を言うエリルに、レオンハルトは言い返す気力も無くして沈黙を貫く。本当ならこの場で二人纏めて斬り捨ててしまいたいが、誉れあるアルスタニア帝国軍首都警備隊分隊長としての矜持で必死に堪える。

「まあレオンのことは置いといて……ごめんくださーい」

 エリルが昨日と同じように、木製の扉を叩く。するとすぐに、軋んだ音を立てて扉が開いた。

「……いらっしゃい。早速で悪いけれど、人の家の前で喧嘩を繰り広げるのは止めて貰えないかしら」

 結ばない黒髪に、金褐色の瞳──ティナ・シュレンベルクが、昨日と全く同じ黒いローブ姿で立っていた。

「……占い師っつうから婆さんみたいなの想像してたが……中々美人じゃねえか、なあ」

 テオが肘でつつきながらレオンハルトに耳打ちする。が、レオンハルトには目の前の女が得体の知れない存在にしか思えない。

「ご、ごめんなさい!貴女が占い師ですか?」

 エリルが手を合わせながら訊くと、ティナが頷いた。

「……話は貴方達の隊長から聞いている。入って」

「え!?」

「は!?」

 エリルとテオが同時にレオンハルトを見る。レオンハルトは舌打ちをしつつ、二人から視線を逸らす。

「お前、こんな可愛い子と知り合いになったんたら紹介しろよ!」

「そうだよ!コッソリ会うなんてずるい!」

「五月蝿い黙れ鬱陶しい」

 テオとエリルに左右から騒がれ、自然と口調が荒くなる。それに構わず、ティナは静かに手招きをした。

「入るなら、早く」

 それだけを言って家の中に消えてしまう。

「早く」

 短く急かす声が姿を見せずに聞こえ、エリルが恐る恐る扉をくぐった。その後ろにテオが、そして不承不承ながらレオンハルトが続く。

「……これは……」

 部屋に足を踏み入れたレオンハルトは小さく声を上げた。

 何の変哲もない、一人暮らしにしては少々広いであろう部屋だ。奥に二階へ続く階段があり、少し離れた場所に竈がある。部屋の中心に長方形の机が一つ置かれており、人が二人は隣合って座れそうな横幅をしているが、 椅子は向かい合って一つずつしか置かれていない。机の隅にはインク壺が置かれており、白い羽根ペンが突き刺さっていた。

 レオンハルトの目を引いたのは、壁一面に画鋲で留められた紙の数々だ。

 数式や文字を書き殴ったようなものから、円を基調にしたと思われる複雑な図形が描かれた羊皮紙、レオンハルトには読めない異国の文字が白いインクで刻まれた黒い紙もある。

 それらが壁一面に、びっしりと敷き詰められている。更に、壁だけでは足りなかったのか頭上に麻紐が張られ、穴を開けた紙が通されていた。

「これでも片付けた方。昨日は床に紙が

 み散らかっていたから、来られたら困っていた」

 ティナが椅子に腰掛けて無感動に言った。

「……これ、全部貴女が書いたんですか?」

 流石のエリルも驚いたらしく、目を丸くしている。

「何か不思議かしら」

「珍しいっつうか、見慣れねえよ。こんな部屋落ち着かねえだろ」

 緩く首を傾げたティナをテオが見遣る。対して、ティナは毛程も動じない。

「何故?」

「何故って……こりゃまるで、休まず何かを考える為だけの部屋じゃねえか。疲れねえのか?」

 理解の及ばないものを見るようなテオの眼差しに、ティナは矢張り硝子玉めいた瞳を瞬かせて首を傾げるだけだった。

 テオの言葉は正しい。部屋の中は、さながら情報の海と言うべき様相を呈している。右を向けば数式、左を向けば図式、上を向けば他国の言語──もし自室がこんな有様になったら、レオンハルトは迷わず野宿を選ぶ。

 絶えず思考すると言うことは、脳を休ませないと言うことだ。常に絶えず何かを考えているのはそれこそ学者くらいだろう。肉体と同じで、休息無しに頭は回らないとレオンハルトは考えている。

「それで?誰から占って欲しいの?」

 ティナがいつの間に取り出したのか、カードを手元で弄りながら三人に目を向けた。

「おい、エリル」

 部屋を見回して放心していたエリルをつつくと、彼女は「わ、私です…」と小さく手を挙げた。

 ティナが無言で向かいの椅子を手で示す。

「何を占って欲しいの?」

 エリルが席についたのを確認してからティナが口を開いた。

「え?な、何……って、何?」

「何でも良い。よくあるのが、恋の行方。意中の相手が自分に振り向いてくれるかどうか、などかしら」

「ええ……?」

 少し離れた位置でエリルとティナのやり取りを眺めていると、テオがレオンハルトに耳打ちした。

「エリルに好きな奴っていんのかな」

「……想像出来んな」

 レオンハルトは真顔で答える。そもそも騒がしい子供のようなエリルに、恋などという概念が備わっているかどうかすら怪しい。

「そうだ!私にこれからどんなことがあるのか……とか、占えますか?」

 期待に満ちた笑顔と共に紡がれた言葉は、占いの内容としてはありふれたものだろう。その道に疎いレオンハルトにさえ解る。

 しかし、ティナの無機質な瞳が一瞬だけ揺れ動いたように見えたのが気になった。

「……良いわよ」

 しかし、ティナは何事も無かったかのように裏側に向けたカードを机の上に広げる。

 何かの儀式のように、華奢な手がカードをゆっくりと掻き回していく様子をエリルは興味津々に眺めている。テオも近くに寄ろうとはしないものの、興味を持っているのは明らかだった。

 一方、表には出さないもののレオンハルトの内心は穏やかではない。

 靄がかかったように、形容出来ない何かがレオンハルトの胸の内を渦巻いていた。

 そんなことなど知らず、ティナの手が混ぜるのを止め、カードを集めていく。元通りに集めると、手の中で扇状に広げてエリルに差し出した。

「二枚引いて」

 エリルが恐る恐る、丁度中心の二枚を引き抜いた。ティナは手にしていた残りのカードを机に置くと、エリルが引いた二枚を受け取る。

「あの、なんて?」

 エリルがどことなく緊張した面持ちで登と、ティナはエリルに見えるように二枚のカードを机に並べた。レオンハルトとテオもカードを覗き込んだ。

 左のカードには逆さまに吊るされた男、右のカードには魚と戯れる子供のような絵が描かれている。当然ながら、レオンハルトに意味は読み取れない。どちらも逆さまではなく、きちんと絵柄を見ることが出来た。ティナの指が左から順にカードを指していく。

「吊るし人の正位置。これは『試練』を表すカード。そしてこちらは愚者の正位置。文字通り、愚か者を表すカードでもある。

 簡単に言うと、貴女には大きな試練が待っている。だけど貴女は愚か者で、だからこそ想像力がある。試練を乗り越える鍵はそこにありそう、と言った所かしら」

 ティナの口調には相変わらず感情らしいものは無く、その内心は全く読めない。「ええっ!?」と驚いた声を上げたエリルのことも涼しい顔で眺めている。

「ちょっと待てや占い師さんよ。試練を乗り越える鍵がある、とは言うが、試練を乗り越えられるかどうかはわからねえってことか?」

 テオが身を乗り出す。当然の疑問だ。試練を乗り越える術があっても、実際にそれが成功しなければ意味は無い。

「さあ」

 しかしテオの追求に、ティナは平然と言ってのけた。

「愚者は物事の成否を告げるカードじゃない。そもそも、私が占ったのはこのお嬢さんであって、貴方じゃない。それなのに、何故貴方が気にするの?」

「ばっ……気にしてねえよ、阿呆か!」

 何故か早口に叫んで視線を逸らしたテオをティナの視線が緩く追い、それからエリルへと向け直される。

「試練を乗り越える術は見つかる。だけど、乗り越えられるか否かは貴女にかかっている。つまり『これ』はそういうことよ。解った?」

 相変わらずティナ口調は淡々と冷えている。が、レオンハルトの耳には何処か言い聞かせているようにも聞こえた。

 そう。言うなれば、母が子にするように──

「わかりました!」

 エリルは戸惑ったように唸っていたが、暫くすると元気にそう返事をした。

 ティナは表情を変えずに頷く。

「悪いけれど、もう一つ考えたいことが出来たわ。今日はもう帰って貰えないかしら。また明日にでも来てくれて構わないから」

「だってさ、テオ」

 エリルが立ち上がりながらテオを見る。

「いや、俺は別にアンタに占って貰おうなんざ思ってねえよ。しかも明日は収穫祭だろうが」

 手を振りつつテオが答えると、エリルは「そうだった!」と手を打つ。対して、ティナは「何、それ」とまるで気のない反応を見せた。

「そっか。アンタこの街に来たばっかりだから知らねえか。明日、この街で収穫祭があるんだよ。美味い食い物屋もたくさん出るから、良けりゃ回ってみろよ」

「ああ。人混みは嫌い」

 テオの説明を聞いて、ティナは一瞬で興味を無くしたらしく抽斗から紙を取り出すと羽根ペンを手に取った。

 まるで客のことなど忘れたかのように一瞥も寄越さず、紙の上にさらさらと文字を書き連ねていくのを見て三人は顔を見合わせ、暫しの沈黙の後ティナの家を後にした。



 深夜零時。

 夜の路地裏はひどく暗い。レオンハルトはランタンを片手に、再びティナの家の戸を叩いた。家の主は真夜中の訪問にも関わらずすぐに出て来る。

「何をしに来たの?」

 昼間と全く同じ黒いローブを着、抑揚の無い声で問うティナにレオンハルトは短く告げた。

「謝罪に来た。昼間は同僚が迷惑を掛けたからな。済まなかった」

「別に気にしていない。それで?」

 それだけではないんでしょう?

 そう続いたのを聞いて、お見通しか、と溜息を吐く。

「ああ。本題は別にある。俺は昼間の占いの結果について聞きに来た」

「貴方も彼女が好きなの?」

「いや、そうでは無くて……ん?」

 否定しようとしたレオンハルトだが、言葉に混じった微かな違和感に首を捻る。

「……貴方……?」

「赤毛の彼は彼女に惚れているようだからね。貴方は違うの?」

「は、はぁ!?」

 大声で叫んでしまい、慌ててレオンハルトは口を閉ざす。そうして恐る恐る目の前の占い師に訊いた。

「テオがエリルに……本当か、それは」

「本当も何も、彼の様子を見れば一目瞭然だけど」

 言われてみれば、そうとも取れる節が幾つかあったように思えなくもない。

 意外な所で判明した友人の恋愛事情に、レオンハルトはただただ面食らうしかない。

「鋭い目と性格をしているのに、感性は鈍いのね。そんなことで警備隊なんて務まるのかしら。正直、今までどうやって生きてきたのか甚だ疑問だわ。貴方、モテないでしょう。顔が良いだけで内面の伴わない男ほど質の悪いものは無いものね」

「なっ……余計なお世話だ」

 ランタンに照らされながら、表情を変えずに淡々と連ねられる嫌味にレオンハルトは顔を顰めティナを睨めつける。

 何奴も此奴も、と内心で毒づいたレオンハルトを涼しい顔で眺め、ティナは続ける。

「それで?嫌味が聞きたいならまだ言えるわよ。聞きたい?」

「要らん。俺が聞きたいのはもっと別のことだ」

 まだ嫌味を言われる要素はあるのか──と複雑な気分になったのは秘めておく。

 そもそも、この女とは出会って二日しか経っていない。しかも親しく話をした訳ではないのに、何故こうも罵倒されなければならないのか──釈然としない。

 しかし、聞きたかったのは嫌味でも罵倒でもない。レオンハルトは本来の目的を遂行することにした。

「昼間の占いの結果。エリルの『試練』とは、もしかして俺の『崩壊』と関連しているのか?」

 レオンハルトは、本来目に見えないものは信じない性格だ。占いなど以ての外、迷信と断じて相手にして来なかった。

 しかし、レオンハルトの本能──魂に近い部分が、ティナの言葉を無視出来ずにいる。

 何故、と訊かれれば答えることは出来ない。本能から来る行動には理由がつくものだ。『何故食事を摂るのか』と訊かれれば『生きる為に必要な栄養を摂る為』と言う理由がつく。

 理屈で考えれば、これもその類のものだろうとレオンハルトは推測する。

 だからティナの元を訪ねた。

 この不可解な謎を解明する為に。

「……鈍いのか鋭いのかよく解らない人ね」

 ティナは瞬きを一つして、レオンハルトを見上げた。

「関連ならある。何故なら、世界に関連していないものなど一つもないから」

 薙いだ湖のように静かな瞳が、静かに、しかし真摯にレオンハルトの瞳を覗き込んでいる。

 暗闇の中、ランタンの橙色に浮かぶそれは夕日に染まる硝子玉のように冷たく、透明な眼差しの中に光を通していた。

 彼女に感情などと言うものは無く、ただレオンハルトの内側をじっと見つめている。本来こういった視線は苦手なのだが、昨日と違って目を逸らすことが出来ない。

 レオンハルトは純粋に、彼女を美しいと思った。

「因果応報……世の中には必ず、原因と結果がある。全ての事象は全ての原因であり、また全ての結果でもある。……そしてそれは、今この時に至るも同じ」

 囁くような声だが、静かな路地裏では不自由なく聞き取れる。レオンハルトは知らず、耳を澄ませて彼女の言葉に聞き入っていた。

「私の占いが導き出す答えは、全て『結果』に過ぎない。原因を知ることで初めて現れる筈の結果を、原因が現れる前に知る。つまり──」

「予言、か」

 レオンハルトの言葉にティナは緩く頷く。

「そんな大それたものでは無いけれどね。予言じみていると言うとだけで、あくまで占いの域を出ない。

 貴方の予想は的を射ている。更に言うなら、あの赤毛の彼も、何れ大きな試練に立ち向かうことになる。カードを切るまでも無い。そして彼と彼女の結果は貴方にとっての原因にもなり得る。それはそういう運命なの。──星に導かれた、ね」

 ティナは一度言葉を切り、そして告げた。

 それはまるで、神託を告げる聖女のように。


「そして貴方は『黎明』を迎える」


 何かが、レオンハルトの中に落ちた。

 小石程度の小さな何か。しかし、如何な軽石と言えども水面に落ちれば波紋を生む。

 静かで緩やかなのに、ティナの言葉には何か不可視の圧力のようなものがある。胡乱な詐欺師の戯言と、鼻で笑うことが出来ない。

「……そうか」

 結局、レオンハルトは曖昧な気持ちを持て余したまま、溜息を混じりに呟いた。

「話は何となくだが理解した。要は何かがあって、何かが変わるのだろう。最初からそう言え、回りくどい」

 レオンハルトが踵を返す。背後でティナが小さく嘆息したのが解ったが、構わず歩き出す。

「付き合わせて悪かったな。ああそれと、エリルがお前と祭りを回りたがっていたぞ」

「昼間も言った筈よ。人混みは嫌い」

 思い出して付け足すが、ティナの反応はつれない。

「でも、今日は星の巡りが良い。貴方達にとって、この祭りは良い物となるでしょう。──お休みなさい、レオンハルト」

 抑揚の無い別れ際の宣託と挨拶に、レオンハルトも右手を振って応える。

「それは良かった。お休み、占い師」

 空を見上げる。

 満月は明日だが、月はほぼ真円に見える。

「……黎明、か」

 ならば、今の自分は夜だと言うことになる。果たしてそれはどういう意味か──

「……解らん……」

 小さく呟き、頭を振って思考を止める。

 夜が明ければ祭りが始まる。そうなれば、店の手伝いに市街地の見回りにと警備隊は忙しくなる。

 今は占いが示した訳の解らない未来よりも、目先の仕事について考えるべきだろう。

「……祭りを期に昇給したら、奴の占いを少し位信じてやってもいいか」

 そんな切実な願いをぼやきつつ、薄給の警備隊分隊長は門限の迫る寮へと急いだ。

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