Ⅲ 夕刻にて
レーヴェ大陸は小国、レムルス共和国と、その東西南北を囲む四つの大国によって成り立っている。
大陸の西に位置するアルスタニア帝国は、古くから『黄昏の国』と言われ、その呼び名が指す通り黄昏時の空の美しさは誰もが感嘆の溜息を漏らす程だった。
落陽に照らされて町は燃えるような茜色に染められている。が、住人は動きを止めない。
金槌を鳴らす男、掃除や飾り付けに精を出す女や子供達。祭りを前に準備に追われる人々の熱気は、炎のような西日によく映えていた。
そんな日が沈もうとしているにも関わらず活気に満ちた街の中を、レオンハルトは矢張り仏頂面で歩いていた。
ティナと名乗った占い師と別れた後、大工に呼び止められて仕事を手伝っていたが、どうも彼女の言葉が頭にこびり付いて離れない。
『破壊』や『死』と言う、物騒な文言のせいもあるのかもしれない。
そんなことを考えながら警備隊の寮も兼ねた屯所へと足を進めていた所だった。
「おーい、レオンハルトー」
自分に向かって、少女が一人小走りで近づいて来るのに気が付いたレオンハルトは、よく見知ったその顔に何となく安堵を覚えた。
「よお、エルミア。仕事帰りか?」
「まぁな。お前は何だ?何湿気た面してんだよ、二日目か?」
男のような口調で、エルミアはにやにやと下世話な笑みを向ける。
エリルの双子の妹と言うだけあって、瞳の翡翠色や顔の造形はまるで鏡に映したかのように似ている。だが、こちらは銀髪を伸ばさずに短く切り、アルスタニア帝国軍の軍服の上には首都警備隊が基本身につけている外套を着ていない。そしてエリルと違い、口調が荒い。
「お前は俺が女に見えるのか?」
真顔になって訊き返すと、エルミアは盛大に溜息を吐いた。
「お前、面白くないねぇ……くそ真面目かよ。頭固いって言われない?」
「余計なお世話だ」
姉妹揃ってくそ真面目とは何なんだ、と毒づく。しかし、ふと思いついてレオンハルトはエルミアに向かって質問を投げた。
「エルミア。お前、ティナ・シュレンベルクと言う女を知っているか?」
「ああ、知ってる。裏通りの家に住んでる奴だろ?確か占星術師とかなんとか」
エルミアはあっさりと頷いた。
「……意外だな。占いの類は嫌いではなかったのか?」
「まあな。けど、丁度レムルス共和国に出向いてた時にそいつと会ってさ、首都に移り住むって行ってたから引越しを手伝ってやったんだよ」
「レムルスに?」
「そ。理由は訊くなよ、喋ったら本当の意味で首が飛ぶから」
軽い調子で放たれた物騒な言葉に、レオンハルトは口を閉ざす。
エルミアは帝国軍の本隊である第四槍騎兵中隊に属すと同時に、軍の諜報部にも属していると聞く。仕事柄、人には言えない用事があるのは自明の理だ。
「つっても、占星術師とは名乗ってたが実際に使うのはカードらしいな。何でも、昔から使われてる神秘を宿したカードだとかなんとか……ただの紙だろ、阿保くせえ」
レオンハルトはティナの姿を思い起こす。確かに噂では占星術師と聞いていたが、レオンハルトを占ったのはカードだった。
破壊と再生。万物の黎明──
「おい、大丈夫かよ」
ひらひらと目の前で手を振られ、レオンハルトははっと我に返る。
「お前本当に疲れてんのか?ぼうっとしやがって」
気遣うように見上げるエルミアに、レオンハルトは「大丈夫だ」と返して軽く頭を振った。
「なあ、エルミア。お前は占いを信じているか?」
「ンな訳ねえだろ」
何となく気になって訊いてみると、当然だろうと言うように即答された。
「迷信に決まってんだろ、占いなんて。いきなり何だ?」
訝しげに眉を顰めるエルミアに、レオンハルトは「何でもない」と答える。
今日は仕事終わりにテオとエリルに付き合わされて疲れているのだろう。きっとそうだと自分の中で結論付ける。
「お前の言う通り、俺は疲れているみたいだ。帰って寝るとするよ」
溜息混じりに言ってエルミアの横をすり抜ける。
「途中で川に落ちたりすんなよー」
明らかに笑いながら掛けられた声に振り向かず、ただ手をひらりと振って走って来た子供を避けた。
今日だけで何度目になるか解らない溜息を漏らしながら、隊寮に宛てがわれた自分の部屋の扉を開く。
「ああ、おかえりレオン」
「おかえりー!」
本来なら、寝台と机と椅子しか置いていない殺風景な部屋が自分を出迎える筈だった。が、今日は予想に反して本来する筈のない声がレオンハルトを出迎えた。
床には酒瓶が幾つかと菓子の袋や包み紙などが散らかされていた。
テオとエリルが、何食わぬ顔で床に座っている。
「……お前ら、何故此処に居る?」
「いいじゃない、細かいなぁ」
エリルはそう言いつつ転がっていた酒瓶のコルクを抜いた。
「お前はまだ年齢が達していないだろうが!」
慌ててエリルの手から酒瓶をひったくる。エリルは抗議の声を上げるが、今度はテオがレオンハルトの手から瓶を奪って直接煽った。
ちなみに、アルスタニア帝国で飲酒が合法的に認められるのは二十歳からである。
「っはー!やっぱこの時間帯は安物の葡萄酒に限るぜ!」
「テオずるい!私も飲みたいー!」
「お子様は駄目だ。警備隊の奴が法律違反とかする訳に行かねえだろうが」
「一人前に働いてるから良いじゃない!十分大人だよ」
「それを言う時点で子供だが……いやそれはどうでもいい。お前ら、何故此処に居る!?」
脱いだ外套を勢いよくテオに投げつけながら、レオンハルトは思わず叫ぶ。
「うぶっ……おま、心狭くねぇ?良いじゃんよ、仲間じゃねえか」
投げられた外套を顔面で受けたテオが小さく呻く。
事態は完全に理解の範疇を超えている。そもそも、部屋の鍵はきちんと掛けた筈だ。二人に合鍵を渡している訳でもないのに──
「ああ、訊かれる前に言っておくけど、部屋の鍵はテオが針金で開けたんだよ」
「……成程な」
エリルの説明に、ようやく合点がいく。
テオは見かけや言葉遣いによらず、手先が恐ろしく器用だったことを思い出した。
「で、お前らは人の部屋の鍵を違法にこじ開けて何を勝手に酒盛りなんぞしているんだ。理由を言え、理由を」
「なあ、俺の進化した鍵開け技術に対しては何も言わねえの?」
「場合によってはこの場で斬り捨てる」
「無視っすか隊長……」
テオが肩を落とす。
エリルは首を傾げた後、レオンハルトにクッキーが入った袋を無言で差し出した。
「要らん!」
「美味しいよ?」
「俺は甘い物は嫌いだ。じゃなくて、何故お前らが此処に居るのかと訊いて──」
「ああ、エルと喧嘩したから家に帰れなくなっちゃって」
「はぁ?」
レオンハルトが素っ頓狂な声を上げると、エリルは子供のように頬を膨らませて話し始めた。
「はぁ?じゃなくて、言葉のまんまだよ。帰る途中で会った時に喧嘩しちゃって、家に帰るのが気まずくなったんだよ」
「……それで行く宛が無いから俺の部屋に転がり込んだ、と言う訳か」
レオンハルトは腕を組んで、視線をエリルから相変わらず瓶から酒を煽っているテオに目を向けた。
「何だよ。俺はただの付き添いだぜ。ついでに、こいつらが殴り合い始めかけたけど止めたし」
テオが言うと、エリルがますます不機嫌そうに眉を寄せる。
「エルが悪いんだよ。私が占い師に会いに行ったこと、他の隊の人から聞いて知ってたんだ。そしたら『そいつに関わるな』だってさ。何でもかんでも迷信だ妄言だって否定してさ。何を信じようと私の自由じゃない」
膝を抱えてぶつぶつと文句を垂れているエリルを見て、レオンハルトにも喧嘩の原因が見えてきた。
つまり、昼間にエリルが懸念していた事態が起こったということだ。レオンハルトは占いに関してはエルミアと同意見だが、それを信じる者まで否定するつもりは無い。一方、エルミアはそうでは無いらしく、エリルが占いなどに少しでも興味を持つ素振りを見せると怒鳴ると言う始末だ。
姉妹共に力が強く、時に殴り合いにまで発展するので、事実上姉妹の片方の上官であるレオンハルトとしては放って置く訳にはいかない。しかし、女の喧嘩などに興味が無いのも事実なので結果的には面倒を増やされたことになる。
「全く、頭が固いのはどちらだ」
苛立ち混じりにレオンハルトは床に腰を下ろした。近くに立てられていた林檎酒の栓を開け、テオがしていたように瓶から直接煽る。
「でよでよ、明日もう一回、あの占い師の家に行ってみようと思うんだ。俺個人としては、そこの占い師が出した占いの結果が正しかったって証明されれば、流石のエルミアの奴も考えを改めると思うんだが、お前はどう思う?」
「どうも思わん。お前達で勝手に行け、俺は行かない」
「そう言うなよ冷てぇなぁレオちゃんよぉ」
「五月蝿い、離れろ酔漢が」
酒気が回ってきたのか、テオの顔が赤く色付いている。クネクネと蛞蝓のように這い寄るテオの顔を手で押し退けていると、エリルがいつの間に取ってきたのか、水差を手にしてレオンハルトに迫る。
「レオン!此処は皆で占って貰って、それが当たるかどうか検証するべきだよ!そう思わない?」
「思わん。近い、離れろ」
冗談ではない。
レオンハルトは苦々しく表情を歪めた。
既に胡乱な結果が出た後だ。これ以上、奴に会って妙な言葉を投げられたくはない。
そんなレオンハルトの胸中など露知らず、エリルはむ、と拗ねたような顔になる。
「レオンは冷たいねぇ」
「諦めろ、コイツが冷たいのはいつものことだ」
テオが赤い顔でへらへらと笑いながらエリルの頭に手を置く。
これで引いてくれるか、とレオンハルトが密かに安堵したその時だった。
「「じゃあもっと冷やせ!」」
元気の良い叫び声と共に、エリルの持つ水が勢いよくレオンハルトに浴びせられた。
髪と顎からポタポタと雫を滴らせながら、ついにレオンハルトの中で何かが切れた。
「……お前らぁ……!」
鬼の形相でゆらりと立ち上がり、不届きな輩二人に制裁を下すべく指の骨をポキポキと鳴らす。対するテオとエリルは怯える所か反省する素振りすら見せない。
「水も滴るいい男だぜ!隊長!」
「かっこいいよレオン!」
「黙れ!貴様ら二人共其処へ直れェ!」
レオンハルトの怒鳴り声が、テオの冷やかしが、エリルの笑い声が狭い一人部屋に溢れ返る。
面倒なことこの上ないが、占い師の妙な言葉に考え込んでいた自分の意識を、二人は無理矢理別の方向へと向けてくれた。
本人達にそんなつもりは無いのだろう。しかしレオンハルトは、気分転換をさせてくれたという点に関しては、純粋な感謝の想いを二人に抱いていた。
その少々強引な手段に頭を痛めつつ、レオンハルトは今日の夕日を見送った。
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