Ⅱ 邂逅

 エリルによると、件の占い師の家は商店街の裏通りに存在しているらしい。

 華やかに飾りつけられている表通りに比べ、裏通りは寂れている。かつて民家として使われていた建物は打ち捨てられ、薄暗さも相俟ってさながら廃墟のような印象を受ける。

「……陰湿な詐欺師が好みそうな場所だな」

「会う前からそいつの陰口かよ。底が知れるぜ、ヴァルフレア隊長サンよ」

 テオが嘲るように鼻を鳴らす。

「そうだよ。誇り高き帝国軍首都警備隊の分隊長が陰湿な人だなんて思われたくないよ、私」

「お前のことなんぞ知らん」

 続くエリルの窘めるような声に、レオンハルトは低く吐き捨てる。

「第一お前、何処でその占い師の存在を知ったんだ」

 エリルを先頭にテオ、そしてレオンハルトの順に一列で歩きながら、レオンハルトは尋ねた。

「一番隊の隊長だよ。その人の引っ越しを手伝ったらしいの。その時、お礼にって占ってくれたらしいんだけど、それが怖いくらいに当たったんだってさ。だから少なくとも詐欺師なんかじゃ無い筈だよ」

 エリルが振り返って説明する。

「マジで?それは俺も初耳なんだけど。つかお前あの人と仲良かったのかよ」

 テオが意外そうに目を見開く。

 一番隊の隊長は、首都警備隊全体を指揮する警備隊司令官も兼任している。分隊長であるレオンハルトなら月に一度の定例会議で顔を合わせるが、エリルのような平隊員では所属が違えばまず話すことはない。

 強面の、厳しい性格で有名な壮年の武人だ。

「んー、そうでも無いよ?ただ、五日くらい前に荷物を運ぶの手伝った時に、私が占いに興味あるって言ったら教えてくれたんだ」

 へえ、とテオが面白がるように笑う。

「ちなみに、司令官は何を占って貰ってたんだよ?」

「次のお見合いが上手くいくかどうか、だってさ。占いの結果通りに失敗したらしいよ」

 瞬間、テオの顔から笑みが消える。

「……言って良いのか、それ」

「駄目なの?」

 テオは赤毛の頭をがしがしと掻いた。

「まあ、あの人の見合いがことごとく失敗してるのは周知の事実だ。占うまでも無いだろう」

 レオンハルトは本日何度目かの溜息と共に力無く吐き出した。

「あのキツい性格じゃあ、女は寄って来ねえって」

 テオも苦い顔で呟く。流石のエリルも「そうだね……」と苦笑する。

 話題に上がっているのが例えば同輩なら笑い話だが、自分達の部隊を統括する司令官ならば話は別だ。テオやエリルは勿論、レオンハルトも彼には頭が上がらない。

「あー、それで、例のその失敗を見越したっつー占い師だが」

 テオが三人の間に流れた重い空気を払拭するように話を切り替えた。

「司令官の見合いの失敗を予言されてもなぁ……なぁ、レオン」

「そうだな。何故なら、その程度情報を集めれば簡単に予想を立てられるからだ」

 テオの言葉に深くレオンハルトは頷く。

「何で何で?何でそんなこと言うのよぉ!占って貰ったって司令官は言ってたもん!あの人を疑うの?」

 エリルが拗ねたように頬を膨らませて二人を睨む。

「いや、司令官は疑っていない。疑っているのは占い師と、お前の頭だ」

「つうか、見合いの失敗を予言された司令官はどんな気分だったんだろうな?」

 男二人の容赦の無い言葉に、エリルはいよいよ不機嫌になった。

「もう!いいもんいいもん!二人して意地悪言ってさ。それなら私一人で行くもんね!」

 ふいっと前を向いて不貞腐れたエリルを見て、レオンハルトは帰れそうだな、と内心で安堵の溜息を吐く。が、その淡い期待はテオの一言で呆気なく砕かれることになる。

「まあそう言うなや。詐欺かどうか見極めるのも俺達首都警備隊の仕事の一つだろ?なあ、隊長?」

 ニヤリと笑みを浮かべ、肩越しにテオがレオンハルトを見遣る。

「……そうだな」

 レオンハルトは引き攣った笑みを浮かべ、テオを見返す。

 確信犯め。

 レオンハルトは内心で毒づいた。

「詐欺じゃないもん!」

 憮然と言い放ったエリルが足を止める。

 そこは、路地の突き当たりにある煉瓦造りの小さな民家の前だった。

「……おい、ここって確か、前に盗賊共を捕まえた場所だよな?」

 テオが家を見上げつつ言った。

「そうだよ。修繕して人に貸したんだってさ」

 エリルが頷く。

 二ヶ月前、この突き当たりの建物は空き家だった。しかし、街に商人を装った五人の盗賊が入り込み、市場の商品を盗んでは不正に売り捌き始めた為に早急な対策が必要とされた。当時運悪く丸一日市街地の警備を担当していた為に責任を負わされた三番隊は、狭い裏路地にどうやって攻め込むか考えあぐねていたのだが、それにしびれを切らしたテオとエリルが独断で攻め込んで全員を捕らえてしまったのだった。

「あの時、テオが扉、蹴破ったんだよね。直したんだ」

「それを言うならテメェも室内で銃撃ちまくったろうがよ。本気で流れ弾に当たって死ぬかと思ったわ」

 尚、その後殺到した苦情と他部隊の隊長からの説教を捌いたレオンハルトが胃痛に悩まされたことなど二人は知る由もない。

「おい、どうでもいいがこの中にお前らの言う占い師が居るんだろう?こんなに騒いでいいのか」

 レオンハルトが言うと、エリルが「そうだった!」と手を打った。

「おい、本気で会うのかよ?」

 テオが苦い顔でエリルを見下ろす。

「そうだよ?何、もしかしてテオ、今更怖気づいたの?」

「馬鹿が、そんなんじゃねえよ。洗脳とかされたらやべえなって思っただけだ」

 にやけつつテオを見上げるエリルにテオは素っ気無く返す。

「ほら見なよ。やっぱり怖がってるんじゃない。テオの意気地無しー」

「うるせえよ糞餓鬼」

「ホントの事じゃん」

 べえ、と舌を出しながらエリルは握り拳を作り、木製の真新しい扉を軽く叩いた。

「ごめんくださーい、アルスタニア帝国軍首都警備三番隊でーす」

 今は任務で来ているのではないのだからその名乗りは違う、と内心でレオンハルトは眉を顰めたが、此処で怒る訳にもいかないので何も言わずに黙っておくことにする。

 しかし、叩いた扉の向こうからは返事どころか物音一つ聞こえて来ない。エリルは首を傾げた。

「居ないのかな?」

「外出てんじゃねえの?街じゃ祭りの準備してるし、手伝ってたりしてな」

 テオが扉に耳を当てて小さく呟く。警備隊員にあるまじき行為だが、レオンハルトはこめかみを押さえて何も言わない。

「うーん、じゃあ仕方ないねぇ。また明日辺りに来てみようよ。人が居ないのにこんな所で騒いでたら不審者みたいだしね」

「今の今までテメェが一番騒がしかったがな」

 早々に切り替えて背を向けたエリルに、毒を吐きながらテオが続く。元来た道を戻って行く二人の会話にレオンハルトが物申すべく、歩き始めたその時だった。


「警備隊が何か用かしら」


 澄んだ声が、レオンハルトの足を止めた。

 咄嗟に背後を振り向く。先程まで誰も居なかった場所に、いつの間にか女が一人、立っていた。

 歳は二十前後程か。華奢な体躯を黒いローブに包み、艶やかな黒髪を腰まで伸ばした美しい娘だ。

 整った顔立ちに表情らしい表情は浮かんでおらず、華美さの無い服装も相まって彼女の怜悧な美貌を引き立てている。

 琥珀石を想起させる金褐色の瞳が、硝子玉めいた無機質さを漂わせてレオンハルトを見上げた。

「お前が占い師か」

 手に持った二枚のカードに目を向けると、女は無言で頷いた。そして口を開いた。

「警備隊が何か用かしら」

 先程と全く同じ問いに、レオンハルトはああ、と頭を掻きながら答えた。

「俺の同僚がお前に占って欲しかったらしい。居ないと解ったら早々に帰って行ったがな」

 レオンハルトはテオとエリルが去っていった道を見遣る。既に二人は視界の外だ。完全に置いてけぼりを喰らった訳だが、まさか丁度二人と離れた時に目的の人物に会うとは思わなかった。

 しかし考えてみれば、目的の家を突き当たりに通路は更に左右に伸びている。帰って来た所に偶然出くわすことになっても何ら不思議では無い。

「そう。なら明日のこの時間帯に来ると良いわ。部屋を片付けておくから、友人にそう伝えておけばいい」

「そうか。世話になったな」

 抑揚のない言葉に素っ気なく返し、レオンハルトは踵を返す。。

 元々、レオンハルトは占い師などという胡乱な存在と会う気は無かった。テオとエリルに半ば強引に連れられただけであり、その二人が居ないのならこの女と立ち話をする理由も無い。

「待って」

 だと言うのに、またも投げかけられた声に反射的に振り向いてしまった。

「塔の正位置と、死神の逆位置。貴方、近い内に壊れて生まれ変わるみたいね」

 女は手に持っていた二枚のカードの、絵が描かれた面をレオンハルトに向けた。

 一枚は暗雲の中に立つ茶色の塔の絵、もう一枚は鎌を携え、黒いマントに髑髏の面を着けた、童話の死神を想起させる絵だった。逆位置と言った言葉の通り、女の手に逆しまに持たれている。

「塔は破壊、崩壊の意味を持つカード。死神は文字通り、『死』。なら、『死』の反対は?」

 表情を変えぬまま、女は淡々と問いかける。

「…『生』、か」

 レオンハルトが答えると、女は静かに頷いた。

「死神の逆位置は、生。誕生。万物の始動。つまり──黎明」

 女の口調は変わらない。何処か茫洋と、平坦な声で喋っているだけだ。その言葉がきちんとレオンハルトに向けられているかどうかすら怪しい。

 だが、金褐色の瞳は真っ直ぐにレオンハルトを見つめている。無機質なそれに、何もかも見透かされているような気がして、思わず口を開いた。

「下らん」

 レオンハルトは頭を振ってその違和感を排除する。元より、根拠の無いものは信じない性質である。今の感覚は気のせいだと自分に言い聞かせる。

「いい機会だ。一つ教えておいてやる」

 レオンハルトは占い師だと言う女に向き直った。

 硝子のように無機質な瞳を見つめて、冷然と放つ。

「俺はお前の趣味に興味は無い。占いだろうが予言だろうが好きにすれば良い。だが、胡乱な言動で人心を弄び、首都の治安を乱すのなら──」

「首を刎ねる、と」

 女がレオンハルトの腰に提げられた細剣に視線を移す。

「忠告をどうも。言いたいことはそれだけ?」

「ああ、今の所はな」

 レオンハルトは外套を翻して再び女に背を向けた。

「私はティナ・シュレンベルク。困ったことがあったら、何時でも来れば良い」

 尚も平坦に語り掛ける声に今度こそ振り向かず、レオンハルトは路地を後にした。

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