Ⅴ-3 逃走の果て

 ジルヴェスターの声に踵を返したルイが彼と共に飛び出したのはルイがその空間に入った場所とは異なる森の中であった。「よし、こっちだ」と彼らへ声を投げた空間の外で待っていたらしい警備員の制服を纏った男に眉を顰めたルイにジルヴェスターが「詳しいことは後で!」と声を上げる。道の先を走る男を追うようにル彼らは走る。そうして公園内のトイレの裏口から地下へと向かう階段を駆け下りれば、そこには膨大な量の書類が並べられた棚がひしめき合う空間が広がっていた。

「あれ、室長ツチノコ捕まえに行ってるんじゃなかったでしたっけ」

 三人が降りた先には書類バインダーを抱えたスーツ姿の男が立っており、先頭に立つ男を見つめて首を傾げながら能天気な声を上げる。「警備員のコスプレなんかしちゃって、今度は何をしようとしてるんです?」重ねられた男の声に室長と呼ばれた彼は「日本支部の恥から本部のお客様を守ってる最中だ」と苦々しげに言葉を返す。彼の部下であるらしい男はその言葉に合点がいったように頷き「じゃぁ、早く逃げとかないと」と通路を譲るようにその身を棚へと寄せる。男の言葉に片手を上げた彼はルイとジルヴェスターを引き連れ資料庫の奥にある部屋へとその身を滑り込ませた。

「――で、どうなってるんだ」

 資料庫の奥に作られた小部屋の中で一番に口を開いたのはルイであった。その言葉に答えたのは「何処から話せばいいものか」というルイとジルヴェスターをここまで連れてきた男であった。警備員の制服であるジャケットを脱ぎ、臙脂色のネクタイを緩めながら溜息混じりにそう答えた男は思い出したかのように「あぁ、私は七生・アスティンだ。日本支部で資料室長をしている」とルイに向けてその名を名乗る。「隊長の親戚なんだって」と補足するようにジルヴェスターが言葉を継げばルイは納得したようにジルヴェスターへと頷き「ルイ・シーグローヴです」と七生に向けて会釈するように小さく頭を下げる。そんなルイの言葉に対し片手を上げるだけの挨拶を終えた七生は「まず、今回キミが此処に呼ばれたのはそもそもあの空間にキミを呼び寄せる為だ」と再び言葉を紡ぐ。七生の言葉に眉を顰めながらも「それは、俺が翠川琉唯である事に関係が?」とルイは七生へと問う。その問いに頷く事で肯定した七生は溜息と共に「君はあの場所に封印されている女性――上が御本尊と呼んでいる存在の孫だ」と静かに告げる。「御本尊はこの組織がまだ概念外生物管理局になる前に、彼女の夫である男の手で封じられた存在だ。彼女を解放して、当時随一と言われたその力を使い祓魔師協会を再興させるというのが今回の上の目論見だな」重ねられた七生の言葉に「やけに詳しいね」と返すのはジルヴェスターである。ルイは何かを考えるようにその口を噤んでいた。「翠川センセイから話を聞いていたからな」ジルヴェスターの訝しげな声にそう返した七生にルイはポツリと呟く「父さん、ですか」思わず出てしまったかのような小さなルイの言葉に七生は「そうだ」と頷き言葉を繋げる。「私とウィリアムは、二十年程前の事件で翠川センセイと知り合ったんだ。そこでキミの事も聞いていた。そして、その家の事も」過去を見つめるように一瞬だけ視線を遠くへと投げた七生は再びルイへと視線を戻す。

「翠川センセイはキミを、キミたちを守る為に日本支部に協力していた。そして、センセイが亡くなった後はウィリアムがキミたちを保護したんだ。日本支部には行方不明になったと報告してね」

小さな子供に見せるような柔らかな笑みを浮かべた七生は「こんな時じゃなきゃ、よく来てくれたと歓迎していたんだが」と浮かべた柔和な笑みを消し去り、ルイに向ける視線はそのままに「キミは出来得るだけ早くこの国から出なければ」と告げる。七生の言葉にルイが口を開こうとしたその時、俄かにドアの外が騒がしくなる。その気配に七生は舌を打ち、ルイとジルヴェスターはドアへと視線を投げる。蹴破るように開けられた小部屋のドアの向こうにはスーツ姿の男が並んでいた。


「手を煩わせないでくださいよ」


 並んだ男達を引き連れていた青年――氷川が口を開く。ルイ達から見る氷川は彼らの背後で点けられていた資料庫を照らす蛍光灯の光によって影となり、その表情を伺う事は出来なかった。しかし、氷川が投げる言葉の端々に存在する悪意の棘を感じる事は容易であった。ルイとジルヴェスターを庇うように前へ出た七生に氷川は「ツチノコ狩りはどうしたんですか? 資料室長」とわざとらしい声色で七生へと言葉を投げる。「そんなふざけた休暇申請を本気にしてた訳じゃないだろう?」嘲るような声色で返した七生は「氷川もそこまで堕ちたか。そりゃぁセンセイだって日本支部からルイを守ろうとする訳だ」と氷川へと言葉を投げ続ける。氷川を足止めさせる為だけに言葉を紡ぎ続ける七生はその背に隠した左手で二人に見えるように棚の一つを指し示す。その棚だけは何も入っては居なかった。視線だけで空の棚を見た二人は男達に気付かれないようにそっとその棚の方向へと足を滑らせる。そんな二人の動きを見咎めたのは氷川の後ろに立つ男の声であった。

「翠川だけ傷つけなければそれでいい! 捕まえろ!」

 男の声に見咎められた二人は床を蹴ったが、それよりも氷川の刺すような声は早かった。氷川の声で一斉に動いた男達はルイの指が棚に掛かるより一拍早く三人の身体へと覆いかぶさる。覆いかぶさる男たちから逃れようと身を捩りその手から抜け出したルイの耳に届いたのは鈍い音と呻き声であった。思わずその音の方向に視線を投げたルイの目に映ったのは警棒を持つ男の隣で崩れ落ちながら右腕を庇いながら顔を顰める七生の姿であり、両腕を羽交い締めにされたジルヴェスターの姿であった。「ルイ、行け!」ジルヴェスターの放つ懇願するかのような叫び声がルイの耳に届いたが、ルイがその地面を蹴る事は無かった。

「俺がお前に従えば、二人を解放するんだろうな?」

 ルイは男達に取り囲まれながらも、氷川だけを見つめながら静かに問う。「上の判断は知りませんが、僕は二人を傷つけないとお約束しましょう」七生の挑発で上気したのであろう頰をそのままに、しかし勿体ぶった態度でルイへと言葉を返した氷川の言葉に対し、ルイはその紅い瞳で彼を検分するかのようにじっと見つめて静かに頷く。

「理事長がお待ちですよ、早く行きましょう」

 ルイを逃さぬようにぴったりと横に立つ氷川に、ルイは言葉を返す事はせずに頷いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る