Ⅴ-2 森の中で

 青年の案内でルイが連れて来られたのは、昨日も彼と共に訪れた観光地としても名高い公園であった。しかし、昨日と異なっていたのは地下へと向かう管理棟へ行くのではなく、公園の中へと入っていった事である。怪訝な表情を浮かべながらもルイは青年の後を付いて歩く。遊歩道を歩いて居た青年は鉄製の柵で通行を規制している横道へと進む。鍵の付けられたその柵には、関係者以外立ち入り禁止というプラスチック製の看板が付けられて居たが、彼は柵に取り付けられた南京錠を解錠しその柵を潜る。青年は後ろを着いて歩くルイが柵を通り抜けた事を確認し、再びその南京錠を柵へと取り付け、「この先です」とルイへ声を投げれば再び言葉を発する事無くその足を前へと進めた。山になったその場所には古びた石段が並び、手すりすらも無いその長い石段の上には古ぼけた鳥居が建てられていた。

「ここです」

 青年がそう告げ、その鳥居の向こうへ足を踏み入れればルイの視界の中から青年の姿が消える。ルイは眉を潜めその左手を鳥居の向こうへと差し出す。そうすれば彼の視界から差し出した左手が消えるのだ。鳥居が何かの境目になっているのか、と結論付けたルイは恐らく青年には見られて居ないだろうと小さく溜息を吐く。これは多方面から怒られるやつだろうな。と声には出さず心の中でだけ呟いた彼は鳥居の先を見据えて一気にその身体ごと鳥居を潜り抜けた。鳥居の先でルイが見たものは、とても先程まで居た公園の中とは思えない円状に開けた空間であった。山の上であったはずのその場所ではありえないほどに広く平らに開けたその芝生を囲むように木々が生い茂り、先程まで煩いほどに聴こえていた蝉の声すら届かない静かな空間の中央には透明な石柱が天へと聳えていた。緩やかな風がルイの身体を撫でるように通り過ぎ、その空間にはじめて訪れた彼を検分するかのように木々が騒めく。透明な石柱の近くには二人分の人影が立っていた。引き寄せられるように中央へ足を進めたルイの目に映されていた二人分の人影は彼の視界で焦点を結ぶ。一人は石柱の隣に立つルイをこの場所まで連れてきた青年、そうしてもう一人は石柱の中に居た。まるで虫が入った琥珀のように石の中に封じ込められた人影は古い時代の軍服のようなものを身に纏った女性であった。その腕に日本刀を抱き、眠るように瞼を閉じたその人は少しだけ笑みを浮かべているようにも見えた。明るい茶色の長髪が濃紺の軍服の肩に掛かり、眠るように瞳を閉じて居ても分かる整った顔立ちの彼女の姿に引き寄せられるようにルイは一歩、また一歩と彼女に向けて足を進めていく。何かに呼ばれているようにぼんやりと石柱へと向かう彼へ、一陣の風がルイを通り過ぎるように吹いた。その身に強い風を当てられたルイはビクリとその足を止め、その視線を石柱から青年へと移した。

「残念、このまま上手くいけばいいなと思ったんですけど」

 咎めるようなルイの視線に晒された青年は楽しそうに笑みを浮かべながら彼へと声を投げる。彼らの立つ空間を取り巻くように聳える木々はざわざわと葉を鳴らしていた。


「――俺に何をした? お前は、何者なんだ」


 からりと笑う青年へ唸るように言葉を投げたルイは、その懐へ右手を伸ばしたが普段吊り下げられている鉄の塊に指先が触れる事はなかった。無意識に伸ばされた指に舌を打ちながらも警戒するような鋭い視線を青年へと投げる。ルイの紅い瞳を向けられた青年は、彼の刺すような視線を気にすることもせずに口元に笑みを浮かべながら、「僕は何もしてませんよ」と愉しげに口を開く。

「僕は氷川一睦。『御本尊』の血を継ぐ者です――翠川琉唯、貴方は『御本尊』に選ばれた」

 口元だけで笑みを浮かべる青年――氷川一睦の黒い瞳にはどろりとした嫉妬の色が浮かんでいた。石柱の中で眠る女性は、二人の男の対峙など気にもしていないかのようにその表情を変える事はない。木々だけが不穏な空気を演出するかのように騒めき、ルイは本能的に左の足を擦るように後ろへと送る。視線は氷川から外す事なく身構えるルイに氷川は笑みを浮かべながらルイへと足を踏み出す「こんな何も知らない男が、氷川の継承者だなんて」嘲るように嫉妬の色を隠す事なくそう告げた氷川はルイへと近付くように足を踏み出し、ルイは身構えたままに氷川と距離を取るように後退る。反撃のタイミングを測るように氷川を見つめていたルイは、背後で響く爆発音に一瞬身を竦める。それは氷川も同様であった。


「ルイ! 早くこっちに!」

 叫ぶように投げかけられた言葉が英語である事を一瞬遅れで理解したルイは右足で地面を踏み切りながらその身を翻す。この空間で響く筈のない爆発音に目を白黒させていた氷川は身を翻したルイの行動に即座に反応出来ず、彼が地面を踏み切った頃にはルイと爆発音を起こした元凶である男達は氷川の残る空間から消え去っていた。氷川の後ろで静かに眠る女性だけが、苦々しげにその芝生を叩くように片足を踏む彼の後ろ姿を見つめているかのようであった。氷川と『御本尊』と呼ばれた女性だけが残るその空間を囲む木々は先程までの騒めきを止め、氷川を見下ろすかのように静かに彼女の眠る空間を囲んでいた。

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