Ⅲ-3 日本支部へ

 ルイとジルヴェスターの二人がこの国に降り立ってから一度目の夜が終わり、はじめての朝が顔を見せる。それぞれが朝食を済ませ、スーツを纏った姿でロビーへと下りれば彼らと同じようにスーツに身を包んだ一人の男が二人の前へとにこやかな笑みを見せながらやってくる。

「本部からのシーグローヴ隊員とハイデルベルク研究員ですね」

 二人の前に現れた男は、その顔に貼り付けた笑みを崩すことなく流暢な英語で彼らの名を問う。「僕は日本支部の七生ななおです。お迎えに上がりました」重ねられた言葉に二人はそれぞれ彼へと名を名乗る。ジルヴェスターより少し若いその青年は二人を日本支部で用意されていたのだろう車へと案内する。七生の先導に疑問もなく付き従うルイの後ろで、ジルヴェスターだけが何かを思案するような表情で小さく首を傾げる。ジルヴェスターの感じた違和感は解明される事はなく、後ろに立つ彼の表情をルイも七生も見る事はなかった。

 

「シーグローヴ隊員は日本の出身でしたよね」

 車に乗り込み、ドアが閉まればその車は軽快に進み出す。そのハンドルを握りながら、運転席に座る七生は後部座席に座るルイへと言葉を投げた。「あぁ、直接本部に入ったから日本支部に居た事は無いんだがな」七生の問いかけにそれだけを返したルイは窓の外へと視線を投げる。高層ビルが立ち並ぶその景色をぼんやりと眺めるルイへ「それじゃぁ、日本にはあまり帰ってきてないんですか?」と世間話をする調子を崩さずに七生はなにかを探るように彼へと言葉を重ねるのだ。「そうだな。向こうへ行ってからこちらに帰ってくるのははじめてだ」そう返したルイの言葉に七生は「そうなんですね」と視線はフロントガラスに向けたままで言葉を投げる。「それじゃぁ色々変わってるでしょう。二十年でしたっけ? よろしければ僕が観光案内もしましょうか?」重ねられた言葉に「よく調べてるんだな」と返したのはジルヴェスターであった。ジルヴェスターの硬い声に「本部から来たお客様ですからね、ハイデルベルク研究員の事も存じ上げてますよ。向こうでは有名な魔術師の家系の出身だとか」と七生は変わらぬ調子で声を投げる。「ハイデルベルク研究員もこちらは初めてですよね、一席設けさせて頂けますか? 料亭で芸者遊びとか、ご用意しますよ」七生がそう問いを重ねれば、ジルヴェスターは不快だとでも言うように静かに七生へと声を投げる。「そのような接待は不要です。俺たちは自分の仕事をするだけですし、今夜は俺もシーグローヴも予定が入っているんでね」敵意さえも感じるようなその硬い声色にルイが一瞬ジルヴェスターへ視線を投げたが、その視線はすぐに外される。それは、ここでジルヴェスターに何か言葉を投げれば面倒くさい事になる事が分かりきって居たからだ。君子危うきに近寄らず、ってか。心の中でだけそんな事を呟いたルイは再び窓の外へと視線を投げる。七生はジルヴェスターへ「それは失礼しました」とだけ声を出したきり、口を閉ざす。沈黙に包まれた車内に、エンジン音だけが響いていた。それから数分、重苦しい沈黙が充満したその車は公園として整備された区画の横に作られた駐車場へと静かに滑り込む。職員用駐車場と書かれた看板が立てられた一角に七生の運転する車が入り、そして停車する。ルイとジルヴェスターの二人は怪訝な表情を浮かべ車を降り、同じように運転席からその身を外へ出した七生が「日本支部はここの地下にあるんですよ」とにこやかに二人へと声を掛ける。七生を先導にその駐車場の近くにある警備員の詰所であるのだろう小さな建物に入れば、七生は制帽を目深に被った警備員の制服に身を包んだ男へと通行証を見せる。男は無言で自身が座る席の前に並んだいくつかのボタンの中から一つをカチリ、と押した。そうすれば小さな金属音が室内に響き、七生は入ってきたのとは別のドアノブに手をかける。その先には小さな空間があった。

「こちらのエレベーターで地下に入ります」

 静かに来客である二人に告げた七生はそのままその空間へと足を踏み入れ、二人も七生に倣いエレベーターへと乗り込む。警備員の居る空間を隔てるドアが閉まれば、エレベーター側のドアも自動的に閉じた。そうしてエレベーターはこの場所の地下へと三人を乗せたままに日本支部へと誘うべく降りていくのだ。彼らが元いた空間に残っているのは、彼らが来るより先にその場所に居た警備員のみで、三人は警備員がじっと閉ざされたドアを見つめて居た事など知る吉もなかった。警備員は身に纏った制服の胸ポケットにしまい込んでいた折りたたみ式の携帯電話を取り出しその手で弄んでいた。

 

 ルイはエレベーターの中で壁に埋め込まれた電光表示をぼんやりと眺めていた。十二からカウントダウンを行なっていた電光板は十でそのカウントを止める。「エントランスは地下十階なんです」電光板を見ていたルイに気付いた七生は説明するかのようにそう告げ、彼の言葉と共にエレベーターの扉が自動的に開かれる。迷う事なく開かれたドアを通り抜けた七生に続くようにルイとジルヴェスターも日本支部の玄関口とも言えるエントランスに足を踏み入れた。

「これが、館内の案内図と入館証です。査察予定の区域には入れるようにしてあります」

 受付で職員と二言三言言葉を交わした七生は二人へとそれぞれ数枚の紙束とカード型の入館証を渡す。「そこにスケジュールも書かれてるので、確認しておいてください」七生の言葉に頷いた二人はそのスケジュールへと目を通す。

「今日は挨拶回りで、明日はそれぞれ別行動か」

 紙面に視線を落としていたルイはポツリと呟きながら、首を傾げる。「日本支部には資料室は無いのか? 予定に入っていないようだが」ルイの疑問に七生は「こんな時なのに資料室長がツチノコを狩りに行くと長期休暇に入っているんです」と言葉を返す。「各部の上長が居ない状態で監査を行う許可をこちらも出せなかったもので」と続けられた彼の言葉にルイは怪訝な表情を浮かべつつも小さく頷いた。

「僕の案内はここまでですので、あとは案内図を見て回ってください」

 七生が二人へと言葉を投げていれば、エントランスに立つ三人へと一人の男から声を投げられた。

「ようこそいらっしゃいました」

 流暢な英語で発せられたその声の出所を確認するようにルイとジルヴェスターの二人が視線を上げれば、そこに立っていたのは黒で統一された高級なスーツに身を包んだ初老に差し掛かった頃の男の姿があった。「支部長」七生が声をあげ、彼へと頭を下げれば、支部長と呼ばれた男は口元だけで柔らかな笑みを浮かべ「日本支部を預かっております支部長の桐生です」とルイとジルヴェスターの二人へと視線を合わせる。男の放つ視線は二人を値踏みするようなものであった。桐生の視線に晒されたジルヴェスターは表情を変えることもせず「本部で解析と武器開発に携わってますジルヴェスター・ハイデルベルクです。今回はやっと査察を受け入れて頂いたようで」と平坦な調子を崩さずに声を投げる。ジルヴェスターの言葉に「私どもも査察を受け入れる事は吝かではなかったのですがね、どうも本部は無理難題を突きつけて下さるようで時間がかかってしまいました」と桐生も穏やかな調子を崩さずに言葉を返す。「特別機動隊上級隊員のルイ・シーグローヴです」ルイも名を名乗りながら、桐生へと真っ直ぐに視線を向ける。そんなルイの姿に桐生は満足げに笑みを浮かべ「シーグローヴ隊員のお噂はかねがね。昨年本部で起きた事件では大活躍であったようで」と鋭い視線をルイへと投げつける。その視線にルイは小さく眉を寄せた。「今日から三日間の査察となりますのでよろしくお願いします。スケジュールが立て込んでるようなので、これで失礼します」ルイはそれだけを言い切り、視線を下げる事はせず小さく頭だけを下げ桐生と七生へ背を向ける。ジルヴェスターもルイに従うように彼らを一瞥した後、ルイを追うかのように日本支部の二人へ背を向けたのだ。

エントランスから各部へと降りるエレベーターのある方角へと足を進める二人の姿を見つめていた桐生と七生の獲物を狩る肉食獣のような視線を、二人が見る事は出来なかった。

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