番外編

番外編:ひとりがふたり。

 メディカルセンターに軟禁されていたジルがその居室から放免された翌日、俺は彼の本来の居室であるラボへと呼び出された。

「顔なら毎日見てただろ」

 ノックもせずに自身の職員証で彼のラボに入れば、彼はいつもの白衣姿ではなくそれこそ魔術師然としたローブ姿で杖を持ちラボの中央に立っていた。彼の脇には小型竜種ドラゴネットの剥製が置かれていた。

「俺が顔見せてって言ってたわけじゃないでしょうが、ルイの愛だね」

「何が愛だって? で、今日は何か用があって呼んだんだろ?」

 俺の問いにジルは「勿論」と笑う。そんなジルに俺の中に居るチャールズは俺の口を使い「ろくな事じゃなさそうですね」と冷たく言い放つのだ。

「ロクな事じゃないなんてひどいなぁ、君たちの為に俺が色々考えてたのに」

 そんなジルの言葉に俺は首を傾げ、ジルは「これから君の中に居るチャールズを剥がしてこっちの剥製にぶち込む」と高らかに宣言する。

「そんな事出来るのか?」

 俺がジル、チャールズ双方に問えばジルは「ちょっと荒っぽいけどね」と笑い、チャールズは「だからろくな事じゃないって言ったんですよ」と俺の中で嘆息する。

「とりあえずろくでもない事なのは理解した」

「そういう理解の仕方はどうなの?」

 俺の至極真面目な言葉はジルに冷たく切り捨てられ、チャールズはもはや言葉を掛ける気にもならないのだろう、ため息だけが頭の中で反響する。

「まぁ、剥がすって言ってもチャールズが今チャールズたらしめている要素っていうのはルイの中でルイと同化してるから、そこは剥がせないし、繋がりを断てる訳ではないけど、一人の体に二人の意識があるのは色々と面倒でしょう?」

 だから、剥がす。とジルは言葉を重ねる。そんなジルに俺は成程。と頷き、チャールズは「勝手にしてください」と俺の口からジルへと言葉を投げるのだ。


 それじゃぁ、やってみようか。と彼は口元の弧を深め、彼の横に置かれた剥製を持ち、俺の横をすり抜けてドアへと向かう。「出るのかよ」俺の言葉に「そりゃぁ、結構大がかりな陣が必要になるからね、向こうでやるよ」とジルは当然とでも言うようにドアノブへと手を掛け、「ホラ、ルイも早く」と俺を急かす。スタスタと廊下を歩くジルにメディカルセンターでのリハビリの成果を感じながら俺は彼の後を追う。以前チャールズの亡骸が置かれていた研究課に割り当てられた作業場に足を踏み入れれば、その床には円形の紋様が描かれていた。誰も居ないと思っていたその作業場にはジルの他に先客が立ち、その顔は俺にも見覚えのある男のものだった。

「ええと、生活課の……」

 俺が言葉に窮すれば、「保護係のヴィンターですよ」と彼は笑う。「俺のコレクションを一つ提供する代わりに見学させてもらいますよ」と。

「概念外生物と魔術の事になるとしつこいんだよ、根負けした」

 ジルがため息と共に肩を竦めれば「興味のある事には貪欲なんですよ」と彼は笑みを崩さない「リントヴルムの血族にハイデルベルクの魔術師、見ない手はないでしょう? ハイデルベルクさんだって俺に借りを作りっぱなしは嫌って言ってましたもんね?」ヴィンターはそう重ね、ジルはため息を漏らす。そんなドイツ人魔術師の二人を無感動に見ていれば、「さっさとやってさっさと終わらせよう、ルイは陣の中央に立って」とジルはパンパンッと手を叩きながら俺へと指示を出す。

「あぁ、分かった」

 俺がジルに出された指示に従いその円の中央へと立てば、彼はいつものヘラリとした笑みを消し、真剣な顔つきで俺には理解のできない言語を口にする。タンッと杖がコンクリートの床に突き立てられる音と共に俺を中央にしたその紋様は一瞬の光を放ち、俺の世界は平衡感覚を失った。言葉も出せないままに崩れ落ち、内臓がひっくり返るような吐き気と、自身の身体が千切れそうな苦痛に言葉にならない悲鳴が漏れ出す。喉の奥から漏れ出すような俺自身が鳴らす苦痛の音を耳にしながら俺の記憶はそこで途絶えたのだ。


「大丈夫ですか?」

 俺は意識を失っていたらしい。その声に重い瞼をそっと上げれば困ったような表情の青年が視界に移る。コンクリートの床の上に崩れ落ちた筈の俺の身体は衣服を緩められピンと張られたシーツの上に横たえられており、俺はやっと自分がメディカルセンターのベッドの上に寝ている上に病院着のような衣服へ着替えさせられている事に気づくのだ。

「チャールズ?」

 身体を起こそうとすれば、俺のベッドの横に座るチャールズの指に額を押されベッドへと戻される「あんな無茶苦茶な術使われたんです、一日は安静にしないと」と彼は静かに俺を窘める。

「ジルは?」

 俺の問いにチャールズは静かに微笑みながら「サーシャさんに説教されてますよ、もう二時間になるところですかね」と答える。その言葉から俺は少なくとも二時間は意識を失っていたという事を知る。全身は痛いし吐き気は止まらない。一体ジルは俺にどんな術を掛けたのだ。「吐きそう」こみ上げてくる吐き気に思わず漏らす。

「吐いてももう胃液しか出ないと思いますけど、吐いときます?」

 コトリと吐瀉物を受け止める為のアルミ製の皿を俺の横に置きながらチャールズは首を傾げる。

「吐いてたのか、俺は」

「そりゃぁもう、ゲーゲーと。吐いたと思ったらそのまま失神したんでジルヴェスターさんも焦ってましたよ。因みにセンターに連絡してルイさんを搬送したのはヴィンターさんです。もう戻られましたけど」

 俺が皿に向かってえずいている間も、チャールズは穏やかに話し続ける。本当に居の中のものを全て吐き出してしまったのだろう、俺の口からは咳とえずく音以外何も出ることは無かった。

「スーツが一着ダメになったって事か……」

 俺の力ない声に「え、気にする事ってそこですか?」とチャールズは呆れた声を投げかける。「そりゃぁそうだろう、あのスーツ、結構高かったんだぞ……」相手になめられないように、とある程度値の張るスーツを着ている事が多い俺はその服を吐瀉物まみれにしてしまったらしい現実に嘆息し、心の中でだけジルに買わせようと決意する。

「それはそうと、これは成功でいいのか?」

 身体は痛むし吐き気はまだ続いているが、チャールズが目の前に居るという事はジルの言う「剥がす」術は成功したのだろう。と彼へ問えば「術自体はこの通り成功してますよ、僕がルイさんの使い魔みたいになっているのは想定内ですし」と笑む。

「今の状況を簡単に言えば、僕の意識だけをあの剥製の中に入れていて、僕とルイさんの間にある見えないパイプを通じてルイさんが貯めている魔力的なものが僕に流れている状態なんです。剥製が僕の依代みたいになっているイメージですね。それで、その依代に流し込まれた魔力で僕は人の形を維持してるような状態です。まぁ、剥製の方に先の事件で奪われていた僕の血を回収していたらしくてその血を剥製に入れているってのもあって全部が全部ルイさんの力で動いている訳ではないんですけど」

「よくわからんが、とりあえず剥製にリントヴルムの血を注いでいるからお前の意識が剥製と混ざれたと?」

「まぁ、そんなところです。これでお互いある程度は自由に動く事が出来るし基本的に意識干渉も無くなるんじゃないですかね? ただ、後から入ってきたとは言え定着していた意識を剥がされた母体――今回で言えばルイさんの身体なんですけど、そっちのダメージが激しいのは皆解ってたんですよ。それでもやったのが僕は腹立たしいんですがね」

 今までの笑みを消し、不機嫌を顔に出すチャールズに俺は喉で小さく笑う「何かを得るためにはデメリットは付き物だろう。死んでないなら問題ない」そう言ってやれば「ルイさんのその考えも僕からしてみれば腹立たしいんですけどね? もっと自分を大事にしてください。何度も言ってますけど」と不機嫌の矛先が俺へと向けられる。これは長くなりそうだ、と狸寝入りを決め込もうとした瞬間、部屋のドアが開けられ、数名の足音が俺の方へと向かってきた。まず顔を出すのは呆れた顔のサーシャ、そして悪戯を叱られた子供のような表情を隠さないジル、その後ろから俺の上司であり保護者を自認する隊長と後輩である白雪が気遣わしそうに顔を見せる。

「まず、ルイが眠ってる間にさせてもらったチェックはオールグリーン。確かに身体に対してダメージはあるけれど、一日安静にすれば落ち着くし明日には復帰できるよ」

 サーシャがチェックの結果が書かれているのであろうバインダーに目を向けながら俺へそう告げる。その言葉に「今日は」と返せば「絶対安静」と冷たく返されるのだ。

「リャビンスキーから話は聞いた。シフトはこちらで何とかするから休養していろ――それよりも、君はどうするつもりだ?」

 次に口を開いた隊長は俺へ休養するよう告げた後、チャールズへと視線を向ける。

「君は既に死亡した事となっている。ハワードの家へ戻るか、それとも別の戸籍を作り社会に戻るか、君が決めなさい」

 隊長の言葉にチャールズは少し困ったように笑い、「どちらも選べないんですよ」と静かに告げる。

「意識の分離と依代のお陰で実体を持ててはいますけど、僕が僕として存在しているのはルイさんの身体に僕の血が混ざっているからです。その事実は代えられないし、実体を持てている僕も生きている訳ではない。どちらかと言えば使い魔のような存在なんです。だから、僕は折角提示してもらったその二つの道を選べない」

 チャールズの答えに、隊長は一言そうか。と呟き、「だが、実体を伴っているのであれば戸籍も無い状態では生活するのに不便だろう。こちらで適当なものを作らせてもらおう。それに、ルイの家では手狭だろう。君さえ良ければ私の家へ来なさい。部屋なら余っている」と重ねた。

 困惑した視線を俺に投げるチャールズへ「ありがたく受けとけ、デカい家に一人でいるのが寂しいんだよウィルは」とかつて暮らしていた隊長の家を脳裏に描きながら告げる。そんな俺に隊長は「私はそんな積もりでは」と否定するが、ルカが俺の家に来てから一人であの家で暮らしている事実を俺は知っているし、あの家は一人で暮らすには広すぎる事も知っている。

「それでは、お言葉に甘えて」

 チャールズは立ち上がり隊長へと微笑みながら、その手のひらを彼へと差し出す。彼も少しだけバツの悪そうな顔をしながら、その差し出された手のひらを手に取るのだ。

「諸々の手続きを済ませてしまおう、来なさい」

 隊長の言葉にチャールズは頷き、二人は俺の病室から出ていく。そんな二人の後ろ姿を見ながら一緒に着いてきていた白雪も「俺も戻りますけど、センパイはちゃんと安静にしててくださいよ? また明日、待ってますから」と俺へ声を投げてそのまま病室を後にする。後に残るのはサーシャとジルと俺だ。


「で、ジルはルイに何か言う事あるんじゃないの?」

 悪戯を窘める母親のようにサーシャは彼の背を押してから俺たちへと背を向け「あとはごゆっくり」と病室を後にした。ジルはジルでサーシャに背を押され少しだけよろけた後、バツの悪そうな顔をしてチャールズが座っていた椅子へと腰を下ろす。

「ごめん」

 絞り出すように一言、そう告げたジルは口を真一文字にしたまま押し黙る。そんなジルに俺は思わず笑ってしまい、その声は自分の発する咳にかき消される。そんな俺を見てジルはへにょりと眉を下げる。

「大丈夫だ、まぁ、こんな事になるとは思わなかったが、死んじゃいないんだからそこまで落ち込むなよ」

 俺の言葉に眉を下げたままのジルが「でも」と言葉を継ごうとし、その言葉を飲み込む。「良いんだよ、お前はお前の考えがあってやったんだろうし、収まるべきところに収まったんだ、誰も死んでないしな」そう告げてやれば、「ルイはもっと怒っても良いんだよ?」と俺の頬を震える手で撫でながらやっとそれだけを口にするのだ。

「じゃぁ一つだけ」

 俺の言葉に彼の指先はピクリと強張る。「うん」彼は何を言われても構わないと意を決するように頷く。

「ゲロでダメになったスーツ、新しいの買ってくれよ」

 それだけを言えば、彼は「それだけ?」と唖然としたように口を開く。「それ以外に何もないからな」と返せば、彼は深いため息と共に、俺の顔の横にその頭を埋める。

「絶交って言われても仕方ないと思ってたのに」

「こんな事でそんなこと言うかよ、子供じゃないんだから」

 俺の言葉に安堵したのか、少しだけ泣きそうな顔で「ありがとう」と彼は呟く。

「でも、スーツは弁償しろよ。高かったんだから」

「それはもちろん。今度、休み合わせて買いに行こう」


 ジルはそういって、やっと俺に笑顔を見せたのだ。

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