第13話 その風は光を連れて

 俺とチャールズは暗闇の中、互いのこれまでの人生を話していた。竜であるというだけで、その他は普通のティーンエイジャーとして暮らしていた年若いチャールズの話は、高校生というものを経験したことの無かった俺にとっては新鮮な物語で。柄にもなくその青春を羨んでしまう。

「あなたはあなたの人生を後悔してるんですか?」

 いいなぁ、という声は無意識に出ていたらしい。そんな俺に彼は首を傾げてそんな事を訊ねる。彼のその純粋な問いに、「後悔はしていない」と静かに告げる。

「普通の人生が羨ましくなることも無いわけではない。だけどさ、普通の人生を送っていたら出会えなかった人たちと会えたのは、この人生をあの時選んだからだ」

 その言葉に嘘は無い。普通を羨むのは、普通の人生を送ることが出来なかったから。だけど、普通の人生では出会えない大切なものたちと俺は出会ってきた。だから、後悔などする筈がない。

になっても、ですか?」

 彼の言う「こんなこと」とは恐らくジルの裏切りとも言える挙動だろう。その問いに「こんなことになっても、だよ」と俺は笑う。「ジルにはジルの事情があるだろうし、俺はアイツを信じるよ」

「頭を抱えて狼狽えていた人の言葉とは思えませんね」

 俺の答えにチャールズは呆れたように笑う。そんな彼に俺も笑う。

「あの時は流石に余裕が無かったよ。お前のお陰だ、チャールズ」

 此処まで余裕を取り戻せたのは、きっと彼がここに居たからだ。正直、こんな暗闇の中で一人疑心暗鬼に囚われていたと思うとゾッとする。それ以上に、肉体の意識が戻らなくとも、精神の意識すら失われ続けたままだったと考えると恐怖でしかない。

「お前が居たから、俺はこうして今笑っていられるんだ」

 そうして俺はテーブルの上に置かれたままの冷めた紅茶が入ったままのカップに口を付ける。そんな俺を見て、「それじゃぁ、僕がここに居る意味も少しはありましたね」とチャールズは優しく笑い、言葉を続ける。

「あなたが次に目覚める時、そこに何があっても受け容れる用意はありますか?」

 彼が静かに口にしたその言葉に、俺は彼を真っすぐに見据えて一言だけ、彼に告げる。

「勿論だ」

 俺の答えに満足したのであろう彼は、鷹揚に頷き「それじゃぁ、あなたが眠っている間に受け取った伝言を教えてあげましょう」と重ねるのだ。


「目覚めても、身体を動かさないで。俺のサインでゴー、だ。ジルヴェスターハイデルベルクの魔術師から、あなたへの伝言です」


 その言葉を告げた彼は、満足気に笑い、「終焉は近いです。僕も出来る限りの事はしましょう。だから今は、ゆっくり眠ってください」と、椅子から腰を上げた彼は、テーブル越しに俺へと手を伸ばす。冷たいその掌に、彼が生者ではない事を嫌でも思い出させられる。そして、俺は泥のように眠りに就く時と同じように、崩れ落ちていくように意識を手放した。


 ――それから、どれだけの時間が過ぎ去ったのかは俺には分からない。ふわり、と一瞬だけ浮遊するような感覚を覚えた瞬間、俺の身体をそよ風が吹き抜ける。その風が俺をすり抜けた瞬間、俺の身体がどこかの床の上に転がされている事に気が付く。身体を動かすな、その伝言に従う為に、身体は動かさず、薄く目を開くだけで、此処が何処なのかを突き止めようと、すこしだけしかない視覚情報と、聴こえてくる声を頼りに思考を巡らす。二人の男の声と、埃っぽい床、そして黒いローブに包まれた二つの人影。幸い眼鏡は外されておらず、レンズ越しの細くトリミングされた世界は薄暗かったが、蝋燭の明かりが揺れ動き、暖かな橙色で染め上げられていた。それは、俺が意識を失った筈だったジルのラボとも、チャールズと話していた暗闇とも違う場所で、埃と黴のにおいと、何かの薬草のにおいが混じったような古臭い空気が充満しているこの場所で、二人の男は言葉を交わしている。男の内、一人はジルだろう。聴き覚えのある声が部屋の中に響く。

「手土産、気に入ってくれた?」

 愉しげな声色をわざとらしく出すジルの声に、フル回転で思考をしていた俺は、思考の海から現実へと引き戻される。

「勿論じゃないか、鳥籠もそうだけど、ジルヴェスター、君が僕の元に帰ってきてくれたのが一番嬉しいんだ。僕と一緒に世界に混乱を齎そう?」

 声から感じられる年齢にしては幼稚な口調で言葉を繰り出す男の声は、ジルのものとよく似ていて、あぁ、きっと彼がジルの兄なのだろう。と納得する。ジルが手土産と、そして男が鳥籠と呼ぶのはおそらく俺の事であろう。商品としてやり取りするのであれば、床に転がすのは如何なものだろう。

「そうだね――なんて言うとでも思った?」

 ジルはその手に持つ杖をその床へと強く打ち付ける。彼の杖を中心に円状に広がった風は俺の身体をすり抜け、俺はチャールズからの伝言にあった「サイン」がそれだと気付き、床に転がっていた身体を勢いだけで起こし、膝をついたままジルを背にし左から抜き出した銃を右手で構え、ローブのフードを目深に被った男へとその銃口を突き付ける。

「ふぅん」

 男は詰まらなそうな様子で「僕の本拠地ホームでそんな事をして生きて帰れるとでも思っているの?」と言葉を重ねる。

「勝算が無ければ、ジルは動かねぇよ」

 名前も知らない男に俺はそう言って口端だけを上げる。

「でも、キミだって、僕に銃口を向ける割には引鉄を引かない。すぐに撃ち殺せばいいじゃないか。可愛い弟に裏切られて、折角手に入れた愛しい鳥籠には銃口を向けられる。そんな傷心の男を撃ち殺すなんて、君には簡単な事だろう?」

「生憎俺は平和主義者でね」

 俺が口にした言葉に彼はケラケラと笑う「僕の虫はすぐに殺すのに! どの口が平和主義だと語る?」その笑い声は異常さを孕み、俺はグリップを握りなおす。

「鳥籠くん、君が僕を撃てないのは僕がジルヴェスターの身内だと知ってるからだ。そうだろう? そうでなければ、僕がなのを恐れてるのかな?」

「ルイ、あいつの言葉は聞き流せ。アイツは俺がやる」

 ケラケラと笑いながらも言葉を紡ぐ男の声を塞ぐように、ジルは俺の耳元で囁き、珍しくその身に纏うローブを翻しながら俺の横をすり抜ける。

「まるで道化だね。おかしいと思わないの? 繋がっている筈の君の虫たちや信者達がこの部屋に来ないコト」

 嘲るような乾いた笑いと共にジルが吐き捨てた言葉には「僕が呼んでいないだけさ、君たち二人をどうにかする位僕一人でどうとでもなる」と彼はケラケラと笑う事を止めず言葉を返す。

「あぁ、それならただの馬鹿だ。君の使う術を誰が確立させたと思っているんだ?」

 ガン、という音と共に扉は蹴破られ、白雪を筆頭に特別機動隊の隊員達が部屋の中へと雪崩れ込んで来る。そんな隊員達の姿を満足気に見て、ジルは尊大に笑みを浮かべ、笑う。

「俺だよ」

 笑うジルに震える男、そしてそんな2人を意にも介さず白雪は俺の元へと駆け寄るのだ。

「センパイ! 全然戻ってこないから心配したんですよ!? ハイデルベルク主任からこの場所の住所が送られてきて、あ、他の部屋の制圧は完了してます。特機だけじゃなく、警務部も動員した大捕り物ですよ」

「ご苦労だったな。心配かけて悪かった」

「ハイデルベルク主任も含めて、とりあえず無事なら良いんです。あの男が主犯ですか」

 いくつもの銃口が彼を捉えても、彼はその笑みを崩さない。

「あーあ、折角愉しくなってきたと思ったのに。でも、魔術を使えない君たちが僕をどうにか出来ると思ってるなんて腹立たしいな」

 対峙した男が笑みを消し去り、彼自身が持つ杖を掲げる。

「伏せろ!」

 鋭いジルの声に、俺は隣に立っていた白雪をとっさに投げ飛ばし、俺自身も床に身を低く構える。他の隊員達もジルの言葉に床に伏せ、次に何が起こるかをじっと窺うのだ。

 そして弾けるのは閃光。男の杖が飛ばす光線を、ジルが風の壁で消し去る。

「だから言っただろう、馬鹿だって」

「お前だけは生かして帰すものか」

 男はそのフードを取り去り、ジルを真っすぐに見詰める。姿形こそジルと似ていれど、その濁り切った碧はジルの瞳のそれとはまったく違うものだった。俺は投げ飛ばし床を転げたまま伏せる体勢を取っていた白雪にそっと近寄り、その耳元で小さく言葉告げる。

を連れて、隊員連れて部屋から出ろ」

 部屋の端のソファにチラリと見えたプラチナブロンドは恐らく俺たちが連れ帰るべき少女であろう。白雪にそう告げれば、「センパイは」と小さな声で呟く。

「俺は、見届ける。見届けないといけない」

 部屋に響くのはジルの発した「そんな事、分かってる」という言葉だった。

「行け、白雪」

 俺は白雪にそう告げ、右に吊っていた銃も抜き出し、撃鉄を下ろした次の瞬間には両手に握る銃の引鉄を同時に引く。火薬が銃弾を弾き出す音と共に、その弾は真っすぐに男の両肩を掠める。

 それを合図に白雪は床を蹴り、ソファに眠る少女を抱き「撤退だ!」と叫ぶ。

「駄目だ、!」

 突き刺すようなジルの言葉に、白雪はその足を止める。「行け! 俺とセンパイは後から脱出する!」白雪が叫び、他の隊員達が弾かれた様に部屋の外へと出て行くのだ。

「あーあ、惜しかったな。俺の魔術で眠る彼女がこの部屋を出ればそれは死を意味してたのに。やっぱりはじめからお前を殺しておくべきだったね」

「言ってろ。お前の詰めが甘いのは二十年以上前からだろう?」

 玩具を弄りまわした挙句、壊した子供のようにつまらなそうに声を上げる男に、ジルは鼻で笑う。

「遊びの時間は終わりだ。お前たちは此処で死に、鳥籠くんは僕の魔術の芯材になる。これがエンディングだ」

「そんな事させるか」

 勝手なことを言って笑う男にジルは今まで聞いたことも無いような低い声で毒づくのだ。そして、男は俺に向けて杖を向ける。俺は銃から数発の弾を弾き出すそして、彼が杖から出したその光線を逃げることなく受け止めようとした、その時だった。

「……嘘だろ」

「馬鹿な弟だな、鳥籠くんを見放せば、生きる道もあったかもしれないのに」

 結果的に、俺は男の発したその光の線に射貫かれる事は無かった。何故なら、その光線は、今、俺を壁にして倒れ込んだジルがその背で受けたからだ。右手に握った銃が、ゴトリと重い音を立てて床へと落ちる。

「……勝手に、殺すな」

 息も絶え絶えに彼はそれだけを絞り出す。「彼女をこの部屋から出すには、あの男を殺すしかない」と重ねながら。そして、彼はそのまま床へと崩れ落ちる。俺に彼の持っていた杖を握らせて。

ハイデルベルクの魔術師ジルヴェスターが居なくなった今、残るのは役人風情が二人だけ。こんなに勝敗の分かり切った戦いもないだろう?」

 男は勝利を確信したように笑いながら言葉を繋げる「シラユキ、だったか? キミの腕の中に居る彼女とその鳥籠くんを置いて行くのなら君は生きたまま帰してもいいんだよ? キミは僕には必要ないし」ケラケラと笑いながら歌うように言葉を繋げる男に、白雪は否と返す。

「俺が、アンタの言いなりになる意味が何処にある?」

「そう、じゃぁキミも死のうか?」

 白雪は少女を抱きかかえたまま片手で銃を向ける。俺は右手の銃を床に落としたまま、ジルから渡された杖を握り、左手には銃を構えたまま、脳裏には絶体絶命、の文字が点滅する。

「大丈夫ですよ」

 耳元で囁くような声が頭の中に響く。それは、暗闇の中で出会った青年の――チャールズの声だった。

「本当はこういうコトも出来るんですよ、幻聴だと思われても嫌なのでやらなかっただけですし」

 くすくすと笑いながら彼は俺の脳内で囁く。

「あなたなら、今持っているその杖も使いこなせる。彼もそれがわかっててあなたに託したんだ。あの魔術師を人間にしてしまえばいいんです。そうすれば銃で殺せます」

 さぁ、自信を持って、ちょっと身体も借りますよ。と彼は穏やかな声で俺に囁き続けた。まっすぐに男を見据えれば、身体がその杖の使い方を知っているかのように、自然と動き、その口からは話したことなどいままでないような言語が紡がれる。

「センパイ?」

 困惑したような白雪の声が耳へと入ってきたが、俺が紡ぐ言葉と、身体の動きは止まることは無い。きっと、チャールズが俺を動かしているのだ。それはとても短い時間だった。それでも、俺には世界がスローモーションに見えていて。その部屋の中は眩いくらいの光に包まれ、「あとはあなた方の仕事です」とチャールズの声が脳内に反響する。

 俺は左手に握っていた銃を即座に構え、その引鉄を引く。銃口から弾き出された弾は真っすぐに男へと突き刺さり、その眉間を貫いたのだ。

「なぁ、知ってるか? この銃、俺が初めて引鉄を引いた銃なんだよ。二十年前のあの日、お前が使った虫と同じ奴を撃ち殺した銃だ」

 そう言って残った弾を男の身体に打ち込み続ける俺が握る銃のグリップの底には、W.S.というアルファベットが刻まれていた。

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