幕間:昼下がり、一人きりの部屋の中にて

 その暗い部屋の中には一人の男が立っていた。窓はひとつも存在せず、電灯も無いその部屋の中には無数の蝋燭に火が灯され、前時代の遺物のような、よく言えばアンティーク、悪く言えばガラクタ扱いをされる小物達が置かれていた。前世紀に持て囃されたような古いソファの上には腰ほどまでに伸びた豊かなシルバーブロンドを緩やかに波打たせた少女が眠っており、男は一人、ソファから遠く離れた年代物と思しきマホガニーの書き物机の前に置かれた椅子へと座り、少女を見つめる。

「竜の血筋に連なる少女はこの手の中に居る。その能力を授ける血も、まだ残っている。それに――ヒトの皮をかぶった人非ざる愛しき鳥籠」

 男は誰にも届かないその言葉を呟き口元に弧を描く。デスクの上にはこの部屋にはそぐわない電子機器が置かれており、この部屋で電力で光を放つのはそのノートパソコンのディスプレイだけである。

「最初はただの雑魚だと思ってたけど、まさか僕の術を跳ね返すなんてなぁ。逃がしちゃった竜も鳥籠の中に居るみたいだし。使もっと強い術を使えるかも、なーんて」

 眠り続ける少女は外見とは裏腹に幼稚な男の声など聞いてはいない。少女は男の術の中で眠りから覚める事は無い。殺さず、逃がさず、彼は数時間前に捕らえた少女を自身のコレクションのように扱うのだ。

「ここまで整えれば、きっとでしょう?」

 僕をこうさせたのは君なんだから。と彼はくすくすと笑う。パソコンのディスプレイはメッセージの送信が完了したという表示を出しながら、小さな駆動音を鳴らし続けていた。


「竜の血筋も欲しいけど、僕はそれ以上にが欲しいんだ」


 その男の笑い声を、聞く者は誰一人として居なかった。



 国連の地下に広がるCOBAの一角に位置する研究課に割り当てられたスペースの中でも入室が制限されている研究室の一室が彼に割り当てられた城であった。その城の主の名はジルヴェスター・ハイデルベルク。若くして主任を任されている彼に割り当てられたラボは、簡易ベッドや魔術師が魔術を行使する為に使う杖、雑に掛けられた白衣とローブに無数の本、そして機械や何に使うのかもわからない一見すればガラクタとも思われる代物が雑然と置かれていた。天井に埋め込まれた蛍光灯はそれらの品々を煌々と照らし、その部屋の主であるジルヴェスターはデスクチェアに深く腰を沈め、目の前にあるデスクに置かれたパソコンのディスプレイを睨みつけていた。

「自信満々って感じで腹が立つな」

 彼の友人であり同僚である特別機動隊員が去った今、彼の他には誰一人として居ないその部屋の中で彼は具材も見ずに適当に買ってきたサンドイッチを口に運びながら、ボソリと呟く。そのディスプレイに表示されていたのは二つのウィンドウ。一つは特別機動隊の隊員から送られてきた紋章の写真、そしてもう一つは現場検証へと向かった解析班から齎された簡単な検証結果のデータである。勿論、詳細な数値は詳しい検査や検証を重ねなければ出てはこないが、簡易検査でもわかる事は多い。彼は現場検証に向かう職員に対しまずは簡易検査の結果を報告するよう徹底させていた。そして、そのデータは解析班の職員たちは知りえない、ジルヴェスターのみが知りえる情報に満ちていた。彼は一人苛立ちを隠さずサンドイッチを腹に収めていれば、顔馴染みの機動隊員から簡易メッセージが通知音と共にディスプレイ上に浮かび上がり、その文面を見た彼は虚を突かれたように目を見開いた後にくすりと笑みを零す。

「ルイ、やるじゃん」

 そのメッセージは特別機動隊長に隊長の狗と呼ばれて久しい彼の友人が喰って掛かったという困惑と驚きに満ち溢れた報告であった。手元のサンドイッチが無くなった頃に再び通知音と共にメッセージが届けば、続報だろうかと笑みを隠さずそのメッセージを読めば、レンズ越しのその碧眼を細める。

「誰がお前にくだるか」

 それは、彼の友人が、そして彼が今まさに追おうとしている男からのメッセージであった。


【そろそろ僕の元に帰って来る気になった?】


 ディスプレイに浮かぶその一文に彼は吐き捨てるように一言だけ呟き、奥歯をきつく噛みしめる。彼の罪の象徴であるその男からのメッセージをじっと見つめる彼は、深く息を吐き出し、そして吸う。自身を落ち着かせる為、数度深い呼吸を繰り返して一人乾いた笑いを漏らすのだ。

「潮時かな」

 ポツリと呟くその言葉は、他ならぬ自分自身へと宛てた言葉だった。彼はそのメッセージに【場所も書かずによく言う】とだけ返し、その言葉はすぐに【だって、君は僕が何処にいるか分かってるでしょう?】という返信と共に答えられる。以前の自分であれば、何も言わずにこの部屋から姿を消していただろう。彼は冷静に自身の取り得た行動を思う。男の誤算はその自信から出た錆だ。「いつまでも俺がだなんて思ってるんじゃねぇよ」彼の浮かべる表情は嘲りで。彼は冷めきったコーヒーをそのまま一気に喉へと流し込んだ。その時だった。


「ジル、今良いか」

 その言葉と共に、彼の友人であり、彼が今ここに居る理由となっていた男が電子音と共に彼の元を訪れたのは。

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