第10話 その心は意思を持つ

 事務所から出て廊下を足早に進めば、事務所に戻るのであろう隊長がこちらへと向かって来ていた。

「ハワード夫妻を保護しました。警務部の職員に任せてあります。白雪には娘の保護を指示しているので、これから合流します」

 俺は彼にそれだけを報告し、彼もその報告を「そうか、ご苦労」の一言で片づける。

「あの時の概念外生物が現れている。ウィル、アンタは何を知ってるんだ?」

 俺は彼に声を低くして告げる。「この事件には関係がない事だろう。お前は何も知らなくていい」彼はいつもの冷静な調子で俺の問いに答える事はない。いつもの俺であれば、イエス・サー。の一言で彼に従っていただろう。しかしもう、従順な犬はやめると決めたのだ。

「事と次第によってはぶん殴る。覚えてろよ」

 それだけを告げ、俺は彼の横をすり抜ける。その瞬間、彼は「あの事件を知るという事は、という事だ。だから隠した」とボソリと呟く。

「俺が何者かを知るって、どういう意味だ」

 彼の呟きが聞こえてしまった俺は彼の背に向かい問うが、彼は俺の問いには答えずに事務所へと向かい歩みを進める。その後ろ姿を数秒見つめていた俺も、当初向かおうとしていた場所へと再び足を動かすのだ。俺が何者なのかだなんて、この事件には関係ない。と自分に言い聞かせながら。


「ジル。居るか?」

 彼の研究室へと入り、そう声を掛ければ彼は「ルイ!」といつになく焦りを浮かべた声で俺の名を呼ぶ。「大丈夫だった!? 解析班の方には話は回したけど、襲ってきた奴に触れたならメディカルチェック……いや、俺が見る。あっちのベッドに寝て」そこまでまくし立てた彼は有無を言わさず俺をラボの端に置かれたベッドへと追いやるのだ。普段のひ弱さはどこへ行ったのか、こんなに強い力で人を押せたのか。と思うような強引さで彼は俺をベッドまで押し付ける。

「ちょっと足に絡みつかれただけだ。銃弾二、三発喰らわせたらおとなしく離れたぞ?」

「触れた事が問題なんだ。じっとしてて」

 俺の言葉に彼は強い口調でそう返せば、バタバタと部屋の隅に雑に立てかけてある彼の杖を持ち戻ってくる。

「手荒くいくよ」

 それだけを俺に告げれば、彼はチャールズの姿を元の姿に戻したときのように俺には理解のできない言語でいくつかの言葉を告げ、俺へ杖の上部を翳す。足に軽い火傷をしたような熱さを多少感じた他には何も感じない。緊張を孕んだ彼のその一連の行動を見つめていれば、彼の表情は安堵のものへと変わり、彼はベッドに寝かされた俺の胸元へとその頬を寄せるのだ。

「どうしたんだ」

 彼の一連の行動が理解出来ない俺は彼に問う。彼は胸元に頬を寄せ、俺の心拍音を聞いているようにも、竜の匂いを嗅いだときのように俺の匂いを嗅いでいるようにも見えるその体制のままぐりぐりと頬を俺へと押し付けるのだ。「おい、気が済んだなら離れろ」俺はそういいながら彼の頭をグイと押し上げる。「……鼻水付けてないだろうな」彼の頭を押し上げて見えたのは、彼の碧眼から零れ落ちる涙。「情緒がないよ、ルイ」彼は鼻を啜りながら困ったように笑った。

「俺のメディカルチェックよりもお前のメンタルチェックの方が先じゃないか?」

「感受性豊かなだけだってば。でも無事でよかった。チャールズのお陰だね」

 やっと俺から離れたジルは俺の言葉にそう答える。そんな返答に俺もベッドから上体を起こし、「チャールズの? どういう事だ」と返すのだ。

「チャールズはルイの中で生きている。ああ、こう言うと思想的なものにも聞こえるね。そうじゃなくて、チャールズの魔力がチャールズを形成していて、ルイの中に存在しているんだ。だから夢の中で彼と会話が出来るし、彼の魔力にルイは守られてる」

 そうじゃなければルイは今頃魔術師の傀儡になってただろうね。と続ける彼に俺は首を捻る。俺が彼の言葉を理解出来てないという事が彼にも伝わったのだろう。「ルイが言ってた人間を使い魔ファミリアにする魔術師。あれは人間を使い魔ファミリアにするんじゃなくて、人間を操る魔術だ。虫を媒体にして人間をロボットみたいに遠隔操作する。人間の中身を燃料にするから用が済めばポイだ。傀儡にされた人間はその瞬間あの世行き。良識が少しでもある魔術師は使わない秘術だよ」そう言い切った彼に俺は「感染症みたいなモンか」と納得する。

「普通の人間だったら虫や傀儡だったモノがその身体に触れた瞬間に。でもルイはチャールズの魔力があったから跳ね返せてたんだね。残ってたのもさっき焼き切ったから大丈夫」

 ホント、ルイがルイで良かったよ。とジルはまた泣きそうになりながらそう重ねる。懇切丁寧なそのジルのその解説を聞いた俺は思わず声を上げる「白雪がチャールズの妹を保護しに行っているんだ! 同じ事が起こったら……」そんな俺の焦りを見たジルは「大丈夫。ルイの電話が終わった後にシラユキにはこの事も伝えてある。虫や敵に触ったらオダブツ。触った奴が居れば即座に殺せってね」と、たいして面白くもなさそうにそう告げる。

「お前、本当に白雪の事嫌ってるよな……」

「嫌いなわけじゃないよ。胡散臭いなって思ってるだけで」

 そんなジルにため息一つ、俺は白雪へと電話を掛ける。


「センパイ」

 その一言をやっと絞り出したとでもいうのか、彼はいつもの自信に満ち溢れたその声とは違う弱弱しい声で電話口に出る。

「白雪、大丈夫か? 娘の保護は」

 俺の問いに、「すみません。俺たちが行った時にはもう……応戦して連れ戻そうとしたんですが……」そう返した白雪の声は途絶える。俺は悔しさに壁を殴りつけたくなる衝動を押し込んで努めて冷静に「被害は」と問いを重ねる。

「全員五体満足、ハイデルベルク主任のアドバイスが無ければ今頃地獄でした」

 お礼、言っといて下さい。と、任務を遂行出来なかった悔しさを滲ませるその声に「解った。すぐ戻ってこい。立て直すぞ」と告げて電話を切る。

「ルイ?」

 通話の切れた端末を握りしめる俺に、ジルは気を遣うように声を掛ける。

「娘は向こうに先を越された。こちらの損害は無し。先を越されたのは痛いが、アイツらに地獄を見せずに済んだ……ありがとう。お前のお陰だ」

 俺はやっとその言葉を絞り出し、彼へ頭を下げる。ジルも、「そっか……」とそれだけを口にして黙り込む。

「俺は戻る。何かわかったら教えてくれ」

 俺は彼の頭をくしゃりと一度だけ撫でて、彼のラボを後にした。


 彼のラボを出て、一度は事務所へ戻ろうと足を向けたが、それを留め俺は別の場所へと踵を返す。まずは彼らに詫びなければいけないと思ったのだ。向かうのは警務部が用意した応接室。ハワード夫妻が彼女の安否を心配しているその部屋であった。

「シーグローヴです。よろしいですか」

 ドアの前でノックと共に部屋の中の彼らへと言葉を投げれば、ハワード氏に入室を許される。

「娘は」

 気丈に振る舞いながらも我が子の安否を心配する色を滲ませたその声に俺は第一声に謝罪を選び、頭を下げる。「部下に直ぐに向かわせたのですが、既に遅く。彼らも奪還を試みたのですが……力及ばず、申し訳ありませんでした」更に頭を深く下げれば、「貴方が直ぐに動いて下さっていたのは私たちもよく解っています。どうかご自身を責めるようなことはしないで下さい」と、彼は静かに俺に告げる。彼の隣に居る妻も、その瞳に涙を浮かべながらも小さく頷くのだ。気高い竜の血筋が彼らをそうするのだろうか。口汚く罵られた方がマシだった。俺はそんな事を感じながら、彼らを真っすぐに見つめ、そして誓うのだ。

「必ず、お嬢さんを奪還します。この命に代えてでも、必ず」

 俺の誓いに、彼らは言葉を返さなかった。それは、彼らの優しさなのだろう。俺のこの誓いに彼らが言葉を返したら、それは契約となるのだから。俺はそれを解ってこの言葉を告げた、しかし、彼らはそれを契約とはしなかったのだ。そして、ハワード氏は別の言葉を紡ぐ。「私たちにはもう、あなた方に頼るしかどうする事も出来ません」と。

 彼らに一礼をした俺は、その部屋を辞する。そうして今度こそ事務所へと戻るのだ。


「センパイ!」

 事務所に戻るや否や、そう叫び駆けてくるのは白雪で。「俺がもっと深刻に捉えていれば」と悔しさを滲ませた涙声で俺へ言葉を紡ぐ。

「起こったことを悔やんでも前には進めない。今、俺たちがやる事は捕らえられたハワード夫妻の娘を生きたまま奪還する事だ。時間がないんだ、何か手がかりは無かったか?」

 白雪を落ち着かせるように冷静に言葉を彼へと染み込ませれば、白雪は鼻を啜りながら「操られていた男が、この紋章を身に着けてました。ハイデルベルク主任なら何か知ってるかもと思って写真は撮って来たんですが……」端末の画面に映し出された何かの紋章が刻まれたネックレスの画像を見せながら、彼は俺にそう告げる。俺は彼の端末からその画像をジルへと送信するのだ。

「ルイ、勝手に動こうとするな。慎重に動け」

 俺と白雪の会話を静かに聞いていた隊長は低い声で俺へと告げる。その言葉は事務所の空気を停滞させ、室内には重苦しい沈黙が圧し掛かる。

「「指示は私が出す」とでも? 今の隊長を俺は信用する事は出来ません。さっきも言ったでしょう。事と次第によっとはアンタをぶん殴ると」

 隊長に対して強く出た事は今まで無かった俺が、隊長へとそんな言葉を投げた事に事務所内では衝撃が走り、隊員たちはベテラン、新人を問わずにざわつき始める。そんなざわめきを俺は無視して隊長のデスクの前へと向かい、レンズ越しのその眼を真っすぐ見つめ、さらに言葉を告げる。

「俺はアンタの意図が全く分からない。今回は特に。何を隠してるんだ? そもそも、アンタはどっち側に立っている?」

 俺の言葉に「保護者として、お前が知るべき情報ではないものを見せていないだけだ」とあくまで冷静な口調で彼は俺に言葉を返す。

「俺はもうあの時の子供じゃない。俺が何者かなんてどうでもいいんだ。俺は、この事件を解決したい、あの夫婦に二度も子供を喪わせたくない」

 その言葉に、隊長はため息を一つ漏らし「公私混同だな」と言い放つ。隊長のその言葉に俺は彼のデスクに回り込み、デスクチェアに深く腰を沈める彼のその胸倉を掴み上げた。

「その口で、よく言う。アンタがやってる事こそ公私混同だ。ふざけるなよ」

「センパイ! 落ち着いてください!」

 胸倉を掴み上げた俺にどよめく事務所内で白雪が俺へと叫ぶ。「俺は落ち着いてる!」隊長を掴んだまま視線は隊長に固定したまま俺は叫ぶ。「どこがですか!」白雪のその声と共に俺は強い力で後ろへと引きずられ、隊長を掴んでいた手は離されるのだ。

「いつも冷静なセンパイはどこに行ったんですか! これは落ち着いてるとは言えないですからね!?」

 無理やり白雪に視点を合わさせられ、俺の視界は困惑した表情を浮かべる白雪の顔で埋められる。そんな俺と白雪のやり取りを黙って見つめていた隊長は深く息を吐き、「資料室のリヴィングストンのところに行け、話は私からしておこう」と言葉を放つ。


「今回の事件はルイ、お前に一任する。好きにしなさい」と。

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