幕間:午前11時、研究室にて。

 ルイの背中を見送った彼――特別機動隊隊長であるウィリアム・シーヴローヴの操作する端末のディスプレイに簡素なメッセージが届いたという通知が現れたのは、ルイが事務所を出、別件の事件で隊員数人がその支援へ出ていった頃であった。年若い新人隊員と数名のベテラン隊員、そしてルイが目を通せと提示した数冊のファイルに綴られた資料を読み込む白雪が机に向かう中、彼はその通知をクリックし、届いた一文だけのメッセージに誰にも知られ無い程度の小さな挙動でピクリと眉を動かした。そこに書かれたのは、場所と来いという一行の文字列のみであった。その短い文の中からひしひしと放たれている敵意に彼は眉を顰める。


「少し出る。何かあれば携帯を鳴らしてくれ」

 事務所に残っている部下たちにそれだけを告げれば、彼はその事務所の扉を潜る。迷う事なく廊下を進む彼が向かうのは、メッセージに書かれていたこの施設が抱えるラボの一つ、彼と同じ苗字を名乗る男の親友であり同僚である男に宛がわれた研究室である。


「来たね」

 扉をノックし、中から顔を出した男は固い声で彼を研究室の中へと招き入れる。

「何の真似だ」

 研究室の主であるジルヴェスター・ハイデルベルクは招き入れたその人に椅子を勧める事も、飲み物を用意することもせず、目の前に立つ男の問いに「それはこっちのセリフだよ」とレンズ越しに冷たく鋭い視線を飛ばす。

「ルイや俺の資料閲覧権限にロックを掛けたのはアンタだろ? アンタは?」

「自分の足を使って動く事を教えたのが裏目に出たな。ハイデルベルク、お前には関係のない話だろう。これは家族の問題だ」

 言いたいことはそれだけか? と隊長は部屋のドアノブへと手を掛ける。「そんな事で人を呼びつけるとは」そんな言葉を呆れかえったような声色で呟けば、彼はそのままドアノブを握りドアを開けようとする。

「忠告してやる。アンタが何を知っているのかは俺には解らない。ただ、今回の事件はで起きている事件だ。ただの役人風情が自分の犬可愛さにパズルのピースを隠すのであれば、やめておけ」

「越権行為だな。特別機動隊の運営は私に一任されている。ハイデルベルク、お前の意見は聞いてはいない」

「……飼い犬に手を噛まれる準備をしておく事だな。アンタが隠した情報でルイに何かあったら俺がアンタを許さない」

 ジルヴェスターのその言葉にウィリアムは何も返さずその扉を開け、部屋を出る。

「あのクソジジイ……」

 扉が閉まり、ロック音が聞こえれば、ジルヴェスターは盛大な舌打ちと共に閉じられたドアに向かいそう毒づく。そのまま苛立ちを隠す事なくラボの中を歩き回っていれば、彼の持つ端末がコール音を鳴らす。表示を見ればそこには、話題に上っていたルイの名前が書かれていた。


「ルイ? どうしたの急に」

 苛立ちを追いやりながら、ジルヴェスターはいつもと同じトーンで電話の向こうへと声を掛ける。返される言葉は「人間を使い魔にする奴に心当たりはあるか?」というものであった。その言葉に彼は眉を顰め「使い魔に人間……?」と問う。

「人間に擬態させた物質を使う、と言い換えてもいいかもしれない……例の虫と、それを従えた男を殺してきた。ハワード邸前だから、解析を回してくれ。一応誰か特機の奴も連れて行った方がいいな。アイツらが狙ってるのはリントヴルムの血族だった」

 冷静に淡々とそう言葉を重ねる端末から届く声に、彼は電話を握りしめ、声を荒げる。

「ちょっと待って、色々と急すぎて俺がついていけないんだけど、襲われたの?」

 荒げられた声にも電話の向こうの男は感情を感じさせないトーンで続ける。

「まぁ、それに近いといえば近いだろうな。今は夫妻を連れて本部に向かってる。妹の方も白雪に保護を頼んでいるから、後は頼んだ」

 彼はそう言い切れば、ジルヴェスターの「ちょっと話はまだ終わってない」と喚く声に返答をすることもなく通話を終えたのであろう、後にはツーツーと鳴る電子音のみが彼の耳へと届いていた。


「リントヴルムの血族、人間を操る、虫の使い魔……最悪だ」

 彼は誰も居ないラボの中で呟く。「だ」


 その言葉は、誰に届くこともなく、彼は一人、デスクを殴りつけた。

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