第9話 噛みつく準備は出来ている

「表に車を停めているので」

 ハワード氏とその細君を伴い、玄関のドアを開けたところには俺の乗ってきた車が停まっている。ただ、俺たちと車との間には不愉快な闖入者が立っていた。それは恐らく男であろう長身の黒いジーンズとパーカーを身に纏う人間であった。見た目が人間だからと言って、本当に人間かは解らないが――その男の足元には、見覚えのある薄気味の悪い虫が控えていた。恐らく、彼の使い魔なのであろう。彼を主人だとでもいうように静かに、しかし彼の指先一つ分でも彼からの指示さえ出れば俺たちを襲えるような間合いを持ってそこにいる。俺は彼の動きに神経を研ぎ澄ませ、いつでもジャケットの下にある銃を抜き出せるように立ち、先制するように、声を上げる。声の一つでも出さなければ、沈黙を守る目の前の男に飲み込まれてしまいそうだったのだ。それだけの威圧感を、彼と彼の使い魔は持っていた。

「お前は何者だ!」

 張り上げた声に目深に被るフードから垣間見える口元が弧を描く。しかし、フードが邪魔をしてその全体像を見ることは叶わなかった。俺の声にクツクツと笑う男が発した声は肉声を加工したようなそれで「お前は要らぬ、」と口も動かさずに音声を発する。まるで目の前の男はただのスピーカーで、本当は別の人間がその男を介して俺たちと対面しているかのような違和感を覚える。男の放った竜の血族という言葉に俺の後ろに立つハワード夫妻の肩が揺れたのは、愚鈍な人間を装い感じない振りをした。

「少し下がってて下さい」

 ジャケットの下から銃を抜き出し、男に向けてその銃口を向ける。「少し荒っぽくいきます」恐らく荒事には慣れていないだろう彼らへ告げ、その次の瞬間には引鉄を引く。

 銃口から放たれた弾は男の額を貫き、彼の足元に居た数匹の虫達は俺たち三人へと跳ね飛んで来る。それらも右手に持つ銃と共に空いてた左手で抜いた銃の引鉄をそれぞれ両の指先で引き撃ち抜く。虫が動かなくなるのと同時にフードの男はその姿を跡形もなく溶かしていくのだ。


「今のうちに!」

 俺たちと車の間に邪魔立てするものが消えた今出なければ、と彼らを車の中へと誘導する。彼らを車の後部座席へ押し込んでいれば、俺の足にはその体液にまみれた虫とでろりとした軟体の物質が絡みつく。双方に有無を言わさず弾を数発打ち込み振り切れば俺もまた車へと乗りこむのだ。

「シーグローヴさん」

 アクセルを強く踏み込み、車の流れに乗ればハワード氏は俺に震える声を投げかける。逮捕した生物を載せることもあるこの車の運転席と後部座席は強化ガラスで隔てられているが、声は集音機器を通して俺のもとへと届けられる。俺は車に乗せた通信機材を片手間に操作しながら彼の声に反応をする。

「何か気になる事でも?」

 彼にそう問えば「先ほどの男、、と……」と小さな声が続く。その隣で夫人も「娘が」と声を詰まらせる。ジルの報告にあった妹一人、の言葉が思い起こされる。

「娘さんは学校ですか」

 俺の問いに彼らはそれを肯定するように頷く。「すぐに職員を向かわせます」俺は彼らを安心させる為、そう告げ、後ろに声が届かないようにしてからハンズフリーにしてある端末で白雪へと連絡を取る。

「センパイ! どうしたんですか」

「緊急事態だ。チャールズの妹を保護してきてくれ。俺は両親の方を本部へ送っているからそっちまで手を回せないんだ……」

「わかりました。理由は後でちゃんと教えてくださいね」

「おう、名前と学校はジルの報告書に書かれてるだろ。それ見てくれ」

 俺の指示に一つ一つ了承の返事をする彼に「一人で行くな、腕の立つ奴を連れていけ」と最後に告げ、彼の了承を得る前に通話を切断する。

 そして、次に架ける相手はジルである。


「ルイ? どうしたの急に」

「人間を使い魔ファミリアにする奴に心当たりはあるか?」

 俺の言葉に「使い魔ファミリアに人間……?」と訝しげな声が届く。

「人間に擬態させた物質を使う、と言い換えてもいいかもしれない……例の虫と、それを従えた男を殺してきた。ハワード邸前だから、解析を回してくれ。一応誰か特機の奴も連れて行った方がいいな。アイツらが狙ってるのはリントヴルムの血族だった」

「ちょっと待って、色々と急すぎて俺がついていけないんだけど、襲われたの?」

「まぁ、それに近いといえば近いだろうな。今は夫妻を連れて本部に向かってる。妹の方も白雪に保護を頼んでいるから、後は頼んだ」

 話すべきことだけを話し終えれば、ジルの「ちょっと話はまだ終わってない」と喚きたてる声を無視して切断をする。連絡をすべき所へ連絡を済ませた俺は再び夫妻に声が届くようスイッチを操作し、彼らへ話しかける。

「娘さんの保護は特別機動隊で承ります。とりあえずお二方はそのまま本部へお連れしますがよろしいですか」

 俺の言葉にハワード氏は「頼みます」と一言告げ、口を噤む。そんな二人の心中を察する事は出来るが、その心中を慮った言葉を見つけられなかった俺も言葉を継ぐことは出来ず、車の中には重い沈黙が流れるのだ。そして車はそのまま数分間走行し、本部の駐車場へと滑り込む。俺は彼らを本部の職員へと託し、特別機動隊の事務所へと足を向けるのだ。


「隊長は居るか」

 事務所の扉を乱暴に開け、それだけを口にすれば所内に残っていた年若い隊員は「さっき少し出ると言って出ていきましたよ」と端末の画面から目を離すこともせずに告げる。

「あのクソ……」

 口の中でだけ呟いたはずのその言葉は表に出ていたらしい。俺の言葉を耳にしたらしい青年は目を剥く。きっと俺がそんな言葉を口にするなど思ってもいなかったのだろう。彼に拾われたあの日から、俺は二十年もの間忠実な犬として生きていた。そして俺はそれを良しとして生きてきたのだ。けれど、今回は、それで良しとして生きるのは俺も、そしてきっと俺の中で息づくチャールズも、良しとはしないのだ。

「俺も少し出る。隊長が何を考えているかは知らんが、戻ってきたら伝えておけ。二十年前に何があるかは知らんが、今は今の事件を解決させる義務がある。噛みつく準備ならもう出来てるってな」

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