第8話 告げた言葉

「遅かったな」

 自身のデスクに座り、端末を起動させる俺を見て、隊長は一言それだけを告げる。その嫌味にも、率直な感想にも、今まで何をしていたのかという探りにも聞こえるその言葉を「研究課に寄ってたモンで」の一言で済ませれば「報告はあったか?」と重ねられる。隣に座る白雪も興味があるのか俺をチラリと視線を投げられる。

「ええ、身元が割れましたよ」

 起動音を鳴らす端末をそのままに、俺はジルから受け取った資料と共に隊長のデスクの前に足を運ぶ。チャールズの身元が書かれた資料だけを彼へと渡す。その資料に目を通す彼を見ながら、俺もその資料の中身を声に出すのだ。

「名前はチャールズ・ハワード、十六歳。ブロンクスの高校に通う善良な高校生でした。彼は恐らくでしょう」

 俺の言葉に隊長は片眉だけをピクリと動かし、「被害者?」と問う。彼の訝しげに細められた鋭い眼光は、彼の掛けるメガネのレンズ越しに俺へと真っすぐ投げつけられるのだ。大抵の隊員はたじろぐであろうその眼光も、俺にとっては二十年変わらないもので、今やそれに対して何も感じはしない。

「そうです。彼は善良かつ模範的な概念外生物でした。彼の資料を見ても何ら後ろ暗い所は無い。それならば、彼は被害者側のイキモノだ。隊長、貴方だって気付いているんじゃないんですか?」

 俺は薄く笑って言葉を続ける。彼に口を挟む余裕すらも与えずに。

「彼は、何者かに捕らえられ、そして大型化させられた果てに狂暴かつ社会性の欠如した同胞に殺された。チャールズの両親からはウチに捜索願が出されています。誘拐の線が濃厚でしょう」

 無能だってそれくらいわかります。そこまで一気に告げて、俺も彼を真っすぐと見つめる。沈黙の中、俺と彼との視線だけがぶつかる。

「安易な思い込みは落とし穴に繋がるぞ」

 静かにそう告げた隊長は俺から目線を反らし「それで全てか」と問う。

「ええ、

 俺は静かにそう答え、「研究課も落ちぶれたな」と独り言のように漏らす。

「俺はハワードの家に行ってきます。白雪、お前は俺のデスクにある資料から、類似点をピックアップしておいてくれ」

 俺の言葉に静かに「あぁ、行ってこい」と告げる隊長に背を向け、「俺も一緒に行きます!」と立ち上がる白雪を「家族への説明は俺だけで十分だ。それ以上にその資料を読み解く方が重要だろう。昼には戻る」と窘めて、俺は事務所を後にする。そのままハワードの家へと向かおうとも思ったが、踵を返してロッカールームへと向かう。着替えなければ、と思ったのだ。


 本来、概念外生物管理局で外へと出る職員の制服は黒のスーツと決められている。しかし、今そんな規定を頑なに守っているのはもう滅多に現場へは出ない特別機動隊隊長くらいなものだ。黒一色の人間がゾロゾロと外に居れば否応なく目立つのだ。今現場に出ている職員は大抵が自前のスーツに襟章だけを控えめに付けている程度のものだ。パッと見て普通のサラリーマン達と変わらないような姿で働く。その程度が丁度いいのだ。しかし、今回は普段の仕事とは違う。何せ「捜索願を出していたあなた方の息子は死にました、恐らく殺されました」なんて報告をしに行くのだ。そんな場面、定められた正式な装いで行くのが筋だろう。ロッカーの中に並ぶスーツの中で、一番着られていないように見えるその黒い一式を取り出し、今着ているそれと交換する。ジャケットの下に吊っていた拳銃はそのままに、喪服のような黒いスーツを身に纏えば駐車場に停められたトヨタの運転席に乗り込み、ナビにハワードの家がある住所を打ちこめば、いつもは白雪に踏ませていたアクセルを数か月ぶりに踏み込むのだ。

 ナビに導かれ車を転がしていれば、ナビは目的地に到着したというアナウンスと共に案内を終了する。道端に車を寄せ、運転席から降りれば目の前には一目で富裕層のそれだとわかる家がそこにはあった。ドアチャイムを鳴らせば、その家に雇われているのであろう女性が対応をし、警察と騙りご子息の事でと家主への取次を依頼する。その言葉に彼女は俺を家の中へと上げ、応接間なのであろう部屋のソファを勧める。その厚意に礼を尽くして勧められたソファへと座り家主を待つ。数分の時が過ぎ、慌ただしげに壮年の――恐らく隊長と同じか少し下程度の年齢であろう男性が部屋の中へと入って来る。その後ろには男よりは少し若く見える女性が不安げな表情で男性に付き従い部屋の中へと入ってくるのだ。男性は俺の来訪を告げたのであろう女性へ何も持ってこなくていいとだけ言えば彼女を部屋から遠ざける。こうして人払いが済んだその応接室には恐らくチャールズの両親であろう男女と俺の三人のみとなった。彼らが部屋に入ってきたタイミングでソファから腰を上げていた俺に彼らは再び座るよう勧め、俺もその言葉に一礼と共に再び腰を下ろす。彼らはチャールズの両親であると名乗り、俺も先ほどの女性に騙った警察という言葉は使わず、改めて「概念外生物管理局、特別機動隊員のルイ・シーグローヴです」と本来の名を彼らへと告げ、身分の証明の為職員証を彼らへと提示する。提示した職員証を見、頷いた二人に「先ほどの女性には警察であると話しました。あなた方が何処までその存在を明かしているか解りかねたものですから」と身分の詐称を詫びれば「その方が有難い。私たちはこの家で雇っている者に本来の私たちの姿を教えていないのですよ」と男性は静かに告げる。

「それよりも、チャールズ……息子は見付かったんですか」

 絞り出すように告げたその言葉は震えていた。俺は真実を告げるべく口を開く。

「見付かった、という意味では、見つける事が出来ました。しかし、それは生死を問わなければ、という条件付きです」

 彼らへそう告げれば、彼らは言葉を見つける事が出来なかったのだろう、その視線は雄弁に「嘘だ」「信じられない」と告げていたが、彼らが直ぐに何かの言葉を放つ事はしなかった。そんな彼らに、俺は無慈悲にも言葉を重ねる。

「我々が彼を発見したのは、先日トラック事故と発表されたトンネルの中でした。彼は大型竜種の姿で、他にも一体居た大型竜種と乱闘の末、その大型竜種に致命傷を負わされて亡くなりました。もう一体は我々が処理したのですが、彼の救出に間に合わなかった事を心からお詫びさせて頂きます」

 立ち上がり頭を深く下げれば、ハワード氏は震える声で「姿……」と俺へと問うのだ。その疑問に「ええ、亡くなった後、ご子息は人型へと姿を変え、我々が元々彼の持っていたであろう姿に戻させて頂いた所、最初に我々が目にした大型竜種の姿ではなく小型竜種の姿をしていました」と答え、俺は彼らへ言葉を重ねる。

「此処からは我々の――否、私一個人の推測とはなりますが、ご子息は何物かに連れ去られ、その場所で何らかの処置を施された。恐らく魔術師による狂暴化や大型化を施すような呪いの類でしょう。他にもそのような呪いを施された竜種がそこに居て、暴走を始めた。そんな暴走する竜種の姿を見て、姿だけは変わってしまっていたご子息が暴走をした竜種を留めようと一人あのトンネルで闘っていたのだと思います。本来であれば我々の仕事だったものを、一人の若い青年に負わせてしまった事は特別機動隊の落ち度です。心からお詫びとお悔やみを申し上げます。申し訳ございませんでした」

 再度深く頭を下げればハワード氏は「あなた方がよくやってくれたのは知っています。あなたからは息子の持っていた魔力のにおいを感じる。人には毒になりかねない私たちの血を被ることを厭わず、貴方は私たちの息子を助けようとしてくれた。それだけで十分です」と涙を堪えているのだろう、震える声で、しかし毅然と言い放つ。それよりも、と彼は深刻そうに言葉を続ける。

「それよりも、私たちが懸念したのは、貴方が仰った大型竜種の事です。私たちの一族はその血に特殊な魔力を持っています。だから私たちは貴方が被った息子の残滓を知れた。しかし、のです。暴走させる、大型化させる、それだけじゃないかもしれない。息子を攫いその生命を奪った者はもっと恐ろしい魔術を持っているかもしれません。もっと最悪なのは、その魔術師が息子の血をまだ保有しているかもしれない。そうなれば同じ事が起こる可能性も否定出来ません。これは私たちではどうにも出来ない。シーグローヴさん、貴方たちが頼りだ。息子を、これ以上、辱められないように……」

 彼は其処まで言い切って崩れ落ちるように涙を見せる。彼の隣に座っていたハワード夫人は手元の白いハンカチで己の目尻から零れる涙を拭っていた。

「……勿論、最善は尽くします。ご子息の遺体は我々が保管してますので、ご都合の宜しい時に引き取りを……」

「今行こう。これ以上息子を冷たい場所においてはおけない」

「それなら私がお連れしましょう。私の車でお送りします。帰りはご子息の遺体を乗せれる車両で送迎させましょう」

 少しだけ待ってくれ、とハワード氏と夫人は俺を一人応接室に残し、部屋を出て行く。ハワード氏が先に出て行った後、夫人は俺の手を握り、「貴方が纏っているあの子の魔力は濁っていない。貴方がお暇な時でいいの、たまに家に遊びにいらして。最初に貴方を見た時、姿は全く違うのに、あの子が帰ってきたみたいに見えたから」と告げたのだ。

「魔力のにおい、か」

 俺には何も感じない。しかし、俺以外誰も居ない部屋で、どこからともなく「ありがとう」という声が聞こえたような気がした。

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