第6話 夢と現実

 その夜、俺は不思議な夢を見た。それは夢にしてはいやに現実的なそれで、しかし、眠りに就いた俺が知り得ない事を知る夢で。それは、俺の腕の中で息を引き取った竜の青年が現れ、俺へと語りかける夢だった。

「あなた、本当に人間ですか?」

 彼は俺の夢の中に現れ、突然そんな事を口にする。「一応人間のつもりなんだが」と返せば、彼は「まぁ、そういうコトにして置きましょうか」と笑う。辺りは暗闇で、俺と彼の他にイキモノの気配は無い。そんな空間で彼は「立ち話も何ですし、座りましょうか」と静かに微笑み、指を鳴らす。その音が空間に響けば、一人掛けのソファが二人分、小さなテーブルを挟むような形で出現する。テーブルの上には紅茶の入ったティーカップが湯気を立てているサービスまで付いてくる。そんな奇天烈な状況に、俺は驚くこともなくただその起こった事実を受け入れるのだ。

「普通もう少し驚きません? 僕なら驚くけどなぁ」

 カラリと笑ってそんなことを口にする。あの時よりも砕けた様子で話す彼に素はこちらなんだろうな。と漠然と思う。出現した椅子に深く腰掛け、目の前のティーカップの中身を一口啜って彼に問う「それで、これはどういう事なんだ?」

「うーん、どういう事、というのは漠然としすぎじゃないですか? 僕にだって説明し難いところが幾つかあるんですけどね、まぁ、今までの経緯を含めて答えられる限りで答えてみましょうか?」

 向かいに置かれたソファに座りながらコテンと首を傾げて見せる彼に「頼む」と返す。

「それじゃぁ、話してみましょう。まずは自己紹介からですよね。僕はチャールズ・リントヴルム。ああ、登録されている名前としてはチャールズ・ハワードですけどね」

 そう言った彼は、ふわりと笑いながら話を続ける。今はもう無くなってしまっている旧い盟約に基づいてリンドヴルム――正真正銘のドラゴンであった彼ら一族はその能力を封印し、ハワード家の人間として人間社会で不満無く暮らしていた。チャールズと名乗った彼も外見こそ作り物めいた美しさがあるものの、何処にでもいるハイティーンと同じように高校に通い友人達と勉学に励む真面目な学生であった。あんな事態に陥った事については「本当、迂闊でしたよ。多分奴らは僕がリンドヴルムの一族だと知って捕縛したんです」そう言って目を伏せる彼は「そうじゃなかったらあんなこと……」と絞り出すように言葉を漏らす。

「あんな事、とは」

 つい詰問するような口調で俺は彼に問う。そんな俺の問いに「血ですよ、」と彼は答える。

「僕らの血族は広義の同族――竜種の生物に対して、その血を与える事でその能力を渡す事が出来たんです。旧い魔術だったので、今生きている一族でそんな事をした事がある者は居なかったんですけども」

 今のこの状況も、そんな旧い魔術の持つ力のひとつでしょうね。普通であれば人間に対しては効かないんですけども。彼は冷めてしまっているであろう紅茶を一口啜ってそんな事を答える。

、という事か?」

「違いますよ、あくまで能力を使えるようになるというだけです。古い時代には戦いに赴く戦士達にその血を授けていたと聞いています」

「同族が敵対しないという前提に基づいた能力だな」

「基本的に僕たちは身内での戦いを好みません。それでも、リントヴルムの血の魔術は一族の中でも限られた者にしか伝えられていないのですけども」

「そりゃぁそうだ、このご時世そんな事を知られたら何が起こるか分からないだろう」

「まぁ、こんな事が起こってしまったんですけどね」

 俺の言葉に彼は軽快に返答をしていく。そんな解答を聞きながら、俺はこの荒唐無稽に思える話が嘘に聴こえる事もなく、目の前に居る彼が俺の妄想では無いという確信を持つ。そして俺は、彼に問うのだ。「チャールズ、お前は誰に捕らえられたんだ?」と。

「組織の名前やどのような集団なのか、捕らえられた場所については解らないです。ただ、僕の前に現れたのは昆虫型のイキモノを従えた魔術師でした」

 彼は真剣な表情で俺を真っすぐ見つめ、そう告げた。

「昆虫型のイキモノ?」

 彼のその言葉に俺の脳裏にはあるイキモノの姿が過る。俺は彼にその詳細を訊ねる。

「種族は解りません。むしろ、種族がないもののように思えました。薄気味の悪い……気味の悪さがあったんです。まるで……」

「人為的に作られたような――キメラか?」

 彼が言葉を探し口を噤むのを見て、俺がその答えを尋ねる。俺の答えに、彼は黙って首を横に振る。

「違う。キメラであればあんな薄気味の悪さは感じない……と、思うんです。色々混ざっているとは言え、自然界のイキモノを混ぜているものですし。アレはもっと異質な――そう、。そんな気味の悪さがあったんです」

「存在そのもの、か。協力感謝する」

 彼の言葉に俺は頷き、そのソファから立ち上がった。


「お帰りはあちらですよ」

 彼が指し示した光の方へと歩いて行けば、その意識は肉体の目覚めと共に現実へと戻る。「夢、にしてはリアルだったよな」俺は朝日が差し込む寝室で一人呟く。熱いシャワーを浴びて寝起きでボンヤリしていた思考をリセットし、スーツに着替えればルカが寝室からのろのろと顔を出す。

「早いねぇ、もう出るの?」

「あぁ。昨日は仕事を残して帰って来たからな……当分帰れないかもしれないから、家の事は頼んだ。お前の事はサーシャに頼んでおくから」

 ルカにそう言って玄関のドアを開ければ「家の事は任せてくれて良いけど、アーリャは関係ないじゃない!」と照れ隠しのように彼女の声が背中に投げられる。

「行ってきます」

 そう言って彼女を見て笑って見せれば、彼女もまた笑顔で「いってらっしゃい、気をつけてね」と俺を送り出してくれるのだ。



 ひっそりとした早朝のCOBAに着いた俺がまず向かったのは資料室だった。夢に現れた彼――チャールズが本当に俺の妄想なのではなく、彼の残った残留思念のようなものであれば、彼が最後に言った薄気味の悪い昆虫型のイキモノという存在に、一つだけ思い当たるものがあったからだ。ただし、そのイキモノが誰により、どうして、この世に放たれたのか。その理由を俺は今まで知ろうともせず、知らないままにしていたのだ。その生物と遭遇した事件のファイルを見れば何かがわかるかもしれない。ジルに会う前にそれを調べておきたかったのだ。

「……おかしい」

 資料庫の主である係長は居らず、資料係の若い女性に挨拶だけをして、資料庫の閲覧端末でデータベースへとアクセスする。しかし、目当ての資料にアクセスする事が出来ない。発生年月日前後数か月分でのデータを検索している筈なのに一件も検索にヒットしないのだ。

「データ閲覧に不具合は起こってないか? 全く出てこないんだが」

 カウンターの中に居る職員に検索を掛けていた時期を告げ、そう声を掛ければ彼女も端末を叩きながら首を傾げる。

「今仰っていたデータなんですが、こちらでも確認していて全く検索にヒットしてこないんです。そもそもヒットするようなデータが無い可能性もありますけど……でもそれにしてもピンポイントの数か月で全く事件が無いなんていうのもおかしな話ですよねぇ」

「……わかった。棚の方だけ少し見させてもらって戻るとするよ」

 彼女にそう答えて奥の棚へと足を進めようとすれば「午後からは係長が来るのでもし確認したい資料が本当にあるなら捜索申請出しておいてくださいね」と彼女は俺にそう言って笑みを浮かべる。

「そうするよ」それだけを告げ、俺はもう一度彼女に背を向けの二十年前の事件のファイルがあるであろう場所へと向かった。


か」


 目当てのファイルが置いてあったのであろうその棚には、不自然な空間が出来ていた。ファイルがごっそりと抜けている、という事ではなく、明らかに数冊のファイルの束を抜き去った上で、その周囲から残ったファイルを寄せてその空間を埋めようとしたような不自然な空間。俺が調べようとしている事件を調べられたら困る人間が居るのか。それとも、敵が既に懐に入っている証拠なのか。今はまだそれを断定する事は出来ない。カウンターにいる職員に「俺の思い違いだったみたいだ」とだけ告げ、俺は資料庫を後にする。

 そうして俺が次に向かったのはジルのラボだった。


 部屋の主が居ないラボには俺のIDで入ることが出来た。試しにIDカードを読み取り機に翳してみればピッという軽快な電子音の後、カチャリと開錠音が聴こえたのだ。開いてしまったラボに静かに足を踏み入れれば、そのまま電気ポットで湯を沸かし湯が沸きあがれば自分の置いてあるマグへとティーバッグと湯を適当に突っ込む。そして折り畳み椅子を開きそこに座れば適当に淹れた紅茶を啜るのだ。改めて見回す彼のラボは現代の科学と古くからの魔術が見事に融合しているような部屋だ。デスクトップパソコンの置かれたデスクの隣に置かれた金属製のラックには様々な種類の薬草やよくわからない生物の干物や何に使われるのかもわからない物質が瓶に分けられラベリングされて無数に並び、白衣の掛けられたポールハンガーの横には御伽噺の魔法使いが持っているような木製の杖が乱雑に立てかけられている。その他にも現代科学に必要なもの、魔術の行使に必要なもの、両者がこの部屋のあらゆる場所に置かれているのだ。

「早すぎでしょ。よく入れるってわかったね?」

 そんな言葉と共にドアを開けたのはこの部屋の主であるジルだった。

「試しにID翳してみたら入れたんだが、お前権限弄っただろう」

「ルイとサーシャだけ入れるようにしてある。その他は上司ですら入れないよ」

 そう言って笑いながら両手に持っていたチェーン店のロゴが入った紙カップの片方を俺に渡しながら端末を立ち上げ、デスクチェアへと腰を下ろす。

「そうそう、解析結果が出たんだけどさぁ……」

 端末を操作しながらジルは彼らしくない困惑し切った声でその言葉を切り出す。

「仮に殺された方を検体A、がウチで処理した方を検体Bとするけど、検体Bの体内で検出した魔術シークエンスが検体Aのそれと合致したんだ。しかも、意図的に歪められたような配列に変わっていてもう何処から手を付ければいいのか分からないよ……しかも、検体Aの生体サンプルも色んな視点から解析に掛けてるんだけど、見た目は小型竜種なのに、もう昨夜は大騒ぎだったんだから」

「そりゃあお疲れ。で、検体Aの登録は確認出来たのか?」

 頭を掻きむしりながらその解析結果をボヤいているジルを見ながら俺は渡された紙カップへと口を付け、彼の身元を問う。

「それは勿論。捜索願も出されたよ。名前はチャールズ・ハワード。十六歳だ。ブロンクスにある高校に通ってたみたいだね。両親は健在、妹が一人。小型竜種の家系みたいで古くから続いている家らしい。両親から数日前に捜索願が出されていた」

 その情報は夢の中で彼自身から齎されたものと同一で、あれは本当に彼だったのか。とその確信を深める。

「ご両親には俺から連絡を取ろう。今の所分かった情報はこれだけか?」

「ん、よろしく頼む。そうだね、こんな所。もうちょっと収穫を予想していたんだけどあんなに意味の分からない状況も久々だ。また何かわかったら教えるよ」

 ジルはそう答えてデスクチェアに座ったまま身体を大きく後ろへと伸ばし、俺は折り畳み椅子から立ち上がる。

「解析は引き続き頼む……あぁ、そうだ。一つ頼まれごとをしてくれるか?」

 俺がそう声を掛ければ、ジルは「行き成りどうしたのさ、何をやればいい?」と首を傾げる。

「ひとつ、お前のID権限で引き出して欲しい資料があるんだ」

 そう返せば、ジルは口端だけで笑い「良いよ、いつの資料?」と幾つかのキーを叩くのだ。

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