第7話 それは夏の日の物語

 俺が提示した時期の資料を探すべく、ジルはカチャカチャとパソコンのキーを叩く。俺は彼の後ろ姿を見ながらすっかり冷めてしまった紙カップの中身を啜る。その中身はカフェラテ。ほんの少しの甘さが付けられたそのほろ苦い液体を喉へと流し込んでいれば、ジルからは困惑した声が上がる。

「ルイが言ってる事件の資料って、本当にあるワケ?」

「見つからないのか」

 投げかけられた問いに問い返せば、その答えはイエス。俺は深く息を吐きだす。自分のIDで見れないのであれば、バディを組んでいる後輩の白雪ではなくジルに話を持ち掛けるという俺の行動パターンを読める人間というのは限られてくる。そして、その行動を読めて、その上でこんな芸当が出来る相手を俺は一人しか知らない。脳裏を過るのはあの日のの姿だった。

「隊長が絡んでるんだろうな」

 吐き捨てるように俺が呟けば、ジルは片眉をピクリと上げて「アイツが絡んでるから資料を追うのはやめるっての?」と挑発するような声を投げかける。

「……それは、」

 言い淀む俺に、彼は更に言葉を重ねる。

「ルイも入局していないような昔の事件資料を探して、それが見つからないからアイツが絡んでるってすぐに結論付けるって、おかしくないか? ルイ、本当は俺も見つけることが出来なかった何かを知ってるんじゃないの?」

 デスクチェアを俺の座る椅子と向かい合うようにくるりと回り、ジルは俺を真っすぐ見つめて言葉を飛ばす。

「……信じられないような話だったから言わなかっただけだ」

 それだけを答えた俺の言葉に、彼は「俺、ルイの言う事は全面的に信じるよ? ルイはこういう所では嘘は吐かないって知ってるからね」と言ってふわりと笑いかけるのだ。


「それじゃぁ話すぞ。俺だって半信半疑だったから確証が欲しかったんだ」

 そして俺は、今朝、自身が目覚めるまでの不可思議な経験についてを包み隠さずに彼へと話した。

「成程、ね。まるでお伽噺の中の世界だ」

「知っていたのか?」

 そりゃあね、と彼は皮肉を込めた口調で嗤う。

「ハイデルベルクも魔術師の中でも旧い家なんだ。それこそ、彼――チャールズの話に出てくるに登場するような。俺も半ばお伽噺として聞き流してたから詳しくは覚えていないけど。確か、概念外生物と魔術師と人間の不可侵条約みたいなモノだったかな」

「ジルお前、実は凄い坊ちゃんなのか?」

「ちょっと歴史のある家に生れただけだよ。俺には関係ない」

 俺の問いをそう言って切って捨てたジルは「でもさ、」と言葉を続ける。

「その話とルイの調べようとしている二十年前の事件、どこに関係があるの?」

 ジルの疑問は尤もだ。それが、当事者でなければ、の話だが。だからこそ俺は、深く息を吐き、過去にその思いを馳せる。


「チャールズが言ってた『薄気味の悪い昆虫型のイキモノを従えた魔術師』なんだけどな、魔術師には会っていないが、そのイキモノに俺は会ったことがあるんだ」

「……それが、二十年前って事?」

「そう、俺が翠川スイカワ瑠唯ルイから発端だよ」

 そうして、俺はもう一度だけ、深く一度だけ呼吸をし、その出来事を彼へと告げるのだ。



 それは、二十年前の夏の日の話である。蝉は己の存在を誇示するようにその声を高らかに鳴り響かせ、太陽が容赦なく降り注ぐ、夏休みの終わり頃の事であった。当時十四歳だった俺は自身の事を僕と呼び、その名がルイ・シーグローヴではなく翠川瑠唯であったその日、彼――いや、。その日はその界隈として高名であり、何かにつけてフィールドワークだと言って母と産まれてから一度も会えていなかった妹、そして俺を家に残し欧州の概念外生物の伝承を追っていた大学教授の父が数か月振りに翠川の家へと帰ってくる日であった。きっと帰宅しているであろう父に早く会いたかった俺は、家路を急いでいた。そんな時だった、この近所で見た事のない顔の黒いスーツを身に纏った男が俺を追い越し駆けていったのは。

 そんな不審な男が駆けていった先には、翠川の家があり、男は迷いなく、翠川の家の門を潜った。そんな常ならざる空気に、俺も駆け足で家へと更に足を速め――彼が、僕が……俺が、見たものは凄惨な光景であった。


「玄関は無残に荒らされ、リビングまでの廊下も傷だらけになっていた。そして、リビングの扉を開けた俺を迎え入れたのはいつもにこやかな母でも、旅先の話を面白おかしく話してくれる父でもなかった。否、正確には彼らはその場にいた。けれど、生きてはいなかった。生きていたのはリビングの隣にあった和室に寝かされて声を上げて泣き叫ぶ赤ん坊と、不審な黒服の男、そして俺と赤ん坊に狙いを定めようとしていた――薄気味が悪く、子供くらいにはデカい虫だった」

 押し黙ったままのジルに視線を向けず、俺はその物語の続きを紡ぐ。


 黒服の男は奴らに傷を負わされたのか、その肩はスーツごと切り裂かれていた。黒服だったからそこまで血は目立っていなかったが、肩を押さえるその手の指の隙間から溢れる血と、切り裂かれたスーツから見えるシャツが赤く染まっている事で彼が出血している事は解った。そして、彼の足元に転がっていた、黒い鉄の塊が本物か、偽物かなどその瞬間の俺には関係がなかったのだ。俺はそこに落ちていた鉄の塊を咄嗟に拾い上げ、奴らへと構える。そうすれば、不思議と次は何をすればいいのかが分かった。

「撃鉄を起こし、狙いを定めてその引き金を引く。それを二度繰り返すだけ。俺がそうすれば奴らはリビングに転がっていた両親と同じ物体になっていた」

 ここまでを一息に話し切った俺は「それが俺の経緯。一般人が概念外生物を殺したというのはCOBAとしても具合が悪い。だから、身寄りが居なくなった俺と当時赤ん坊だった妹は、男の手で此処へと連れられて来られて来たんだ。そして俺は年齢を上に詐称してすぐに入局、妹は男の保護下で育った。これが俺の今に至る物語だ」



「じゃあ、その黒服の男が隊長……」

「……何でお前が泣いてるんだよ、ジル」

「感受性が高いって言ってよ、ルイが泣かないから俺がルイの分まで泣くんだ。こうやって淡々と話せるって事は、ルイの事だから、この酷すぎる話に対して一度も涙を流してないんだ」

 そう言いながらずるずると鼻を啜るジルに、俺はどんな言葉を返せばいいと言うのだろう。過ぎてしまった事に対して涙を流す目の前の男に、お前はそんな奴だったのか。と言ってしまいそうになるのをそっと飲み込み、「だから、チャールズが言っていた昆虫型のイキモノっていうのも、俺が見たソレと同じものであれば、あの時の事件に手掛かりあるんじゃないかと思ったんだけどな……この資料をロックしてる意図について、俺は考えない。だけど、ここで資料を漁るのがダメならアプローチ方法を変えるしかないだろう」と、努めて淡々と頭の中で選び抜いた言葉を元から決めていたかのように声に乗せる。そんな俺の重ねた言葉に「多分、それは使い魔ファミリアだね。俺からして見たら趣味が悪いけど」とジルは一頻り涙を流し終えたのか、手の甲で目元をゴシゴシと擦りながらそう答える。

使い魔ファミリア、って言うとアレか。魔法使いが使役する黒猫とか、カラスとか」

「まぁそんな所なんだけど。魔術師の中でも使い魔ファミリアを使役する奴は居るし、その中には趣味が悪い奴もまぁ、居るよね」

 皮肉交じりに嗤うジルはいつものジルに戻っていた。

「俺にはあんまり横の繋がり無いけど、何か情報が無いか調べてみるよ。そんな薄気味悪い使い魔ファミリア使ってる魔術師なんて噂にもなってるだろうし?」

 そう重ねて口端だけ上げるような笑みを見せたジルに俺も「頼んだ」とだけ返す。

 

 こうして俺はやっとチャールズの資料と共に特機の詰所へと足を向けた。

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