第5話 束の間の休息を
ジルのラボを後にした俺は、自身のデスクへと戻る前に資料庫へと向かう。デスクにある端末からも過去の事件資料のデータを取得する事自体は可能であるが、俺はいつも資料庫へ足を向けて資料を探すのだ。
「よう、ルイじゃないか」
見知った顔の資料係職員が気安い調子で声を掛ける。俺がこの組織に入った頃からこの資料庫の主であったらしい彼へ「おう」と片手を上げ声を掛ければ「難問にでもぶち当たったか?」と笑いながら返される。「外じゃまた面白い事件が起こってるようだが」と。
「相変わらず不謹慎な奴だな。原因不明な概念外生物の暴走事件、探せるか?」
カラカラと笑う資料庫の主は「勿論」と返し、資料庫の全ての情報とリンクさせてある彼の端末を操作する。
「最近起きたヤツについては警務もバタバタしてるんだろうが断片的な資料しか登録が無いな。あくまで資料庫は解決事件の資料の保管場所だからなぁ」
詳しい話を知りたいなら警務のヤツに声掛けた方がいいだろうよ。と言いながら、彼は走り書きのメモを俺に渡してくる。それは資料庫に置かれた資料の所在を示す符号と、データベースに上がっている資料のナンバーであった。
「流石、仕事が早いな」
「パッと出せるのだけだけどな。もっと遡って知りたいって事ならちゃんと資料予約の申請出せよ。用意しておくから」
彼の仕事を褒めてやれば、彼はニヤリと笑ってそんな言葉を返してくる。そう、普通の警務課職員や特機隊員が資料を引っ張り出す時はCOBAのネットワーク上にある申請フォームから申請を出し、その申請に対して資料係の職員が申請に合致する資料を探し出し渡すという運用をしているのだ。勿論自分で資料庫へ行き自ら資料を持ち出す事も可能であるが、資料係の職員に探させた方が自分で探すよりも早いという職員の方が多い為、この資料庫に足を運ぶ職員は少ない。メモに書かれた場所に置かれたファイル数冊分の資料を彼の元へ持って行けば「ウィリアムは元気か?」とファイルの持ち出し登録を行いながら思い出したように彼は声を上げる。
「隊長? 相変わらずだな」
「エラくなってからてんでコッチに顔ださねぇんだよアイツ。残り少ない同期だって言うのにな」
「資料庫の主が寂しがってたと伝えておく」
「美味い酒飲ませろって追加しとけ」
「リョーカイ」
持ち出し許可を出されたファイル数冊と渡されていたメモを持ち、俺は資料庫の扉を抜ける。そうしてやっと俺は自身のデスクへと戻るのだ。
「戻りましたー」
特別機動隊の詰所へ戻れば、自分のデスクの上にある端末の電源を入れ、デスクの上に資料ファイルをバサバサと置けば、この詰所の主――隊長のデスクへと向かう。
「報告は白雪から聞いてますか?」
そう切り出せば、デスクを挟み向かいに座る隊長であるウィリアム・シーグローヴは俺へと視線を向けて「ああ」と答える。
「大型竜種二頭の乱闘、一頭は処理、一頭は乱闘中に死亡と聞いている。何か気にかかった事でもあるのか?」
隊長は白雪から受けたのだろう。その客観的に見た事の顛末を口にする。そして、彼にしてみればよくある事ではないが別に特別だとも思えないであろうその事件に言及する俺を怪訝そうに見つめる。
「未確定情報と、気になった情報があったので。人払い出来る場所ありませんか」
「此処では話せないのか」
「色々込み入ってるンで。出来れば人払いして欲しいですかね」
そこまで告げれば彼は一言「分かった」と告げ、椅子から腰を上げる。
「報告を聞こう。応接室で良いな?」
そう言って彼の背後にあった応接室への扉を開き、彼は俺を中へと誘う。彼の問に俺は頷き開かれた扉の中へと足を進めた。
「確かにドラゴンと言うのは気にならないでも無いが、突然変異での竜種の大型化というのはあり得ない話ではないだろう」
ドアを閉めれば彼はそう切り出す。
「俺が処理した方のドラゴンは、
「ハイデルベルクからはそんな事一言も報告されていないが?」
そう言って眉間の皺を深める彼に「隊長がジルに嫌われてるからじゃなですかね?」と笑って見せれば、彼は苦虫を噛み潰したような顔で「続きを報告しろ」と俺の話を促す。
「そして、処理したドラゴンに殺された方ですが、そちらも不可解な点がありました。白雪が言っているかもしれないですが、その亡骸を収容した際はウチで掛けた術が掛かっていた状態で青年の姿を取っていものの、ジルの手でその術を解術した際に現れた姿は俺や白雪、その現場に居た職員達が見たドラゴンとは別の種類の竜型生物でした」
「変化をした、そう言いたいのか?」
彼の問いに俺は「まぁそんな所です。ジルの見立てだと、何らかの術で別種の竜に変化したが、その死によって術が解けた為に本来の姿が現れたようだ、と。原因は目下調査中ですが」と、ジルから齎された呪いの話は一切せず、それだけを告げる。
「半日でそこまでの収穫があれば上々だろう。それにしても、
厄介だな。と彼は零す。俺だってここに勤めて二十年、登録外なんて生物、出会ったことが無いのだ。それは厄介と表現しても余りある事態だろう。
「明日になればもう一体の方の解析結果が出るでしょうから恐らくそのタイミングで研究課からの報告が正式に入ると思います。現在解析中の竜種については登録されている個体でしたし、登録情報も確認できると思いますよ」
「分かった。正式な報告が入ってから対応策を会議に上げる。それまでは大人しくしているように」
深く息を吐き出し、彼はそう言ってこの話を終わらせようとする。
「俺はこれから他にも同様の案件があるか、資料を洗い出します。見逃している点があるかもしれないので」
そう言って応接室のドアノブに手を伸ばせば「今日は良い。一度自宅へ帰りなさい」と背後から声を投げられる。
「報告が来て直ぐに動けるようにしたいんですが」
「ハイデルベルクから連絡が来てたぞ。お前が何日も帰ってないから一度家へ帰らせろと」
隊長の言葉に脳裏には悪戯が成功した子供のような表情のジルが過る。やりやがったな、という言葉は無意識に口から漏れ出ていたらしい。ピクリと眉を上げた隊長は見なかった事とする。
「お前の仕事ぶりもフットワークの軽さも評価はする。だが、それと働きすぎなのはまた別の問題だ。今お前に必要なのは休息だろう。ルカと夕飯でも食べて、ちゃんとしたベッドで寝てきなさい」
説教をするようなトーンで言葉を重ねる隊長に「まだ定時にもなってませんが?」と口答えをすれば「お前は普段残り過ぎだと言っているんだ。お前が承知しないのであればこちらにも考えがある」と言い俺が手を掛けていたドアノブに隊長もその手を重ねて扉を開け「今日起こった竜種の事件、明日研究課から解析結果が上がるそうだ。確定した結果を見てからになるが、内容如何によっては特機が出る事になる。待機要員外でここ数日帰れてない隊員は、早めに上がるように」
詰所に響くように彼はそう言い切り、扉の前で立ち呆けていた俺の横を過ぎ去る。そのタイミングで彼は俺の耳元で「ルカにたまにはウチにも来るよう言っておきなさい」と小さく囁くのだ。
「センパイ、今日はもう帰りますね? 今日の事件、警務からの報告書は明日の朝になるようですから待ってても意味ないですから」
隊長の鶴の一声で数日帰れていない隊員がデスクから腰を上げている中、白雪はそう俺に声を投げる。白雪のその声に呼応するよう、待機要員である隊員達も「お前が一番帰ってないんだよ。仮眠所に巣を作るな」などと口々に俺を詰所から追い出そうとする。これではとてもじゃないが資料の洗い出しなど邪魔が入って出来そうにない。軽い溜息と共に俺は立ち止まっていた応接室の扉から詰所へ足を踏み出す。
「隊長、資料係長からの伝言です「偶には顔出せ、美味い酒飲ませろ」伝えましたからね」
隊長のデスクにドン、と手を付き、俺も負けじと彼の耳元で資料庫の主からの伝言を囁く。彼の返事は待たず「それじゃぁ、仕事させてもらえそうにないんで俺は上がります。白雪も上がっておけよ」と何日もデスクの下に置きっぱなしにしていたビジネスバッグを手に取り詰所に背を向ける。そうすれば詰所に残る同僚たちが賑やかに俺を送り出す。そんな賑やかな声を背に俺はその場を後にするのだ。
「ただいま」
「こんな時間に帰って来るなんて珍しいね。着替えでも取りに来た?」
アパートの一室、俺とルカが暮らす部屋のドアを開ければ、ダイニングに置かれたテーブルではノートパソコンを開きその傍らには何冊かの本を積み上げたルカが顔だけをこちらへ向けて俺を出迎える。
「いや、今日はもう会社には戻らない。上司から帰れって追い出されたんだ」
今日はどこか食べに行こうか? と彼女に問えば、「良い上司さんだね。でも、お兄ちゃんずっと帰ってなかったんだから今日くらい家でゆっくりしようよ。ストックならあるし!」と返される。
「本当、俺には出来すぎた妹だな。それじゃ、お言葉に甘えるとするか」
ルカの頭をひと撫でし、俺は冷蔵庫からビールを取り出す。
「まだ明るいのに」
ルカに咎められるように声を投げられるが「今日くらい良いだろ」と返せば「仕方ないなぁ」と笑われる。
「レポート、あと少しで終わるから、それが終わったら夕飯の準備するね」
ノートパソコンのキーボードをカタカタと鳴らしながら彼女はそう言って真剣な視線を画面に向ける。彼女に気づかれないようにテーブルの上に積まれていた本の表紙をそっと視線を飛ばす。そこには『伝承上の生物』や『口頭伝承論』と書かれており、血は争えないな。と思う。
彼女は歴史学の中でも民俗学を専攻しており、結局のところ人類から見た概念外生物についてを勉強しているようなものだ。血は争えないって奴なのだろうな。と俺は軽やかにキーボードを叩く彼女の向かいに座りながらビールの瓶に口を付けながら思う。こんな仕事をしている俺もそうだが、彼女は知らないだろうが
「さて、と。レポート終わったから夕飯準備しちゃうね。お兄ちゃんもいつまでもスーツ着てないで着替えたら?」
ビールを喉に流し込みながら黙々とノートパソコンに向かう彼女を見つめていれば、満足気な声でそんな言葉を投げられる。グイ、と瓶を傾け喉へと中身を流し込み切れば、俺も座っていた椅子から腰を上げる。妹に言われるがまま自分の寝室へと向かいジーンズとゆったりとしたシャツへ着替え、靴もスリッパへと履き替えて寝室から出れば今度はリビングに置いてあるソファへと腰掛ける。数日ぶりにテレビのニュースを見れば、今朝の事件が報道されている。
「トラック暴走事故ね、なるほど」
大抵この種の事件は事故として片づけられるのだ。そんな何の変哲もない事故のニュースを流しながら久々にのんびりとソファで気を抜いた姿を晒していれば、気を利かせた妹が二本目のビールとナッツを盛った小皿を持ってやって来る。
「夕飯もうすぐ出来るから、これで繋いどいて」
目の前のローテーブルに手に持っていたそれらをコトリと置いて彼女はパタパタと戻っていく。
二本目のビールに口をつけて考えるのは今日の事件の事。しかし久々のアルコールに侵され始めた脳はそれを考える事を拒否する。これはもう何も考えるなという天からのお告げだと思い、俺はビールを流し込みながら考えることをやめた。
「それにしても、お兄ちゃんと夕飯なんて久しぶりだよね」
夕飯が出来たと俺を呼んだルカは向かい合わせに座ったダイニングテーブルの向こう側でニコニコと笑い、そんな感想を口にする。俺も蒸された野菜を口にしながら「そうだな」と返す。
「そう言えば帰りがけにウィルに会ったよ。偶には顔を出せってさ」
俺はたった今思い出したような口ぶりでウィル――隊長からのルカへの伝言を告げる。
「パパと会ったの? いいなぁ。パパってあんまりカフェの方にも来てくれないんだよ?」
ルカは彼の事をパパと呼ぶ。そう、俺とルカは二十年前の事件から彼の元で生活していたのだ。俺はこの世界に足を踏み入れてからの数年間だけだったが、彼女はつい数年前まで彼と共に生活をしていた。彼女が大学に進学するのと同時に俺は彼女と同居を始めたのだ。
「あー、あの人いつも忙しそうだから」
俺より長い期間共に暮らしていた筈のルカは隊長と俺が同じ職場で上司と部下である事を知らない。適当な相槌を打ちながら話を続けていれば「お兄ちゃんもパパに顔見せに行ったら? 私がこっちに来る前なんて全然顔出しに来てなかったじゃん」と彼女は俺に小言を言うようなテンションで告げるのだ。
「今日顔見せたからもうあと数年は良いよ」
心の中でだけ毎日のように顔突き合わせてるしな。と呟けば「パパだって一人暮らしじゃ寂しいでしょ」と妹に叱られる。
「じゃぁルカがウィルの所に戻ればいいんじゃないか?」
「ダメ、それじゃぁお兄ちゃんが一人で寂しいでしょう?」
パパも大事だけど、お兄ちゃんはもっと大事。と俺の唯一の血縁者は微笑む。
「ホント出来た妹だよ。サーシャに渡すのは惜しい位だ」
そう言ってやればルカは真っ赤になりながら「アーリャは今関係ないでしょ!」と慌てるのだ。
「良いんだぞ? ウチを出てサーシャと暮らしたって」
今日ジルから揶揄われたルカとサーシャの事を思い出し、その言葉を俺は口に出すことが出来た。元々彼らの関係を知った時からそれは言おうと思っていた言葉で。言ってしまったというよりも、やっと言えた。という感想の方が大きい。
「お兄ちゃんがこの家で他の誰かと暮らし始めたら考えようかな」
冗談めかして彼女はそう言う。そんな彼女の言葉に「そんな事言ってたらお前いつまでもサーシャと暮らせないぞ?」と笑ってやる。
「それは困るかも。でも、大学卒業するまではお兄ちゃんと暮らしたいの。良いでしょう?」
「お前がそうしたいなら勿論」
彼女の言葉に笑って返せば、彼女もにっこりと笑みを浮かべる。そんな話をしながらテーブルの上の料理を片付けていき、互いにその空腹を満たせば、彼女は空いた皿を片付け、俺はまたソファへ戻り三本目のビールに口を付ける。
「久々に早く帰ってきたと思えば飲んだくれるんだから」
片付けを終えた彼女は、俺の隣に座り、呆れたように俺へと言葉を投げる。「たまにはな、明日からまた忙しくなるだろうし」俺の言葉にルカは「しょうがないなぁ」と笑う。
「私、まだレポート他にもあるから部屋で片づけるけど、お兄ちゃん早く寝なよ?」
三本目のビールが空になりかけた頃、彼女はそう言ってソファから腰を上げる。彼女へ了承の意を告げればルカは満足気に頷いて彼女の寝室へと戻っていく。俺も瓶の中身が空になれば動きたくないと主張する身体を「よいしょ」という声と共に動かし、自身の寝室へと戻るのだ。寝るにはまだ早い時刻ではある、しかしアルコールに侵された脳では何かを考える気力は起きず、俺はのろのろと寝間着へと着替え、早々にベッドへと入り、疲労を主張する瞼を閉じるのだ。
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