それぞれの想い

 午後六時三十分。


 ボヤ騒ぎで閉鎖されていた浦野宮学園だったが香苗の交渉により、使用を解禁されたWAF部の部室で、悠斗、奈々実、香苗の三人がそれぞれにジークを見つめていた。

 武器は、固定兵装のジェネシス・クライシス以外はm大破。

 全身の装甲がダメージを受けており、防御性能も大幅に落ち込んでいる。

 問題は、これらの修繕を決勝の明日までに行わなければならない事と、それが出来る技術者が居なくなってしまった事だった。


「さて、どっから手を付ける? 先生手伝うよ」


 重苦しい空気を和ませようとしたのだろう。

 いつもの調子で言いながら香苗が手をパンッと叩いた。

 しかし悠斗も、奈々実も、同調する事はなかった。

 真理沙に信頼を裏切られ、スーツも大破寸前の状態。

 今までみたいなやる気なんて、もう起こしようがなかった。


「真理沙の作ったスーツなんて、もう着ねぇ」


 あれほど愛おしかったはずのジークが今では忌々しくすら思える。

 悠斗にとっては、明日の大会も部の存続もどうでもよくなっていた。

 この場所に居るだけで、真理沙と過ごした時間が蘇る。

 ほんの少しまで流れていた幸せな光景。

 それらを鮮明に思い出してしまう事が堪らなくなって悠斗は部室を飛び出た。

 帰って寝てしまおう。

 明日の事は忘れてしまえ。

 落ち始めた日差しに染まる廊下を歩き出すと、背後から声を掛けられた。


「明日決勝なんだよ?」


 香苗の声だった。


「私も手伝ってあげるから、出来る限り直そうよ」


 きっと香苗は、優しく微笑んでいる。

 だから悠斗は、振り返らなかった。

 きっと彼女を見てしまえば、明日の大会に出ようという気になるから。

 きっと真理沙を許しそうになるから。


「もうどうでもいい。あんな奴の力で勝っても嬉しくねぇ!!」

「あんた、何もかも結城さんのせいにする気?」

「だってそうだろ。結局あいつのおかげで勝っただけだ!! 俺達なんもしてな――」


 悠斗の声を遮るように香苗が声を荒げた。


「どんな強い機体でも乗り手が弱けりゃ勝てない!! あんた達は反則してない。正々堂々戦って勝った」


 力強さを感じさせる香苗の口調に、悠斗は振り返る。

 やっぱり彼女は悠斗の怒りを削ぐような穏やかな笑顔でそこにいた。


「勝ったのは、あんたと奈々実と真理沙が力を合わせたからでしょ? あんな強い人たちに勝てたのは、あんたがその人たちより強かったから。違う?」


 確かに香苗の言う通りかもしれない。

 真理沙が機体を作ったのは事実だ。

 でも奈々実が武器を作ったおかげでバトルロイヤルを勝ち残れた。

 そのジークを操ったのは紛れもなく悠斗である。

 分かっている。

 本当は分かっている。

 それでも認めたくないのは、きっと分かっているからこそだ。

 真理沙を許したくないのに、事情を察して同情したくなっている自分が居る。

 あの日々の全てが嘘でなかったら、きっと真理沙も辛い思いをしながら裏切ったのだと。

 大切な友人の為にそうするしかなかったのだと。


「何で庇うんだよ。先生、あいつの味方かよ!!」


 許したくない。

 嫌っていたい。

 何もかも真理沙のせいにして逃げてしまいたい。

 そんな想いの全てを包み込むかのように香苗は微笑している。


「本当に悪びれもなく、裏切るような奴ならこんな風に言わないよ。でもさ、あの子の顔は、そう見えなかった。あんたが負けそうになった時、誰より辛そうだったし、あんた達と一緒にいてこっちが笑顔になるぐらい楽しそうだった」


 そうだ。

 あの笑顔まで嘘であるはずがない。

 嘘であるとは信じたくない。


「あんた達の事、大好きなんだなって、思ったの」


 ――それでも。


 悠斗がそう言おうとした時、香苗は微笑みながら頷いた。


「分かってる。無理やりに許せなんて言わない。悪いのは、あの子だよ。でもさ、折角自分たちの力でここまで来たのに、捨てるのは、もったいないよ」


 香苗は、やっぱり大人だ。

 だからきっと両方の立場で事態を見られる。

 許したいけど許せない。

 許せないけど許したい。

 二つの相反する感情がぐちゃぐちゃに混じり合った悠斗の心は、赤子のような悲鳴を上げていた。


「先生……もう分かんねぇ……もうなんも――」


 混沌とした悠斗を突然柔らかい温もりが包み込む。

 花のような可憐な香りが絡んだ糸を解していく。

 感情が少しずつ整理されていく。

 今優先すべき感情があるのならそれはたったの一つだけ。


「泣いちゃいな。すっきりするから」


 泣いてもいいんだ。

 泣いても許されるんだ。

 悠斗の悲哀や怨嗟、何もかもが、そう感情の全てが涙となって流れ落ちた。


「悠斗……先生で良ければいつでも頼っていいんだからね。先生もさ、悠斗の事大好きなんだよ?」


 辛い時には、いつでも傍に居てくれる人。

 この人を悲しませる事をしてはならない。

 だから例え明日、負ける戦いだとしても悔いだけは残さないようにしよう。

 それが恩師に出来る唯一の孝行だから。

 最後に出来る恩返しだから。




 同日 午後十時。

 帰宅してから真理沙はベッドに突っ伏して時間を潰していた。

 食事も取らず、両親の呼び掛けにも答えない。

 ただ無為に時間を過ごしている。

 友人を裏切った事実を噛み締めながら己の愚かさを悔いていた。

 結局真理沙は悠斗も奈々実も香苗も、そして沖田さえも裏切る形となっている。

 友人としても裏切り者としても半端者。結局自己満足を優先し、自己憐憫に浸っている。

 そんな矮小さが吐き気を催す程に忌々しい。


「真理沙、お友達よ」


 母の呼び声に真理沙は、ベッドから飛び起きた。

 きっと今の自分に会いに来てくれる友人なんて多分一人しかない。


「悠斗君!?」


 自室のドアを開け放つと、そこには見慣れた姿の女性が立っていた。

 数年以上の付き合いとなる彼女の名前を真理沙は呼んだ。


「美雪さん?」

「やあ、真理沙」


 大学に通っていた頃のように、沖田は、真理沙に微笑み掛けてくれる。

 大学の頃よりも背が高くなって、まるでモデルのような長躯の沖田だが、その愛くるしい笑顔には全く変化は見られなかった。

 だからこそ真理沙は、沖田と会う事を辛く感じている。

 辛いなどと語ってはいけない立場だと分かっていたが、それでも沖田を勝たせてやれなかった事が申し訳なかった。


「ごめんなさい……私」


 出て来たのは謝罪の言葉。

 それ以外の言葉を言う資格などないと真理沙は思っていた。

 約束を違えた自分は何を言われてもしょうがない。

 覚悟していた真理沙だが、沖田の反応は想像とは違って穏やかであった。


「ううん。悪いのはこっち。こんな事をさせてごめん。友達とは?」


 友達、と呼べるのだろうか。

 友達と呼ぶ事が許されるのか。

 真理沙の答えはすぐに出た。


「もう、友達じゃない……ううん、最初から違ったのかも。だって利用するために近付いたんだよ?」

「でも、みんなが好きだから機体には、手を加えなかったんでしょ?」


 沖田の問いは責めるような口調ではなかった。

 尋ねるような、ただ理由を知りたいというような、そんな印象だった。


「出来なかった……ジークにだけは、細工出来なかった」


 だから真理沙も正直に答えた。

 武器には自爆用の細工をした真理沙だったが、ジークには何の細工もしなかったのである。

 結果、悠斗がジェネシス・クライシスを使い、沖田が敗北してしまった。


「それは、どうして?」


 その理由を沖田が尋ねる。

 真理沙の答えはすでに出ていた。

 でもその答えは、あまりにおこがましくて口にするのも憚られる。

 それでもきっとその答えを沖田は望んでいるのだと真理沙は思った。

 もう嘘なんてたくさんだ。

 だから真実を、思ったままを、正直に言ってしまえばいい。


「ジークを作ってる時、すごく楽しかった。みんなと居る時、楽しかった。悠斗君も奈々実さんも香苗先生も大好きになった。もしも機体にまで細工したら、思い出まで、壊れる気がしたの」


 真理沙は、目的があって悠斗に近付いた。

 でも悠斗達と過ごした楽しかったり、嬉しかった時間も、想いも嘘ではなかった。

 嘘じゃない想いまで嘘にはしたくない。

 心のささやかな反抗がジークに手を加える事を拒んだのだ。

 結果として沖田まで裏切る事となった判断だが、それを聞いても沖田から笑みが消える事はなかった。


「それで正しかったんだ。大事な人が君に出来てよかった」


 心根から喜び、そう言ってくれている。

 それを確信出来るような沖田の笑顔だった。


「私は、アメリカに帰ってやり直す。もう一度自分の力でやり直してみる。私が言えた台詞じゃないかもしれないけど、君もやり直すんだ。君ならきっと彼等ともう一度友達になれるよ」


 そう告げると沖田は真理沙の頭をそっと撫でて、


「ばいばい、真理沙」


 真理沙の前から去って行った。

 香苗も沖田も同じ事を言っている。

 償いをすれば、もしかしたら許してもらえるかもしれない。

 ほんの僅かな可能性があるかもしれないなら真理沙はなんだってする覚悟があった。

 いや許されなくてもいい。

 せめて悠斗に出来る限りの力を与えたい。

 真理沙は作業室の扉を開けて、さらにその奥にある扉を見つめていた。

 そこに眠る可能性を。

 真理沙が悠斗達に与えられる、最後の力を。

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