結城家の招待
同日 午後六時。
結城家に招かれた悠斗達は香苗に車で送ってもらい、人の背よりも高い門扉の前に自動歩行モードのジークと共に並んで立っていた。
「じゃああたしは、この辺でぇー」
しかし家に入る事なく香苗は踵を返して自身の車へと歩き始めた。
「あれ、帰んの?」
問い掛けた悠斗の首根っこを掴んで、香苗は車の近くまで引っ張ってから耳元で言った。
「こういうのに大人つか、教師が居ると話しにくいじゃん?」
「でもさ。香苗先生はなんつーか威厳ねぇってか、別にぃ!?」
香苗の腕が抵抗の暇すら与えてくれず、悠斗の首を締め上げる。
武術家である悠斗の気道をしっかりと押さえているのには感嘆せざるを得ない。
「私みたいのとは話し慣れてんのよ、あの子。同い年同士、っての殆ど初めてなんじゃない。それをなるべく邪魔したくないのよ」
香苗は、この短い期間で結城真理沙という人物を知り尽くしているのだろう。
さすが香苗先生と褒めたい所だか、香苗の腕によって首を締められている悠斗にそんな余裕はなかった。
ギブアップを求めるべく香苗の腕をタップすると、今度は悠斗の肩に手を回して顔を寄せてくる。
「それに私はあんたら好きだけどさ、やっぱり生徒と教師なのよ。やっぱ一線があって話しにくい事もあるもんよ。だから邪魔したくないの」
「先生。気を遣って、大人みてぇ……」
茶化した調子で感心する悠斗に香苗は呆れ顔を見せた。
「あと悠斗、何で奈々実や私を呼んじゃうかなー。あんた、そんな鈍くないでしょ?」
どうやら真理沙の人となりを見抜いているように、悠斗の考えも見抜かれていたらしい。
称賛するつもりは、毛頭ない悠斗だったが、その勘の鋭さには、脱帽させられていた。
「別に。俺が呼んだわけじゃねぇし。奈々実と真理沙のママがさ」
「はーはー。二人きりは、恥ずかしいか? 確かに両親への紹介ってのは、ねぇ? 初々しぃー」
「そんなんじゃねぇって!」
どう弁論しても、結局香苗には、お見通しなのである。
だんだんと空しさに苛まれつつある悠斗であったが、香苗は、肩に回していた手を離して、宥めるように悠斗の頭を撫で始めた。
「分かった、分かった。今回はいいけど、次はこういうのすんなよ? 浮気もん」
「分かったよ……つか浮気もんじゃねぇ」
「んじゃ、友達同士で水入らずしてきな。先生の悪口でも言って盛り上がれー」
そう言い残すと、香苗は、車に乗り込んで去ってしまった。
確かに折角誘われたのだから楽しまなくては損だし、真理沙の大事な話というのもきちんと聞かなければならない。
――告白かもしれないしな!
ある種の覚悟にも似た感情を抱きながら悠斗は真理沙と奈々実の二人と並んで、結城宅に二度目の訪問をする事となった。
真理沙がカギを開けて、玄関の扉を開けた瞬間、悠斗の顔が炎上したと錯覚するほどに熱を帯びる。
玄関を開けた途端、真理沙そっくりの女性が笑顔で出迎えてくれたのだ。
全体的な容姿は、真理沙とよく似ているのだが背はやや高く、シャツの上からでも分かるハリの良い膨らみと、細くも肉が削がれ過ぎていないボディーライン。
潤いと艶と熟れ具合が絶妙なバランスで同居した美の理想像であった。
「いらっしゃい。真理沙の母の優奈です。今日はお越しくださってありがとうございます」
真理沙の母という事は、若く見積もっても三十代後半と考えられるがとてもそうとは思えない瑞々しさだ。
「さぁさぁ、みなさんどうぞ」
優奈の案内で悠斗達が通されたのは、一階の食堂であった。
民家に食堂がある事自体が驚きだが、どこかの王室特集で見たような長大な食卓が中央に置かれていて、天井からは、シャンデリアがぶら下がっており、煌びやかな光で部屋を照らしている。
食卓の上座の傍にスーツ姿の男性が立っており、悠斗を見つけると微笑み掛けてくれた。
「初めまして。真理沙の父の結城信彦です。娘がいつもお世話になりまして」
信彦は朗らかな声音で、握手を求めてくる。
絵に描いたような紳士であり、こちらも奥さんの優奈同様、容姿も端麗だ。
真理沙の美しさを生み出したのは、アメリカの食生活ではない。
ただのサラブレットであると、悠斗は、確信しながら握手に応じた。
「僕は、神凪悠斗です。こちらは、幼馴染の木村奈々実。真理沙さんにお世話になっているのは僕たちの方です」
「娘があなた達の役に立っているなら結構です」
信彦は何とも嬉しそうに目を細めていた。
それにつられて悠斗も表情も緩んでいく。
初対面でも人の心を和ませる魅力がある。真理沙の両親はそういう人達だった。
「さぁ、冷めないうちに召し上がってください」
優奈の声に悠斗が振り返ると、食堂に次々と料理を持った使用人達が入室してくる。
次々に並べられる豪勢な料理。こういう光景もドキュメンタリーや映画でしか見た事がなかった。
料理が食卓に並べられると、まず信彦が上座に座った。
食卓の左側に悠斗と奈々実が、反対側に真理沙と優奈が席に着く。
「さぁ召し上がってください」
信彦に勧められて悠斗と奈々実は、早速ご馳走の群れに箸を伸ばした。
「いただきます」
悠斗が料理を取り皿に乗せていると、右隣の奈々実は次々に食卓の料理を口に詰め込んでいる。これでは味もへったくれもない。
「んー!! おいしいよ優奈ちゃん!!」
「あら奈々ちゃん、良かったわ。私が作ったわけじゃないんだけどね」
優奈ちゃん?
奈々ちゃん?
そう呼び合う二人は、旧知の間柄に見える。
素早く仲良くなれる辺り、案外似ているタイプなのかもしれないと、悠斗は唐揚げを頬張りながら思った。
「それで大会の方はどうなんですか」
信彦に聞かれた悠斗はから揚げを飲み込んでから答えた。
「ええ、トーナメントの一回戦は、突破出来ました」
「そうですか。埼玉県は強豪が多いと聞きますが?」
どうやら信彦は多少なりともアーマード・フェアーズの知識があるらしい。
喜色で豊満となった笑顔が彼が子煩悩な父親であると教えてくれる。
「はい。でも真理沙さんがスーツを作ってくださったおかげで勝ち残れています」
悠斗が真理沙への正直な賛辞を口にすると、両親共晴れやかな笑顔を見せた。
「良かったわね、真理沙」
「うん」
微笑み掛ける優奈に対して、真理沙は、嬉しそうには、見えない淡泊な反応だ。
もしかしたら奈々実や香苗を誘った事を怒っているのかもしれない。
「さぁどんどん食べてください。まだたくさんありますからね」
優奈に言われるまま悠斗たちは、食事を続けた。
大変美味ではあったのだが、真理沙の反応が気になって、悠斗は、心からこの晩餐を楽しむ事が出来ず、食事の後、真理沙の部屋でくつろいでいる今もそれは同じだった。
この場でただ一人、今日という日を満喫したらしい奈々実は、腹を叩きながら床に寝転がっている。
「あんなごちそう食べたの初めてだ」
「そうなんですか?」
真理沙が聞くや、奈々実は唇を鉄砲魚みたいに突き出した。
「うちはウサギ小屋だしね」
「鳥小屋に訂正してやろうか?」
にやけ顔で悠斗が言った途端、奈々実の顔色が茹でたタコみたいに赤く染まった。
「余計に悪いよ!」
悠斗と奈々実にとっては、いつも通りのやり取り。
特に面白い事を言おうと意識したわけではなかった悠斗だが、真理沙の強張っていた表情が綻んだのを見逃さなかった。
「二人は、仲がいいんですね」
「まぁ腐れ縁かな。小学校が同じでガキの頃から知ってるんだ」
そう悠斗が説明すると、後を奈々実が引き継いだ。
「そうそう。中学は離れたんだけど高校でまた一緒になってさ。それで悠斗がアーマード・フェアーズやりたいっていうから、フェアーズ部に入ったってわけ」
奈々実はエンジンが温まって来たのか、口の回転をどんどん加速させていく。
「でも悠斗は、自分で機体作ってフリーマッチしたかったんだけど、部がポイントマッチしか認めてなくてさ。そこで廃部寸前のWAF部に入ったってわけ」
「そっからだよ。俺達の地獄が始まったのは」
ほんのこの間まで確かに先の見えない地獄そのものだった。
でも今は違う。
たった一人のおかげで悠斗はそこから脱出し、今立っている素晴らしい場所に居られる。
「まぁでも。今となっては良かったけどな。真理沙に会えたし」
思った事を悠斗はそのまま口にした。
そしてきょとんとしてから頬を紅潮させた真理沙の反応を見てからようやく気が付いたのである。割と恥ずかしい台詞を述べた事実に。
「いや、変な意味じゃない」
取り繕う暇もなく、眉を顰めた奈々実がここぞとばかりに責め立ててくる。
「そういう意味にしか取れないって。昔から悠斗はそういうやつだよね」
「人をジゴロみたいに言うな! とにかく、あれ。ここまで来れたのは、真理沙のおかげだ」
「うん、奈々実さんもそれについては異議なしっすよ!」
二人の言葉を受けた真理沙は、一転笑顔を失っていた。
最初は鈍痛に支配されたような苦悶の表情。
そこから何かを決意したかのように唇を結ぶと、悠斗と奈々実を交互に見つめてきた。
「いいえ、私は……」
真理沙が何かを言おうとしたその時、奈々実が突如立ち上がり、作業部屋に入って行った。
突拍子もない行動に面喰いながらも悠斗が奈々実の後を追うと、彼女は作業部屋の奥にあるもう一つのドアの前に立っていた。
「ところでさ、こっちのドアは何の部屋? 前来た時から気になってたんだよね」
「ダメ!!」
正に電光石火。
悠斗にすら知覚すらさせない圧倒的な機動性能で、真理沙が扉の前に立ちはだかった。
「ここは入っちゃダメ!!」
「何が入ってるの?」
奈々実の問い掛けに、真理沙は声を荒げた。
「秘密!」
この部屋の話題になってからの真理沙の反応は、年相応の少女の物だ。
彼女を豹変させる何があるのか、俄然悠斗も興味がわいてくる。
「怪しいなぁ、エロ本とか?」
奈々実の披露した推理は、小学生レベルだが、女子高校生が血相変えて隠そうとする恥ずかしい物というと案外良い線かもしれない。
「奈々実、何言ってんだ。エロ本なの?」
奈々実の推理に乗っかってみる悠斗だったが。
「大声出しますよ」
「やめてくれ、お前の親父さんに殺されそう」
真理沙の一言で悠斗は、追及を諦める事にした。
ここで会話が一旦途切れ、悠斗はスマートフォンを見る。
時刻は、既に午後十時だ。
「もういい時間だな。じゃあ帰るまでの間に少し整備するか」
「私がやっておきます。これぐらいの整備なら一人で出来ますから」
何もかもを真理沙に任せるのは、気が引ける悠斗であったが、どの道悠斗達では出来る事は少ない。
それにこれ以上遅い時間まで居れば、真理沙の両親に迷惑をかける事になってしまう。
この辺りで帰るのが妥当と、悠斗は判断した。
「悪いけど任せた。俺達そろそろ帰るよ。また明日」
「うん。また明日」
結局最後になって真理沙は煮え切らない態度に戻ってしまった。
気掛かりではあるが、明日も大会だ。
しかも相手は、織田を破ったブラック・カーネージ。
悠斗にとって今気に掛けるべきは、この強敵である。
悠斗と奈々実は、真理沙の部屋を後にして、エントランスホールまで降りると、靴を履いてから悠斗が声を上げた。
「遅くまでお邪魔しました。お夕飯美味しかったです」
悠斗の声を聞いたのか食堂の扉が開き、真理沙の父、信彦が姿を現した。
「おや、帰るのかい。良かったら送って行こう」
嬉しい提案だが、悠斗と奈々実を送り届けて、家に引き返したら夜中になってしまう。
この好意に甘える事は、悠斗には、憚られた。
「いえ、とんでもない」
悠斗が断ろうとすると。
「遠慮しないで、ほら」
そう言って信彦は、悠斗や奈々実に先立って外に出る。
悠斗が呆気に取られているとしばらくしてから玄関の前に、車が横付けした。
その銀色のボディーとエンブレムの意匠を見ると、数千万円クラスの高級外車という事が伺える。
香苗の車とは、何もかもが違う結城家の車に気圧される悠斗であったが、対する奈々実は、迷う事無く後部座席に乗り込んだ。
この肝の座り方は尊敬すべきか。
「悠斗、早く! うわー椅子がふかふかー!! すげー!」
それとも軽蔑すべきか。
苦悩の中、悠斗も車に乗り込む。
確かに座席の座り心地は、奈々実の言う通り素晴らしく、まるでソファーに座っているような感触だ。
やがて車が走り出し、結城邸の門扉を出た直後、信彦が声を掛けてきた。
「すまないね。無理やりに。実は、ちょっと話がしたくて」
思えば、この食事会は、本来信彦が悠斗と会って話してみたいというのが発端である。
それを悠斗は、今更ながらに思い出していた。
悠斗には、話の内容について見当が付いている。
娘にすり寄る害虫への牽制。
だとしたら真理沙のあの態度も納得だ。
大会が終わったら二度と近寄るな、と言われたのかもしれない。
二度と会えないなんて、二度と一緒に部活を出来ないなんて悠斗からしてみればごめんである。何を言われても反論して食い付いてやる。
そんな決心を悠斗がすると信彦が声を上げた。
悠斗の想像とはまるで違う、穏やか声だった。
「娘は、同い年の友達が居なくてね。頭が良すぎるのも考え物なんだ。心以外が誰より早く大人になってしまった」
「心以外?」
悠斗が問い掛けると、信彦の顔がバックミラー越しに微笑むのが見えた。
「心は、経験で大きくなるものだと思う。あの子が大人よりも頭が良くても、心は、まだ子供なんだ」
信彦の言うように、最初は大人びて見えた真理沙にも年相応の面がある事を悠斗はこの数日で知った。
頼り過ぎているのでは?
背負わせすぎているのでは?
悠斗が自問する中、信彦は続ける。
「色々と幼い部分もあると思う。人付き合いの経験がないのに頭はいいから、ある意味子どもと付き合うよりも、たちが悪いかもしれない」
悠斗が表情には出さず、心の中で頷いていると、信彦の表情から笑顔が消えた。
「それでも友達でいてやってほしいんだ。これは親の勝手な都合なんだけどね」
まるで懇願するかのようだった。
どれほど信彦が真理沙を愛しているのかを悠斗は思い知らされる。
こんな事を言われて気軽な返事は出来ない。
どんな言葉を返せばいいのか悠斗が悩んでいると、それは奈々実の口から告げられた。
「心配しなくて大丈夫ですよ。私も悠斗も真理沙さんの事、大好きですから」
天然とは恐ろしい物だ。
しかし今日程、奈々実の天然を愛おしく思った事はない。
言いたかった事を全てストレートに伝えてくれた。
バックミラーから見える信彦、安堵したように笑みを浮かべている。
奈々実の真理沙に対する真っ直ぐな気持ちを受け取ってくれた証であった。
「ありがとう。悠斗君、奈々実さん」
「お礼なんてやめてくださいよ。わたし達が助けられてるんですから。だよね、悠斗? ね?」
「はい、本当に。奈々実の言う通りですよ」
きっと悠斗は、奈々実が無自覚にこういう事を言えるからこそ親友でいられるのだ。
彼女がどれほど自分にとって大きな存在であるかを悠斗は、気付かされていた。
きっとその天性の明るさが信彦にも伝わっている。
そうでなければ、こんな楽しそうに笑顔を浮かべる事なんて出来ないはずだ。
「また家に遊びに来てくれるかな。娘も喜ぶ」
「もちろんです。またご馳走は!?」
「おい、厚かましいぞお前」
「だって美味しいんだもん」
さすがに調子乗り過ぎていると思い、悠斗が諌めると奈々実はへそを曲げてしまった。
これを見かねたのか、信彦が声を掛けてくれる。
「今日みたいので良ければいつでも」
そう聞いた奈々実は、車の中だというのに、右拳を突き上げて喜び出した。
「やったー!!」
この光景に悠斗は戦慄していた。
奈々実の右拳が車の天井をぶっ叩いているからである。
「お前、この車いくらするか知ってんのか!」
「大丈夫だよ。それぐらいじゃビクともしないから」
「ですけど……」
こういう時、持ち主は、意外と冷静な物だ。
しかし悠斗にしてみれば、奈々実の行動一つ一つが脅威としか思えないのである。
「それより明日の大会頑張って。悠斗君、奈々美さん」
「あの結城さん、そういう事言うと奈々美がまた」
「まっかせてー真理パパ」
「だから暴れんなって! てめぇしばくぞ!!」
悠斗は、暴れる奈々実を押さえながら帰路に着き、こうして県大会前日の夜は、にぎやか余韻を残して明けていった。
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