お家へ行こう:中編
――二十分後。
無事真理沙よりも先に浦野宮駅に到着した悠斗は、バスで来た真理沙と合流して自宅の前に立っていた。
浦野宮駅東口から徒歩十分に位置する住宅街に悠斗の自宅はある。
庭付き二階建ての一軒家で豪邸とまでは行かないが、それでも一般のそれよりもかなり大きな造りだ。
アーマード・フェアーズ開発者の名は伊達ではなく、相応の報酬や権利料が悠斗の父、神凪雄二に入っている事を象徴する家である。
初めて訪れる人はよく大きい家だと言って驚くのだが、真理沙は全く動じる事はなかった。
アメリカへ留学出来るという事は、裕福な家の生まれである事は、想像に容易い。
彼女の自宅も悠斗の家と似たような物か、下手すればそれ以上の豪邸なのだろう。
悠斗は、門扉を開けると庭を通って玄関扉を開け、自宅の中に真理沙を招き入れた。
今日両親は、居ないため電気は、点けられておらず、既に日が沈みかけている事と合わせて、家の中は、薄暗い。
「お邪魔します」
真理沙は、靴を脱いで丁寧に揃え、玄関の端に寄せると、立ち上がって玄関をぐるっと見回した。
「暗いですね。誰も居ないんですか」
よりによって触れられたくない話題である。
奈々実を両親が居ない時に、家に上げた事は何度もあった。
けれど出会ってからさして時間の経っていない、しかも初めて家を訪れる真理沙との二人きり。
学校に居る時は、思わなかったが、もし奈々実が一緒に来てくれたら、こうも気まずくはなかっただろう。
かといって押し黙ったままなのは、それはそれで居た堪れない気持ちにさせられて、悠斗はたまらずこの家の現状を話す事にした。
「今日、親居ないんだよね……」
「口説いてるんですか?」
返す刀の鋭利な事。
真理沙には、羞恥心という物がないのか。
それとも年頃の男と二人きりの状況に危機感を覚えないのか。
どちらにせよ、既にあわよくば等というスケベ心は悠斗から消滅しており、真理沙の推理を否定すべく口を開いた。
「違うよ! そういうんじゃなくて、なんつーかーさー」
ここで言葉に詰まる悠斗だったが、すぐさま真理沙が沈黙に割り込んだ。
「緊張しないでください。女性慣れしてないのは、知ってますけど」
さすがにこうも面と向かって言われれば、気持ちのいい話題ではない。
悠斗は唇を尖らせて真理沙を睨み付けた。
「なんだよ、それ」
「彼女いるんですか!?」
そう言って真理沙は目を丸くして口元を手で覆い隠した。
こんなに驚いた様子の真理沙を見るのは、初めてである。
こうも意外そうに言われるのは釈然とせず、さすがの悠斗も声を荒げていた。
「いねぇよ! つか意外そうに言うな。いちゃ悪いのか! いねぇけど」
今年高校に入ってからは、よく一緒に居るせいか、奈々実が彼女では?との噂が立つ事もあるが、真理沙は、悠斗と奈々実の友人としての関係を正確に把握している。
だから奈々実が彼女ではないのは知っている。
しかし彼女が居ないと明言した事は、悠斗の記憶の中では一度もない。
真理沙の口振りは、まるで悠斗に、彼女が居たら不思議だとでも言いたそうで、いったい彼女の中で自身の人間評がどれほど低いのかを確かめたくなってくる。
しかし、すでに真理沙の興味の対象は、悠斗に彼女が居るか否かではなく、ジェネシス機関に向けられているようだった。
「別にどっちでもいいですけど、早く設計図みせてください。トーナメントまでには機体を完ぺきにしないと」
確かに他人の恋愛事情なんてどうでもいいかもしれない。
だがはっきり言葉にされると傷口は押し広げられるのだ。
真理沙の一挙手一投足付き合っていると心が壊れかねない事を危惧した悠斗は、彼女の発言を聞き流して玄関の左正面にある二階へと続く階段を指差した。
「こっち」
先んじて悠斗が二階に上がると、後ろから真理沙も付いてくる。
悠斗の部屋は、階段を上がってすぐ右側にある部屋だ。
悠斗は、扉を開けて、真理沙を招き入れる。
部屋の内装は、勉強兼作業用の机とその左隣に三段のワイヤーシェルフがあった。
ワイヤーシェルフにはテレビやゲーム機が乗っており、机の上は筆記用具やノートにノートパソコンなどが置いてある。
机の反対側には、漫画や小説の散乱したベッドもあり、十畳とやや広い事を除けば一般的な高校生の部屋と大差ない。
「ここが俺の部屋」
「ご両親の部屋に案内しない事は分かります」
何故天才とは往々にして理屈っぽいのだろうか。
これと言って意味のない日常会話にまで噛み付くのは一般ピープルには理解しがたい感覚だ。
「いちいち言わんと気が済まんのか」
さすがに悠斗も癇に障って言い返すと真理沙は、
「可愛げがないのは、自覚してますよ」
と吐き捨てるように呟いた。
そんなつもりで反論したのではなかったのだが、女性にこういう反応をされると悠斗はどうすればいいのか戸惑ってしまう。
奈々実とは喧嘩する事もあるがその日の内には、仲直りして普段通りに喋る事も出来る。
言い合いをしても、最後には気持ちよく、また明日と言い合えるのだ。
如何に奈々実という人間が付き合いやすいかを痛感しながら悠斗は、頭を掻き出した。
真理沙相手だと、どうしてもリズムが狂うのである。
「別にそうも言ってないけどさぁ。ちょっと待ってろ」
とにかくさっと設計図のデータを見せ、さっと帰ってもらおうと思い、悠斗は机に置いてあるノートパソコンの電源を入れた。
十秒ほど待ってパソコンのデスクトップ画面が表示されると、悠斗はマウスでカーソルを『ジェネシス機関設計図』と書かれたファイルに合わせるとクリックした。
するとパスワード表示を求められる。
万が一ジェネシス機関の設計ファイルが流出した場合、無闇に見られないようにするためだ。
OSの既存プロテクト機能ではなく、悠斗の父が設計した特殊な暗号化システムが使われており、並みのクラッキングソフトではびくともしない。
悠斗が、パスワード『一二YUTO二九八〇』と入力すると、ジェネシス機関の設計図が画面上に展開された。
「これだよ」
そう言って後ろに立っていた真理沙にパソコンの画面を見せると、彼女は野獣が特上の獲物に食い付くような勢いでパソコンへ近付くと、表示されている設計図に見入った。
厳重なセキュリティーによって管理されている設計図だが、生憎悠斗には全く理解出来る代物ではない。
奈々実や香苗に設計図を見せた時も悠斗と同様の反応を示した。それが普通であろう。
しかし真理沙は、自分達とは違うのだと、悠斗は彼女の顔を見ただけですぐに分かった。
心底から設計図の意味を理解していないとこうも楽しそうな嬉々とした表情は、出来ないだろう。
「なるほど、凄いですね」
驚嘆。
驚愕。
驚喜。
それらを綯い交ぜにして煮詰めたような微笑を湛えた真理沙の口元が悠斗の父の偉業を示している。
悠斗には理解し得ない技巧の深淵に触れた真理沙の感情が如何ばかりかを推し量る事は容易くない。
しかし、真理沙のような人間にとって、この設計図は、白金よりも価値ある物だろう。
「分かるんだ」
悠斗がそう問い掛けると真理沙は、目を見開いた。
「分からないんですか……愚問ですね」
途端にトーンダウンする真理沙に、悠斗はまたも猛毒が飛んでくる事を察知した。出来れば浴びたくはないが一応尋ねてみる。
「なんだよ。何が言いたいんだ」
「これの凄さが分かれば、マークⅥなんて作らないはずですから」
予想通りの毒針が悠斗の泣き所に突き刺さる。
一番言っちゃいけない話題のはずなのに、どうしてこうも躊躇いなく人を言葉責めに出来るのか。
悠斗も好きでマークⅥを作ったわけじゃない。
あれが限界だったのだ。
「うるせー。あれなんだよ。頭は、親父の受け継いでないんですよ」
ふてくされた態度を悠斗が取ると、真理沙は顎に人差し指を当てて首を捻った。
「お母様似なんですか?」
「人の母親を馬鹿扱いするな!!」
「じゃあ、どうしてこんな子が」
真理沙は、確実に言葉責めを楽しんでいる。
ここまで露骨なサディストを前にして悠斗が出来る事はない。
悠斗は、両手で覆うようにして頭を抱えて溜息を付いた。
すると真理沙は途端に穏やかな眼差しになり、愉快気に笑んだ。
「冗談です」
これで冗談なら本気は一体どれほどなのか。
想像もしたくない真実の告白に悠斗の背筋を怖気が走る。
だが冗談にしたって言っていい事と悪い事がある。
真理沙は明らかに言い過ぎだ。
それが気に入らなくて、悠斗は真理沙を困らせようと悪態をついた。
「区別つかねぇんだよ、真理沙のは。嫌味とさ。つか嫌味しか言えねぇのか?」
どう出る。
そう思って横目に真理沙を見ると、明らかに様子が普段と違う。
誰が見てもしょげているようにしか見えなかった。
ドSは、打たれ弱いと言うが、ここまで露骨な物なのか。
俯いて急に大人しくなってしまった真理沙の想定外の反応に、悠斗の胸を罪悪感という名の無数の槍が刺し貫いていく。
さすがに謝罪をしようと悠斗が決心したその時、真理沙がしおらしい調子で喉を震わせた。
「すいません。どうしてもこう、口が悪いんです。昔からいろんな人に口が悪いと言われてしまって。直したいんですけど。つい言っちゃうんです。ごめんなさい、本当に」
一転して沈んだ態度から見るに、この言葉が真理沙の真意なのだろう。
短い付き合いではあるが平然と嘘を付けるような人間ではない。
悠斗は真理沙をそう分析していた。
ちょっとした苛立ちから、弁慶の泣き所を容赦なく蹴飛ばしたのは自分であった。
そんな後悔に襲われた悠斗はおずおずと口を開き、謝罪を述べる。
「いや良いけどさ、別に。俺も人の事は、言えないし。真理沙と話すのは、楽しいからさ。だからなんつーか、俺も調子乗った。ごめん」
悠斗の謝罪を聞いた途端、真理沙は、踵を返した。
「見る物見たんで帰ります」
「早いな!? 」
真理沙の態度は。怒っているようには見えない。
本当に設計図を見て満足したから帰るという感じだ。
「てか、コピーとかいらないの?」
悠斗が尋ねると、真理沙からの回答は電光石火の如く告げられた。
「内容は暗記しましたから」
伊達に天才女子高生ではないらしい。真理沙のキャラクターにぴったりの台詞に、悠斗は思わず吹き出していた。
似合った台詞を真正面から躊躇なく言われると、存外可笑しい物である。
本人に自覚がない辺りが尚素晴らしい。
訝しそうにする真理沙を余所に、悠斗は、震える腹筋を押さえながら口元を緩めた。
「まぁ、そう言わず持っていけよ。忘れたりしたら大変だろ。そのたびに俺の家に確認に来るのも」
「それは、つまり、もう二度と来るなと」
――真理沙は、どれだけ曲解してるんだ?
言葉だけ聞けば、悠斗がそう感じたのも無理はなかろう。
真理沙の反応が冗談か本気かは分からなかったが、悠斗は、自分の素直な想いを答える事にした。
「言ってねぇよ。来たけりゃいつでも来いよ」
さらりと言ってのけた悠斗の台詞に、真理沙から全ての感情が消失した。
それからしばらくして浮かび上がった華やかな笑みは、悠斗の視線を捕えるのに十分過ぎる色香を放った。
リアクションを取ろうにも上手く頭が働かない。
ただ見つめ合い、そして流れる時間。
心地よいのに、居心地悪い空気感は、もっと味わいたいとも、早く終わってほしいとも、反する感情を同時に悠斗に抱かせる。
二人が見つめ合う、そんな永遠のような短い時間に終わりを告げたのは、スマートフォンの着信音だ。
その着信音が自分の物だと気が付いた悠斗は手元をバタつかせながらズボンのポケットに入れていたスマートフォンを取り出した。
画面には『香苗先生』の表示。
番号の登録はされているが、香苗から電話が掛かってくるのはかなり珍しい事だった。
そして大抵の場合、いいニュースではない。
悠斗は、通話アイコンを指でスライドさせ、スマートフォンを耳に当てた。
「悪い。先生だ。もしもし」
「あ、悠斗。週末さ。やっぱり機体の調整とかしたいよね?」
何故香苗は、当たり前の事なのに探りを入れるような口調で尋ねるのか。
絶対に裏がある。それもかなりのやばい事が。
「そりゃあしたいよ」
そう告げると電話の向こうで香苗が押し黙った。
人間良い予感というもの程外し、嫌な予感程当たる物だ。悪い予感の的中を確信した悠斗に、香苗からその真実が語られた。
「学校さ、フェアーズスーツ部の連中がボヤ騒ぎ起こしちゃって、週末は使えないんだわ」
「あのアホども何やってんだぁ!!」
よもや意外な形で嫌がらせをしてくるものである。
試合で負けたから今度は制作の妨害という事か。
憤怒に拳を振るわせて、阿澄の顔面を文字通り破顔させようと決意を固めた悠斗に香苗が続ける。
「あんたらに触発されて、機体の改造してたらしいんだけど、配線ミスってドカンと」
触発され、フリーマッチの楽しさに気付いたのか。
それともボヤ騒ぎで邪魔しそうとしているのか。
さすがに後者はないだろうが、しかし学校が使えないとなると事は深刻である。
マークⅦは、学校に置きっぱなしだし、機材も大部分は学校所有の物だ。
「道具は、ともかくとして……ジークは?」
「一応運び出したは、出したんだけど。私の家にも置いとけないのよ」
悠斗の疑問に答える香苗の声は沈み込んでいる。
だが運び出してくれただけで勲章ものだ。
とりあえずジークは悠斗の家で引き取ればいい。
「ありがとう先生。問題は、機材か……」
生憎大型の機材を悠斗は持っていない。
悠斗の手持ちの機材は、応急修理用の物だ。
その程度の機材では、ジークの武装制作がトーナメントまでに間に合わなくなる。
この難題に対する回答を授けてくれたのは、無言で成り行きを見ていた真理沙であった。
「良かったら家に来ませんか? 機材ありますよ」
「まじでぇ!?」
渡りに船とはこういう事をいうのだと悠斗は思い知らされた。
恐らく悠斗の言葉から香苗との会話内容を推測しての提案であろう。
悠斗は、以前から真理沙の事を容姿は、女神と思っていたが、内面も含めて女神と思ったのは、今日が初めてであった。
「助かるよ、真理沙。でもいいのか? なんか世話になりっぱなしだしさ」
「いいですよ。ただ日曜日は、予定があるので、家を使えるのは土曜日だけになりますが」
何も出来ないよりは、一日だけでも作業出来るに越した事はない。
悠斗にとって真理沙の申し出は、棚から金塊という気分にさせられた。
「いい、いい。全然いい!!」
「なら、是非。お礼したかったですから」
「お礼?」
悠斗が首を傾げると真理沙は、はにかみがちに頷いた。
「私、こんな風に近い年頃の人と話した経験殆どないんです。だからなんか嬉しくて」
「そっか。飛び級してると、同い年の友達出来ないもんな」
「友達と思ってくれるんですね」
意外そうに言う真理沙だったが、彼女の言葉自体が悠斗には、意外な物だった。
では今まで真理沙は、悠斗達の事をどう思っていたのか。
いやむしろ真理沙自身は、そう思っていても、悠斗達が同様の感情を持っているとは考えなかったのかもしれない。
大会の時、ちゃんと「友達」だと告げたつもりの悠斗であったが、気持ちが届いていないのは意外な誤算である。
どうすれば真理沙への信頼を表す事が出来るのか?
この答えを模索しようとする悠斗であったが、既に自分の中にそれがある事に気が付いた。
「そうじゃない奴に、これは見せないよ」
悠斗は、ジェネシス機関の設計図を指差した。
これを見せるという行為そのものが真理沙への信頼の証だ。
「そうですか」
淡々と呟くと真理沙は、素早くスマートフォンを取り出して、画面を操作し始めると、悠斗のスマートフォンがメールの着信を告げた。
悠斗が見るとメールは、真理沙から送られた物で、地図画像のデータが添付されている。
「ここが家です。分からなければメールしてください」
そう言うと真理沙は、何かに追われているかのように足早に悠斗の部屋を後にしようとした。
何故慌てて去ろうとするのか、その理由が悠斗にはなんとなくだが分かっている。
友達と認められた事が少し恥ずかしいのだ。
真理沙の想いを汲んで、悠斗は引き留めようとはせずにこう言った。
「ありがとう。じゃあまた明日。真理沙の家で」
そして真理沙は、振り返ると、
「はい。待ってます。悠斗君を」
二人は、笑顔を交わし合い、翌日の再会を誓った。
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