お家へ行こう:前篇

 四月三十日 午後五時 WAF部部室。


 予算の都合を付けてもらえるよう、香苗が理事長室に行ってから一時間が経過していた。

 悠斗達は、各々椅子に腰掛けて香苗の帰りを待っているが、帰ってくる気配がない辺り、交渉が難航していると考えるのが自然である。

 無為に時間を過ごすのも、もったいないと感じた悠斗が見つめていたのは、大会運営側からスマートフォンに送られてきたトーナメントの抽選結果だった。


 出場者は、八人。悠斗が対戦するのは、Bブロックの勝者、大学のフェアーズスーツサークル所属の山村一樹選手。

 愛機は、バストローラーと呼ばれるバランスの取れた空戦型で、高い機動性を生かした戦法を得意とする。

 ここで勝った場合、次がCブロック織田選手のファングトルパーかFブロック沖田選手のブラック・カーネージ。

 そして決勝で当たる相手。これに付いては予想が出来ていた。


 Eブロック、雪月薫選手の駆る雪月花だ。

 昨年の世界大会ベスト十六の実力を持つ、雪花薫選手の操る近接特化型の機体。

 彼程の実力を持った人間が県大会で負けるはずがない。

 優勝するには、彼を倒す以外になく、当然世界クラスの実力が要求される。

 乗り越えるべき強敵の出現。

 男としては、本来燃えるシチュエーションだが、こうも実力差のある相手では、そんな感情すら湧き出る余裕はない。

 当面の相手となるバストローラーよりも、決勝で戦う雪月花の方が悠斗には強大な脅威に感じられた。


「真理沙。雪月花だけど……勝てるぅ?」

「付け入る隙はあります。雪月花は近接戦を主体にした機体です。遠距離装備には乏しい。世界大会でもその弱点を突かれて勝利を逃しています」


 真理沙の言う大会の中継は、当然悠斗も見ていた。

 やや優勢であった雪月花が相手の徹底した遠距離戦の末に被弾。撃破されたのだ。

 大会をテレビで見ている立場だった当時の悠斗は、相手の徹底したガン引き戦術に、がっかりしたものだったが、実際に戦う立場になれば、相手選手の気持ちも痛いほどよく分かる。


「これは機体出力の問題です。近接武装を生かすためにブースターに出力を回している。だから遠距離武装に回すエネルギーに余裕がない。さらに機動性確保の為に機体重量も上げられない。装甲が薄く、当たれば撃墜出来ます」


 当たれば墜とせる。

 一撃当てる事が出来れば、あるいは可能性がある。

 字面にすると簡単だが、実際に達成するのは手元を見ずに針の穴に糸を通し続けるような気の遠くなる作業だ。

 だがあらゆる面で劣っているわけではない。雪月花にはないジークの強みもある。


「動力だけは、勝ってるって事か」


 それこそが真理沙の言う付け入る隙。


「そうです。あちらにはない利点がこちらの高出力。だから、その長所を生かすべく、ジェネシス機関への理解を深めたいんです」

「設計図の詳しい奴なら家にあるけど、今日見に来るか?」


 悠斗の提案に真理沙は考える素振りも見せずにすぐさま答えた。


「そちらの都合がよろしければ」


 続いて椅子から飛び上がった奈々実が声を荒げた。


「私、今日用あっていけない!!」


 ――別に来いとは言っていない。


 悠斗は、心の中でそう呟いた。

 奈々実には以前設計図を見せたが、その内容を理解する事は出来なかった。

 もちろん悠斗も同じなのだが、意味の分かる人間が今目の前に居る。

 それなら別に奈々実が来る必要はない。

 真理沙だけが悠斗の家に来れば済む話である。

 しかし面と向かってはっきりそう言うのも気が引ける悠斗は溜息を尽きながら残念そうな雰囲気を醸し出す事に務めた。


「そっか、残念だ……」

「ごめんね」


 悠斗が了解しようとした時、真理沙が口を開いた。


「別に奈々実さんは、必要――」


 悠斗は、すぐさま真理沙の口を塞ぐ。

 奈々実は今回必要ないとか、いらぬ毒舌を吐くのだと確信していたからだ。

 そんな事言ったら最後。

 ようやく関係構築出来てきた奈々実と真理沙が全力で潰し合う未来しか想像出来ない。

 女同士の口喧嘩に巻き込まれるのだけは、何としても避けたかった。


「それ以上言うな。無闇に人を傷つけるべきじゃない」


 真理沙が頷くのを確認してから、悠斗は真理沙の口から手を離して彼女を解放する。

 渋柿のような顔でこちらを伺う奈々実だったが、これも彼女の為だ。

 真実を知るべきじゃない。

 奈々実の不信を拭う為に、悠斗は、話題を切り替える事を考え付いた。


「そう言えば、香苗先生遅いなー」

「話題を変えたつもり?」


 見透かされている。

 さすがに長い付き合いなだけはある。


「変えておけよ、そこは」


 悠斗がそう言ってもどうやら無駄なようだ。

 奈々実は、真理沙が言いかけた台詞を聞くまで折れるつもりはないと見える。

 でも言えば絶対にめんどくさい事になるのは必至だ。

 どうしたものかと悠斗の脳細胞たちが今後について協議している中、部室のドアが緩い勢いで開かれた。

 部室に入ってきたのは、憔悴しきった顔をしている香苗だった。

 彼女を見れば理事長相手の予算交渉が失敗した事は想像に容易い。

 だが彼女は、悠斗達を見ると途端に笑顔を作った。

 苦し紛れの、それでも懸命に、いつもの態度に努めようとする、そんな笑み。

 香苗が、交渉が失敗した事を言いにくいのだと感じた悠斗は自分から話を切り出した。


「ダメだったんだ……」


 予算が無ければ武器は作れない。

 全国レベルの相手を前に、いくらマークⅦの基本性能が高くても武装なしでは知れている。

 諦める。

 そんな単語が暗雲のように、部室を包み込まんとしたその時、香苗の掌が作業デスクを叩き付けた。


「ばっちりよ! ドンと貰って来た!」


 悠斗は、香苗の手の下、そこにある封筒を手に取って中を検める。

 そこには一万円札が束になって入っていた。

 封筒から取り出して数えてみると、二十万円の大金である。

 しかし先程の香苗の表情から察するに、予算が貰えたとは考えにくい。

 では、この金は、どこから出て来たのか。一番高い可能性は香苗の身銭であろう。

 貯金を崩したのか、給料を前借したのか、見当は付かないが、どちらにせよ大人にとっても二十万円の負担は、かなり大きいはずである。

 こんな甘え方を出来る訳がない。

 普段からどれだけ世話になっているか分からない恩人から、これ以上の施しを受けられるはずがなかった。


「嘘だよね。香苗先生の金でしょ? 受け取れない」


 香苗は優しく破顔する。

 その顔は、同じ目線で寄り添ってくれる姉のような女性の物ではなく、威厳に満ちた教職者の顔だった。


「いいから持っていきなさい。出世払いでいいから」


 甘えるべきでは、ないかもしれない。

 今までも甘えすぎている。

 けれど、自らに都合のいい自己解釈かもしれないが、この金を受け取る事よりも、受け取らずに後悔する方が香苗の気持ちを冒涜する。

 悠斗は、そんな気がした。

 封筒に香苗から渡された軍資金を戻して悠斗は、作業デスクの中央に置く。

 みんなの生命線であり、香苗がくれた希望だ。


「先生ありがとう。これで武器が作れるよ」


 悠斗がそう言うと香苗の表情が砕け、いつもの親しみやすさを取り戻した。


「しっかり強いの作って、勝ちなさいよ」

「ああ、絶対勝つ。トーナメント戦も」

「馬鹿、優勝でしょ」


 そうだ。予選突破は、通過点に過ぎない。

 あくまで目標は県大会優勝。

 そして全国制覇とやがては世界へ。

 その為のWAF部だ。

 その為のジークドラグーンだ。


「うん」


 目標を再確認して、悠斗は力強く頷いた。


「よしじゃあ、真理沙、奈々実。早速マークⅦを!!」


 金が手に入ればいよいよ武器の作成となるはずだったが、肝心な事を悠斗は思い出した。


「改造する前に、ジェネシス機関が見たいんだっけ?」


 真理沙に問い掛けると、彼女は小さく頷いた。


「ご迷惑じゃなければ。あと、ご迷惑でも勝ちたいなら見せてください」


 要するに選択肢はないという事だ。

 勝ちたいわけだから見せなければならないし、そもそも迷惑でもないから隠す道理もない。


「んじゃ、まぁ今日の作業は、これで解散。お疲れー」


 悠斗が鞄を持って部室を後にすると、


「お疲れ様です」


 そう言って真理沙も悠斗の後に続く。

 悠斗は、やや後ろを歩く真理沙のゆったりした足並みに歩調を合わせると、並んで廊下を歩いた。

 これから二人で悠斗の自宅に帰る。

 しかも海外出張中の両親はまだしばらく帰って来ない。

 状況だけを見ればあまりに完璧だ。

 完璧に彼女を部屋に連れ込む彼氏の図だ。

 そんな考えが過ぎると、何故だか途端に緊張してくる。


 二人きりの状況で女の子を家に入れるのは、奈々実以外では初めての経験だ。

 例えばもしも、もしも真理沙の胸に何らかのアクシデントで触ってしまい、彼女がその気になってしまったら。

 転んでベッドに押し倒してしまったら。

 二人きりになったところでいい雰囲気になってしまったら――


 普通に考えればあり得ない想定だが、今の悠斗にとっては、どれも現実に起こりうる可能性を捨てきれない。そんな状態なのだ。

 しかし真理沙の目的は、あくまでジェネシス機関の設計図を見に来るだけ。

 それ以上の事は何もないはず。

 とにかく今は思考の切り替えを重視すべきと判断して、悠斗は左隣を歩く真理沙に話しかけた。


「俺チャリなんだけどバス?」

「はい」

「二ケツも危ないし。んじゃさ。浦野宮駅の南口で待っててよ。迎えに行くから」

「分かりました」

「じゃあ俺悪いけど、先出るね。もしかしたら先に着けるかも」


 そう言って悠斗は、廊下に真理沙を残して、自転車置き場に直行すると、両足の出す事が出来る最大出力を発揮して自転車のペダルを踏んだ。

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