祝勝会

同日 午後五時二十三分。

 合計八ブロックの予選の全試合が終わり、バトルロイヤルを勝ち残った八人の選手はバトルスペースの中央に設営された壇上に上がり、スポットライトを浴びていた。


『それでは、トーナメント戦出場選手を紹介します!』


 実況者の掛け声と共にスポットライトが壇上の悠斗を照らした。


『まずは、Aブロック代表神凪悠斗選手! ご存じアーマード・フェアーズ生みの親、神凪氏のご子息! ポイントマッチでは小中学生の頃、全国大会出場経験あり! 最高成績は、ベスト四と中々の強者! 今大会からフリーマッチに転向し、その強さを見せつけました!』


 スポットライトは、悠斗の左側に移動して小柄な体格をした若い男性を照らす。

 年の頃は、二十代前後だろう。


『続いてBブロック代表! 山村一樹選手! 全国大会出場常連! 最高成績は、フリーマッチベスト四! 今年こそは世界大会出場を狙っているそうです!』


 続いてスポットライトが照らしたのは、悠斗が面識はないながらもよく知る人物であった。


『Cブロック代表織田正行選手! 今大会優勝候補の一人! 昨年は全国大会準優勝。世界大会へ出場した強者です!』


 アーマード・フェアーズ全国大会準優勝。

 世界大会出場のスーパールーキー織田正行。

 もしも手合せ出来たならこれ程、光栄な事もないだろう。


『Dブロック代表は……』


 実況アナウンスが響く中、悠斗が注目していたのはEブロックの代表だった。

 何故なら彼こそが今大会で最も困難な障壁だから。


『Eブロック代表! 雪月薫選手! もはや語る事はありません! 県大会全国大会優勝常連! 世界大会出場歴五回! 最高順位ベスト十六! 織田選手と並ぶ今大会の優勝候補だ!』


 実況の解説が始まるや会場中から歓声の吹雪が会場に降り注ぐ。

 近接主体の華麗な戦闘スタイルと雪月自身の端麗な容姿を合わせれば、この反応も無理はない。

 次にスポットライトに照らされたのは、ライダージャケットを着た女性で、整った容姿をしているが服装と合わせて所謂男装の麗人といった風情で、会場から黄色い声援が上がった。


『えーFブロック代表は、沖田美雪選手! アメリカでプロとして活躍している実力者です! マサチューセッツ州大会三度優勝、全米大会ベスト八の黒船が満を持して日本に上陸だぁ!』


 沖田美雪の名前は、悠斗も聞いた事がある。

 三年前、全米大会ベスト八になった際、日本でも話題になった選手だ。

 しかしそれ以降戦績はパッとせず、彼女の名前を聞く事はなくなってしまった。


『続いてGブロック代表の――』


 ――どうして日本に?


 基本的にアメリカよりも日本の方が競技レベルは高いとされている。

 アメリカでの戦績がパッとしないなら、わざわざよりレベルの高い場所で再起を狙うというのは悠斗にとっては不可解に思えた。

 再出発に欲しいのは、勝ち星のはずだ。

 ならレベルを多少落としてでも勝って自信をつけた方がいい。


『それでは以上を持ちまして選手紹介を終了します! 会場そして中継をご覧の皆様! 決勝トーナメントもお見逃し無いよう!』


 ――どうにも引っ掛かる。


 壇上から他の選手が引き上げていく中、釈然としない物を覚えた悠斗が沖田を見つめていると、その視線に気付いたのか、美雪が近付いてきた。

 もしかして怒らせてしまったのか?


「よろしくね神凪君」


 愛想よく笑んで握手を求めてきた。


「ええ。よろしく」


 握手に応じると美雪は満足そうに微笑みながら壇上を後にした。

 一人残された悠斗は、


「……何だ。あの人」


 胸の中に残る微かな違和感を訝しみながら後頭部を撫でた。




 同日 午後七時二十五分。

 予選終了後、香苗の車でジークを学校に置いてから一同は、浦野宮駅を訪れていた。

 浦野宮駅の近くに香苗の行きつけの居酒屋があるらしく、悠斗達を連れて行こうと考えていたらしい。


「ええ予約で一杯!? いつも客居ないじゃない。もう今日に限って」


 しかし電話に向かって唇を尖らせている香苗を見るに、今日は、お預けとなりそうだ。


「だめ?」


 悠斗が尋ねると、香苗は肩を落としながら重い呼気を吐き出した。


「今日は、満席。ああ、ビールでぐいっと行きたかったのに」


 香苗の言葉に真理沙が首を傾げる。


「ビール?」


 真理沙の問いに香苗は電話を上着のポケットにしまいながら答える。


「祝勝会よ。折角勝利したんだし。今後も頑張ろうという事で」

「まだ予選ですよ」


 真理沙の言う通り、確かに予選を通過しただけかもしれない。

 しかし二十一連敗という大記録を積み重ねた後の一勝である。

 この意義は、悠斗達にとって大きいものなのだ。

 だから香苗が祝ってくれようという心意気が悠斗には、ありがたかった。

 部に入って間もない真理沙にとって勝利の感動が薄いのは、仕方がない事なのかもしれない。悠斗は、そうも割り切っていた。

 それは、悠斗よりも人生経験のある香苗には、容易く分かっている事らしく、真理沙に笑顔を向けてこう言った。


「でもうれしいじゃん」


 理屈は必要ない。嬉しい時には、祝うのが世の真理しんりなのだ。

 けれど真理沙は、途端に顎を人差し指で叩きながら思案に耽り、十秒ほどしたところで口を開いた。


「はぁ。要するに、お酒飲む口実が欲しいんですね」


 真理沙の指摘に香苗の顔色が曇った。


「先生は、独り身でしょう」


 真理沙の追及が止む事はなかった。

 そして痛い所を突くのである。

 悠斗は、香苗から恋の話を聞いた事がない。

 そういう話を生徒に内緒にするタイプではないのは、嬉しい事があれば必ず報告してくる香苗の性格を考えれば明らかだ。


「何を、言ってるの?」


 シラを切る香苗だが、当然この程度では、真理沙の追及から逃れられるはずもなく、ずいずいと香苗に詰め寄った。


「彼氏は、いないですね。いつも一人で部屋で飲んでいる。孤独に缶ビールを啜る毎日。そんな時に起きた喜ばしい出来事。これを肴に普段は誘えない生徒と一緒にお酒を楽しみたい。要するにあなたは、その口実が欲しいだけで私たちをお酒を飲むための――」


 正確無比の華麗なプロファイリングだ。

 しかし人間とは脆い。

 本当の事を機関銃のように捲し立てられては傷付くものだ。

 これ以上の攻撃は香苗の心に甚大な被害を与えかねない。

 悠斗は、真理沙の肩に、そっと手を置いた。


「やめておけ真理沙」

「悠斗君」

「もう、先生は」


 香苗は、膝を抱えて地面に座り込んでいた。

 自分の置かれている現実を突き付けられた事の残酷さをその背で語っているようだった。


「そうよ。彼氏は、いないし。出会いは、ないし。お酒は、一人で飲んでるし。人生久しい幸福を祝って何が悪いのよ!」

「それは、自己中心――」


 放っておけば真理沙はさらなる被害を与えかねない。

 相手は既に膝を折っている。

 もうこれ以上はいけないのだ。


「やめておけ。相手の心は、もう大破してる。これ以上やったら」

「ですね。先生がいかに寂しくて、人肌に飢えているかの考察は、このぐらいにします」


 結局諌めた所で容赦ない真理沙に悠斗は思った。

 つくづく真理沙だけは、敵に回したくないものだと。

 しかし香苗は、立ち上がり、涙目で真理沙を睨み付けた。

 もうやめればいいのに。


「飢えてないわよ!! その気になれば男なんて向こうから私に言い寄って来るよぉ!」


 確かに香苗は、美人だ。

 贔屓目なしに見ても、テレビに出ている女優やモデルの多数より容姿に関しては優れていると言っていい。

 だが見た目が良い割に、とんとその手の噂は聞いた事がない。

 なんだかんだ言ってシャイなのか。

 はたまた見た目をマイナスにするほどの何か重大な欠陥があるのか。

 悠斗がこの題材に付いての思案に、意外にものめり込んでいる最中、あまり動きを見せていなかった奈々実が口火を切った。


「香苗先生。あれ。妄想乙」


 よりにもよってこの時にこの言葉を言うものか。

 無論香苗は黙っている訳もない。


「死ね!」


 県大会会場の時以上の文字通り必殺の勢いで、奈々実の頭部を香苗の鉄拳が打ち付けた。

 頭を押さえ蹲る奈々実だが、悠斗には同情心はなかった。

 人間、言っていい事と悪い事がある。

 親しい香苗相手とはいえ、彼女が心底気にしている事は、言ってはならないのだ。

 それに祝勝会をやってくれようとした心意気は、素直に感謝すべきである。

 良い事があれば思いっきり祝う。

 嫌な事があれば、そっと傍に寄り添う。

 目の前で喚いているちょっとうるさいけど、悠斗が肉親同様に尊敬する人の言葉だ。


「まぁでも祝勝会はいいアイディアだし。近くのファミレス行こうか」


 浦野宮駅北口方面にあるショッピングモール、ハルコの五階に出店しているファミレスチェーンのクイゼリアはWAF部の面子でよく利用している。

 ファミレスで祝勝会というのは、やや派手さに欠けるかもしれないが、高校生の身の丈には、合っていると言えなくもない。

 しかし真理沙は、悠斗の提案がお気に召さないのか、眉を寄せていた。


「ファミレス?」

「うん。クイゼ。嫌?」

「ファミレス自体、行った事ないので何とも……」

「行った事ないの!?」


 クイゼリアに行った事がないというならまだ分かるが、ファミレス自体に行った事がないと言われた経験はなかった。


「お金を持ってるので、安い所では食事をしないんです」


 そして行った事のない理由を告げられた悠斗を含めた三人は、真理沙の言う事だから冗談だとは思えず、ただ黙って受け入れる以外になかった。

 三十分後――。

 クイゼリアを訪れた一行が眼にしたのは、あくまで気品と上品さに満ち、完璧なマナーで運ばれてくる料理を次々に貪り食う真理沙の姿であった。


「なるほど。値段分の価値はある味ですね」

「そりゃよかった」


 悠斗は、口ではそう言いながらも向かい合って座る真理沙の目の前に積まれた皿に圧倒されていた。


 マルゲリータピザ三枚。

 ステーキ二皿。

 ミックスグリル三皿。

 ライス四杯。

 ミートソース二皿。

 カルボナーラ四皿。

 シーザーサラダ三杯。


 たった一人でこれだけの量を完食し、今ではから揚げをおかずにして、五杯目のライスを食べている最中だ。

 この光景を真理沙の右隣の席に座っている香苗もビールを啜りながら、呆れた顔で見つめている。


「ていうか食べるねぇ……」


 そう香苗が言うと、悠斗の左隣に座る奈々実が口を開いた。


「太るんじゃない? ていうか、もうわたしよりは太いけど」


 よりにもよってそれを言ってしまうのか。

 奈々実の言に悠斗は凍り付き、香苗は黙々とビールを飲み、真理沙は表情に何も浮かべず、淡々と語り出した。


「奈々実さん。体型の事を言うのは失礼です。それと私は、脳を稼働するためにエネルギーをあなた以上に消費しますので。ついでに言うなら脂肪は胸以外に余り付いていません」

「確かに……」


 呟きながら悠斗はテーブルから身を乗り出してその豊満な膨らみを凝視した。

 確かに大きいが、決して大きすぎない。

 美巨乳という言葉に相応しい代物だった。

 そしてその隣には、もう一回り大きい果実まで。

 これを男の幸せと言わずしてなんと言おうか。


「悠斗、わたしは?」


 反応に困る質問を投げかけられて悠斗は、とりあえず奈々実の平らで主張の薄いそれを凝視した。

 見れば見るほど貧相で、他二名と比較してしまうのは、奈々実にとっても酷だろう。

 あまりに憐れで儚い奈々実の胸に同情を抱いた悠斗は弄る事も出来ずに馬鹿にすることもなく、涙と共に頭を下げるしか出来なかった。


「すまん」

「なんで!?」

「それは奈々実。言わせんなよ……」


 しょぼくれた物を見た後のフォローが欲しくなり、悠斗は再び真理沙の自己主張の激しい膨らみをじっと見つめた。


「少しは、さりげなくという感情はないのでしょうか」


 真理沙の問い掛けに悠斗は胸を張って答える。


「ない」


 男たる者。目の前におっぱいがあれば凝視する。

 これが真理であり、抗えぬ宿命なのだ。

 だからどれだけの軽蔑の眼差しを向けられても自らの視線を逸らしはしない。それが男だ。

 不退転の決意を表す悠斗に真理沙も諦めたのか、何事もなかったかの如くコップの水を一口飲んだ。


「思春期の男性に期待するだけ無駄ですね。私の認識不足でした」

「おいおい。それでいいのか女子高生」

「永原先生も慣れた口では?」


 確かに香苗のスタイルは凄まじい。

 見慣れた悠斗でさえ、その日最初に会う時はついつい眺めてしまう程である。


「まぁそりゃあ街を歩けば、だし。生徒も、教師も、私をそういう目で? 見てはいるけどさぁ……」


 ややクセのある髪を横に流した香苗。

 本人は、ドラマの真似でもしてカッコを付けているつもりなのだろうが、どうにも生で見ると滑稽な物だ。


「ねぇねぇ私は?」


 そう言ってまたも奈々実が話題に乗っかってこようとしている。

 諦めればいいのに中々の粘りだ。

 これを見た香苗はまるで今までの鬱憤を晴らすかのように牙を剥いた。


「ペチャパイは、黙ってな。あんたみたいなのが入って来られる話題じゃないの。私みたいに男共の注目を集める女子のトークにあんたが付いて来られるわけないじゃん」


 ここぞとばかりに攻め立てる香苗であったが、奈々実はダメージを付けた素振りは見せずにコーヒーを啜りながら言った。


「なるほど。それってようするに、売れ残りの自意識過剰じゃねぇの」


 よりにもよって一番言ってはいけない台詞だ。

 これを言われた香苗が大人しくしているはずもない。

 香苗は、椅子からロケットのような勢いで飛び上がると、奈々実の頭を鷲掴みにした。


「私はまだ二十六だっての!!」

「セール品でしたね。すいませーん」

「奈々実、お前だけ自腹な」

「ええ!? じゃあお嫁に貰ってあげるから許してよ!」

「こっちから願い下げよ!」


 悠斗から見れば二人は案外似合いのカップルに見える。

 だがこの意見を述べてしまうと、やっぱり面倒な事になりそうなので悠斗は言葉を放つ事無くコーラで流し込んだ。

 しかしまだ香苗の事を知らないからだろう。

 真理沙は、この流れに乗ってしまった。それも最悪の形で。


「二百年前なら確かに晩婚と言ってもよい年齢ですね」


 真理沙が言った途端に、香苗は、奈々実を開放し、真理沙に狙いを定めた。


「お前も自腹で払うか」


 真理沙の場合、食べた量から考えて自腹となると死活問題だ。

 とは言え、真理沙はいつものように、冷静な態度を崩そうとはしない。

 高校生にとって致命傷となりかねない脅しに対して、真理沙が取った行動は、制服の上着から財布を取り出す事だった。

 真理沙の財布は、黒い革製の折り畳み財布で、女の子らしい可愛らしさとは無縁の代物だ。


「いいですよ。カード持ってますから」


 この真理沙の宣言に驚いたのは、脅迫の張本人である香苗だった。


「まさかお約束の!?」


 真理沙が財布から取り出したのは、どこにでもある普通のクレジットカードだった。


「なんだ。そこブラックカードじゃないんだ」


 少々残念がる香苗だが、正直に言ってしまえば悠斗も少し期待していた節がある。

 ここでブラックカードが出て来たら大金持ちのお嬢様キャラっぽくて面白くなる場面だったが現実はこんな物である。

 真理沙は、カードを財布にしまうと、財布を上着のポケットに突っ込みながら言った。


「お金の使い方が未熟な高校生に、ブラックカードを持たせる非常識な親がどこに居るんですか?」


 確かに正論だが、高校生にしてアメリカの大学を卒業していると、普通とは違うエピソードを求めてしまうのが人の性という物だ。


「そこは真面目かよ、女子高生。ついでにクレカを女子高生が持つ時点で、割と非常識な」

「いざという時便利ですよ。紙幣も電子マネーもないという時には。それに支払いは私の貯金からですので」

「へー。偉いね。お小遣いから出してんだ」


 感心している香苗に、真理沙は首を横に振った。


「いえ。私、アメリカに居た頃、大学で研究員として働いていましたから、その時の収入を貯金してあるんです」


 既に就職経験者とは、恐れ入った。

 さすがアメリカ、飛び級の国である。

 何を研究していたのか多少の興味はあるが、きっと普通の高校生には、理解出来ないだろうと踏んで、悠斗は、それ以上聞かなかった。

 対照的に香苗は、薄ら笑いながら天井を仰ぎ見た。


「スケール違うねー。もうなんか住んでる世界が違うわー」

「先生が遠い眼してる」

「ほっとけ奈々実。埼玉くんだりの学校の教員に甘んじてる現状が空しいんだよ」


 十五歳の天才少女と二十六歳の教師。

 一体どこで差が付いたというのか。

 憐れな香苗に同情を禁じ得ないが、当の香苗本人は矛先をこちらに向けてくる。


「なによ。あんた達だって同い年の子に負けてんじゃないのよ!?」

「私達は、未来あるもんねー、悠斗」

「そうだもんねー」


 確かに大負けしているかもしれないが、これから逆転の芽があるかもしれない。

 少なくとも可能性は、奈々実の言うようにある。

 それが気に入らないらしく、香苗は、ビールのグラスに唇を当てながら睨みを利かせた。


「へっ。あんた達なんか絞りカス程の可能性すらもないわ」

「うわー教職者の台詞じゃねぇー」

「まぁ悠斗さんや、言うても香苗先生だし」

「あー。だなー」


 悠斗が奈々実の意見に同意すると、途端に香苗はビールの入ったグラスの底をテーブルに叩き付けた。

 衝撃で泡が巻き上がり、悠斗には少し早い大人の香りが鼻を刺す。


「あんた達なんなのよ!! 私の事嫌い!?」


 嫌いではないし、むしろ好きだが流れ的にここは肯定すべきではない。

 そしてその役目を担ってくれるだろう奈々実を観察していると、彼女は嬉々として香苗に言った。


「好かれてる自覚あったんすか。おめでたすぎるよ」


 酒がまわっているせいか、本気で悲しいのか。

 香苗は普段凛々しい光を放つ瞳を涙で濡らして叫びを上げる。


「奈々実、あんたの事嫌い! 大嫌い!」

「別に香苗先生に嫌われても、ダメージない。あー、ごめん。なんでもない。傷付いた、傷付いた」


 完全にトドメを刺しに来た奈々実の一撃。

 香苗は、急に大人しくなるとビールを一口含んで、口の中で泳がせてから飲み込んだ。


「もういいわよ。あんたら全員自腹ね」


 香苗の持つ切り札、究極の脅し文句だが弱点がある。

 それは香苗よりも早く店を出る事だ。


「ごちそうさまでした」


 そう言って悠斗が立ち上がり、出口を目指すと察したかのように真理沙と奈々実がそれに続いてクイゼリアの店内を後にした。


「あ、こら!!」


 虚を突かれた形で店に残された香苗だったが、満足そうにそして誇らしげに微笑みを浮かべていた。


「まったく、あいつらは。おめでとさん、みんな。まぁ少しなら奢ってやるかー」


 香苗は、ビールを飲み干してから伝票を見て、


「四ま――」


 青ざめた。


「ちょっとこんなやばい伝票おいて先帰るんじゃないわよ!! っていうかあんたたち食い過ぎでしょ!! ファミレスの請求額じゃないわよ!!」


 そんな香苗の声が外に出た三人に届くわけもなく、悠斗達はハルコ前にある広場を歩いていた。

 腹は満ちて、香苗のおごりとくれば気分もいい。

 しかし悠斗は、ここに来てある事を思い出していた。

 初勝利の興奮に囚われたが、まだ予選を勝ち残っただけに過ぎない。

 次から始まるトーナメントこそが大会の本番だ。


「初戦は、突破。次は、トーナメントか」


 勝利の余韻が失せた悠斗の心中を察したかのように、真理沙も頷き答えた。


「問題は、そこですね。さすがに、ある程度の武器がないと」


 バトルロイヤルは、あくまでふるい。

 ふるいを潜り抜けた猛者達だけがトーナメントに歩を進めるのだ。

 当然レベルは、バトルロイヤルとは、段違いである。


「でも、予算はないんだよね?」


 奈々実の言うように、やはり最大の問題は予算だ。

 武装はある程度の段階まで出来ている。

 予算があれば、次のトーナメントまでには完成させる事も可能だ。

 しかし部の予算は尽き、悠斗と奈々実の個人資産は、既に尽きかけている。

 真理沙は相当額の貯金を抱えているようだが、既にマークⅦ用の様々なパーツを融通してもらっており、さすがにこれ以上は頼れない。

 バイトをして稼ぐのが王道だが、給料を貰える頃には、大会そのものが終わっている。

 一か八か、賭ける可能性があるとすれば、頼れるとすれば、たった一人だけ。


「先生に頼んでみるか……」

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