ライスバーガーと腐った縁

 四月二十三日 午後五時。


 連日、悠斗たちは、県大会参加へ向け、新型機の制作に勤しんでいた。

 あれから奈々実と真理沙の間に気まずい空気が流れる事はなく、口数こそ少ないが会話もするようになってきている。

 新型機制作も順調に進んでおり、この日も陽が落ち始めるまで作業の手が止まる事はなかった。


「今日は、このぐらいにしておくか」

「そうですね。それでは」


 悠斗の提案を聞いた真理沙は、手早く機材を片付けると、鞄を持って帰り支度を済ませてしまう。

 ここ数日、真理沙は、ずっとこの調子だ。

 黙々と作業をこなすが、それが終わるとすぐに自宅に帰ってしまう。

 定時に仕事を終えたサラリーマンのようだ。

 悠斗は、真理沙をメカニックとして雇ったのではない。共に部活動をする仲間として勧誘したのだ。

 あまりいい兆候ではない。そんな予感が悠斗に真理沙の名前を口走らせた。


「真理沙」

「なんですか?」


 特別用事があったわけではない。

 漠然とした感情が真理沙を引き留めてしまったに過ぎないのだ。

 だがこれで何でもないと言えば、また何の進展もないままだろう。

 この際理由も行先もどこでもいい。友達らしい事が出来れば。


「よかったら、駅にでも寄って行かないか?」


 悠斗の提案に真理沙は、訝しんだ表情をした。彼女にしては、珍しく感情が表に浮き出ている。


「駅……ですか?」

「腹減っちゃってさ。ハンバーガーでも付き合わない?」


 悠斗の提案に、真理沙が反応するより速く、奈々実が嬉々として声を上げた。


「わたし行くー」


 思わぬ援護射撃に悠斗は心中で謝意を述べるが、真理沙は未だ怪訝な顔付きのままだった。


「家に帰れば、夕食はありますが?」


 なんで夕食前にわざわざ食事をして帰らなければならないのか?

 本心からそう思っているのが伝わってくる。

 この年齢にして既に大学を卒業しているからこういう経験はした事がないのだろう。


「そうだけどさ」


 それなら丁度いい。

 真理沙と初めて会った時の、彼女の言葉を思い出す。


「高校生らしい事したくて、この学校選んだんだろ?」

「そうですが?」

「なら、これがらしいってやつさ。なぁ?」


 同意を求めて奈々実を見やると、彼女も事情を察したのか、笑顔で頷いた。


「そうそう。まっすぐ家帰るなんてボッチだよボッチ」

「それとも予定入ってる?」


 真理沙は、暫し考え込んでから、


「いえ。家に帰るだけです。分かりました。付き合います」


 何時もの平坦さを取り戻してそう言った。




 浦野宮駅の駅中にあるモッズバーガーを訪れると、真理沙は、僅かながら嬉々とした光を瞳に宿し、店内を見回している。


「ここが噂の……」


 感慨深そうだが、彼女は、アメリカというハンバーガーの本場に居た人間だ。

 それにしては反応が不可解で、悠斗は首を傾げた。


「どうかした?」

「アメリカには、このお店ないですから」

「ああ。そっか。この店、日本発祥か。ちょっと高いけど味は上だね、断然」


 そう告げると真理沙の瞳から漏れる輝きが一層光を増していく。


「わたし注文してくるよ。なにがいい?」


 奈々実がレジへ行こうとすると、真理沙は不思議そうにしている。


「みんなで行った方が早いのでは?」

「ここ注文受けてから作るから時間かかんの」

「そうなんですか」

「だから一人がまとめて注文した方が早いの。二人は席取っててよ。悠斗は?」

「おれ、焼肉ライス」

「真理沙は?」


 奈々実が訪ねると、真理沙は、訝しげに悠斗を見つめていた。


「焼肉ライスって定食ですか?」


 これもアメリカにはなかったのだろう。この疑問に答えたのは奈々実であった。


「ライスバーガーって言ってね。バンズの代わりに、お米のバンズを使ってるの」

「面白いですね」


 そう言いながら頷く真理沙の表情は、悠斗が今まで見た中で一番強く感動を抱いているようだった。


「じゃあ私もそれを」

「あいよ」


 奈々実が受け付けに向かうのを確認してから悠斗は近場の四人掛けのテーブルに行き、1つのイスに自分の鞄を置き、


「鞄」

「どうも」


 真理沙の鞄も同じように置いた、

 席に着いても真理沙は店内をもの珍しそうに眺めている。

 柔らかい照明を反射する天井や店の外を行く人の群れ。

 赤ん坊が初めて物を目にした時のような新鮮さを真理沙が感じているのが悠斗にも伝わってくる。


「向こうとは、色々違う?」

「ええ。まったく」

「そっか」

「日本の高校生は、いつもこんな感じなんですか?」

「あっち見てみ」


 悠斗が指差す先では女子高生が三人で談笑を楽しんでおり、その三人を冴えない様子の男子高校生四人がハンバーガーを齧りながら凝視している。

 窓際のカウンター席では高校生のカップルが笑みを送り合いながら、互いのポテトを食べさせ合っていた。

 一人で店に来ている同年代の学生もちらほらと居り、本を読んだり、スマホを弄ったりしがらハンバーガーを楽しんでいる。


「まぁこんな感じよ。日本の高校生ってのは」

「なるほど」


 真理沙が小さな感嘆を口にすると同時にテーブルにハンバーガーが三つ入れられたバスケットがどさっと置かれた。


「おまたせー」

「早いな」

「今日は、ベテランの泉さんが入ってるみたい」

「あの人か。ゴッドハンド泉」

「ゴッドハンド?」

「ハンバーガーづくりの天才なんだよ」


 悠斗は説明をしつつも、手は待ってましたと言わんばかりにライスバーガーを鷲掴み、口へと運んでいた。

 真理沙もトレイから包み紙を手に取り、中を覗き込んだ。

 日本人には見慣れたライスのバンズと焼き肉を真理沙は新種の生物を見つけた学者のように眺めている。


「早く食べないと冷めるよ」


 奈々実に促され、真理沙はライスバーガーの先端を小さく齧る。

 手のライスバーガーを口から離すと噛み切れなかった肉が、バンズからするりと抜け出し真理沙の唇から垂れ下がった。

 珍しく年相応に慌てて真理沙は垂れ下がった肉を指でつまんで口の中に放り込む。

 その途端に真理沙は、手のライスバーガーを見つめながら驚嘆の声を漏らした。


「おいしい!」

「だろ?」

「はい。おいしいです」


 真理沙の笑顔に眩しさは悠斗の瞳を奪い、奈々実の表情を柔らかくさせるに十分な威力を持っていた。

 ハンバーガーを食べる終わるまでの数分間、これと言った会話があるわけでもない。

 しかし居心地の良い空気が悠斗の周囲に滞留している。

 出会ったばかりの頃とは違って真理沙と奈々実の間に険悪な空気はない。

 積極的に話をするわけではないが互いに悪い意味で意識するという事がなくなっていた。

 出来ればこのままずっとここに居続けたい。

 悠斗が名残惜しげに最後の一口を放り込むと、真理沙が四百円をテーブルの上に置いて席を立った。


「それじゃあ私はこれで」


 妙にさっぱりした別れに呆気に取られる悠斗だったが、微笑を返して頷いた。


「ああ。また明日な」

「じゃねー」

「さよなら。楽しかったです」


 淡々とした声を残して真理沙は店を後にし、残された奈々実は怪訝な顔つきをしていた。


「一緒に帰ればいいのに……」


 出会った日のように嫌悪感があっての言葉ではない。

 真理沙が帰ってしまった事を惜しく思っているようだった。


「お前が意地悪いから」

「なにそれ! ここに限っては、相当優しかったけど」

「冗談だよ」


 原因があるとすれば奈々実にではない。

 恐らく悠斗でもない。

 真理沙自身の問題であろう。

 それも性格などではなく、境遇の方だ。


「いまいち人付き合いってやつが苦手なんじゃねぇの?」


 悠斗の言葉を聞き、奈々実は食べ終えたハンバーガの包み紙を丸めて、テーブルの上を転がした。


「十五歳で大学卒業かぁ。確かに友達なんか出来なかったか」

「俺らが中学生で国語と数学やってる時、あいつは研究論文とか書いてたんだろうな」

「想像出来ないね」

「苦労してんだろうな」

「なんかごめん」

「何が?」

「急に入ってきたからさ。私も混乱してて」


 奈々実は、心根の優しい女性だ。

 今までの自分の対応に、思う所は、あったのだろう。

 今日それを埋め合わせたかったのかもしれない。

 だから真理沙が帰ってしまった事に渋い表情をしたのだろう。

 悠斗自身、今日の事で思い知らされた面もある。

 結城真理沙という人物と付き合っていくのは、相応の覚悟が必要だという事だ。


「俺もだよ」


 そう言いながら悠斗は奈々実の転がしたハンバーガーの包み紙を指で突いた。


「打算もあるしな」

「打算?」

「あいつならジークを強くしてくれる。マークⅥの応急修理で確信したよ。だから俺は、酷い奴なんだよ。自分のためなんだ」

「そっか」


 天才だからスーツを強くしている。

 可愛い女の子だから、もしも付き合えたら嬉しい。

 打算ばかりで真理沙を勧誘してしまった自分が愚かしくて恥ずかしかった。

 そして今ではそんな感情ばかりでない事に安堵させられる。


「今は、あいつと友達になりたいって思ってる」

「なってんじゃん」


 悠斗が顔を上げるとそこに居た奈々実は、


「わたしら、もう友達だよ」

「――だな」


 直視する事がおこがましく思える程の、陽だまりのように美しい笑みを浮かべていた。




 四月二十五日。


 県大会まであと四日となり、悠斗は授業が終わると同時に部室へ向かう日々が続いていた。


「奈々実。レンチ取ってくれ」

「どうぞ」


 女性の物とは思えない低い声が答えて、悠斗にレンチを手渡してきた。


「元気かい。みんな」

「阿澄先輩」


 さわやかな笑顔を振りまく阿澄が視界に入る。しかし湧き上がるのは堪え難い不快感だ。


「生きてたのか。早く死ねよ」

「神凪君……君は、ほんとに辛辣だな……」

「で、なんか用っすか?」

「今年は、フリーマッチで県大会に出場しようと思っていてね」

「なんで?」

「お前と決着をつけるためだ」

「もう付いてるでしょ」

「貴様がこの学校に入学して以来、私は、二度貴様に勝っている。忘れたとは、言わせんぞ」

「前の全国大会と、この前の模擬選で俺が二勝。最後の勝負ってわけか」

「そうさ!!」

「めんどくさいんでパスしていいっすか」

「よくない!」


 断り続けても話題がループするだけだろう。

 阿澄の目がそう語っている。

 こうなったら阿澄は強い。悠斗が何をしても折れてくれないだろう。


「いいですよ。受けて立ちます」

「そう来なくてはな!」


 悠斗の同意を得られると阿澄は満足げに鼻を鳴らし、部室から去っていった。


「いいんですか?」


 真理沙は、窺うように訪ねてくる。

 彼女からすれば悠斗が阿澄を厄介者扱いしているようにしか見えないだろう。

 無論そういう感情が強いのだが、それだけで語れる単純な仲でもない。

 悠斗が入学した時、フェアーズスーツ部への入部を一番歓迎してくれたのは、阿澄だったし、悠斗が退部を決めた時、いちばん怒ったのも阿澄だった。

 ポイントマッチの県大会では幾度か顔を合わせた事もあるし、歳も近いから阿澄なりに、思う所はあるのだろう。

 悪感情だけでは決してなく、ライバル心と言えるほど、激しくもない。

 悠斗にとって阿澄という人物は、腹立たしくはあるが同時に嫌いではなかった。


「あの人、今年受験だからな。遊べるのも最後なんだろ。それに付き合うのも悪くねぇ」

「悠斗ってさ。なんだかんだでハゲ――じゃねぇや。先輩の事気にかけてるよね」

「腐った縁でも縁は縁だしな」

「そういうものですか?」

「そういうもん」

「……そうかもしれませんね」


 だから尚の事いい加減な事は出来ない。


「神凪、帰りカラオケ行かね?」

「悪い!! 部活あるから」


 友の誘いも断り――


「悠斗。明日道場に」

「じいちゃん悪い! しばらく無理!」


 祖父の頼みも断って――


「そこを何とか香苗先生様!!」

「しょうがないなぁ」


 一分でも長く学校に残り――


 マークⅦの全容が見えたのは、県大会開催の前日、四月二十八日になってからだった。

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