第五章 病


 至って普通の女の子が、大剣を振るい、巨大な獣や、モンスターを一刀のもと両断し、さらなる力の目覚めに喜び勇んで跳び跳ねる。

 画面越しに、そんな行為を延々と繰り返すオモイ。気付けば少女のレベルは最大に達し、オモイは力なく持っていたコントローラーを置いてため息を吐いた。

「はぁ・・・流石に100週もすると飽きるな・・・。違うやつやろう」

 世界が壊れてからというもの、オモイは自分の中の正義を失っていた。なにも出来ない自分から逃げ出し、なにもしないことを選び、ネガイが核シェルター並みに強化した自宅で、その一室で、毎日引きこもってゲームに明け暮れている。

 もうオモイには、なんの望みもなかった。

 ただ、大好きな姉と暮らしていたいだけだった。

 そんな彼女を、仲間達は次第に見捨て、オモイは、一人になった。

 それでもオモイは満足していた。

 世界が壊れてから、ネガイは稼ぐことを止め、カソカとも縁を切り、その時間をオモイと過ごすことに注いできた。大切な家族がいて、食事があって、寝床がある。窓から外を見れば、まるで画面に映るゲームの世界を写したかの様な、現実離れした景色。そこには、もう自分の居場所は無いのだと、自分の居場所はこの家だけなのだと、そうして勝手に妄想し、依存し、背を向け、逃げ続けながら、生きていくつもりだった。

 生きていけると、思い込んでいた。

 もうすぐ夕方だ、ネガイが食料を調達して帰ってくる。

 今日はハンバーグが良いなと、夕陽を見つめてぼんやり考えていたオモイの元に届いた声は、

「オモイちゃん!!逃げてぇ!!!!」

 とても悲痛なネガイの叫びだった。

「お姉ちゃん!?」

 オモイはコントローラーを投げ出し、セーブもしないまま玄関へと走る。

 そこには、手を後ろで縛られたネガイと、ヴィス、ファングスの姉弟の姿があった。

「こんばんわ、弾幕レッド」

 ヴィスはとても穏やかな声色で、戦隊のコードカラーでオモイを呼ぶ。呼ばれたオモイは既に火器を取りだし構えていた。

「お、おお前ら!!お、お姉ちゃんを離せよ!!」

 ヴィスはネガイを前に突きだして答える。

「いいですよ撃っても、大事なお姉さんが木っ端になりますけど」

 ネガイは必死に逃げようとするが、臆病な性格が邪魔をする。足がすくみ、歯をガチガチ鳴らしながら震えていた。

「どうして・・・、いまさら私たちに構うんですか・・・?私たちに、どうしろって言うんですか・・・!?」

 虚弱でか細い声を絞り出し、ネガイはヴィスに問いかける。

 「別に、潮時かと思いまして」

 返答に、ネガイの求める答えは無かった。

 オモイが叫ぶ。

「ファングス!!お前までなんなんだよ!?なんでなんも言わないんだよっ!?」

 ヴィスの後ろで黙り込むファングス、長い前髪から微かに見える目には、もはや生気を感じることは出来ない。

「無駄ですよ、ファングスには私の作った薬で言いなりになって貰っているので、そうでもしないと、肉壁にすらなりませんし」

 ヴィスの身体に隠れて見えなかったが、よく見ると、ファングスの身体は肉が抉れ、所々骨が露出している。危険な外での活動時に、姉の身代りにされてきた凄惨な情景が嫌でも浮かんでくる。その姿は、生きているのが不思議な状態で、とても、生きているとは呼べないほどに、その顔は平静を保っていた。

 反対に、オモイの感情はさらに激昂する。

 火器を握りしめる手に血がにじみ、ヴィスを睨む目には激しい憎悪が孕んでいた。

「いいですよ・・・。怒り、哀しみ、憎しみ、嫌悪に畏れに殺意。惚れ惚れするくらい、素晴らしく、きたない顔ですね・・・」

 ボキッ。

 響く。鈍い、意識が凍る音。

 大切なものを、壊された音。

 大好きな人を、汚された音。

 ヴィスが、ネガイの指を折った音。

「ぁあぁあああああぁああっ!!!!!?」

「っ貴様ぁあっ!!!!」

 ネガイの苦痛に喚く叫びと同時に、オモイは引き金を引いた。

 ダン!!!と、発射音が短く唸る。

 血がボタボタと床を染める。

 相変わらずの無表情だと、オモイは思った。

 いつものように、ヘラヘラ笑って欲しいと、オモイは思った。

 直ぐに助けてやると、オモイは誓った。

 ヴィスを庇ったファングスを撃ったことに、オモイは、ようやく気が付いた。

「あ・・・あああぁああ・・・!!!?」

 堪らず、オモイは膝をついて泣き出す。

 大粒の涙が、流れてきたファングスの血に落ちて、歪な王冠が出来上がる。

 ウザい奴だった。大嫌いだった。消えろと思っていた。撃った感触が、手に残っていた。いつか殺すと思っていた。清々すると思っていた。気が晴れると思っていた。

 嫌だ、嫌だ嫌だ、私じゃない、私は悪くない、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ、死んじゃ嫌だ、死んじゃ嫌だ死んじゃ嫌だ。死なないで、またヘラヘラ笑って、冗談だって、また騙されたなって、血糊を拭きながらバカみたいな高笑いを見せて、ねぇ、お願いだから。

「また、名前を呼んでよ・・・ファングス・・・」

 ふらふらと彼に歩み寄り、うつ向きながらすがる姿を、ヴィスはまるで猿芝居を見るかのように嘲笑する。

「下らない。さっさと回収して引き上げるとしましょうか・・・」

 また指を折る音が響いた。

「ぁああああああああぁあぁあああぁあぁぁあああぁっああああっ・・・あぁあああああぁああぁあああぁああ・・・!!!」

 ネガイの叫びが、無惨に反響した。

「っ・・・もう止めてよ!!なんだよ・・・、回収ってなんの話なんだよっ!?」

「そうですね・・・、誰にも語れずというのも、いささか勿体ない気もしますし、教えてあげましょうか?」





 貴女たちが、狂人病と呼ぶやまいのことを。





第五章 完

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