第三章 シマイ


 リリーとヒコネの死体は、それから数日後に見つかった。

 リリーも、ヒコネも、この世界にまるで動じず、揺らがない意思を持ち、二人と居る時間は、皆に、昔と変わらない日常を思い出させてくれるものだった。

 苦しみを、忘れさせてくれる存在だった。

 もし、こんな時、この二人だったら何て言うだろうか。きっと、愛する仲間を失ってなお、変わらぬ日常を、幻想を、自分たちに見せてくれただろう。

 そして、そのことにまた自分たちは建前の正義を振りかざし、相変わらず、他人嫌悪で自己顕示欲を満たしたのだろう。

 思い知る身勝手さを痛感し、祥や椿達は、しばらく挨拶以外の言葉を、交わさなかった。

 たった一人を除いて。


 その日は、祥と椿と藍、そしてゴルディ、シルヴィの姉妹で、生存者を探して探索を続けていた。

 終わらせる、そのための自分達だと、前に祥は言った。吐いた言葉の重みが、彼女を深く追い詰めている。

 祥は、焦っていた。

 リリーの居ない今、狂人者との戦闘も避けざるをえない。屈強なそれらは、まるで土地に憑く悪霊のごとくその場を離れようとはしないため、生存者の探索もままならず、この事態を終わらせるきっかけも何も掴めないままだったからだ。

 そして、ようやくと今日、1体の狂人者を倒すことに成功する。

 5人がかりで、命を懸けて、やっとの思いで。

 リリーだったら・・・、嫌な想像に胸が腐る。

「あ・・・あぁ・・・!俺は・・・今まで・・・」

 倒した狂人者の、無惨な懺悔が始まろうとしたとき、祥は考えるよりも速く剣を振るい、人を、殺した。

「ブルーっ!!あなた、なんてことをっ!?」

 シルヴィが乗り出し、詰め寄りながら言及した。祥に、詫びるようすは無い。

「うるせー、どうせ死ぬんだ・・・さっさと楽にしてやっただけだろーが・・・」

 もっともらしい事を述べる祥だが、誰がどうみても、建前であることは明白だった。それほどに、祥の言葉は冷たかった。

 シルヴィは溜まらず祥を睨む。それは親の仇を見るかのように、激しい怒りと嫌悪にまみれていた。潔癖なシルヴィは、まだ生きている人を殺めたことも、嘘をついてまで我が儘を通す態度も、許す余裕などとうに失っていたのだった。

 重苦しい空気に包まれるなか、まぁまぁと割ってはいるゴルディに、皆が視線を向ける。

「みんな疲れてるんだし、たまには休んだって良いじゃん?シルヴィも祥も、怖い顔しないでさ!」

 リリーらが死んだあとも、唯一普段と変わらぬ態度を貫いているゴルディ。

 彼女なりに、皆の負担を和らげたかったのだろう行為は、最初は、感謝されていた。しかし、彼女はリリーの代わりにも、ヒコネの代わりにも、なれなかった。

「・・・ちっ」

 小さく舌打ちしてその場を去る祥。相手がリリーなら、罵声の一つも出ただろう。しかし、そうはいかない。ゴルディもまた、無理をして、自分を圧し殺して、演じているのだと、知っているからだ。

 祥は短気だから、あまり気にしない方がいいよ。と、藍がゴルディとシルヴィに言う。

 椿もそれに続き、私たちも戻ろう。と、ゴルディとシルヴィの背中を押す。

 ゴルディは、笑っていた。

 シルヴィは、悩んでいた。

「姉さん、ちょっと話があるんだけど」

 ゴルディを呼び止めると、椿達は、先に行ってるね。と、祥のあとを追っていった。

 ゴルディは、どうしたの?と首をかしげる。いつもと変わらない姉の無邪気な顔に、シルヴィはすこし躊躇した。

 あまり無理はしないで。その一言も、慎重な彼女には、あと一歩で声に出せずにいた。

 姉を助けたい、姉を守りたいと、そう想えば想うほど、姉の想いを無下にしてしまうのではないかと。

 身勝手な思いやりは、姉の足枷になるのではないかと。

 何も出来ない自分と違って、ゴルディは必死に皆を勇気づけようとしている。それが、逆に皆の苛立ちを逆撫でしていると分かっていてもなお、

「・・・ううん、ごめんなさい、気のせいだったみたい」

 シルヴィにはそれを止める勇気が無かった。

「変なシルヴィ」

 ゴルディは、笑っていた。

 シルヴィは、悩んでいた。





 妹にとって、姉は、剣だった。

 どこまでも真っ直ぐで、決して曲がることのない。

 剣は、互いに向いていたみんなの矛先を自分に向かせようと、切っ先を、みんなに向けた。

 矛先は、剣には向かなかった。

 バラバラに、明後日の方向を向き始めた。


 姉にとって、妹は、盾だった。

 やり過ぎてしまう自分を、唯一止めてくれる、優しく、大きな。

 盾はいつしか、止めることに迷いだした。

 剣のしていることを止めたら、またみんなが、互いに矛先を向け合う気がした。

 盾は、剣を止めることをやめた。

 盾は、剣に向かう切っ先を受けようと考え、剣に背を向けた。

 剣は、守られていた。

 守られていたから、剣は、止まることが出来なかった。


 盾は、剣が離れないよう、剣から、逃げ出した。


 剣は、一人だった。





 それから数日後。

 その日も、祥と藍と姉妹は、疲弊しながら狂人者を打ち倒し、いつ発狂してもおかしくない精神で、懺悔の時を待っていた。

「祥、今度はダメだよ?」

「分かってるっ・・・」

 藍が念を押す。祥は嫌々返事をした。剣を納めているあたり、一応こないだのようなことをするつもりは無いようだ。

 狂人者だった人が、ついに目を覚ます。ここはどこだと、辺りを見渡し、そして始まる、懺悔の時。嗚咽に怒号、悲哀に被虐。

 あらゆる負の感情を、それは撒き散らし続ける。

 ゴルディの剣が、喉を切り裂くその時まで。

「姉さんっ!?」

 シルヴィが叫んだ。ゴルディはいつもと変わらない笑顔で振り向き、ん?とあどけない返事をする。

「おい・・・ゴルディてめぇ何してんだ・・・」

「何って、みんなももう聞き飽きたかなぁって思ってさ」

 悪びれる様子はない。いや、もはやそこに、感情は感じられなかった。

「どんなにこんなの聞いたってさぁ、何にも変わんないし、みんな辛いだけでしょ?だったら良いじゃん?どうせ、死ぬんだし」

 ゴルディの言葉に、祥は激昂する。

「なんだそりゃ・・・、ウチへの当て付けかよ!?」

「お、落ち着いてください!姉さんも、疲れてるからそんなことを・・・、今日はもう帰って休みま――」

「何ソレ」

 ゴルディの吐き捨てた憎悪に、シルヴィはゾッと背筋を凍らせる。

 ゴルディの表情からは笑顔は消え、暗く、苦痛に満ちた形相をしていた。

 シルヴィだけではない、祥も藍も、ゴルディの変わり様に戸惑い、言葉を失う。

「姉、さん・・・?」

 シルヴィの声は、もう届いていない。

 頭を抱え、うわ言のように、ゴルディはただ語りだした。

「シルヴィはいつもソウだ・・・、私を庇う、私を守ろうとシテ、いつもいつも・・・いつもいつもいつもイツモいつもイツもいつもイツモイツモイツモイツモ!!!!私を・・・一人にする・・・」

 いつしかゴルディの目には、大粒の涙が溜まっていた。

「そんな・・・、私、姉さんを一人になんて!」

「うるさいっ!!逃げたくせに!見捨てたくせにっ!!」

 身体の一部が黒色に変化していく。始めて見るが、これが狂人者と成る前兆だと、彼女たちは肌で感じ取った。

 もう何を言っても無駄であることは、誰が見ても明白だ。祥は身構える、遅れて藍も、覚悟を決めて拳を構えた。しかし、それをシルヴィが前に出て制止する。私が、責任を取る、と。

 祥は、その覚悟を察して、静かに去る。

 藍は、かつての惨劇に足が止まる。

 あの時、私がリリーを止めていればと、藍はあれから毎夜泣きはらした。泣いて泣いて、しかし、あれが最良だったと、思うしか無かった。自分は、そんなことしか出来ないと、彼女は悟っていた。諦めていた。

 だから、ここでも藍は諦めて、仕方がないと言い聞かせて、覚悟に満ちたシルヴィの背中に、背を向けた。

 誰もいない、二人きりの荒野。

 シルヴィは静かに話し出す。

「ごめんなさい、姉さん。私、姉さんがそんな風に思ってるなんて、知らなくて、気付かなくて」

 ゴルディの歩が、ゆっくりシルヴィに近付く。

「でも、もう大丈夫だよ。姉さんを一人になんてしないから、もう逃げないよ、見捨てない、だって・・・!」

 瞬間、すでにゴルディはシルヴィの懐に飛び込み、剣がシルヴィに突き付けられていた。

「私は!姉さんの盾だから!!」

 シルヴィは、それを盾で受け、強く弾いてそれを退ける。

 ゴルディの手から剣が弾かれ、一本が遠くに突き刺さる。残った一本が、すかさずシルヴィを襲うが、身の丈ほどの盾を巧みに操り、迅速のゴルディの殺陣を防いでいた。

 しかし、シルヴィがやっとの思いで繰り出す槍の一撃は、まるでゴルディに当たる気配は無い。

 いつしか盾は、上半分が激しい猛攻に抉り取られていた。

「ハー・・・ハー・・・」

「ユルサナイ・・・ユルサナイ・・・、私を見捨てたヤツも、逃げたヤツモ、ニゲダスヤツモッ!!」

 ゴルディは叫び続けた。ただ、それだけを、逃げ出さない誰かを求めるように。

「大丈夫、もう逃げないよ、だから・・・、戻ってきて・・・姉さん!」

 シルヴィは渾身の力でゴルディに槍を突き出した。続く攻防でゴルディの体力も落ちていたのか、それはゴルディの右足に深々と突き刺さった。

「あぁあああぁあアァァあアっ!!!!」

 ゴルディは苦痛に仰け反る、しかし、ブチブチと肉が千切れる音を立てながら、無理矢理シルヴィに迫った。ゴルディは剣をシルヴィの右脇腹に向かって横から凪ぎ払った。

 鎧に守られたシルヴィは、胴体が真っ二つになることは無かったが、狂人化し始めているゴルディの一振りは、シルヴィのあばらを砕くに十分だった。

「がっは・・・!?あぁあ・・・!!!」

 転げるシルヴィ。盾も槍も、握る力が無い。立つ力も、気力も。

 ゴルディがシルヴィに馬乗りになる。かざす剣が、シルヴィに向けられている。

 シルヴィに、もう逃げ場はない。

「モウ・・・、ニガサ、ナイ!!」

「だから・・・大丈夫だってば・・・」

 しかし、先にゴルディの胸部を剣が貫いた。先程弾き飛ばされ、突き刺さっていた剣で、シルヴィが最後の力を振り絞り、想いを告げる。

「逃げないって・・・言ってるでしょう?」

「あっ・・・あああ・・・!」

 ゴルディが後ろに倒れ込む。

 黒色に変化した身体は徐々に人肌を取り戻していく。狂人病が治っていく様に、シルヴィは安堵し、軋む身体を無理矢理起こして、今度はシルヴィがゴルディに馬乗りになり、胸に刺さった剣を抜いて、ゴルディを抱き締めた。

「シル・・・ヴィ・・・?」

 愛した姉の声に、ゴルディは溜まらず涙が零れる。

「ごめんなさい・・・!姉さん!!私のせいで・・・私が逃げたから・・・!」

 ゴルディは優しく微笑んで、シルヴィを撫でてやった。

「いいよ、シルヴィ・・・。最後まで、一緒に居てくれた優しい妹を怒るわけないじゃん」

 シルヴィは、急に、実感した。最後、という言葉が、胸をキツく締め付ける。

「いや・・・、姉さん!死んじゃ嫌だ!一人にしないで・・・!姉さんっ!」

「あはは・・・、困ったなぁ・・・」

 ゴルディは、シルヴィの頬を撫で、途切れ途切れに伝える。

「あなたには、まだ・・・、みんな、が、いるでしょ・・・?」

「みんな・・・」

「そうだよ・・・、一人じゃないよ・・・。大丈・・・夫・・・、シルヴィには・・・・・・み、んな・・・が・・・・・・・・・・・・・・・」

 消える熱を、抜けていく力を、感じた。

 姉の死。それを目の当たりにした。

「みんなが・・・、いる・・・私には、みんなが・・・――」

 シルヴィの手足は、

「姉さんを一人にした、アイツらが・・・!」

 黒く、染まり出していた。

「返せ・・・、返せ・・・!」

 シルヴィは再び剣を握り、姉の胸を何度も、何度も何度も何度も突き刺し、身体はすっかり返り血に染まる。

「返せ!返せ!!返せ返せカエセカエセ返せカエセカエセカエセ返せカエセ返せ返せカエセカエセカエセカエセ!!!!」





 孤独に絶望した姉。

 姉を孤独にした自分に、仲間に絶望した妹。

 姉妹は確かに、愛し合っていた。

 欠けがえのない存在だった。

 欠けてしまったから。終わってしまった。






 ある日。

 祥たちを狂人者が襲った。

 二本の槍と、巨大な盾を携えた。強大な力を持ったそれに、彼女たちは、大半の仲間を、生きる気力を、意味を、失った。


 それでも歩き続けることを選ぶ者達は、何を目指すのだろうか。

 その先に、彼女たちが望む世界があるのかどうか、知るものは居ない。





 第三章 完

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