第二章(後) 死神と巫女 ××


 3日。

 ヒコネが姿を消してから、数えた日数。

 リリーにとって、それはあまりに早かった。毎日毎日、一睡もせず、辺りを飛び回り、喉を潰すまで叫び、それに釣られた狂人者を10体は一人で始末した。

 すでに、リリーの片目はほとんど視力が残っておらず、歩く足取りは見ていられない程に衰弱した様子だった。

 4日目。リリーは拠点である一室から、朝早く飛び出そうとする。

 前日に、倒れているところを仲間に運び込まれたばかりだったが、動かずには居られなかった。

「っちょっ!リリーダメだよ動いちゃ!」

 藍が気付き、腕をつかむ。

「放してっ・・・!ヒコネ、ヒコネが待ってるんだ・・・!」

 まるでだだをこねる子供であった。藍は溜まらず声を張り上げる。疲弊しているのはリリーだけではない、藍の感情はもう、抑えが効かなかった。

「いい加減にしなよっ!!みんな、同じなんだよ!?リリーだけが心配してる訳じゃないんだ!大丈夫、みんなで探せばきっと――」

「それじゃダメなんだっ!!!!」

 掴んでいた手の力は、とうに抜けていた。

 藍には、何がダメなのかまるで意味が分からず、ただ困惑するばかりだった。

 リリーは繰り返す。アタシじゃなきゃ、ダメなんだ・・・、と。

 自意識過剰に見えるそれは、藍には、それだけでは無いように思えた。こんなに必死なリリーを見たのは、初めてだったからかも知れない。単に、気圧されただけかも知れない。

 しかし、気付けば藍は、リリーの背中を見送っていた。絶対ヒコネと帰ってきてと、叫びながら。


 その日も、リリーはあてもなくさ迷う。

 カラカラに乾いた喉を水で潤し、仲間に迷惑をかけないようにと持参したのは、カビの生え、処分される予定のパンだった。

 死神にとって、それを食すことはどうということは無い。何でもいいから、何かを食べていたかった。

 愛する人に貰った感情を、忘れないよう。

 悲しみに、飲まれないよう。

 リリーは叫ぶ。もはや叫ぶことに意味はない。ただただ、会いたいという気持ちを空に向かって吼えた。

 そして、日が沈みかけ、もう声も出なくなった。

「今日も・・・ダメだった・・・、アタシが、見つけなきゃいけないのに・・・アタシが・・・!」

 チリン。

 リリーは、血潮が震えるのを肌で感じた。

 聞き馴染んだ音。聞き飽きるほど愛した音。聞き足りないほど欲した音。

 ヒコネがいつも身に付けている、封鈴の音が、不意に、チリン、チリンと児玉する。

 辺りを必死に見渡すと、少し瓦礫を登った先に、一体のヘラジカのような巨大な角の生えた四つ足の獣が、封鈴を角に携え、堂々とリリーを見下ろしていた。

 狂人者であることは明らかだった。しかしリリーは今までにないほど喜び勇んだ声で語る。

「・・・良かった・・・!やっと・・・やっと見つけた・・・!」

 静かに、しかし確かな想いをもって、リリーは大鎌を構える。

「待ってて・・・。今、殺すから・・・!!」

 リリーは一つ跳んだだけで狂人者の懐へと潜り込み、すかさず鎌を一閃振るう。しかし狂人者は、瞬間一つ後退し、リリーへと角を突き付ける。

「いっづぅ・・・!」

 疲弊したリリーにこれを避けることは出来なかった。リリーは左肩から出血しながら、必死に食らい付く。

 一太刀、一太刀、振るうたび、明らかに鋭さは落ちていき、そのたびに狂人者の強烈な角や蹴りがリリーの身体を壊していった。

「ゼー・・・ハー・・・ハー・・・!」

 骨が軋む、呼吸が喉から抜けていく音がする、左腕はすでに動かなかった。

 それでも、リリーは引かずに、何度も立ち向かう。

「待って・・・デ、ヒコネ、今・・・」

 だが、ぐらりと足がもつれた。

 狂人者は見逃さない、獲物に止めを刺す瞬間を、絶好の隙を。

 狂人者の角は、今度はリリーの胸を確かに貫いていた。おびただしい血が、角を伝い、ボタボタと地へ落ちる。

 リリーにとっても、それは最後の好機だった。リリーの大鎌は、狂人者の胸元を、魂を貫いている。

「ようやく・・・、隙・・・見せて、くれた・・・」

 ヒュー、ヒューと息が鳴る。リリーはずるりと地に落ちた。溜まった血が、ばしゃりと飛ぶ。

 狂人者は、リリーの頬を一回、優しく舐めると、その姿は人間だったころに戻っていった。

 リリーが愛した。寡黙な巫女の姿に。

「久しぶり、だ、ネ・・・。ヒコネ」

 ヒコネはリリーの顔の側で正座し、リリーの頬をそっと撫でる。

「すみません。ご迷惑を、お掛けしました」

「いいよー・・・。アタシの方が・・・、いっぱい、迷惑だったし・・・?」

「そうでございますね」

「アハハ、そこは否定してよー・・・」

 いつもと変わらないやり取りに、死神はパッと晴れた笑顔を見せる。

 月が登り、辺りはすっかり闇夜に包まれていた。

「ヒコネー・・・アタシ達・・・死んじゃうね・・・」

「そうでございますね、リリーさんに、魂を狩って頂きましたから。力が抜けていくのを、肌で感じます」

「でもさー・・・、アタシは幸せだよ・・・?ヒコネに看取ってもらえて」

「リリーさんらしゅう御座います・・・」

「最後にさ・・・お願い、聞いてよ・・・?」

「聞くだけ、で御座いますよ?」

「えへへ、あのさ・・・ア・・・タシ、と・・・・・・・・・・・・・・・」

 消える熱、抜ける力。ヒコネは知っていた。それが死であることを。

「・・・全く、相変わらず・・・リリー、さん・・・は、自分勝手、で・・・ござ、い、ま・・・」


 月夜に照らされ、死神と巫女は最後を共にした。誰にも気付かれないまま。二人が、望んだ通りに。


 寡黙な巫女は、狂人者へと成り果てるあの時、切に願った。

 仲間に迷惑は掛けたくないと、一人で静かに散りたいと。

 しかし、それが叶わぬ願いと分かっていた。きっとあの人は自分を見つけてしまう。きっとあの人は、見つけるまで探し続けてしまう。

『だったらいっそ、あの人に殺してもらえれば』

 それは、些細な出来心だったかも知れない。冗談半分で、思っただけかもしれない。

 しかし、間違いなく彼女が望んだ、最低の願いだった。

 巫女は、最後に願いを叶えた。


 死神は、分かっていた。寡黙な巫女が、何を思っているのかを。

 あの人は優しいから、何かあれば、必ず一人で抱え込むことを。それが彼女の、願いであり、我が儘であることを。

 死神は、分かっていた。寡黙な巫女は、きっと自分の勝手を予想していると。

 ゆえに、だからこそ、死神は我が儘に巫女を求め続けた。絶対に一人にしてやるもんかと、命をとして巫女を愛した。

 巫女と、最後まで一緒に。

 それが、死神の自分勝手な愛だった。






 死神は、最後まで絶望しなかった。






第二章(後)   完

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