花と蟲②「輝きという薬」
それは、強い雨が降り、コルナが慌てて軒先に出していた花たちを店の中にしまった後。もうこの天気ではただですら少ない客足も遠のくだろうと判断したコルナが店の扉に鍵を掛けようとすると。
外から扉をドンドンと叩く音と、甲高い声が二つ聞こえた。
「ごめんなさぁい、ここを開けてくれませんかぁ。雨宿りさせてくださぁい、ごめんなさぁい」
「ハヤク、ハヤク! サムインダヨ! サッサトアケロ! ヤクタタズ!」
声質からして小さな女の子だろうか。降りしきる豪雨がみすぼらしい店を叩き、冷たい風が吹きこんでいる。
確かにこの雨に打たれていたのでは寒いだろう。風邪をひいてしまうだろう。
気の毒に思ったコルナは店の扉を開けた。するとそこには赤い髪に黒いレインコートを着た少女、そしてその隣には青い髪に、同じく黒いレインコートを来た少女が立っていた。二人ともまだ歳が十に届いていないと思われるほど小さく、それほど背の高くないコルナの膝程にしか背が届いていなかった。だから自然と二人の少女はコルナを見上げる形になったが、その顔をみてコルナはすこし驚いた。ほんの少しの差異を除けば、二人の顔は瓜二つだったからだ。
赤い髪の少女は髪と同様の赤い瞳で申し訳なさそうにこちらを見て、青い髪の少女はギラギラとした、一言でいえば非常に目つきの悪い青い瞳でこちらを睨んでいる。
「ああ、ごめんなさぁい。メリー、ダメよ、そんなこと言っちゃ。折角扉を開けてくれたのに、このおばあさん、扉に鍵を掛けてしまうわ」
「ウルサイウルサイ、マリーガカッテニ、ネコヲオイカケテイクカラ、コンナメンドウナコトニナッタ! モウドウシヨウト、メリーノカッテ!」
「ごめんなさぁい。妹も悪気がある訳じゃないんですぅ。お願いですからゆるしてあげてくださぁい。わたしがなんでもしますからぁ」
「オイ、ムシスンナ!」
コルナはしばらく二人のやり取りを眺めていたが、このまま外で二人を雨に打たせておく訳にもいかず、中に入れてやることにした。といっても、コルナの店は外装もボロなら中も快適とは言い難い。そこら中から土の匂いがするし、花の香りに誘われた羽虫も飛び回っている。すぐに飛び出していくかもしれないと思い、コルナは頭の中でもてなし用のカップの位置と茶葉のブレンドよりも、何年も使わなかった傘の場所を思い出そうとしていた。
しかし、中に入った少女たちの反応はコルナの予想の斜め上を行っていた。
「ギャハハハハハッ! マリー、ミロ! ムシダ! コイツラ、コンナニイルゾ!ココナラトリホウダイダ!」
「ごめんなさぁい、お婆さん。ここにあるクモの巣、貰ってもいいですかぁ? ごめんなさぁい」
「え、ええ。構わないけど」
二人は中に入った途端、大はしゃぎ。マリーは戸棚にくっついた巨大なクモの巣を店に落ちていた木の棒(コルナが間引いた、デキソコナイの枝だった)で丸め取り、レインコートの内側から取り出したビンにそれを詰めた。メリーの方はというと、辺りを飛び回るハエを見つけては大笑いでジャンプし、両手で潰して遊んでいる。まともに友人を持たず、遊んだこともないコルナだったが、それが普通の遊びではないことは理解できた。
「あ、あのマリーちゃん、クモの巣なんてとってどうするの?」
「ごめんなさぁい。ちょっと作りたい物があるんですぅ。ごめんなさぁい」
「そ、そう。じゃあメリーちゃんは何をしているの?」
「ミレバワカルダロォ! メリーハアソンデルンダ! アソンデルンダ!」
どう見ても「ミレバワカル」ものでないことは確かだが、元々あまり人と接してこなかったコルナには、二人の行動の止め方も、止める理由もいまいち頭の中から出てこなかった。しかし、とりあえず二人がここから出ることはなさそうなので、コルナは傘の場所を思い出すのを止めた。同時にこの店には花以外、二人をもてなすものなどない事も思い出してしまったが。
コルナはまだ話が通じる姉のマリーから話を聞いた。それによると、二人はある男と共に旅をしているらしい。なんでもその男はこの世界にいまだ存在しないような、あっと驚くような劇団を作るために世界中を回っているらしく、その途中で二人は男に拾われ今では一緒に旅をしているのだとか。いままでこの町以外の風景を見たことがないコルナはマリーにあれやこれやと質問をした。
音楽とはなんだ。
旅をするとはどんな気分なのだ。
ハロウィンとは何を祝うお祭なのだ。
その質問にマリーは、何故か謝りながらも必死に答え続けた。その回答一つ一つにコルナの心は浮足立っていく。父の残した本で言葉だけは知っていても、実際に見た人間から聞けば、当然そちらの方がより直接的に伝わって来る。コルナはまるで自分もその旅に同行しているような気分だった。
だが、ただ一つだけ。マリーは自分たち姉妹が、どうして男に同行したのかだけは教えてくれなかった。コルナは気になって何とか聞き出そうとしたが、そうするとマリーの口からは「ごめんなさぁい」しか語られなくなってしまった。しかたなくコルナは、その点に関しては追及しないことにした。
よほど熱心に聞いていたのだろう。コルナがマリーを質問攻めしている内に、あれだけ激しく降っていた雨が上がっていることに気付いた。
「あら、雨があがってるわ。ごめんね。長々と話し込んじゃって」
「ごめんなさぁい。私もいろいろ話しちゃいましたぁ。団長からお仕置きされちゃいそうですぅ」
「ソリャイイヤ。タノシミデメダマガヒックリカエルヨ!」
「その団長さんにもよろしく言っておいてね。もし怒られたら、私が無理に引き留めた所為だと、伝えておいてね」
「イワレナクテモソノツモリダヨ!」
そう言うとメリーは扉から外に飛び出していった。コルナはそれを追ってマリーも出ていくだろうと思い、扉を開けて待っていたが、マリーはすぐには出て行かずトコトコとコルナの傍にやって来た。
「あら、どうしたのマリーちゃん。メリーちゃん行ってしまうわよ?」
「ごめんなさぁい。すこしだけ雨宿りのお礼がしたいんですぅ。ごめんなさぁい」
お礼?そう聞き返すとマリーはレインコートの懐から先程クモの巣を集めていたビンと同じようなビンを取り出した。よく見るとその中には緑色の光沢を放つ液体が入っている。
蛙みたいな色。
コルナは何故かそう感じた。雨上がりの空気がその感想を引き出したのかもしれない。もしくは、ビンに写った自分の顔か。
「ごめんなさぁい。このお薬を一滴だけお花にかけてみてください。ごめんなさぁい」
「? わかったわ。じゃあ、この子に」
コルナは店の中でも一等みすぼらしくいけてあったタンポポの花を持ってきた。この花は軒先に偶然生えていたものをコルナが鉢に移したものだったが、すでに虫食いがひどく、どうあっても綺麗にはならなかった。
なんだが自分を見ているようで捨てるに捨てられなかった一輪だ。
コルナはマリーに言われたとおりに、一滴だけ薬を垂らした。
次の瞬間、コルナは目を疑った。
タンポポの花の虫食いが消え、花が満開になった。そしてその花が開くとき、タンポポが淡い光を放ち始めた。
それを見たコルナはまるで花の蜜に誘われる蜂のように、フラフラとタンポポの花に吸い寄せられていく。
美しい。
コルナの中にはその感情しか芽生えてこなかった。
本当に、ただそれだけ。
どうしてタンポポがこれほど美しいのか。なぜこんなに美しくなったのか。手に持つ小瓶の中身は何なのか。これだけ美しい花が目の前にあるのに真っ直ぐ自分を見つめるこの赤い髪の少女は誰だったのか。
【真っ直ぐに自分を】?
【自分】ってなんだっけ?
コルナってなんだっけ?
人だっけ? 花だっけ?
どれほどの時間こうしていただろう?それを確かめるすべをコルナは持たないが、長い時間タンポポを見つめていたのは覚えている。
「ごめんなさぁい。そのお薬は【美しさを際立たせる】効果があるんですぅ。一本の花に一滴かければこんなふうに一番美しい花にすることができるんですぅ。おばあさんに差し上げますぅ。ごめんなさぁい。うまくつかってくださぁいぃ」
それだけ言ってマリーは扉から出て行った。言葉は届いていた。しかし、コルナはそれからもうしばらく、食い入るようにタンポポを見つめていた。
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