その3
アルベ―ル氏には溺愛する娘がいる。
康平よりも年下の、生意気盛りの少女だ。
「なんでこんな大事なことを、手紙で聞くのよ? 電話は時差を気にするのはわかるけど、メールのが早くない?」
弘美の真っ当な疑問に、康平が答える。
「淫魔の一族って、機械音痴が多いからな」
吸血鬼の一族はIT系に強い者が多く、但野家の父もそっち系の仕事についている。
一方淫魔の一族はそういったことに疎い。
「古き良き文化を大事にする」という建前を述べているらしいが、要は技術系が苦手なのだ。
パソコンどころか携帯電話すら持っていない者が多い。
恐らくアルベ―ル氏もその一人なのだろう。
持っていなければ、メールもできるはずがない。
「でもさぁ、なんで家出したんだよ?」
康平が疑問を口にする。
そもそもの家出の原因はなんなのか、どうして弘美へ所在を聞くのか、それが不明だ。
「ちょい待ち、今読むから」
弘美は手紙の続きに目を通す。「娘への愛情が足りなかったのだろうか?」などの家庭への不安や愚痴が延々と続く。
要点がどうでもいいことに埋もれていて、読みにくいことこの上ない。
――手紙を書くのが下手だな!?
手紙を破りそうになるのを堪えながら読んだ最後の方に、心当たりが書いてあった。
先日弘美の父との電話で、弘美に特別な人間が現れたという話で盛り上がったそうな。
両親共に徳海の存在を喜んでいたので、誰かに言いたくなったのだろう。
その喜びの報告を聞いていたすぐそばに、アドリーヌがいたらしい。
≪アドリーヌは弘美に懐いていたから、もしかして祝福を述べに日本に向かうつもりかもしれない≫
そんな風に手紙は締められていた。
読み終わった弘美は、微妙な顔になる。
「懐いてたの、アレは?」
幼い頃から家族ぐるみの付き合いをしていたので、アドリーヌとの付き合いは長い。
しかし弘美には、顔を合わせるたびに突っかかられた記憶しかない。
康平が尻尾を振って言う。
「喧嘩売ってたの間違いだろう」
それというのも理由があってのことなのだが、今は置いておくことにして。
「本人がもう、日本にいるってこと?」
エアメールが投函された日付から確認すると、相当日数が経過している。
手紙よりも本人の飛行機移動の方が早いのは当然なので、アドリーヌがもうそのあたりにいたとしてもおかしくはない。
「ふぅーむ、でもそんな気配は……」
この時、弘美の脳裏に様子のおかしな草野のことが思い浮かんだ。
草野から匂った、香水ではないが花のような香り。
どこかで嗅いだことのある匂いだと思った、あれは――
「あぁぁぁあ!!」
「おおぅ、びっくりした!」
弘美が急に叫んだせいで、康平はびくっと飛び上がる。
「草野さんからしたあの匂い! 淫魔のフェロモンだ!」
弘美の言葉に、康平が首を傾げる。
「草野って、研究棟の人?」
「そう! 今日その人から淫魔のフェロモンの香りがしたのよ!」
どうしてあの時点で気付かなかったのか、弘美は自分のお馬鹿ぶりを呪いたい。
こんなにタイミング良く、弘美の行動範囲で淫魔の気配がするなんて、不自然にも程がある。
今日の草野の様子がおかしかったのは、アドリーヌがなにかしたと考えた方がいい。
「でもさぁ、なんで狙いが徳海さんじゃないんだ?」
康平の疑問も最もで、弘美だって徳海の様子がおかしければ、もっと真剣に対応しただろう。
草野だから「まあいいか」でスルーしたのだ。
――もしや、それが狙いか!?
「敵を倒すのには、まず馬から殺ろう的なことかも!」
そうなると、次に狙われるのは徳海だ。
グズグズしていると弘美の唯一飲める血が失われてしまうと、弘美が相手の策士ぶりに慄く横では。
「あいつ、そんなに賢いか?」
康平は疑問顔だった。
とにかく、こうしてはいられない。
「康平、捕獲に行くよ!」
拳を握りしめて威勢よく立ち上がる弘美に対して、康平は後ろ足で耳の後ろをかいていた。
「こら、やる気が足りない!」
「だってさぁ、暑いとダルくて」
康平は夏バテ気味のようだ。
犬というのは寒さに強いが暑さに弱いので、仕方がないともいえる。
康平は犬ではなく狼だが。
「アドリーヌにいいようにされて、悔しくないのか!?」
弘美が気分を盛り上げようと、熱血教師のようなことを言うと、康平はむくりと立ち上がり、テシテシと前足で床を打つ。
「ここいらは俺らのシマみたいなもんだし、荒らされるのは癪だな」
気分が乗ったらしい康平は、夏休みでヤクザ映画にハマっているのだ。
理由はなんであれ、やる気になって結構だ。
ブルッと大きな身体を震わせた康平は、しかし気弱な様子で弘美を見た。
「でもさ、肉球が熱いから、もうちょっと日が落ちてからにしねぇ?」
「……確かに、まだ明るい時間にでっかいワンコは目立つか」
肉球云々はともかく、隠密性を考えて出撃は日暮後となった。
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